第362話 閑話:とある魔術師の物語2
陣地を練り歩き、全兵力の半数ほどを傀儡に変えた後で、私は一度様子を見るために兵士たちを追って東へと向かった。
今頃襲撃者は傀儡兵に取り囲まれ、青息吐息となっていることだろう。
止めは刺さないように命じているが、これほど大規模な『ハーメルンの魔笛』の行使は過去に例がない。
不慮の事故がないとも限らず、視認できる距離から戦いを見守ろうと考えたのだ。
陣地を抜け、月が照らす平原に足を踏み入れる。
そこで、私は目の当たりにした。
「これは、一体……?」
理解できない光景だった。
平原に倒れた無数の兵士。
傀儡となった兵士たちは、攻撃はおろか襲撃者を包囲することすらできていなかった。
三々五々に突撃する傀儡兵は、たしかに襲撃者に向かっている。
いくら強かろうと、殺到した全ての傀儡兵を迎撃することは不可能なはず。
半信半疑のまま戦況を観察し、そして――――
「――――ッ!!?」
数秒後に襲撃者に到達すると見られた傀儡兵たちが、凄まじい魔力の波動に飲み込まれた。
波動に飲まれた全ての傀儡兵が武器を手放して倒れ伏す。
あっけにとられて立ち尽くす間に、それは幾度となく繰り返された。
襲撃者はこれだけ大規模に魔力を放ちながらも魔力残量を気にする素振りすら見せず、平原を縦横無尽に駆け回って傀儡兵を倒し続ける。
襲撃者に気づかれぬよう注意しながら、私は倒れ伏した傀儡兵に触れた。
「バカな!?」
その兵士は生きていた。
しかし、気絶した兵士からは『ハーメルンの魔笛』が付与した魔力が感じられない。
傀儡化が解除され、ただの兵士に戻っていた。
「こんな……、こんなことが……」
たしかに理屈の上では可能だ。
対象の身体や精神に強く作用する性質上、精神汚染の効果は一人の対象につき一種類しか成立しないことが多い。
この性質を利用し、解除方法が確立されていない呪いをさらに強力で解除方法が存在する呪いで上書きすることで、元の効果を消滅させる。
その方面を得意とする魔術師の間では良く知られている解呪方法だった。
だが、その理論が通用するのは比較的弱い呪いに限られる。
『ハーメルンの魔笛』という強力な古代魔道具を使用し、小国とはいえ国で最も強力な魔術師が行使した精神汚染。
それを詠唱も儀式もなく、対象に触れることすらせずに上書きする。
そんなことは不可能だ。
あり得ない。
馬鹿げている。
しかし、現実は非情だった。
私が現実から目を逸らしている間も、咆哮とともに放たれた魔力の波動は傀儡兵を飲み込み、魔笛の効果を次々と消失させていく。
まだ魔笛で支配されていない兵士たちも次々に参戦し、魔導砲兵や弓兵も部隊単位で攻撃を始めたが、雨のように降り注ぐ矢玉が襲撃者を捉えることはほとんどなかった。
襲撃者の動きが鈍ることはなく、その魔力が尽きる様子もない。
完全に手詰まりだ。
「ふっ……」
私は自嘲し、天を仰いだ。
あまりにも滑稽だった。
外法に手を染めたにもかかわらず、私は何も為すことができなかった。
友軍と仲間を生贄にしてすら、目的を果たすことができなかったのだ。
おめおめと逃げ延びようとは思っていない。
だが、このまま無為に命を散らしたとして、彼の地でどのような顔で公王陛下に謁見すれば良いのだろうか。
絶望と無力感が、私の心を殺していく。
刻々と位置を変える襲撃者は徐々に私の方へ近づき、放たれた魔力の余波がここまで届いた。
魔力が頬を撫でる。
この距離では魔力の波動も効果を持たないはずだが、無力な私の手からこぼれた『ハーメルンの魔笛』がカラコロと足元に転がった。
そのときだった。
「あれ……、私は……?」
「――――ッ!?」
聞き慣れた声に驚き、背後を振り返る。
気づけば傍で控えていた配下の魔術師たちが己を取り戻していた。
戦場で唐突に自我を取り戻したために若干の動揺が見られるが、全ての者が自身の意思で言葉を操り、体を動かしている。
「エトムント様、これは……?」
自分たちは『ハーメルンの魔笛』で傀儡化したのではなかったか。
なぜ自我を取り戻しているのか。
疑問を抱えた配下たちの視線が私へと集中するが、私は答えを持ち合わせていなかった。
襲撃者との距離。
配下たちの保有魔力と魔法抵抗。
魔術師としての練度。
精神防御の魔道具の効果。
いくつもの要素が噛み合った偶然の結果だろうとしか言えない。
