第366話 閑話:A_fairytale_18




 本当に困った。

 マスターの寝室で大きなベッドに腰掛け、溜息を吐く。


 今日は特大魔石の調査を始めてから5日目。

 この間、私はマスターからご飯抜きを通達されていた。


(マスター、怒ってるのかも……)


 マスターと暮らし始めてから半年。

 紋章で繋がる前のマスター不在時はさておき、食事が可能な状況で食事を我慢させられることは一度もなかった。

 それが立て続けに2回ともなれば、マスターの心境に何か変化があったことは察せられる。

 

 残念なことに心当たりもある。

 多分、特大魔石を勝手に保管庫から出したことが原因だ。


 あのときは魔石の輝きに目が眩んでいて気づかなかったけれど、マスターがあの魔石を旅先で売り払ったり使用したりする可能性はあったのだ。

 入れたはずの魔石が取り出せなくてマスターは驚いたはずだ。

 そうだとすると、魔石を戻すように指示が来ないのがなおさら怖い。

 今頃、私にどんな罰を与えるか考えているのかもしれない。


 どうすれば許してもらえるか考えながら、マスターの寝室から立ち去ろうと扉の前に立つ。

 すると、扉が少しだけ開いて少女が顔を出した。

 マスターが屋敷に囲う少女の一人、アン。

 肩のあたりで切りそろえた金色の髪を揺らし、赤い瞳を丸くしている。

 年齢相応の容姿は、与える食事の量を増やして栄養状態を改善したことで、少しずつマスター好みに成長していた。


「ッ!?ご、ごめんなさい!!」

 

 彼女は私を見つけて驚き、そのまま逃げ出した。

 私は黙って彼女を見送り、マスターの寝室から廊下に出る。


(マスターの物を弄り回さないなら、部屋に入っても構わないのに……)


 アンが時折マスターの寝室に忍び込み、ベッドの中で耽っていることは知っている。

 本人はバレていないと思っているようだけれど、私はもちろんのこと多分もう一人のローザという少女にも知られている。

 彼女にそれを伝える方法はないので、何かの拍子に自覚するまではきっとこのままだろう。


 廊下を歩き、隣の寝室に入る。

 マスターの寝室から保管庫を挟んで隣にあるしたばかりの寝室。

 そこに、特大魔石はない。

 ここでいじくり回すのは危険と判断し、外壁も改装して一旦屋敷の外に運び出したからだ。

 もちろん外壁はすでに再建されて以前より強力になっているので、魔石を屋敷に戻すときは別の場所を改装する予定になっている。


(間に合うかな……)


 マスターの帰還予定は明日。

 観光旅行なので必ずしも予定通りとは限らないけれど、今日の夜には魔石を保管庫に戻さなければ外壁の改装が間に合わない。


 早まったかもしれない。


 そう思いながら、私は地下へと足を運んだ。






 エントランスホールで訪問者を出迎える大きな階段の裏側。

 倉庫や用具室となっている空間にひっそりと存在する隠し階段を下りる。

 妖精たちの居室などがある区域の先、都市に元々存在した構造物を避けるように複雑に張り巡らされた狭い通路は、屋敷の周囲にある家々の方向へと続いていた。


 路地を挟んで屋敷と隣接する家々は全て購入済みだ。

 南東区域の評判は悪く、ここに住み続けたいと思っている人は少ない。

 相場より少し高い値段を提示すると、元の住人たちは喜んで他の区域に引っ越していった。


「どう?」


 屋敷の地下を増築して作った空間の最南端。

 あるいは路地を挟んで屋敷の南側にある家の地下と空間に、シエルはいた。


「申し訳ありません……」

「謝る必要はない。シエルはよくやってくれた」

 

 シエルはほとんどのことを上手く処理してくれるので、彼女が項垂れる姿は珍しい。

 しかし、今はそんなことを考えている場合ではなかった。


 狭くはない空間において十分な威圧感を放つの魔石を見上げる。

 

