第357話 平原の決戦




 翌朝、公国軍が動き出した。


 軍を動かせる高官が残っていたのか、それとも部隊長級が協議に協議を重ねてまとめ上げたのか。

 公国軍は軍としての体裁を保ったまま、ゆっくりと前線を押し上げ始めた。


 戦場は遮蔽物がほとんどない平原。

 公国軍の動きは丸見えで、情報は速やかに前線基地内に伝わる。


 前線基地はいよいよ始まる大規模戦闘を前に、物々しい雰囲気に包まれた。


 警鐘が鳴り響く基地の中を、武器を手にした兵士たちが駆ける。

 装備の点検を済ませた冒険者たちがパーティごと、あるいはクランごとに入念に立ち回りの確認を行う。

 司令室ではクリスや騎士たちが全体の動きを統制するために、休みなく働いていることだろう。

 それぞれが迫りくる戦いを前に最善を尽くしていた。


 そして遂に、両軍は川を挟んで対峙した。


 最新の偵察によれば公国軍の部隊は18個。

 当初の予想より大きく数を減らしたが、それでも数的優勢は揺るがない。

 配置は左翼と右翼に4個ずつ、中央は6個とやや厚め。

 中央の後方には予備戦力として4個が置かれ、全体として定石に近い手堅い配置となった。

 しかし、外形はともかく内情はガタガタだろう。

 前哨戦と夜襲、二度にわたる戦闘によって弓兵、魔法兵、魔導砲兵は本来の数を大きく割り込んでいる。

 特に魔導砲兵と彼らが運用する魔導砲は、俺が散々に叩いたこともあって陣容が非常に薄い。

 三万近い軍の攻勢を支えるだけの火力を発揮できるとは到底思えなかった。


 対する戦争都市領主軍の部隊はわずかに1個。

 冒険者によって戦力を補強しているが、依然として10倍以上の埋めようもない戦力差が存在する。

 魔導砲兵など壊滅して久しく、魔法兵と弓兵も定数割れの小隊が残るばかり。

 破壊され尽くした防壁は防衛戦の有利を説くにはあまりにも頼りなく、まともにぶつかれば踏みつぶされることは誰の目にも明らかだ。


 ゆえに、戦争都市領主軍は既存の防衛作戦を投げ捨て、奇策とも映る動きを見せた。


 西側が崩壊した基地から飛び出して基地と川に挟まれた狭い地形に横長の陣を敷くと、 その陣の前方に冒険者を含む魔法使いたちが並び、その左右を射手が守る。

 普段は前衛に守られるべき後衛が、前に出て前衛を守るような陣形をとった。


 狙いは渡河の阻止に向け、少しでも後衛を前に押し出すこと。

 魔法使いたちは向こう岸で渡河に備える前衛を少しでも早く射程に収め、敗北を少しでも先延ばしにするために危険に身をさらす。

 公国軍の魔導砲が少ないとはいえ、ティアが放つ長射程の魔法攻撃が公国軍魔法兵を萎縮させるとはいえ、生半可な覚悟ではそこに踏みとどまることはできない。

 文字通りの決死隊として、彼らはそこに存在している。


 


「はあ……」

 

 向こう岸に布陣する公国軍を見渡し、溜息をこぼす。


 兵士がどこからか運んできた座り心地の良い三人掛けのソファーにどっしりと腰を下ろし、剣の代わりに両脇に女を抱えて観戦を決め込んでいる男。

 ほかでもない、俺のことだ。


 右手には自然体でしなだれかかるラウラ。

 左手にはそれに対抗するように体を押し付けるティア。

 彼女たちの肩には俺の腕が回されていた。


 そんな俺がいるのは司令室のバルコニーではなく、基地の中の安全地帯でもなく、前衛たちが集まる横陣の中でもなく、その前方にいる魔法使いや射手の中でもない。


 から心地よい水のせせらぎが聞こえてくるこの場所は、兵たちの前方に陣取る魔法使いたちのさらに前。


 つまるところ、最前線だった。


(俺は一体、戦場で何をやっているんだ……)


 B級冒険者だからといって、何をやっても許されるわけではもちろんない。

 これから始まる大規模戦闘を前に女とイチャついている俺に対して、不信や疑念を持つ人間は掃いて捨てるほどいるだろう。

 前方に公国軍しかいないのが不幸中の幸いだ。

 おかげで後方にいる二千もの兵や冒険者たちから向けられる視線の色を、俺は知らずに済んでいる。

 

