第358話 北方戦争ーリザルト
決戦は、クリス率いる戦争都市領主軍の勝利で終わった。
士気が崩壊した軍は脆い。
友軍が瞬く間に氷の世界に囚われるのを目の当たりにして、まだ自軍の方が優位と考えられるほど人間は冷静な生き物ではないのだ。
予備兵力の4個大隊が早々に壊走するとクリスはそれを追わずに反転し、主力部隊の生き残りを狩ることに注力した。
この段階では数的有利すらクリスの手中にあり、公国軍――すでに軍としての能力を喪失していたが――に勝ち筋はなかった。
抵抗が強い小集団をいくつか排除すると、他の集団は敗北を受け入れて次々に投降を始めた。
領主軍よりも投降する公国兵の方が多くなりそうだったので、俺も手が回る範囲で<フォーシング>を応用した恐怖感知を行い、公国兵の受け入れを手伝った。
降伏を偽装してクリスの暗殺を試みる者もいるかと思ったが、それらしき様子もない。
死兵の如く次々に襲い来る公国兵を知っている身からすれば違和感を覚えるほどあっさりした決着に、俺は一人で首をかしげた。
早期決着によって、氷の世界から生きて救助される者も多かった。
降伏を条件に簡単な治療も行ったので後遺症を負う者も少しは減ったと思う。
降伏を拒否して討たれた者と未だ氷の世界に囚われている者たちは放置され、後日回収されることになるが、それは別の部隊に任せることになるだろう。
無事に前線基地を守り通したクリスたちには別の仕事がある。
そう、都市への凱旋だ。
◇ ◇ ◇
決戦の翌日。
戦争都市から交代の部隊が派遣されると、前線基地で可能な範囲で身だしなみを整えた兵士や冒険者たちが、クリスに率いられて戦争都市へ帰還した。
都市の西門が近づくとクリスと側近の騎士以外は馬車から降車し、隊列を整えて西門を通り抜ける。
そして――――
「「「「――――――――!!!」」」」
部隊は地鳴りのような歓声に迎えられた。
大通りの両側を兵士が警備する中、凱旋のパレードを一目見ようと押し寄せた無数の人々がクリスたちの勝利を祝福する。
花びらが舞い、都市中に歓喜が満ちていた。
パレードは都市中央部で解散し、兵士たちは家族の下へと帰って行った。
そこかしこで家族や恋人と抱き合う姿が見られた一方で、無言の帰宅を果たした者も少なくない。
遺体に縋りついて泣き崩れる者たちは、都市によって手厚く保護されることになるだろう。
戦争都市の財政は厳しいだろうが、戦争都市だからこそ、この辺りの配慮は怠るまい。
「で、お前はいつまでそこに突っ立ってるつもりだ?」
ティアの隣、次々と祝福に訪れる市民への対応に掛かり切りのクリスを見つめ、少し寂しげなネルに声をかけた。
行きたいなら行けばいいものを。
一体誰に遠慮しているのか。
「なによ、何か文句あるの?」
「文句はないが。いや、そういえば……」
良いことを思い出して口角を上げる俺を見て、ネルは身構える。
しかし、構えたからといってどうなるものではない。
これは言わば、過去からの攻撃。
攻撃者はネル自身なのだから、諦めてもらおう。
「なんでもするんだったな。リーダー命令だ。今すぐあそこに行って、クリスに甘えてこい」
「は、はあああっ!!?あ、ちょ、わあっ!?」
激しく抵抗するネルの背を叩き、主役の方へと強く押しやった。
疲れが溜まっているのか、それとも激しく動揺したからか。
日頃の身のこなしと比べると無様と言っていいほど簡単によろけ、たたらを踏んだネル。
その姿に、クリスが気づいた。
「良かったですね」
「ああ、本当に良かった」
抱き合う二人を見て。
勝利に湧く戦争都市を眺めて。
俺は、心からそう思えた。
竜を撃退した功労者として領主に謁見した際、辺境都市では通達から当日まで数日の猶予があった。
しかし、どうやら戦争都市では勝手が違うらしい。
多忙を極めるはずの領主との謁見は即日設定され、決定事項を通達する文官にまさか辞退するとも言えず、いつぞやのように着せ替えられた『黎明』一行は流れるように謁見控室に放り込まれた。
「そういえば、ラウラさんは?」
「どっか行った」
謁見直前に合流したクリスに問われ、俺は苦い顔で答える。
ラウラは都市に着くなり旧交を温めると言って離脱した。
別にそれは良い。
理由は、離脱直前の会話にあった。
『そういえば、お前はどうやってここに?』
『それはもちろん、アレンちゃんが発動した術式を使ってだよー?』
俺の腕に巻いてあったのは、封印の術式ではなかったか。
そう尋ねた俺に「またひとつ賢くなったねー。」と言い残し、鬼畜精霊は雑踏に消えた。
彼女の貢献を考えれば文句を言うのは難しいが、思い出しても腹立たしい限りだ。
俺が文句を言えないことまで計算しての振る舞いとわかってしまうから、なおのこと。
「そうかい?まあ、いないなら仕方ないか」
「ラウラを謁見の間に入れるのはやめておけ。何するかわかったもんじゃないぞ……」
功労者としてハブるわけにもいかないのだろうが、貴族嫌いの精霊を大貴族に会わせたら何が起きるか予想できない。
ラウラと俺は仮契約か協定とでも言うべき関係性で結ばれており、何かあったときに無関係を主張することは難しい。
連座に処されるかもしれない身として、簡単に頷くことはできなかった。
「時間となりましたので、こちらへ」
案内を務める文官に従い、俺たちは控室を出る。
謁見の作法は控室で教えられたが、辺境都市と様式は同じだったのですんなりと覚えられた。
俺たちは主役であるクリスの少し後ろで顔を伏せたまま、少し遅れて現れたカールスルーエ伯爵とクリスの会話に耳を傾ける。
「期待以上の戦果だ。よくやってくれた」
親子のものとは思えない形式的な会話が続く。
貴族家ならこんなものなのだろうか。
そんな益体もないことを考えながら、俺は自分の番に備えていた。
(前線基地を守り切った司令官を表彰するための謁見なら、クリス本人だけでいいはずだしなあ……)
冒険者への報奨金は、冒険者ギルド経由で支払われる取り決めだ。
だから本来、冒険者がここに呼ばれることはない。
厳密にはクリスの指揮下ですらなかった、一冒険者に過ぎない俺がここにいる理由。
建前上のものは文官が何か適当に考えているのだろうが、実際のところは辺境都市のオーバーハウゼン家と同じだろう。
さらに言えば、謁見を即日設定した理由は俺たちに考える時間を与えないためだと推測している。
それが正しければ、クリスとの会話の後で俺に対して何かよく考えて回答したい質問があるはずだ。
「後ろの者たちも、面を上げよ」
クリスに勲章が授与された後、声が掛かる。
俺たちは作法に従い、顔を上げた。
豪奢な椅子からこちらを睥睨する伯爵には、多分クリスが40歳くらいになったらこんな感じかなという感想しかない。
しかし、その顔にクリスのような柔らかな微笑はなく、代わりに大貴族が纏う威厳と風格があった。
そして、大貴族が言う。
「此度の働き、見事であった。外様と聞いたが……どうだ、この機会に拠点を移しては」
「過分な評価をいただき光栄に思います。しかし、故郷の付き合いもありますので」
それは本来、質問ではなかった。
大貴族の誘いなら受けるのが当然。
そういう空気を、謁見の間全体が生み出していた。
迷えば踏み込まれる。
怯めば押し切られる。
断るのが当然という態度で峻拒することこそ、この場における唯一の正解だ。
「そうか。それは残念だ」
俺は大貴族の誘いを袖にすることができる上級冒険者だ。
そのように振る舞えば、相手はそう認識してくれる。
実際、権力など屁でもないと思っている上級冒険者はそこそこの数存在する。
駄々をこねて暴れる子どものように、何もかもをひっくり返す暴力が彼らにはある。
大きな戦いを制したとはいえ、未だ戦争中であることに変わりはない戦争都市は、そのようなリスクを許容できないだろう。
予想どおり、カールスルーエ伯爵はあっけなく引いた。
一人残らず戦場から逃げ出したご当地上級冒険者たちがあまりにも頼りないから、可能なら腕利きを確保しておきたいというくらいの軽い気持ちだったのだろう。
元々さほど期待もしていなかったはずだ。
その後も形式的な会話が続き、予定された流れは速やかに消化された。
「最後に、何かあれば聞こう」