ゆえに、私はただ事実を告げた。
「『ハーメルンの魔笛』の術式は、襲撃者によって無力化されたようだ」
「そんな……。それでは、我々は……」
悪魔となっても、なお及ばなかった。
無慈悲な現実に打ちのめされ、配下たちは悲嘆に沈む。
先ほどと役割が逆になることを可笑しく思いながら、私は大きく息を吸って一喝した。
「我らは、誇り高き公国魔術師団だ!!」
無数の音が飛び交う戦場で、私の声はあまりにも小さい。
それでも私が放った渾身の叱咤は配下たちの耳に届き、彼らを奮い立たせた。
魔術師たちの双眸が戦意を取り戻す。
みな、私の号令を待っていた。
「さて、これより最期の戦いが始まる。抜かりはないな?」
配下たちは、それぞれ不敵な顔で杖を構えた。
これから、公国は敗北を喫するだろう。
公国の未来は帝国によって踏みにじられ、百万の民が苦渋を舐めることになるかもしれない。
にもかかわらず、私の胸に去来する不思議な想いがあった。
無責任と言われても心を変えることはできない。
想いがどこから来るのかも理解している。
足元に転がった『ハーメルンの魔笛』を、渾身の力で踏み砕いた。
「公国魔術師団、参る!!!」
覚悟を決めた魔術師たちを率い、私は魔術師として最期の戦場へ躍り出た。
一か所に固まれば、まとめて無力化される。
私は配下を2つに割って左右から迂回させ、私自身は正面から襲撃者に立ち向かった。
兵士たちに紛れて魔力を編み上げ、襲撃者が魔力の波動を放った直後を狙う。
隠密性を欠片も考慮しない大規模な魔術が、襲撃者を大地ごと焼き尽くした。
(これで決まらなくてもいい……!)
襲撃者が私に向かう間、配下たちの位置は襲撃者の死角となる。
死角から放たれる彼らの渾身の魔術が襲撃者を打ちのめすと信じ、私はこの身を囮にした。
「がああああああああッ!!」
果たして、襲撃者は私の魔術に耐えた。
咆哮とともに炎の中から飛び出した影は、風のようにこちらへ駆ける。
二撃目は容易く回避され、私は魔力の波動の射程に入った。
次の瞬間、配下たちの魔術が襲撃者に降り注ぐのとほぼ同時。
「――――ッ!!?」
私の身体が私のものでなくなるような、理解できない感覚に襲われた。
得体の知れない何かと私の意思が、体内でぶつかり合う。
現実にはほんの数秒、私にとっては数分かそれ以上の長い抵抗の末。
辛くも、私の意思が打ち勝った。
「ぐ、あっ……」
ふらつく足を踏ん張り、得体の知れない何かに侵食された頭を手で抑える。
その拍子に手から首から、役目を果たした精神防御の魔道具が崩れて地に落ちた。
いずれも簡単に壊れるような安物ではない。
黒く染まった魔道具の在り様が、私が受けた攻撃の威力を物語っていた。
「――――」
配下たちの魔術は、襲撃者を仕留めることができなかった。
私がまだ立っていることに気づいた襲撃者は、私との距離をさらに詰める。
「さあ、来い……ッ!」
これが本当に最期の機会になると確信し、私は最高の魔術を編み上げた。
魔力を枯渇寸前まで振り絞り、襲撃者だけを見つめ、限界まで引きつける。
そして――――
「ふっ……」
思わず、口の端が上がる。
直撃。
間違いなく、我が生涯で最高の魔術。
だが――――それでも襲撃者は止まらなかった。
我が至高は、襲撃者の<結界魔法>と魔術防御を貫くには足りなかったのだ。
襲撃者は目前に迫る。
その手には、どこからか召喚された魔法剣が握られた。
(ここまでか……)
迫りくる死への怯えはある。
しかし、やり切ったという想いもまた大きかった。
私は後世で罵倒されるべき悪魔などではなく、一人の魔術師として戦い抜いた。
死力を尽くし、ただそれでも襲撃者に及ばなかったのだ。
(一体、何者だろうか……)
緩やかに流れる世界で、最後に考えるのは襲撃者の正体。
ボロボロになった外套はなおも襲撃者の顔を隠し続けている。
若い男だと思うが、それ以上の情報は得られない。
だが、それでも思うことがあった。
公国魔術師団長である私が、公国に絶望をもたらしたこの男を形容するに相応しい言葉ではない。
ただ、それは自然と胸の内に浮かんだのだ。
(ああ、これが――――)
目に焼き付くのは青い煌めき。
私はいつしか空を見上げ、心穏やかに人生の幕を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます