第371話 閑話:とある冒険者の物語3




「くあ……」


 眠い目を擦り、大口を開けて欠伸をしながら体を起こした。


 時計に目をやると時刻は昼前。

 十分な睡眠を取っているはずだが、飲む打つ買うで連日酷使している体には疲労が残っている。


 しかし、クラン内の会議の時間が迫っているため二度寝はできない。

 俺が遅刻したせいで開始が遅れたのは昨日のこと。

 二日続けて遅れたら、短気な魔術師にベッドごと焼かれてしまう。


 渋々着替えを済ませ、適当に見栄えを整えてホテル内にあるサロンへ移動した。

 決められた場所に顔を出すと、装備を着込んでソファーにどっしりと腰を下ろす偉丈夫が眠たげな俺に声を掛ける。


「今日は起きれたようだな、ジャック」

「おう、遅刻するわけにはいかねえからな」


 屈託ない笑顔を浮かべる大柄の剣士の名はガストン。

 戦争都市のB級冒険者パーティが緩やかに協力するクラン、『戦華』のマスターを務める男だ。

 だが、鷹揚に構えるガストンと対照的に、同じテーブルに着いて足を組む女は苛立ちを隠そうともしない。


「それが当然でしょう。この私を待たせるのはお前くらいだよ」

「そりゃあ光栄だ」

「……その寝ぼけた頭ん中、髪ごとスッキリさせてやろうか?」


 真顔で杖を向けるのは、帽子から靴まで青系統の色で統一した魔術師。

 『戦華』に所属するB級冒険者パーティのひとつを率いるベルティーユだ。

 普通なら脅しか冗談にしか聞こえない台詞も、この女にとってはそのどちらでもない。


 俺は両手を挙げて速やかに着席する。

 きっちり定刻どおりだから文句は言わせない。


 これで『戦華』に所属する3パーティのリーダーが全員そろった。

 ガストンは面倒な挨拶を省略し、必要なことを端的に告げた。


「戦争都市から急報だ」


 その一言でベルティーユの表情が引き締まる。


 頭を過ぎったのは領都陥落の知らせ。

 しかし、続いた内容は正反対のものだった。


「領主軍が公国軍を撃退した。本日、領都では大規模な凱旋パレードが行われる」

「バカな……」


 声にこそ出さなかったが、眉をひそめているベルティーユも同じ思いだろう。

 それを告げたガストン本人ですら半信半疑という表情だ。


 ただ、凱旋パレードの話まで出るとなれば虚偽とも考えにくい。

 発表した領主にせよそれをガストンに伝えた情報屋にせよ、このレベルの誤報は信頼に致命的な傷がつく。

 少なくとも領主と情報屋の双方が勝利を確信していなければ、この情報は俺たちのところまで届かないはずだが――――


「俄かには信じがたい話だな。すでに巻き返せるような状況じゃなかったはずだ」


 俺たちがある指名依頼を受けて本拠地から中継都市に移動したのは数日前。

 その段階で戦争都市は最後の砦の防衛を放棄し、公国軍に拠点を明け渡すという無様を晒していた。

 冒険者と騎士の混成部隊が何とか基地を奪還したという知らせは後から聞いたが、その後に襲来する数万の軍勢に蹂躙されるのを待つばかりで、せっかく奪還した砦は再度放棄される見込み。


 昨日までの情報では、そんなところだった。

 そんな絶望的状況を覆して勝利と言われても信じるのは困難だ。


「依頼主は?」


 俺たちが受けている指名依頼。

 内容はという馬鹿げたものだ。

 日当制の即日払いで、さらに各種娯楽に掛かる費用も依頼主持ち。

 依頼主がでなければ怪しすぎて絶対に受けなかった。


 戦争都市の冒険者ギルドもいい顔はしなかった。

 間接的に故郷を裏切ることにもなる。

 それでも『戦華』がこの指名依頼を受けたのは、俺たちがどうあがいても戦況は変わらないと判断したからだ。


 故郷のために危ない橋を渡ることは怖くない。

 ただ、落ちるとわかっている橋を渡るほど馬鹿なこともない。


 しかし――――


「約束の時間に依頼主は現れなかった。指名依頼は完了だ」

「そうなると、信憑性はかなり高いか」


 現在手元にある情報からは、予想に反して公国が敗北を喫したという結果しか見えてこない。

 これが虚報であれば公国は躍起になって否定するはずだ。

 公国は『戦華』が戦争都市側で参戦することを防ぐために大金を投じている。

 依頼が途絶えたなら、それは戦争の趨勢が決したということにほかならない。


「何にせよ、この目で状況を確認すべきだろう」

「異議なし」

「同じく」


 ガストンの提案に俺とベルティーユは即答した。

 三人の中で情報収集や戦況分析に最も長けているのはこの俺だ。

 ただ、ガストンもベルティーユも情報の重要性を理解していて、それぞれが別の情報源を持っている。


 この中の誰にとっても、手持ちの情報と現状認識が一致しない状況は看過できるものではなかった。


「バカンスは終了だ。戦争都市に戻るぞ」


 ガストンが会議の終了を告げ、俺たちは立ち上がった。

 