「アレンちゃん、そわそわしすぎー。みっともないよー?」


 自然体過ぎる精霊を咎めるように、向こう岸から魔導砲撃が放たれた。

 斉射というにはタイミングにバラつきがある砲撃は20発に満たない。

 そのうち半分程度は川に落ち、残る半分程度も多くは何もない場所を穿つ。

 見事自軍に着弾しそうな数発は後方の魔法使いたちによって迎撃され、1個だけこちらに飛んだ砲弾はラウラが難なく処理した。

 先ほどから何度か繰り返されている魔導砲撃の精度も、この陣形が中止になっていない理由のひとつだろう。


「いや、別に怖がってるわけじゃないが……」

「理由は何でもいいから、堂々としててー?」

「…………」


 この作戦が決行された理由の最たるものは、ラウラが昨日提案したの内容にあった。


 ラウラの立ち位置は俺の協力者だ。

 そして俺は依頼を受けて任意に戦闘を行う冒険者であるので、ラウラもクリスの指揮下で戦う存在ではない。

 だから、ラウラのお手伝いを実行に移すか否か判断するのは俺だ。

 内容を聞いて耳を疑い、若干の修正を加えつつも、それを有効だと認めて承認したのは俺なのだ。

 

 その決断をすでに後悔し始めているが、クリスたちは今日の作戦の前提としてラウラのお手伝いを織り込んでいる。

 やっぱりやめますと言える段階はすでに過ぎた。

 今の俺にできることは、ソファーにふんぞり返って恥ずかしさに耐えることだけ。


 本当に、それだけなのだ。


「ほら、もうすぐ始まるよー」


 無力感に項垂れる間にも公国軍は動き続ける。

 誰とも知らぬ指揮官は魔導砲の火力不足を認め、渡河の強行を決意したようだ。


 魔法戦はこちらが若干優勢となる見通しの中、歩兵に川を渡らせれば小さくない被害が生じる。

 しかし、10倍以上の兵力があれば大概の無理は押し通せる。

 成否だけを語るなら成功する公算が極めて大きい作戦だった。


 そして現実が公算通りの結果になるかどうかは、俺の両脇で力を溜めている二人に懸かっている。


「じゃあ、準備はいい?」

「はい……。上手くできるでしょうか?」

「失敗したらそのときだよー」


 失敗では困るのだが、そのときは俺が今度こそ英雄になるだけだ。


 フロルには本当に申し訳ないが、今日も俺の魔力は満タンまで回復している。

 特記戦力は夜襲で排除したはずなので、なりふり構わなければどうとでもなるだろう。


 回した左腕に少しだけ力を込めると、ティアはこちらを見上げて微笑んだ。


「始めるよー」


 合図は気の抜けるようなラウラの声。

 右腕から魔力がごっそり持っていかれる。


 それからしばらくして、


「すごい……」


 思わず呟いたティアの視線の先。

 川の水は上流から絶え間なく流れ込み、一方で下流の水位は急激に減少する。

 その差分は正面の水位をみるみるうちに上昇させ、川全体がひとつの生き物のように蠢いた。


「「「…………」」」


 誰もがその光景を呆然と見つめていた。

 気付けば水位は見上げるほど高く、手繰られた水流は河から立ち上がった巨人のように両軍の前に立ちはだかる。


「どうぞー」

「……ッ!――――ッ!!」


 は聞こえない。


 しかし、ティアが用意した大きな大きな雪玉は巨人の背に次々と飛び込んだ。

 それは待機させていた6つの大雪玉を全て飲み込み、凍り付くこともなく動き続ける。


「それいけー」


 楽しげなラウラの声を合図に、今度は水の巨人が動く。

 巨人と化した水流は足踏みひとつで公国軍を踏み潰す――――といった派手さは特にない。

 ただ、西側に向かって倒れ込む。

 それだけのことで、巨人を構成していた膨大な水量は純粋な物理現象として公国兵を飲み込んでいった。

 

