第361話 閑話:とある魔術師の物語1




 この戦争が行き着く先は公国の敗北だ。

 そのことを、もとより多くの者が理解していた。

 

 帝国は強い。

 百年前まで帝国の一貴族領に過ぎなかった公国にとって、彼我の戦力差はどうやっても埋めがたいものだった。


 当初は惜しみない支援を提供してくれた西方諸国は長い戦争に疲れ、次第に自国戦力の増強を優先するようになった。

 遥か西の王国は帝国を現実の脅威として認識してくれず、最低限の支援だけを寄越して隣接する共和国との戦争に明け暮れている。

 あらゆる工作を駆使して拮抗状態を創り出しても、それは所詮ハリボテでしかない。

 まさに、いつ崩壊してもおかしくない薄氷だった。


 そして4年前、それは一人の帝国宮廷魔術師によって踏み砕かれた。


 当時最前線だった要塞都市に強力な魔法攻撃が降り注ぎ、重要施設をいくつも破壊され、貴族にまで死者を出した。

 戦争都市領主であるカールスルーエ伯爵から向こう側の事情は伝わったが、公国内を抑えることは不可能だった。

 大規模な反撃に出なければ公国は内部から崩壊し、帝国に飲み込まれてしまう。

 そうなれば百年前から何も変わっていない傲慢な帝国は、留飲を下げるためだけに公国貴族を処刑し、それに飽き足らず公国の民を虐げるだろう。

 

 座して死を待つくらいならば。

 公王陛下は一縷の望みを懸けて帝国に抗うことを決断した。


 帝国に勝利するためではなく、ただ少しの譲歩を引き出すために全力を投じる。

 帝国内部の勢力争いにおいて、皇帝派に不利な要素を増やすためだけに国家の命運を懸ける。

 それによって皇帝の権力が弱体化し、帝国は公国から手を引くかもしれない。

 公国には、そんな不確実な希望に縋る道しか残されていなかった。


『無力ですまない。すまない……』


 私を含めた極少数の重鎮を集めた場で、若き公王陛下は項垂れた。

 彼は――――アウレール・フォン・クレーフェルトは王になりたいわけではなかった。

 ただ領地を守るために、王冠を戴くしかなかったのだ。


 覚悟は決まった。


 それから4年間、我々はただひたすらに東を目指した。

 その先に希望があると信じて、いくつもの街や村を攻め落とした。


 得られた戦果は望外のものだった。

 戦争都市まで1日というところまで迫り、長い戦いの末に最後の砦を陥落間近まで追い込んだと聞いたときは、私も快哉を叫んだ。


 戦争都市が陥落すれば皇帝とて糾弾は免れない。

 勢いを増した帝国内の貴族派は、不安に駆られた民を巻き込んで皇帝派の力を削ぐために全力を尽くすだろう。

 その結果、皇帝派が敗北を喫する必要はないのだ。

 皇帝派が国内を抑えることに注力せざるを得ない状況を創り出せば、取れる選択肢は一気に増える。

 占領した戦争都市を丸ごと貴族派に明け渡してもいい。

 貴族派の矛先は公国ではなく帝都へ向いている。

 貴族派との間で内々に不戦協定を結べば、戦争の存在を曖昧にできる。

 彼らは戦争都市をした戦果を以て、さらに皇帝派を弱体化させてくれるはずだ。


 あと一歩で戦争が終わる。


 あと一歩で犠牲は報われる。


 あと一歩で公国は救われる。


 しかし、そのたった一歩を踏み出すために、公国は限界を超える力を必要としていた。


 この4年間で公国は多くの働き手を兵士として戦場に送り出し、生産力は大きく低下している。

 これ以上を捻出するには、公国の未来に手を付けなければならなかった。


 だが、それを実行すれば帝国が戦争から手を引いたところで公国に未来はない。

 それではこれまでに積み上げた多くの犠牲が無意味になってしまう。


 我々は苦悩の末、賭けに出た。

 『魔力増殖炉』と『ハーメルンの魔笛』。

 使用には危険が伴い、奪われたときに甚大な被害が生じるために封じられてきた古代魔道具の実戦投入を決断した。

 さらに、時限的に徴兵範囲を拡大することで短期決戦を計画し、作戦の成功のために万全を期した。


 カールスルーエ伯爵家は最後の砦である前線基地の防衛に窮するほどに苦しんでいるが、その苦境は一時的なものでしかない。

 徴兵により戦力が再編される前に戦争都市を飲み込み、一気に勝負を決める必要がある。


 それができれば、公国は希望を掴み取ることができる。


 そのはずだった。

 