それは謁見を終える前の定型句であり、当然ながら社交辞令だ。
黙して顔を伏せれば伯爵は退出し、謁見は終了となる。
だから、俺は顔を伏せずに声を上げた。
「では、少しだけ」
「ふむ……?」
進行を司る文官が呆然とし、領主の反応にも少々困惑が混じった。
しかし、一番驚いているのはクリスだろう。
クリスは顔に出るから何も伝えていなかった。
素直に驚いてもらった方が、親子関係に妙な亀裂を生まずに済むと思ったのだ。
「辺境都市に、一人の孤児がいました。その孤児は――――」
あらかじめ考えておいた言葉を淀みなく述べながら、俺は思い返していた。
戦争都市に来た目的を。
そして、戦争都市に来なければならなかった理由を。
「――――12歳の誕生日、大切な人が戦争奴隷として死んだことを知りました」
俺が放った言葉が、謁見の間に緊張を生み出す。
文官は狼狽し、領主を守護する騎士たちは不測の事態に備えてわずかに腰を落とした。
変わらず俺を睥睨する伯爵に動じた様子はない。
大貴族はこの程度で揺るがない。
そういう振りを続けていた。
「その孤児は戦争奴隷となりました。その孤児は奴隷商を殺し、名前を変えて逃げのびました。その孤児は――――」
用意した言葉を唱えながら、俺は伯爵を睨みつけるでもなく、その表情を淡々と観察していた。
今、目の前にいるカールスルーエ伯爵こそが諸悪の根源であり全ての元凶――――というわけではないのは、すでに理解している。
非情でも残酷でも、代々戦争都市の領主はそうやってこの都市を守るしかなかったのだ。
戦争奴隷の起用を控えてからたった数年でここまで戦線を押し込まれたという事実が、戦争都市にとって戦争奴隷が必要だったという何よりの証明だ。
それが孤児に、辛い現実を押し付けるとしても。
「その孤児は――――」
孤児である俺が、孤児を食い物にして安全を確保してきた都市の勝利を祝福できたのはなぜだろうか。
大切な人を戦争奴隷として喪った俺が、戦争都市を包む歓声を聞いて良かったと思えたのはなぜだろうか。
クリスのためか。
あるいはネルのためか。
しかし、仲間のために仕方なく戦うことと、その勝利を祝福することの間には、決して埋められない隔絶が存在するように思う。
合理的な回答は見つからないかもしれない。
無理に見つける必要も、きっとないのだろう。
俺は、ほかでもない自分自身の心に従った。
それだけは、間違いのない事実なのだから。
「そして…………、その孤児は遂に、戦争都市を統べる領主の前に立った」
周囲を守る騎士たちの緊張は限界を超えた。
剣の柄に伸びる手は震えている。
一連の戦いの顛末は報告があっただろう。
謁見の間全体が、恐怖で満たされていた。
語り終えた俺は、ただ静かに領主を見つめている。
「……孤児は、私に何を望む?」
ありもしないこの場の空気というものに強制されるように、領主は問うた。
問われたならば、答えなければ礼を失する。
俺は微笑を浮かべ、ただ一言。
「なにも」
「――――」
その瞬間、領主から凄まじい恐怖の感情が伝わった。
真意を疑われたのだろう。
ここまでの話をしておきながら、要求が何もないなどあり得ないと警戒したのだろう。
その感覚は正しい。
正しく、その通りだ。
「孤児にとって、貴方は憎き戦争都市の領主であるとともに、かけがえのない仲間の家族ですので。非道な真似は憚られます」
それは表面上、許しと善意で満たされた言葉。
しかし、優しい言葉の包み紙を剥がして中身を覗けば、強烈な警句が顔を出す。
俺がお前を許すのは、仲間の父であるからに過ぎない。
お前が仲間の父という立場を失えば、非道を躊躇する理由が俺にはない。
「……私からは以上です。お時間をいただき、ありがとうございました」
包み隠した真意に気づいてもらえたのは幸いだ。
これでクリスがその意思に反して、今後の戦争や後継者争いに巻き込まれることもないだろう。
俺は謁見の結果に満足し、笑顔で言葉を締めた。
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