第380話 すれ違えない
「あなたの名前を教えてください」
「……アレンだ」
「出身はどちらですか?」
「……辺境都市」
「今は帝都にお住まいですか?」
「いや、帝都には旅行……の帰りに寄っただけだ」
どこかへ連行されることもなく、その場で始まった事情聴取。
物珍しさからか、集まる視線の数は今も少しずつ増え続けている。
淡々と重ねられる質問に困惑が募るばかりだが、職権を振りかざされては如何ともしがたい。
(普通、こんなとこで取り調べなんてやるか……?)
抱いた疑問を口に出すことはしない。
では署までご同行を、などと言われたら目も当てられないからだ。
「旅行はどちらに?」
「戦争都市だ」
「移動方法は?」
「飛空船」
「では、戦争都市で観光した場所を3つ教えてください」
「戦争で観光どころじゃなかった」
「…………」
当たり前でしょう、と言いたげな呆れ混じりの視線を向けられた。
理不尽極まりない。
(呆れるくらいなら聞くな、と言いたいとこだが……)
目の前の少女は、こういった聴取に慣れているようだった。
旅行の帰りに何を見たか言えないようなら黒。
カバーストーリーを用意していたとしても、移動方法を聞いておけば後から事実関係を照会することが可能だ。
公共の場でメモも取らずに取り調べを始めるくらいだからド素人かと思ったが、個人情報保護の概念が希薄なだけかもしれない。
「お仕事は何を?」
「冒険者をしている」
「髪の色を変える魔道具を使用していませんか?あと、目の色も」
「これが地毛だ。目の色も変えてない」
「……アレキサンダーという人物に心当たりはありませんか?」
「……いや、ないな」
どこかで聞いたような気もする。
思い出せないくらいだから、身近な人間の名前ではないはずだ。
「…………」
レオナは何も言わず、じっと視線を合わせた。
嘘は許さない。
そんな圧力をひしひしと感じる。
「冒険者の身分証はお持ちですね?見せてください」
「……ほら」
首に掛けて服の中に入れていた冒険者カードを紐ごと差し出す。
彼女は冒険者カードを手に取ると、表示を確認して目を見開いた。
「B級、ですか……」
「そうだが?」
レオナは歯噛みする。
どうやら、宮廷魔術師団とやらにも上級冒険者の肩書きは通用するらしい。
帝都で活動する先輩諸兄に心の中で感謝しつつ、俺は余裕の笑みを浮かべた。
「名乗りを聞くに、貴族と言うわけでもなさそうだ。まさか顔を見ただけで捕まえるなんて言わないだろう?まだ続けると言うなら、理由を聞かせてもらおうか」
ここが攻め時――――そう見定めて強く出る。
少しの迷いを見せた末、果たして少女は折れた。
冒険者カードを丁寧に返却し、小さく溜息をこぼす。
「ここまで話した内容に、虚偽はありませんね?」
「ない」
「……わかりました。ご協力、感謝します」
姿勢を正して一礼し、レオナは立ち去った。
離れていく彼女を見送り、野次馬たちにお騒がせしましたと軽く頭を下げてから俺もゆっくりと歩き出す。
何もやましいところはございません。
帝国臣民の義務を果たしただけですよ。
そんな振舞いを続けながら、俺は内心で快哉を叫んだ。
(おっしゃああああ!!乗り切ったあああっ!!!)