 



 

 破綻は、連携のわずかな不手際から始まった。


 決戦兵器である『魔力増殖炉』は扱いが非常に難しい古代魔道具だ。

 効果は絶大ながら使用手順が煩雑で、その重量から移動も容易ではない。

 本来はどのような方法で運用されていたのか今となってはわからないが、公国は魔術師を何人も使って強引に移動させる方法を取った。


 進軍とは別ルートで保管場所から直接戦場に運搬し、現地で軍と合流する。

 到着後即座に攻勢に利用できるよう起動までの手順も並行して行う。

 運搬を担った魔術師たちにとって、それは大きな困難を伴ったはずだ。

 それをやり遂げた彼らには、最大限の敬意が払われるべきだ。


 魔術師たちの懸命の努力にもかかわらず、遅れたのは進軍の方だった。

 十分な訓練を受けていない促成の部隊が足を引っ張り、緻密に練られた進軍計画に支障を来したのだ。

 軍官僚らの必死の努力によって遅延はわずか一日で抑えられたものの、その代償は、あまりにも重いものだった。


 到着を目前にして届けられた、戦争都市軍による先遣隊への奇襲攻撃の知らせ。

 現地に到着した我々が見たものは、蹴散らされた先遣隊、荒らされた陣地、そして――――決戦兵器である『魔力増殖炉』の無惨な姿だった。


 切り札の1枚を早々に失った司令部が受けた衝撃は、非常に大きかった。


 進軍の遅延は想定外とはいえ、『魔力増殖炉』は二千の兵を擁する先遣隊に守られていた。

 それを数に劣る冒険者たちが打ち破り、冒険者の戦利品としては不適格であるはずの『魔力増殖炉』を暴走の危険を無視してまで破壊したのだ。

 まるで進軍の遅れと移送計画を知った者が『魔力増殖炉』を破壊するために最善を尽くしたような結果に、司令部は疑心暗鬼に陥りかけた。

 

 陛下や将軍らが心を砕き、何とか士気は保たれた。

 明日の朝、軍を一度でも動かせば、皆が前を向けるところまで持ち直した。

 

 だから、我々は無事に夜を越えるだけで良かった。

 



 それだけで、我々は――――

 

 


 

 ◇ ◇ ◇





「やはり、届かないのか……」


 公国は終わりだ。

 目の前に広がるのは、それを確信するに足る光景だった。


 自らの血に染まり、剝き出しの土に転がる公国軍の重鎮たち。

 圧倒的な力を振るい、それでも斬り伏せられたバルタザール騎士団長。

 そして、首を刎ねられた我らが主、クレーフェルト公王陛下。


 戦争を指導し、今後の公国を支える人材の悉くが血の海に沈んだ。


 私が亡骸に加わっていない理由は運命の悪戯に過ぎない。

 就寝中の緊急招集を受けて身支度を整える最中、普段から必ず身に着けていたはずの『ハーメルンの魔笛』が何処にも見当たらないことに気づいてしまった。

 陛下からお預かりしたそれを紛失したまま参ずることはできない。

 天幕でありとあらゆる物をひっくり返して魔笛を見つけ出すまで、生きた心地がしなかった。

 

 周囲に尋常ではない空気が漂っていると気づいたのは、遅参の弁明を考えながら自身の天幕から飛び出したときだった。

 騎士の咆哮、兵士の絶叫。

 それは断じて、迎撃部隊が奇襲を受けた程度で起きることではなかった。

 