 成果がないことは想定内だった。

 何も成果を得られなくとも試す価値があると思った。

 至福の時間の再現は、私たちにとってそれほどまでに魅力的だった。


 魔力が込められていない空の状態の魔石なら、どういじくり回したとしても最後に魔石から魔力を抜けば元通りになるだろう。

 元の状態に戻すのは容易い。

 だったら、少しくらい思い切った実験をしても問題ないはずだ。


 私はそう考えていた。


 まさか、こんなことになるとは思わなかったのだ。





 ◆ ◆ ◆





 調査開始初日。


 シエルは調査を開始して早々に、魔石に魔力を注ぐことを提案した。


「あのとき供給された魔力の性質やアレン様の魔力量の推移を踏まえると、この魔石に魔力を注ぐことで性質をそのままに魔力を増幅できる可能性があります」


 素晴らしい仮説だった。

 しかも最大で10倍近く増えるかもしれないというので、私も含め妖精たちは色めき立った。


 魔石に魔力を溜めること自体は一般的に行われていることなので違和感はない。

 仮に魔力を注入して何も起きなくても、注入した魔力をそのまま回収すれば大きな損はないのだ。


 私は喜んで大量の魔力を注いだ。

 シエルやメリル、ココルも魔力を注いだ。

 噂を聞きつけた妖精たちも代わるがわるやってきて魔力を注いだらしい。

 無色透明に近い色合いだった魔石に次々と色が付いた。


「魔力の雫を使ってみよう!」


 ココルの提案に、妖精たちの賛否は割れた。

 魔力の雫は妖精たちにとって垂涎の逸品。

 それを使う価値が本当にあるのか、使った雫は回収できるのか。

 疑念を向ける妖精たちに、ココルは無邪気に至福の体験を語って聞かせ、反対意見を速やかに駆逐した。

 羨望と嫉妬の視線を一身に浴びたココルは後で何か不幸な目に合うかもしれないけれど、それは私のあずかり知るところではなかった。


 一段落すると、シエルは魔石の正体を調べることに注力すると言ってその場を離れた。

 時計台と同じ建物にある政庁の書庫は資料が豊富で調べ物が捗るらしい。

 魔力が増幅されたら気づけるように、シエルの代わりに待機組の妖精が魔石を見張ることにした。


 一応交代制で見張りの担当を決めたけれど、見張りでない妖精たちも時間を見つけて魔石のところにやってきた。

 魔力がいっぱい溜まっている魔石を見ると安心する。

 そうでなくても、魔力が混ざり合って虹色に輝く魔石はうっとりするほど綺麗だった。


 魔石を置いた場所は自然と妖精たちのたまり場になった。






 二日目。


 魔石を見張るためにやってきたココルが言った。

 

「この魔石、昨日より大きくなってない?」

 

 その場にいた全員が首を傾げた。


 みんなが気にしていたのは魔力が増えるかどうか、ただそれだけだ。

 魔石を取り囲む妖精たちは刻々と移り変わる綺麗な色合いに見惚れるばかりで、魔力以外のことに注意を向けている者はいなかった。

 魔石が大きくなるかもしれないなんて誰も考えなかったので、昨日の大きさを誰も覚えていなかったのだ。

 ただでさえ見上げるほどに大きな魔石だから、微妙な変化に気づくことは難しい。

 みんなより体が小さい私ではなおさらだ。


 とりあえずその時点の大きさを記録して、その日も魔力を注ぎ続けた。

 もし時間が十分にあったなら、一旦魔力を注ぐのをやめて経過を観察したかもしれない。

 でも、私たちには時間がなかった。

 マスターの帰還予定日は4日後に迫っていて、それまでに成果が欲しかったのだ。

 

 奇しくも、シエルはこの魔石の正体に見当をつけていた。


 残骸として保管庫に収納された古代魔道具。

 元々の名称は『魔力増殖炉』というらしい。


 これほど魅力的な名前の魔道具をほかに知らない。

 指をくわえて見ているなんて、私たちにはできなかった。






 三日目。


 現在の魔石の大きさを昨日の記録と比較するはずだった。

 しかし、その比較は行われなかった。

 魔石は、もう誰が見てもわかるほどに大きくなっていたからだ。

 

