第364話 閑話:A_fairytale_16




 暖かい季節になり、マスターは旅行に出かけた。


 しかし、マスターが屋敷を不在にしても私の仕事は変わらない。

 マスターがいつ帰ってきてもいいようにベッドを整え、食材を用意しておくのが私の義務だ。

 

 最近は保管庫を介してマスターから指示があるから、寂しさもあまり感じない。

 旅先にいるマスターの役に立つことができるようになったことが、純粋に嬉しかった。


 今もマスターからの注文を確認し、いつもどおりマスターの寝室を整えている。

 

「…………♪」


 そうやってマスターの役に立ちながら、マスターの魔力を舐めるように味わう。

 口を開けると少しずつ流し込まれる蜜のような魔力は、いつだって至高の味だ。

 

 いや、正確に言えば、そのときそのときで味は微妙に異なる。

 マスターの魔力はいつだって美味しいけれど、例えばマスターが幸せそうなときは少し美味しくなるし、辛そうなときはほんの少し苦みが混じる。

 最初は全く違いがわからなかったから、これは私の舌が肥えたということなのだろう。


 この変化は私の舌を喜ばせるだけでなく、遠くにいるマスターの状態を把握できるようになるという点で画期的だった。

 当初は窮地に陥ったマスターの帰還に合わせて薬を用意することくらいしか役に立たなかったこの力。

 私の祝福が領域外でも多少の効果を発揮するようになった今では、マスターの窮地に合わせてマスターを支援することもできるようになった。

 それは本当に微々たる力だけれど、マスターの力になれるということが重要なのだ。


「…………」


 ふと、手がとまる。

 マスターから流れ込む魔力が途切れてしまったからだ。

 口を開けても魔力が流れてこない時間はもどかしいけれど、これは別に珍しいことではない。


 マスターの魔力が指定の水準を越えた瞬間、私は余剰分を残らず食べてしまう。

 だからマスターの魔力量は常に指定の水準ピッタリでそこから動かない。

 それはつまり、マスターがちょっとした魔法を使うだけでその水準を割り込んでしまうということだ。


「ふう……」


 口が寂しくなり溜息が漏れた。

 魔力が途切れるのが嫌なら、少しだけ我慢して余裕を持たせればいいと理解はしている。


 けれど、どうして我慢できようか。

 口を開ければ至高の蜜が舌を歓喜させるとわかっているというのに。


 それに、我慢の時間も長くは続かない。

 マスターの回復力は素晴らしく、本当にわずかな時間で魔力は指定の水準に復帰する。


 今だって――――


「………………?」


 どうしてだろうか。

 マスターの魔力が指定の水準に戻ってこない。

 それどころか、さらに減少を続けている。

 

 こんな状況、なかったことだ。


(また、無駄遣いしてるのかな……?)


 余剰をもらっている身で、マスターの魔力の使い方にケチをつけることは許されない。

 それでも何の役にも立たずに無駄になる魔力を見ると悲しくなってしまう。

 

 剣の威力のことは解決したはずだから、また別の目的だろうか。


(早くマスターの目的を特定して解決しないと、私のごはんが……)


 もし<リジェネレーション>を鍛えるためにやっているなら残念だけど意味がない。

 あのスキルは私の食事によって常時全力稼働しているから、これ以上効率的に鍛えるのは無理だと早く気付いてほしい。


 そうこうする間にもマスターの魔力は減り続け、なんとゼロ付近にまで落ち込んだ。

 マスターはあまり慌てていないようだけど少し心配だ。


 幸いそこからマスターの魔力は回復を始めた。


 それも、あのマスターをして非常識と言えるほど急速に。


「うん…………?……ッ、……ッ!?」


 それは間違いなくマスターの魔力だった。

 甘く蕩けるような舌ざわりも、無理なく身体に溶けて混じる心地よさも変わらない。


 ただ、その量だけが異常だった。


(これは、一体……?)


 先ほどまでの魔力量の変動と何か関係があるのだろうか。

 減るのは悲しいけれど、増えるなら大歓迎だ。


 それはさておき、問題はこの魔力を一体どうすればいいのかということだ。 


 マスターから私に指示はない。

 決まった時間に保管庫を確認するよう指示されたものの、保管庫の物が増減したらすぐにわかる。

 わざわざ保管庫に足を運ぶまでもない。

 もちろんそれはそれ、毎日指示された時間ぴったりに保管庫は覗いている。


 いずれにせよ、今現在マスターからの指示が届いていないのは事実。

 つまり、この魔力はいつも通り、全て私が好きにして良いということにならないだろうか。


 いや、きっとそうに違いない。


「…………」


 仕事は少しお休みして、マスターのベッドに仰向けに寝転んだ。


 何があったのかは知らない。

 けれど、こんな機会は二度とないかもしれない。

 私は目を閉じて、ゆっくりと魔力を味わった。


 しかし――――


(止まらない……)


 いくら食べても魔力はなくならず、お代わりは次々に提供された。

 しばらくすると、私は苦しくなってきた。


(うーん……)


 別にこのまま食べ続けてもいいのだ。

 マスターの魔力に関して、お腹がいっぱいになるという感覚を私は知らない。

 食べた瞬間に消えてしまう――実際にはしっかり私の力になっている――ので、満腹感を感じることもない。


 だから、苦しいのは私の心だ。


 人間だって、きっと同じように感じると思う。

 目の前に一人分のケーキがあったら、自分だけで食べてしまうのも仕方がない。

 けれど、食べても食べてもお代わりが追加されるなら、自分だけでそれを独占するのは心が痛むはずだ。

 特に、マスターの魔力の味がわかるシエルたちには申し訳ない気持ちになる。

 

 私は迷った。


 このまま黙っているか、突如降って湧いた幸運を仲間たちと共有するか。

 迷いに迷って数分が経過した。


 そして、決断した。

 

『シエル、メリル、ココル。手が空いてたらマスターの寝室に――――』


 言い終わるや否や、3人とも寝室に飛び込んできた。


 シエルは扉から。

 メリルは天井裏から。

 ココルはベランダから。


 どうやら声が掛かるのを待ち構えていたらしい。

 このまま黙っていたら恨まれたかもしれない。

 食べ物の恨みが深いのは人間も妖精も同じだ。


 恨まれずに済んだことを、私はこっそり安堵した。



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