第359話 わがまま




 謁見終了後、私服に着替えた俺は領主の居城から退去した。

 一緒にいるのはティアだけで、クリスはもう少しやることがあると言って城に残っている。

 

 カールスルーエ伯爵に対してはあのような言い方をしたが、俺はクリスの意思に反して冒険者を続けさせようと思っているわけではない。

 貴族として、あるいは司令官として戦争都市に関わり続けたいと言うなら、俺はクリスの背中を押すつもりだった。


 城を出る前、本人の意思を問うたところ――――


『僕には貴族も司令官も向いてないよ』


 俺は首をかしげたが、クリス自身はそう言って眉を下げた。


 つまり、『黎明』は今後も4人体制ということだ。

 顔に出ないように気を付けながら、俺はゆっくり息を吐き、内心で胸をなでおろした。

 

 なお、残り一名は当然のようにクリスについていった。

 あれで生粋のお嬢様だから、城の中でも作法に困りはしないだろうが。


 もっとも、仮に困ったとして、それでもクリスについていきそうな雰囲気が今のネルからは感じられる。

 この数日間は相当に気を揉んでいただろうから、今は傍に居たいのだろう。


「これで一件落着か。長かったなあ……」

「そうですね。一時はどうなる事かと思いました」


 戦争都市に到着した日から数えて今日で8日目。

 わずか一週間余りの滞在だったにもかかわらず、一日一日が濃密だったせいかずいぶんと長くここにいるような気がする。


 俺は一度だけ領主の居城を振り返り、城門、そして都市へと続く長い道を下った。


 領主の居城があるのは小高い丘の上。

 下り坂を歩きながら、夕日に照らされた都市を一望できる。


 その途中、俺は足を止めた。


「……姉のような人だった。あと多分、初恋の相手だったかな」


 当初の目的だった観光は全くできなかった。

 それでも、この都市で過ごした時間は彼女のがどこにもないことを理解するには十分だった。


 崩れ果てた前線基地を見るだけで――――それだけで、十分だった。


「…………」


 ティアの表情が暗い。

 少し不安にさせてしまったようだ。


 表情を緩め、俺は話を続けた。


「まあ、それはもう終わったことだ。過去のことなんだ」


 長い年月をかけて戦争都市にたどり着いた孤児は、結局何も見つけることはできなかった。


 でも、それでいい。

 それは孤児にとって必要な区切りになったはずだから。


 は目の前に広がる現実を見つめ、辛い過去を受け入れた。

 後ろ髪を引くものは、もう何もなくなった。


 だから俺は、未来へ踏み出すことができる。


「待たせて悪かった。今すぐ、というわけにはいかないけれど……」

 

 俺はポケットからそれを取り出し、傍らに寄り添うティアの手を取った。

 

 彼女の顔に驚きはない。

 その代わり、その瞳には大きな期待が込められていた。


「いつか一緒になることを前提に、付き合ってほしい」

「……ッ、はぃ……はいっ!!」


 喜び一色の返事を受け、俺はティアに指輪を贈る。

 それが指に納まるや否や、彼女は勢いよく胸に飛び込んできた。


「幸せです……。本当に、幸せ……」


 うっとりとした声で幸せだと繰り返すティアの背に腕を回し、優しく抱きしめる。

 しばらくそのままでいると、彼女は目の端に涙を浮かべてこちらを見上げた。


「愛しています。アレンさん」

「俺もだ。愛してる、ティア」


 求められるまま、熱い口づけを交わす。

 彼女とこうするのは初めてではないのに、俺の中で何かが変わった気がした。


 ゆっくりと口唇を離すと、赤くなった顔を見られることを嫌ったらしいティアは再び俺の腕の中に納まった。

 その腕が、俺の背に回される。


 そして――――




「ずっと、愛してくれますか……?」




 小さな声が耳に届き、俺はゆっくりと目を閉じた。


 腕の中の少女は自分だけを愛してほしいと望んでいる。

 それは唐突に聞かされた話ではなく、以前からそれとなく伝えられていたこと。

 彼女の望みは当然のことで、しかしそれを叶えるには大きな問題が立ち塞がる。

 言うまでもなく、すでに俺と関係を持っている少女たちのことだ。

 

 ローザ、アン、そしてフィーネ。


 ここ2月ほどで次々と関係を結んだ少女たち。

 ローザとアンは愛妾として屋敷に住まわせ、フィーネは専属受付嬢に指名する傍ら専属娼婦として屋敷の外に囲っている。

 彼女たちとの関係は複雑で、ただ俺の性欲を満たすために結んだ関係ではない。

 もしこれが単純な愛妾契約だったなら、ティアと恋人になったから契約終了と伝え、手切れ金を渡して屋敷から放り出せば済む話だ。


 ティアを想えばそうすべきだろう。

 それは俺の意思ひとつで叶うことだ。


 だから、そうしないのはただのわがままだ。

 

 一番にすることはできないけれど、不幸になって欲しくない。

 軽薄で身勝手な想いで彼女たちを縛り付けているのはほかならぬ俺自身で、そんな中途半端な解決を提示した俺に対して、彼女たちは自身の未来を賭けて俺との関係を望んだ。

 俺は彼女たちを翻意させることができず、他の男に抱かせるくらいならと彼女たちを受け入れた。


 そのときはそれだけだった。

 気づいたときには手遅れだった。

 情を交わすとはよく言ったもので、体を重ねるごとに想いは強くなるばかり。

 親愛や庇護欲であったはずのそれは日に日に侵食され、あっさりと別の感情に取って代わった。


 ティアの願い。

 フィーネたちの想い。

 俺のわがまま。

 

 それらは平行線で、現実で収束することは絶対になく、必ず誰かが我慢を強いられる。


 いや、すでに強いているのだろう。

 自分だけを愛してほしい。

 ティアに限らず誰もが持っている当然の願いだ。

 

 法や慣習が一夫多妻を許容しているかどうかなんて関係ない。

 俺だって暗にそれを求めているのだから、逆は認めないなんて本来は言えやしない。


 だから、俺は――――




「……………………ッ」




 ああ、もちろんだ――――そう告げる


 ティアの望む答えを口にして強く抱きしめる。

 そうすれば、きっと優しい彼女は


 ティアから見て、俺が断つべき関係なんてどこにもない。

 ローザとアンは孤児院の仲間であり妹のような存在。

 フィーネは冒険者ギルドに勤める専属受付嬢。

 それだけの関係だと伝えたまま、その下にある爛れた関係は隠し通す。

 嘘を吐いている間だけ、俺は彼女の望みを形だけでも叶えてやることができる。


 一途に俺を好いてくれる少女に対して、あまりにも酷い仕打ち。


 けれど、いくら考えてもほかに方法が思いつかなかった。

 現実の辻褄を、どうやっても合わせることができなかった。


 3つの線をひとまとめにできないなら。

 それでもひとつにまとめたいと願うなら。


 自身を曲げて、無理やり束ねるしかない。

 

 それが、吐きそうになるくらい悩み抜いて出した結論のはずだったのに。


「…………」


 呼吸を震わせたまま、ティアの背に回した手を肩に置き、優しく押した。


 抱き合ったままでは、頭を下げられない。


「…………ッ」


 彼女はそれを拒むように、俺の背に回す手に力を込めた。

 

 絶対に離さない。

 その先は聞きたくない。


 非力な腕に込められた力は、言葉より雄弁に彼女の想いを語った。

 

 それでも――――


「…………すまない」

「……………………」


 俺の心は、彼女を騙し続けることに耐えられなかった。


 どうあがいてもクズであることにかわりはないのだから、せめて罪悪感を飲み込んで彼女の願いを叶えるべきだ。

 許されたことに安堵してティアの中に積もる悲しみから目を逸らすくらいなら、ティアを騙し続ける痛みに堪える方が余程良いはずだ。


 それなのに。


 真実を伝えても彼女を悲しませるだけだと、願いを拒絶しても罵声を吐いて去ったりしないと知りながら。


 土壇場で、俺は正しさに逃げてしまった。

 



「……………………」




 彼女は何も言わず、しばらく俺の胸に顔を埋めていた。




「…………行きましょう、アレンさん」


 顔を上げたとき、彼女はいつもと変わらぬ微笑を浮かべ、俺の腕を引いた。





 ◇ ◇ ◇





 俺の謝罪などなかったかのように振舞う彼女をエスコートして、城門から都市に出る。


 クリスには明日の昼に冒険者ギルドでと伝えてあり、それまでは互いの予定を気にする必要もない。

 数日間世話になったホテルは契約期間が終わっているので、日が落ちる前に今晩の宿を探さなければならなかった。

 

 ティアを軽んじていないと伝えるため。

 そして、せめてもの誠意を示すため。


 辺境都市で言えば西通りに相当する地域で、最高級のホテルを訪ねた。


「部屋はまだ空いてるか?」

「ございます。戦争で普段よりお客様が少ない状況ですので、きっとご希望に沿ったお部屋をご用意できると思います」

「では、二人泊れる部屋で一泊、空いている部屋の中で最も良い部屋を頼む。値段は問わない」


 俺はホテルマンの求める金額に金貨を1枚乗せて支払いを済ませた。


 案内された部屋は最上階のロイヤルスイート。

 浴室や応接室は当然として、広めのバルコニーも付いている。


 もう少しで、綺麗な夜景が楽しめるはずだ。




 ホテルの設備やサービスは、値段に見合ったものが提供された。


 ディナーはフロルの料理を食べ慣れた俺にも美味しいと感じられるほどで、浴室も広さを除けば屋敷以上。

 日が完全に沈んだ後でバルコニーから望む夜景も、一生の思い出になるくらいに綺麗だった。


「アレンさんのために用意したお酒です。さあ、どうぞ」


 食事と入浴を済ませた後、バルコニーでティアが差し出したのは、飲みやすく俺好みの果実酒だった。


 どこかで飲んだことがあるような気がする。


 ただ、どこで飲んだかは思い出せなかった。

 

 今は幸せを感じていたいから。

 そう言って、自身は一滴も飲まずに酌に徹するティアに促され、俺は次々にグラスをあけた。




「どうですか……?」

「ああ……。最高の気分だ……」




 輝く月と、綺麗な夜景。


 極上の、酒。




 傍らに、は、愛する、少女。




 頭が、すこし、ぼんやり、する。






 ふかい、ではな、い。






 ほんと、うに、ゆめ、ごごち、だ。






「ずっと一緒ですよ、アレンさん」

「あ、あ……、もち、ろん……だ……」






 いつしか手を引かれ、月の光が届かない部屋の中へ。




 その日、俺とティアは結ばれた。



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