 当初は余裕があったはずの空間が狭く感じるようになってきた。

 高さの方も、このまま大きくなると天井に届いてしまいそうだ。


 形にも変化が生じている。

 当初は丸い玉のようだった魔石は全体的に大きくなりながら下の方が特に急激に成長し、マスターが好む果実酒の瓶に近い形になっている。


 魔石を見上げていたメリルが控えめに言った。


「これ、保管庫に戻せますか……?」


 シエルの頬が、見たこともないほど引きつった。






 四日目。


「魔石に注いだ魔力が、増幅され始めました……」


 報告者の沈んだ声をよそに、その場は歓声に包まれた。

 その速度は先日の至福の時間と比較すると非常に緩やかだったけれど、当初の目的は無事に達成されたのだ。

 

 妖精たちはみな喜んだ。

 メリルとココルも喜んだ。

 

 嬉しさのあまり魔石を囲んで踊り出す妖精たち。


 幸せにあふれた地下空間で、私とシエルだけが途方に暮れていた。





 ◆ ◆ ◆





「…………」


 見通しが甘かったのは間違いない。

 いくら反省しても反省し足りない。

 それでも、今はどうにかして取り繕う方法を考えなければならない。

 

 私がやっている色々なことをマスターに説明する時期は、私の意思で決めたい。

 こんな形で露見してしまうのは、あまりにも情けなかった。


「元の形に切り出すのはダメ?」

「推奨できません。暴発の危険がありますから、やるとしても最終手段です」

「……魔力を全部抜いた後でなら?」

「それが……。いえ、試していただいた方が早いかと」

 

 シエルに促され、私は魔石に触れた。

 彼女が言いたかったことはすぐに理解できた。


 舌ざわりに違和感がある。

 マスターの魔力にはない雑味を感じる。


 つまり――――


「これ、マスターの魔力じゃない。別物になってる」

「残念ながら……」


 これは厳しい。

 マスターの魔力に近いけれど、このわずかな違いはお腹に溜まる。

 調子に乗って魔力を注ぎ過ぎた。

 この量は吸収しないで吐き出す前提でもかなり面倒だ。

 

(そもそも、そんなことをしたら暴動が起きるかもしれないけれど……)

 

 妖精たちは魔力に貪欲だ。

 これほど綺麗で素晴らしい魔石から魔力を抜いてゴミにするような真似は、絶対に大きな反発を招くだろう。


 私は超特大の魔石を見上げる。

 すでに魔石は天井に到達し、その形は酒瓶と円柱を足して2で割ったようないびつな形に変化していた。

 流石にこれはおかしいと思ったのか、歓喜より困惑が勝つ妖精も増えている。

 それでもほとんどの妖精は魔力を生み出す魔石を歓迎していた。


「結局、これは何?」

「先に報告したとおり、元の残骸は『魔力増殖炉』という古代魔道具だったものと考えています。ただ、今のこれが同じものかどうかは……」


 魔力を注ぐ傍ら、シエルは領域内の資料から残骸の正体を特定した。

 しかし、彼女の言う通り今の目の前にあるものが『魔力増殖炉』だとは思えない。


 使うたびに巨大化するのは魔道具としてあまりにも不便だ。

 これが本来の形だとしたら、この魔道具を製作した人は頭がおかしいに違いない。


「一緒に収納されていた金属は、魔石の巨大化を防ぐために必要だったのかもしれません」

「そう……」


 資料によれば『魔力増殖炉』の見た目は黒くて硬い金属の箱であるという。

 シエルの言う通り、魔石の大きさを固定するための素材だった可能性が高い。

 今更わかっても、少し手遅れ感があるけれど。


 ただでさえ困難な状況に更なる変化が起きたのは、何度目かわからない溜息を吐いたそのときだった。


「え……?」


 能天気に踊っていた妖精の一人が動きを止めた。

 困惑と驚愕が魔石の近くにいた妖精たちに伝播する。


「どうし――――」


 尋ねるまでもなく、私もそれに気づいた。

 魔石が魔力を吸収し始めたのだ。


 魔力を増幅したときと同じくひとりでに、この場にいる妖精から強制的に魔力を吸い上げている。


「や、やだ……!」

「何これ……!?」


 妖精たちは一斉に魔石から距離を取った。

 自分から魔力を注ぐのと強制的に魔力を徴収されるのでは、天と地ほどの違いがある。

 魔力によって存在を保っている私たちにとって、これは決して許容できない現象だ。

 

