第370話 閑話:とある少女の物語40
side:リリー・エーレンベルク
彼との再会後、魔女の配下から逃げるばかりだった私は反撃に転じた。
魔女の顔に泥を塗った私を、魔女は許さない。
和解は不可能で、こちらに折れる気がないならば、どちらかが倒れるまで戦うしかない。
最終目標は魔女を無力化すること。
そのための準備として、私はまず魔女の配下を削った。
追ってくる者を返り討ちにするにとどまらず、拠点や定期任務の帰途を狙って積極的に負荷を掛けていく。
丁寧に、慎重に、時には大胆に。
私を恐れる者たちが魔女から距離を取りたくなるように、それとなく誘導していった。
全てを殺すことはしないけれど、殺した魔術師の数も両手の指では足りなくなった。
殺しても心が痛まない者を選び、凄惨な死体を晒して見せしめにしたこともあった。
魔女の配下は多くとも、無限ではない。
少しずつでも心を折っていけば、いつか使える手駒は払底する。
だから、こうなるのは必然だった。
◇ ◇ ◇
「これが最後です。投降してください」
辛そうな声の主は宮廷魔術師第八席、ヴィルマ・アーベライン。
私の姉弟子であり、そして魔女が動かせる中で最強の魔術師だ。
「できません。ヴィルマさんこそ、退いてください。貴方を傷つけたくはありません」
姉弟子は、あの魔女の弟子とは思えないほどの人格者だ。
今も自身の配下を失いたくないという一心によって、単独で私の前に立っている。
そんな優しい人を、私は倒さなければならない。
未来図の完成に必要ならば、私はそれを許容する。
「使い慣れた装備や魔道具の多くを失って、この広い空の下で。それでも私に勝つ手段があると?」
私が戦場として選び、姉弟子を待ち構えた場所は、緩やかな風が流れる郊外の荒地。
<火魔法>使いにとって戦いにくいフィールドではないけれど、<風魔法>使いの方が相対的に有利になる戦場だ。
だからこそ、姉弟子は罠の類を警戒している。
自分の方が有利な戦場で、私が不利をひっくり返す仕掛けの存在を探し、神経を研ぎ澄ませている。
ただ、いくら探しても罠は見つからない。
ここを選んだのは、邪魔が入らない方が互いにとって都合がいいからに過ぎないのだ。
「ええ。それに、装備は見てのとおりです。お師匠様の配下の方が、快く譲ってくださいました」
「…………」
装備や資金は、魔女の配下からの強奪によってある程度補完できた。
もちろん、それを織り込んで罠など仕掛けられてはたまらないので、最初の一回限りだ。
だから、私の装備は借り物ばかり。
少しチグハグな見た目によって、少しでも姉弟子の油断を誘えるかと思ったのだけれど――――
「仕方ありませんね」
会話による説得を諦めた姉弟子は、あっさりと魔術師の顔を見せた。
どこからともなく召喚した杖を、ゆっくりと振り上げる。
「今回は、本当に手加減できません」
彼女の周囲に現れたのは、極限まで圧縮された暴風。
それらを数える猶予すらなく――――
「死なないでくださいね。リリーさん」
放たれ、そして弾ける風弾。
解き放たれた暴風は私が放った火球と混ざり合い、無差別に一帯を薙ぎ払った。
「…………」
大量の土砂と土埃が撒き上がる中、私は冷静に戦場を観察する。
姉弟子が最も得意とする攻撃魔術。
この魔術の強さは巻き込みにあると、私は考えている。
その場にある岩も砂礫も木々すらも。
あらゆるものを巻き込んで薙ぎ払う攻撃は、本体である強力な<風魔法>と同時に純粋な物理攻撃への対処も要求する。
術者自身は安全圏である上空へ退避できるがゆえに一切の遠慮は必要なく、対空砲火を持たない無力な人間は彼女にとって的でしかない。
手加減なしという宣言は本気のようで、追撃となる風弾が次々と生成された。
当然、私が追撃を許す理由はない。
だから、私は反撃に転じる。
二の矢を待つことなく、彼女の頭上から襲い掛かった。
「な――――ッ!!?」