 陛下のおわす広場に向かう途中、私の感覚が騎士団長の魔法剣『リバレート』の魔力を捉えた。

 その強大な魔力はほんのわずかな時間で沈黙し、代わって戦慄するほど理不尽な未知の魔力を感じ取った。

 公国魔術師団の長に任じられ、魔力感知において私の右に出る者はないと自負している。

 その感覚が理解できない存在を知覚し、私の足は震えた。


 私はとっさに魔力を抑え、足音に注意しながら広場に近づいた。

 天幕の隙間から広場の様子を覗き見ると、すでに希望は絶たれていた。


 襲撃者の暴威の前に無力だった私は、それが去ってから震える足取りで広場へ踏み入り、陛下の亡骸の前で膝から崩れ落ちた。


「う……ぐぅ……ッ!」


 兵士たちの前で見せていい姿ではない。

 理解していても、嗚咽を堪えることはできなかった。

 

 百年もの長きにわたり、公国は耐えてきたのだ。

 耐えて耐えて、耐え忍んだ先でようやく目の前に差し出された一縷の希望が、一夜にして踏み潰された。


 それはまるで、公国と帝国の戦いの縮図だ。

 その気になれば、帝国はいつでも公国を滅ぼすことができると理解していたのに。


 それでも、涙を止めることはできなかった。

 

「エトムント様……」


 配下の声が、私の名を呼ぶ。

 

「公国魔術師団長、エトムント様!」


 二度の呼び掛けに顔を上げると、配下たちが顔をそろえていた。

 どうやら我が魔術師団は、かの暴虐から逃れることができたらしい。

 

 もっとも、我らだけが無事だったところで公国の行く末が上向くわけではない。

 ほんのわずかな時間で公国の命脈が断たれてしまったことを、この場にいる誰もが理解していた。


「迎撃のために配置した部隊が、襲撃者の足を止めています。迷っている時間はありません」


 配下たちの顔には諦め以外の感情があった。


 まだやるべきことが残っている。

 そう主張するかのように、その双眸に戦意を湛えていた。


「そうか……。そうだったな……」


 私は乱暴に顔を拭い、ゆっくりと立ち上がった。

 公王陛下の亡骸に一礼し、万事が破綻したときのために陛下から預かった『ハーメルンの魔笛』に触れる。


 叶うことなら、この魔笛は使わずに戦争を終えたかった。


「公国の民が知れば、私を悪魔と罵るだろうな」

「団長だけではありません。その汚名は、我々も共に被りましょう」


 私を安心させようとでも思ったのか。

 配下たちは、みな笑顔だった。

 

 不出来な笑顔の群れに、私の口からくつくつと控えめな声が漏れた。


「では、共に悪魔になるとしようか」


 『ハーメルンの魔笛』は使用者を悪魔に変えるわけではない。

 それはあくまでも比喩的表現で、実際の効果は条件を満たした者の傀儡化だ。

 本来は捕虜に対して使用するはずだったが、決戦のために起こした軍はまだ一度も戦っておらず、この場に捕虜は存在しない。


 しかし、我々は傀儡とすべき者を見定めた。


「あの者ならば、必ずや戦争都市を滅ぼしてくれるだろう」


 無論、暴虐の限りを尽くした襲撃者のことだ。

 あれを傀儡化することができれば活路が開ける。

 数万の兵士が詰める陣地でこれほどの暴威を振るう者ならば、前線基地はもちろんのこと、戦争都市にも届くだろう。

 あわよくば、その先にすら。


 覚悟を決めた私は『ハーメルンの魔笛』を起動し、

 

 司令部が壊滅した以上、兵士たちが軍として機能することはない。

 だから私は公国の未来のため、数万の兵士を生贄に捧げる。

 すでに条件を満たし、魔笛によって強化された数万の兵士は、演奏者である私の意思に従って盲目的に襲撃者と戦い続けるだろう。 


 公国の未来を掴み取るため。

 戦争を終わらせるため。

 そのために必要な、たった1つの駒を奪うため。


 私は兵たちの未来を、薪にして火にくべた。


「「「…………」」」


 魔笛を奏でる指が震えている。


 私を笑わせてくれる配下たちの声は、もう聞こえない。


 彼らはすでに私に付き従うだけの傀儡となっている。


「…………」


 私は独り陣地を練り歩き、兵士たちに魔笛の音を届けた。


 音を聞いた兵士たちは武器を取り、声もなく東へ走り出す。


(さあ……勝負だ、帝国よ……!)


 行き着く先が処刑台でも。


 後世で悪魔と罵られることになっても。


 私の歩みは止まらない。




 私自身にさえ、もう止めることはできなかった。



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