第六章閑話

第360話 閑話:とある冒険者の物語2




 時刻は深夜。

 夜更かしを好む者もそろそろ眠りにつく頃合いだ。


 しかし、臨時で開放された前線基地最上層にある司令室のバルコニーには、未だ多くの者が詰めていた。

 彼らの立場は騎士、兵士、冒険者と様々だったが、揃いも揃ってポカンと口を開けて間抜け面を晒し、双眼鏡や望遠効果のある魔道具を顔に押し付ける様子はある種の一体感を醸し出している。


「はは……」


 隣に立つ冒険者の口から乾いた笑いが漏れた。

 バルコニーの一か所にまとまった冒険者たちの多くは付き合いのあるパーティやクランの偵察担当だ。

 彼らは皆、わき目もふらず西を見つめていた。


 視線の先にあるのは、まごうことなき戦争だった。


 魔導砲から放たれた<光魔法>に照らされた平原で、万を超える公国兵が戦いを繰り広げている。

 魔導砲が咆哮し、魔法が大地を薙ぎ払い、矢が雨のように降り注ぐ。

 戦争ならよくある光景だ。

 この規模の戦いを見るのは初めてだが、規模が大きいだけならば日頃の戦いの延長線上にあるものに過ぎなかった。

 

 だから、私たちが驚愕する理由はそれではない。


 無数の兵を束ねた軍勢と戦うのが、たった一人の冒険者であるからだ。


「行かなくて、良かったな……」


 思わず誰かがこぼした言葉。

 応える者はいなかったが、全員が同意していたことだろう。


 実のところ、彼が一人で川を渡るところを数人の偵察担当が捕捉していた。

 仮に見逃したとしても、篝火に照らされた公国軍の迎撃部隊があれほど派手に動けばその動向を監視するのは必須であり、いずれ露見したことだろう。

 状況は領主軍にも冒険者たちにも速やかに伝わり、平原で戦争が始まった頃にはランベルトが司令官に出撃を訴えていた。


『今が好機だ!戦争都市に住まう者こそ、矢面に立つべきだ!!』


 ランベルトの主張を受けて司令官が選んだのは、しかし待機だった。

 しかも、原則として自由行動が認められるはずの冒険者にまで出撃を控えるよう要請がなされた。

 ランベルトが冒険者のところに戻って来たとき、怒りを隠しきれていなかった。

 『黎明』の魔術師がその場に来なければ、そのまま賛同する冒険者たちを率いて強引に渡河を試みたかもしれない。

 

 結果的に、ランベルトは司令官の要請に従った。

 冒険者の中にはランベルトを腰抜けと罵る者もいたが、今ならその判断が正しかったことに異を唱える者はいないだろう。


 私は再び双眼鏡を平原に向ける。


 視線の先、

 百の魔法兵が、千の弓兵が、たった一人の冒険者を打倒せんと技術の粋を結集していた。


 しかし、それでも冒険者は斃れない。


 熟練の射手が放つ強化矢はガントレットで軽々と打ち払われ、強力な魔術師が編み上げた必殺の大魔法は<結界魔法>を貫かない。

 風のように大地を駆けて嵐のような攻撃をかい潜り、視線を向けるたび咆哮するたびに数十もの公国兵が倒れ伏す。

 地に伏した公国兵たちが起き上がる気配はない。

 生死は不明だったが、少なくない数が魔導砲や魔法に巻き込まれて大地の染みになっていた。


「あっ……!?」


 私を含めた何人かが同時に悲鳴を上げた。

 双眼鏡を覗く先で、冒険者の死角から放たれた高威力の<火魔法>が冒険者の背に直撃したのだ。

 付近に着弾した魔法が巻き起こす土煙で姿は隠されている。

 私の周囲の冒険者たちの多くは、諦めたように双眼鏡を顔から外した。


 やはり無理だった。

 一人で万の軍勢と戦うなど無謀だった。


 そんな悲嘆と共に生まれたわずかな安堵から目を背け、私たちは空を見上げた。


 しかし――――


「バカな、直撃したはず……!?」


 誰かが上げた声に釣られ、一斉に双眼鏡を覗き込んだ。

 そこにはボロボロの外套をはためかせ、何事もなかったかのように戦い続ける冒険者の姿があった。


「…………」


 見間違いだったとは思えない。

 それは私の周りにいる冒険者たちが私と同じ反応をしていることからも明らかだ。


 確実に直撃だった。

 冒険者は、魔法の直撃に耐えたのだ。


「それいけー、もっと戦えー」


 少し離れたところで精霊が浮いている。

 