大規模な攻撃魔術によって吹き荒れた土埃が晴れ、眼下に私の姿を見失った姉弟子は魔力感知によってこちらに気づいた。
<風魔法>使いが<火魔法>使いに上を取られるというあり得ない状況。
姉弟子は私の姿を視界に捉え、その理由を知る。
「リリーさん!!それは――――ッ!!!」
風弾と火球が混じり合い、爆風が空間を蹂躙する。
距離を取っても有利なことが1つもない私は、一直線に姉弟子に向かって加速した。
「――――ッ!」
予想通り、攻撃魔術の威力はこちらが優位。
魔術が残る空間を突き抜け、腕を振るう。
空間に残留する魔力を目眩ましとして魔力感知を封じた上での奇襲。
しかし、それは彼女のローブの端を少しだけ切り裂くに留まった。
「それはダメです!それは、何人もの優秀な魔術師を魔人に堕とした禁術です!」
「貴方を力で捻じ伏せるなら、これくらいのリスクは必要でしょう!」
それを見つけたのは、かつて彼と再会する方法を求めて訪ねた宮廷魔術師だけが閲覧できる禁書庫の棚だった。
禁書庫の中にあっても厳重に封印された一冊の本。
それは、力を求めて精霊や妖魔との融合を図り、最後には化け物となった魔術師たちの蹉跌の記録だ。
記録の中の魔術師たちは、自身と全く縁のない精霊や妖魔を捕獲して無理やり融合を試みていた。
自身が使用できる魔力が減ることを理由に、精霊や妖精と契約する魔術師は少ない。
魔術を探求する彼らにとって、精霊や妖精に供給する魔力など無駄でしかないのだ。
その結果は、力を御しきれずに失敗。
自身と全く縁のない魔力生命体と融合を図ったのだから、当然の結果だ。
当時は狂った魔術師の暴走として気にも留めなかった。
しかし、私は今になってその記録に可能性を感じた。
自身の契約妖精ならば。
何年も自身の魔力を与え続け、私に馴染んだ火妖精フィーアなら叶うのではないか。
そして――――
「はあああっ!!」
背中に生やした炎の翼が唸る。
それは火妖精フィーアの能力だ。
普段は私の中に潜みながら確固たる存在を持つ私の妖精。
彼女との境界を曖昧にすることで、私はその力の一端を借り受けることに成功した。
「くっ……!?」
姉弟子は帝国最強の<風魔法>使い。
<風魔法>を用いた飛行の技術を確立した、本当の天才だ。
空を舞うことに関して彼女の右に出る者はおらず、だからこそ彼女に本格的な空中戦の経験は存在しない。
彼女と戦う者は、空中戦を演じる間もなく撃墜されてしまうから。
彼女の後を追うあらゆる<風魔法>使いは、彼女にとって少し動ける標的に過ぎないから。
だから素人同士の空中戦は、空中における高速の近接戦闘を想定して準備した私が優位を得る。
「「――――ッ!」」
飛行と攻撃魔術の制御。
精密な魔力感知による索敵。
近接・中距離戦闘における瞬時の状況判断。
それらの両立は宮廷魔術師を以てしても容易ではなく、溜めが必要な大魔術を放つ時間も狙いを絞る余裕もない。
必然的に、自身の魔法抵抗を前提として、自身のいる空間ごと塗り潰すように放たれる魔術の応酬が続く。
互いに抵抗力を持たない属性の撃ち合いで、火属性抵抗を潤沢な魔道具で補うことで相対的優位を得ているはずの姉弟子。
しかし、巻き込むものがない空中戦では、<風魔法>本来の威力は発揮されない。
宮廷魔術師同士の魔術戦は派手な見た目に反して決定打を欠き、互いの魔力と体力を削り合うに留まる。
けれど――――
「くうっ……!?」
それは戦いが互角であることを意味しない。
わずかな準備。
ほんの少しの手札。
帝国最強たる宮廷魔術師同士の戦いだからこそ、それが決定的な差となって結果に現れる。
今も、そう。
互いの攻撃魔術が威力を十全に発揮して打ち消し合った後。
次の魔術が放たれるまでのほんのわずかな間隙に、鈍色の刃が翻る。
「――――ッ!!!」
狙いも技術も必要ない。
加速してすれ違いざまに振り回した長槍の穂先が、姉弟子にまた1つ傷を付けた。