本当にどうなる事かと思った。
歩いていただけで職質されたことへの驚きもさることながら、恐ろしいのはレオナの上司の存在だ。
宮廷魔術師第三席。
つまり、魔法ひとつで数百人を薙ぎ払う化け物集団の中で三番目に偉い奴。
あの少女の動きによっては、本人と対面する可能性もあったかもしれないのだ。
手のひらにじんわりと滲んだ汗をシャツの裾で拭った。
「ふう……」
買い物に来ただけなのに、散々な目に合ってしまった。
服の胸元を摘まんでぱたぱたと動かし、服の中に籠った熱気を外に送り出しながら大きく息を吐く。
気持ちが落ち着いてくると、手に持ったままになっていた冒険者カードに通した紐を摘まみ、首に掛けた。
窮地を救ってくれたB級のカードは銀を基調としながらも要所に金の装飾が付いたもので、視認性をよくするためにC級以下と異なるデザインが採用されている。
なお、最近まで使用していたC級以下はシンプルな銀製のカード。
一方、見たこともないA級のカードは、金製で精緻な装飾が施された高級感のあるデザインだと聞いた。
「上級冒険者、か……」
戦争都市の冒険者たちも、先ほどの少女も、俺の背後に本来の俺よりも大きな何かを見ているようだった。
それはきっと、B級冒険者として存在した先達の幻影だ。
過去に遭遇した同格の存在を俺に重ね、その威容に気圧されたのだろう。
昇格から1月と経っていないのに、この肩書には度々助けられている。
「…………」
流れで挑戦した昇級試験では、仲間に助けられて何とか条件を達成できた。
しかし、正直なところ上級冒険者としての自覚は未だ育ち切っていない。
多くの冒険者と同様、俺の認識でも上級冒険者というのはもっと遠いところにいる存在なのだ。
それこそジークムントのような人外の如き力を持つ、冒険者の上澄み。
少なくとも現時点では手の届かないところにある存在。
そう思っていた。
だが、経緯はどうあれ、俺は上級冒険者になったのだ。
そうなった以上、肩書に見合う力を早急に身に着けなければならない。
それができなければ、上級冒険者に向けられる敬意は上級冒険者を騙る愚か者に向けられる軽蔑へと反転する。
落差の分だけ、俺は必ず代償を支払うことになるだろう。
上級冒険者として相応しい力を手に入れることを心に誓い、カードをまじまじと見ていると、ふとカードの表記が目に入った。
ランクはB級、そして名前欄にはアレンと刻まれたそれ。
未だ馴染まないB級冒険者の肩書と違い、4年半も使い続けた偽名は本名同然に馴染んで久しい。
名乗るときも呼ばれるときも、それが偽名であると意識することはほとんどなくなった。
戦争都市にまつわる心残りを解消した以上、アレックスと名乗ることはもうないのかもしれない。
それでもきっと、ときどきは思い出すのだろう。
アレックスという、12年もの長きに渡り名乗っていた本名のことを。
「………………うん?」
思考の中で、何か引っ掛かりを覚える。
違和感の正体を探ることしばし、俺はその正体を突き止めることに成功した。
(そうだ……。そうだった……)
アレックスは、俺の本名ではなかった。
前世の名前とか孤児だから本当の名前がわからないとか、そう言う意味ではない。
だって、アレックスは愛称だ。
俺の本名。
俺という孤児に付けられた名前。
初めて聞いたとき、偉人に似た響きだと思ったそれは、たしか――――
(アレキ……サンダー……ッ!)
いつのまにか足は止まっていた。
カードを摘まむ指は震え、全身から汗が噴き出る。
恐るおそる背後を振り返ると、レオナの姿はすでにない。
俺は吹き抜けを見上げ、そして目を閉じた。
(きこえますか……きこえますか……レオナさん……アレキサンダーです……。許してください……忘れてたんです……本当です……)
頭の中に直接語り掛けるような不思議パワーなど持ち合わせておらず、俺の謝罪が先の少女に伝わることはない。
無意味な現実逃避を済ませた俺は、大きく溜息を吐いた。
本名を忘れるという大失態に自信を喪失する一方、うっかりのおかげで無事に危機を乗り越えることができたというのもまた事実。
あの瞬間、アレキサンダーなる人物に全く心当たりがなかったので、俺の反応から何かを邪推される余地はない。
本心から虚偽はないと思い込んでいたのだから当然だ。
(今から名乗り出るのは、ナシだよなあ……)
虚偽はないかと念押しされた以上、虚偽があった場合の罰則が存在する可能性は小さくない。
俺の本名を知っていて俺を探す人間にまともな奴がいるとも思えず、まして相手は宮廷魔術師団という帝国の中枢近くにいる連中だ。
戦争を介して彼らの傲慢を知った今となっては、近づきたいとも思えなかった。
(買い物、続けよう……)
冒険者カードを見られた以上、逃げても怪しさが増すだけで意味がない。
このまま予定通りに動く方が安全だろう。
だいぶテンションが下がってしまったが、何とか気を取り直して防具探しを続けた。
「さて……」
ほどなく1階を一周し、俺は仲間たちと別れた正面入口付近に戻って来た。
予想外のトラブルもあったが、ある程度の目星をつけることはできた。
2周目は店員に話を聞きながら、手早く候補を絞っていくとしよう。
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