 そして、状況はさらに悪化する。

 近くに妖精がいなくなったからか、魔石が魔力を吸収する力が急激に上昇した。

 まるで意思を持ったような現象に妖精たちが震え上がる。


「これは……」

「良くない兆候です」


 効果は<エンハンスメント・アブソープション>に近い。

 ただ、威力が桁違いだった。


 今すぐ私たちを消滅させるほどの力はないけれど、吸収を隠す気が全くないのはよろしくない。

 この現象がこのまま拡大すれば、じきに人間たちに気づかれてしまう。


 それは私にとって、あまりに都合が悪かった。


「…………残念だけど、もう仕方がない。破壊する」


 たっぷり迷った末に決断すると、シエルは妖精たちに退避を指示する。

 その間に魔力を練り上げ、すでに魔石なのかもわからないそれを睨みつけた。


(これが屋敷に届いてから、本当に踏んだり蹴ったり……!)


 二度もご飯抜きにされた。

 注いだ魔力は回収できない。

 増築した空間も、せっかく購入した民家も崩壊する。

 その後始末も大変だろうし、なにより私はマスターに叱られてしまう。


 たとえ全てが私の自業自得だとしても、苛立ちを抑えることはできなかった。


「避難完了しました。屋敷の結界も作動中です」


 報告したシエルが通路に下がるのを見届け、私も通路に入って部屋を振り返る。

 背後を守りながら、手のひらをそれに向けた。


(せめて、なるべく被害が広がらないように……)


 範囲を狭く、威力を高く。

 それに適した<雷魔法>の特性に、私は感謝した。


 そして――――



「――――ッ!」




 光と轟音。

 竜に叩きつけた魔法と同等かそれ以上の威力を持つ<雷魔法>が、それに直撃した。


 目を開けていられないほどの強い光を腕で防ぎ、撒き散らされる熱の不快感に耐える。

 

 魔力を吸収する現象が終息したことを肌で感じて安堵しつつ、被害が大きくならないことを祈るだけの時間が過ぎた。


 光が弱くなったところを見計らい、私は目を開ける。


 そして、それを目の当たりにした。


「…………?」


 天井が吹き飛び、土妖精たちが頑丈に造った内壁すら溶解して不格好に歪んだ空間で――――それは未だ健在だった。


 色と形が変わっているけれど、私の<雷魔法>に耐えられず溶け落ちたという感じではない。


 紫水晶を少し青っぽくしたような色合いの――――これは何?


「魔石の正体が判明しました」

「………………いま?」


 <アナリシス>の効果や制約については聞いている。

 しかし、よりによって――――仕方ないことだと理解しているけれど、それでも声にほんのり呆れが混じるのは避けられなかった。


 当のシエルは気にした様子もなく、元超特大魔石に視線を向けながら報告を続けた。


です。正体不明の魔石がたった今、精霊の泉に変化しました」

「この…………何だかよくわからないものが泉?」

「もとより姿形は様々です。固体である例も確認されています」

「そう……」


 魔石を保管庫に戻すことはもう諦めた。

 先ほどの状態を止められたのであれば、まずは一安心だ。


(被害の状況を調べて、もし怪我人がいたら<回復魔法>を使える妖精を派遣して……)


 私は事態を収拾する段取りを考えていた。


 しかし――――


『侵入者です!』

「…………」


 メリルの声が妖精ネットワーク経由で更なる異常を告げる。

 感覚を屋敷の外に振り向けて領域内を精査すると、まもなく領主屋敷の火精霊を感知した。

 

 おそらく、この場所に向かっている。


『……叩き出して』

『はーい!ココルの出番きたー!』


 ココルが大喜びで飛び出して行った。

 シエルも念のためと言って侵入者の対応に向かう。


「…………」


 もう、本当に、いい加減にしてほしい。


 一人その場に残った私は超特大の魔石――――改め精霊の泉を見上げ、盛大に溜息を吐いた。



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