 まるで見世物に野次を飛ばすような無邪気な声が、バルコニーに幾度となく響いた。





 ◇ ◇ ◇





 時間は過ぎていき、交代の時間になった。

 ここまでの経過を簡単に引き継いで、私は『銀狼』の仲間たちのところへと戻る。


 その道中、私の頭の中では様々な感情が渦巻いていた。


「…………」


 B級冒険者パーティ『黎明』のアレン。

 数日前までは戦争都市においてほぼ無名だった冒険者。

 その名を知らぬ者は、もうこの基地にはいないだろう。


 前哨戦となった奇襲で数百人の冒険者を相手取ったときは流石という感想しかなかった。

 『魔力増殖炉』の暴走から逃亡したことについて、寛大な処分を下してもらったことには感謝もしている。

 しかし、今の私が抱く感情はそのどちらでもなかった。


 私の中にある最も強い感情――――それは恐怖だった。

 

 自分でも馬鹿げていると思う。

 彼は戦争都市のために戦ってくれているのだ。

 明日になれば起きるはずの大規模な戦闘で無惨にも殺されるか、あるいは這う這うの体で逃亡することになる私たちのために、戦争を止めようと死力を尽くしているのだ。

 

 感謝すべきだ。

 賞賛すべきだ。


 私が持つべき感情は、間違っても恐怖ではないはずなのに。


「…………ッ」


 それでもダメだった。

 理解できない存在を、本能が拒絶している。


 たしかにB級冒険者が持つ力は強大だ。

 B級冒険者のカードは一定の実績を稼ぎ困難な試験を突破した証であり、それを持つ者の実力がC級冒険者である私たちを凌ぐのは当然のこと。

 しかし、それは間違いなくC級冒険者というありふれた存在と地続きの場所にあるものだ。


 今は届かなくとも、いつかは手が届く。

 少なくとも理解の内にある。

 私はそう考えていた。


 B級冒険者とは、私にとってそういう存在だった。


「…………」


 ふと幼い頃に読んだ絵本の記憶が、思考の間隙に入り込む。

 

 それは若い騎士の物語だった。

 辺鄙な村で生まれた少年は立身出世を夢見て旅に出る。

 剣の腕を見込まれて騎士になった少年は人を殺す魔獣を狩り、人を苦しめる妖魔を打倒し、誰もが怖れる化け物を征伐する。

 お姫様と恋に落ち、お姫様を狙う隣国の王が差し向けた軍すら退けて、人々の歓声に包まれながらお姫様と結ばれる。

 そんなよくある話だった。


 なぜこんなことを思い出したのか考えて、すぐに目の前で起きている現実と絵本の類似点に気がついた。


(軍を退ける、か……)


 その場面の挿絵は覚えている。

 片方のページには城に立つ意地悪そうな顔をした王と、その命を受けて進む兜で顔を隠した数人の兵士。

 もう片方のページには、物語の主役である若い騎士。

 ページをめくると数人の兵士が目を回して倒れていて、若い騎士が意地悪そうな王に剣を突きつけて懲らしめていた。

 

 絵本は主人公が悪者をやっつけるという爽快感を与えてくれた。

 それを現実に置き換えたとき、爽快感は恐怖に塗り潰されることを知ってしまった。


 だからこそ想う。

 かつて私が憧れたお姫様は本当に幸せだったのだろうか。

 軍勢を暴力で退ける存在を愛し、身を任せることを本心から望んだのだろうか。

 もしかすると、お姫様は化け物を慰撫するための生贄だったのではないか。

 化け物から国を守るため、涙を隠して笑っていたのではないか。


 私は頭を振り、益体もない思考を追い払った。


『――と肩を並べようなんて、おこがましいと思いませんか?』


 代わりに思い出されたのは、『黎明』の魔術師が大勢の冒険者を前に放った言葉。

 あのときは、私も仲間たちも彼女に対して少なからぬ反感を抱いた。


 けれど、今ならわかる。


 彼女は、正しかった。


「ああ、これが…………」


 その先を口にすることはできなかった。


 言葉にしてしまったら、私の中で何かが変わってしまう気がした。



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