良くも悪くも優秀な魔術師である姉弟子は、こんな戦いを想像もしなかっただろう。
これまで武器を振るう者たちは、姉弟子に近づくことすら叶わなかったはずだ。
でも、人間を傷つけるために大掛かりな魔術なんて本来は必要ない。
短剣一本で、人は殺せる。
極めて高い魔術防御を有する魔術師同士の近接戦闘において、頑丈なだけの刃は鍛え上げた攻撃魔術に勝る。
地上だろうが空中だろうが変わらない戦いの真理。
それは姉弟子の足を掴み、彼女を空の支配者の座から引きずり下ろそうとしていた。
「――――ッ!?まさか、こんなっ!!」
半生を魔術に捧げた宮廷魔術師同士の戦い。
私も姉弟子も、間違いなく魔術師の頂点に手を伸ばせる位置にいる。
だというのに、その勝負を決するのは鍛え上げた魔術でも隠し持った古代魔道具でもなく、頑丈さだけが取り柄の長槍だ。
魔術師として思うところがないではない。
でも、そんな感傷は二の次だ。
欲しいのは結果。
求めるのは勝利。
無様でも型破りでも、何だって構わない。
「はああああッ!!!」
「――――ッ!!!」
互いの魔術が、互いの命をわずかに削る。
直後、出鱈目に振り抜いた長槍の柄から、姉弟子の腕を砕く感触が伝わった。
◇ ◇ ◇
激しい空中戦の末、空を制したのは<火魔法>使い。
最後は失血によって動きが鈍り地に墜ちた姉弟子に、私は容赦なく大魔術を打ち下ろし、戦闘不能に追い込んだ。
殺すもやむなし。
手加減すればこちらが堕とされる。
そう考えて全力で放った白の奔流は、戦場を焦土に変えながらも姉弟子の命を奪うことはなかった。
魔女の用意した<火魔法>対策が余程強力だったのだろう。
手にした槍がなければ、勝敗は逆転したかもしれない。
「……回収しなさい!」
遠巻きから様子を窺っていた姉弟子の配下に呼びかける。
戦いは私の勝利で終わった。
魔女と違い、筋を通す姉弟子のこと。
魔術師としての人生を終わらせるような細工をせずとも、争いから手を引いてくれるだろう。
姉弟子を守って退散する魔術師の背を見送り――――私は地面に降りて膝をつく。
「う……ぐっ!?」
フィーアを切り離すとき、全身を激痛が襲った。
暴風と炎で荒れ果てた地に両手を突き、脂汗を滲ませながら痛みに耐える。
姉弟子の警告にウソはない。
異なる存在の魔力を融合するなどという暴挙が招く危険は明白。
これは歴史上全ての魔術師が失敗してきた前人未踏の領域だ。
魔力的に私に近い存在であるフィーア自身に協力の意思があるから。
融合を浅い部分だけに限定しているから。
だからこそ、私は自分のままで妖精との融合を実現できる。
しかし、それとて一度踏み外せば戻って来られる保証はどこにもない。
融合した状態での戦闘は、想像以上の負担を強いることもわかった。
解決しなければならない課題は、依然として多い。
「…………大丈夫」
立ち上がれる程度に回復してから、いつものようにフィーアを受け入れる。
先ほどと違って魔力が混ざり合うこともなく、体の中に別の存在が宿った感覚を確認して、私は歩き出した。
(これで、王手よ……)
帝都から動きたくない魔女とて、私にこれ以上の戦力は投入できないだろう。
姉弟子が敗れた以上、自身が出るほかない。
ただ、魔女を戦場に引きずり出すのは単なる前提条件だ。
おびき出した魔女に勝てなければ、これまでの苦労は水の泡。
頭上を取ったくらいで戦力差が覆るとも思わない。
魔女は宮廷魔術師第三席。
これから私が戦うのは、空を飛べなくても姉弟子よりずっと強い大魔術師だ。
(もう少し……。もう少しだから……)
不安はある。
けれど、必ずやり遂げなければならない。
魔女を討つために。
その先にある未来図を現実にするために。
「私は、どんな手段も躊躇わない……」
誰かに言い聞かせるように呟きながら、私は荒れ果てた戦場を後にした。
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