 だが――――


「ふふ、どうなるかなー?」

「――――」


 これは公国軍を襲う悲劇の前触れに過ぎない。


 目を疑うような水量は川岸付近の公国兵と渡河のための船や資材を押し流し、公国軍に甚大な被害を与えた。

 しかし、想像を絶する水量も広い平原全体を飲み込むことはできない。

 川岸から西に進むほどに水位は下がっていき、転倒する者も徐々に少なくなっていくだろう。


 それでは時間稼ぎにしかならない。


 だから、本命はこれからだ。


「そろそろいいよー」

「――――お、ね、がいっ!!!」


 ティアが少し苦しそうに杖を振った。






 そして、世界が終わった。






 そう錯覚するほどの幻想的な光景が、目の前に顕現した。


「はあ……。これはまた……」


 口からこぼれたのは溜息ではなく感嘆だった。


 一瞬眩い光を放った後で、平原に広がる水流が一斉に凍り付く。


 川底の泥も、水流に飲み込まれた魔導砲も、身体が水に浸かった公国兵も。


 幻想的な現実の前で、全てが平等だった。


 ただ、凍り付いたのは水に触れている部分だけ。

 膨大な水量は、それでも公国軍の全てを飲み込むには足りないからこそ――――平原は阿鼻叫喚の地獄と化す。


「……夢だ。これは、夢なんだ……!」

「足が……、俺の足があっ!!」

「いやだ、死にたくない!」

「助けてくれ!!誰か、誰か!!」


 身体が凍り付く痛みに。

 手足が砕ける恐怖に。

 狂乱する公国兵の悲鳴が上がる。


 氷が邪魔で見えないが、おそらく中央と両翼の部隊は壊滅判定。

 一方、後方の予備戦力は統率を乱しているものの損害は軽微といったところか。


 しかし、お手伝いならこれで十分だろう。


 ここから先は戦争都市の仕事だ。


 文字通り足を封じられた巨大な軍に、勇敢な小人が牙を剥く。


「行ってくる。勇敢な兵たちよ、勇敢な冒険者たちよ!僕に続け!!」


 先陣を切った司令官に導かれ、咆哮と共に全軍が動き出す。

 彼らは凍り付いた川底を踏みつけ、我先にと氷の世界を駆け抜けた。


 この間も上流では少しずつ川の水が戻り始めているから、ここで出遅れた間抜けは俺と一緒に東岸でお留守番となる。

 彼らが基地に籠らず、危険を承知で待ち構えていたのはこのためだ。

 

「ティア、そろそろ大丈夫だ」

「はい、ありがとうございます……」


 ティアはぐったりして魔力操作を放棄した。

 先日の浮橋のような順番待ちは発生せず、横に広がった兵士と冒険者たちはほんの数十秒で凍土となった川底を駆け抜け、平原ではすでに戦闘が始まった。

 クリスには足元の氷が解け始める前に氷の大地を駆け抜けるよう伝えてあり、ティアが氷を維持しなくても問題はない。

 

 俺はもたれかかるティアを労いながら、少し高いところから平原の決戦を見守った。


 補充を受けてギリギリ定数を満たした1個歩兵大隊+αの領主軍と数百人の冒険者たちが戦うのは、予備兵力4個歩兵大隊と壊滅した部隊の残存兵力。

 純粋な兵力差は依然として大きいが、突然の戦線崩壊で公国軍の士気は著しく低下している。

 魔法戦に備えて比較的川岸に近いところに集まっていたであろう魔法兵部隊の壊滅もあって、魔法の撃ち合いも完全有利となった。


 あとは、クリスたちがどうにかするだろう。


「はー、気持ちよかったー」

「そりゃ良かったな。まあ、お疲れ様だ」


 ラウラには本当に助けられた。

 お手伝いと言いつつ、結局は兵力の半分以上を無力化してくれた。


 本人は疲れた様子もなく、満面の笑みで食事に興じているが。


「使ったのはアレンちゃんの魔力だし、そこまで疲れはないけどねー。まだアレンちゃんも余裕みたいだし、今からもいけちゃうけどー?」

「いいから座ってろ……」


 今回の戦術は、ラウラの提案を俺が修正したものだ。

 初期案ではティアの<氷魔法>に代わりラウラの毒が付与される予定だったが、それを浴びた公国兵は直視に堪えない死に方をすると説明されたので問答無用で却下した。

 鎧も大地も竜鱗すらも侵食するというのが冗談なのか本気なのかはさておき、そんな物騒な物を無差別に浴びせるわけにはいかない。

 必要なら躊躇わないが、殺さずに済むならその方が良いに決まっているのだ。


(まあ、それでも大勢死ぬんだろうが……)


 全身が凍結した兵が自然解凍される頃、その命は喪われているだろう。

 凍結した部分が砕けてしまった兵は、治療が間に合わなければ死んでしまうだろう。

 凍結した部分が砕けていない兵も、凍結した部分が壊死すればおそらく助からない。


 それでも俺は、彼らを助けることはしない。


 クリスを戦争から遠ざけるため。

 この戦いを戦争都市の勝利で終わらせるため。


 公国側に傾いた戦力の天秤を是正するために、必要なだけを取り除く。




 非道でも無慈悲でも。


 それが、英雄に至る唯一の道ならば。



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