 眠気は、もうすっかり吹き飛んでいた。





 ◇ ◇ ◇





 上級冒険者の特権と人脈を活用して飛空船の枠を確保し、その日のうちに『戦華』は戦争都市に舞い戻った。


 すでに凱旋パレードは終わった後。

 しかし、高揚した空気がまだ都市中に残っており、あちらこちらで酒盛りが続いている。

 俺たちが戦争都市を離れたときの陰鬱とした空気と比べると、まるで別世界だ。


「市民からも情報を取るべきだろうな」

「情報屋にも会っておきたい。一度、別行動にするか」

「なら、私らは市内を」


 ガストンのパーティは情報屋へ。

 ベルティーユのパーティに市民からの聞き取りを任せ、俺自身はパーティメンバーを連れてそのまま冒険者ギルドへ向かった。


「…………」


 冒険者ギルドの様子も明らかに変わっていた。

 いや、冒険者ギルドこそというべきか。

 冒険者たちが勇敢に戦ったという話は少し都市内を歩くだけで何度も聞こえてきた。

 

 数日前、陥落した前線基地の奪還という危険極まりない依頼への参加を呼びかけられ、不安を隠しきれていなかった冒険者たち。

 今はそんな事実など存在しなかったかのように口々に乾杯を叫び、笑い合っていた。

 普段はギルドの酒場を絶対に利用しない若い女だけのパーティや付き合いが悪いことで有名なソロの男まで雁首揃えて酒を呷っている。

 元々あった席だけでは到底納まりきらず、どこからか持ってきた不揃いの椅子と木箱が持ち出され、それでも足りずに立ったまま飲んでいる奴も多い。

 

 戦争自体は日常茶飯事のこの都市で、どれだけの勝利を挙げればこのような空気が出来上がるというのか。

 俺には想像できなかった。


「おお、ジャックじゃねえか。どうした、そんな辛気臭い顔しやがって」

「ランベルト……」


 『戦華』に次ぐ実力を持ち、B級への昇級も近いと言われる『戦狼』のクランマスター。

 本来は酒に飲まれるような男ではない。

 しかし、今は仲間の女剣士を侍らせ、緩み切った様子で酒とツマミを喰らっていた。


「指名依頼が片付いたから、その報告にな」

「依頼……?ああ、そういや都市を離れてたんだったか……」

「…………」


 俺は表情が変わらないように耐えるのが精一杯だった。


『頼む!戦争都市のために、故郷のために共に戦ってくれ!!』


 数日前、必死の形相で訴えたこの男の言葉を俺たちは退けた。


 当然、気まずい思いをすることは覚悟していた。

 多少の皮肉や罵倒は甘受するつもりだった。


 しかし、今のランベルトの言葉は決して皮肉などではなかった。

 この男は事実として、戦争都市最強のクランである『戦華』が都市を離れていたことを今の今まで忘れていたのだ。


「呼び止めて悪かったな。ああ、それと日付が変わるまで酒とツマミは『黎明』の奢りだ。時間があるなら飲んでいくといい」


 『黎明』とは何だ。

 そう聞き返す前にほかの冒険者がランベルトに絡んできて、奴の意識はそちらへ向けられた。


「おい――――」

「待て」


 メンバーの一人が忌々しげにランベルトに向かおうとするのを制止する。


 『戦華』が都市を離れた後、冒険者たちをまとめたのは『戦狼』であるはずだ。

 今、ただでさえ立場の良くない俺たちがランベルトに強く出れば、戦争に参加した冒険者たちを全て敵に回しかねない。

 ほかに手がないなら仕方ないとしても、考えなしに軋轢を生むのは避けたい状況だ。


「先に報告を済ませよう」


 馬鹿騒ぎを続ける冒険者たちを横目に受付へと進む。

 普段なら報告の冒険者たちが列を為す頃合いだが、今日の受付は閑古鳥が鳴いていた。

 冒険者たちはすでに参戦報酬を受領し、その金をギルドに落としている。

 受付嬢たちはその様子を楽しそうに眺めるばかりだ。


「依頼完了の報告に来た」

「お疲れ様です。『戦華』が受けていた指名依頼の件ですね。少々お待ちください」


 受付嬢は淡々と手続きを進めた。

 態度も言葉も普段通りで、情報を取るための切り口が見つからない。


 普段は向こうから雑談や情報交換を持ち掛けてくることも多いのだが、今日はこちらから直接触れるしかないだろう。

 仕方なく、手元の書類に何事かを書き込んでいる受付嬢にこちらから水を向けた。


「公国軍が撤退したと聞いた」

「それは誤報です」

「なに……?」


 情報が取れそうだと安堵すると同時、予想外の返しを受けて意識が前のめりになる。

 そんな俺の様子を笑い、受付嬢は言った。


退なんて存在しません。前線基地より西側は、公国兵の死体で埋め尽くされているそうですよ」

「バカな……。一体何が……」


 言葉を失った。

 数万の公国軍に数日で勝利したというだけでも信じられないのに、軍として存在できないほどの壊滅状態に追いやったと言うのか。


「報酬は直接依頼主から受領されていると思いますので、本日の手続きは以上となります。依頼達成、おめでとうございます」

「…………ッ」


 受付嬢は笑顔で定型句を述べ、話は終わりだと突き放す。

 

 ここは冒険者に情報を場所ではない。

 笑っていない目が、そう主張していた。


 俺たちの帰還に気づいた冒険者たちの一部がこちらを観察している。

 ここで食い下がれば笑い者だ。

 酒を奢る代わりに情報を引き出す手も今日に限っては使えない。


「……行くぞ」


 逡巡の末、退くことを決めた。

 まずはガストンやベルティーユと情報をすり合わせてからだ。


 メンバーに声を掛け、ロビーを通り抜けてギルドを出る。


 冒険者たちがこちらに向けた視線にわずかな違和感を覚えながら、俺たちは足早にクランの拠点を目指した。



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