第356話 作戦会議




 階段を昇り切ると、近くにいた歩哨に会議室への道を尋ねた。

 やたらと緊張した様子の歩哨はまるで上官の視察に応じるような態度で敬礼し、会議室の場所を教えるだけでなく俺とラウラを目的地まで案内してくれる。

 

「失礼します!アレン様をお連れしました!」

「案内ありがとう」


 手間が省けて大変助かるが、相変わらず色々と手順をすっ飛ばしている。

 地図やら駒やらが大きなテーブルに広げられ、いかにも作戦室といった様相の会議室には重要人物がズラリと並んでいるというのに。

 俺が仲間を人質に取られて寝返ったりしたら、どうするつもりだろうか。

 

 もっとも、その仲間は俺の姿を見るなり鬼のような形相でこちらを睨んでいるのだが。


「あんたは!休んでろって!!言ったでしょうがっ!!!」


 作戦室にネルの怒号が響く。

 化けの皮はとっくに剥げているので、今更罵声の出所を探すような者はいなかった。


 しかし、突然これだけ大きな声を出せば何事かと視線は集中する。

 その視線を向けられる俺としては少々居心地が悪い。


「そう怒鳴るな。おかげ様で無事治ったよ」

「こ…………ッ!」

「大丈夫なんですか?」

「ああ。ティアにも心配をかけたな」

「いえ、大事ないなら良かったです」


 罵声が喉元で渋滞して何も言えなくなったネルを横目に、ティアと言葉を交わして安心させる。

 

 そして――――


「約束は忘れてないだろうな?」

「それはお互い様だよ、アレン」

「言うじゃないか」

「それはそうだよ。今の状況では、まだどちらに転ぶかわからないからね」


 司令官としての振舞いに慣れ始めたクリスは、普段の余裕を取り戻している。

 少なくとも正義のために自分が――――などと悲劇の主人公を気取るつもりはもうなさそうだ。


 とりあえずは一安心というところ。

 もっとも、本当に安心できるかどうかは戦況次第だが。


「で、状況は?」

「端的に申し上げれば大混乱ですよ。こちらを」


 クリスの傍に控えていたライアンが、手にした指示棒で地図を指しながら戦況を説明してくれる。


 地図は東端に戦争都市が描かれ、少し西に進んで前線基地、河を挟んで西端までひたすら平原が続く構図。

 前線基地に1個、戦争都市にまとめて8個置かれた青い駒が領主軍の部隊。

 一方、平原に散らばった赤い駒は公国軍の部隊で、その数は30個もあった。


「やっぱり赤が多いな」

「公国軍の兵数は最大限を見積もっております。実際は1個1500人の大隊が20個から25個程度になるかと」

「配置がバラバラなのはなんでだ?」

「本日未明から、編制がまともに機能していないようです。これについては戦略に大きく影響しますので、是非詳細を頂戴したく思いますが……」

 

 会議室に居る全員の視線が俺に集中した。

 歓楽街の支配者さんのせいにすることを一瞬だけ考えたが、どこかから正気を疑うような視線を感じたので断念する。


「一応、最初から説明するとだな……」


 机に転がる棒を拾い、俺は昨夜の夜襲経路と成果を順序立てて説明した。


 迎撃部隊の中央を抜けて歩兵連隊指揮官を1人。

 陣地に飛び込み、西へ向かいながら天幕の旗と飾りを目印に推定部隊長級を6人。

 陣地からかなり進んだところにあった広場で司令官、公国騎士団長、貴族や高級軍人を合わせて十数人。

 陣地を抜けた後は歩兵大隊指揮官を2人。


 そこから先は――――


「――――正直なところ、よくわからない。整然と部隊を率いてる奴はいなかったし、無力化を優先したからいちいち止めを刺す余裕もなかったしな……。そうだ、忘れないうちに渡しておこう」


 俺は司令官の杖を召喚し、机上に置いた。

 クリスはきょとんとしている一方、騎士のうち何人かはぎょっとして目を剥いている。


「アレン、これは?」

「司令官の杖だ。装備としては無価値だそうだが、お前の手柄にはなるだろうと思って首の代わりに持ってきた。ああ、騎士団長の魔法剣はやらないぞ。どうしても買い取りたいというなら交渉は受けるが」

「アレンが拾ってきたんだから、どちらもアレンの物だと思うけど……」


 クリスは杖を手に取って顔に近づけたり裏返したりと観察するが、結局何もわからなかったようだ。

 司令官から差し出された杖を、ライアンが恐るおそる両手で受け取る。


「これは、本当に頂戴しても……?」

「無価値でも偽物でも責任は取れないが、それでも良ければ好きにしてくれ」

「それはもちろん。……本部へ回して確認を取れ、至急だ」


 騎士の一人がライアンから杖を受け取り、会議室から出て行った。

 ライアンは一仕事済ませたような顔で大きく息を吐き、地図に視線を落とす。


「……とすると、やはり指揮系統は破綻していると見るべきでしょう」

「目についた偉そうなのを間引いただけだ。取りこぼしはいくらでもいると思うぞ?」

「それはそうでしょう。しかし、公国軍の動きを見れば統制が乱れていることはわかります。駒の配置は偵察により随時更新していますが、現時点で兵士を完全に統制できている部隊はほとんどありませんし、指揮を執る者が不在と思われる部隊もいくつか確認されています」


 それなら夜通し戦い続けた甲斐があるというものだ。


 これで戦争が終わってくれれば完璧なのだが――――


「戦争は、終わらないか?」

「……難しいと思われます」


 一縷の望みをかけて問うも、少しばかりの沈黙の末に返されたのは予想通りの返答。

 しかし、続く言葉は予想外のものだった。

 

「公国軍が撤退するのは軍が壊滅したときか、その権限を持つ人間が撤退を決断したときでしょう。しかし現時点で公国軍は健在である一方、撤退を決断できる軍高官はすでに払底している可能性があります」

「…………」


 俺は戦争や軍事に明るくない。

 全滅の定義やらランチェスターの法則やら、有名な話を部分的にかじっている程度だ。

 それでもライアンの言葉を噛み砕き、それが意味を理解するくらいのことはできた。


 撤退を決断する奴がいないせいで公国軍は撤退できない。

 だから戦争が終わらない。


 それはつまり――――


(俺が、やり過ぎたってことか……)


 体から力が抜け、近くの椅子に座り込んだ。


 単騎で戦場を駆け、目的を遂げたことで得られた高揚感――――それが軽減してくれていた罪悪感が重みを増し、両肩にのしかかる。


 暗澹たる気分だ。

 俺は一体何のために、祖国に殉じた彼らを殺めたのか。


 これでは、ただの道化ではないか。


「ふ……」


 そんな思いに気づかれたわけではなかろうが、ライアンから小さな笑いが漏れた。


 俺はゆっくりと顔を上げ、彼を睨みつける。

 道化である俺は自分の正しさを訴える言葉を持たないが、それでも不快感がなくなるわけではないのだ。


 だが、視界に入った彼の表情に嘲りの色はなかった。


「貴方は本当に、一人で戦争を終わらせようとしてくれたのですね」

「……傲慢だと?」

「失礼ながら」

「そうか……。いや、そのとおりだな」


 建前や名誉を削ぎ落として身軽になってもなお、未だこの手は英雄に届かない。

 その程度で届くほど、英雄は軽くない。


 厳しい話でありながら、それはすとんと腑に落ちて俺を納得させた。


「全軍の方針を決め得る者が残っていたとしても、公国軍が健在ならば撤退の選択はあり得ません。その者の立場が撤退を許しません。結局のところ、彼我の圧倒的な戦力差が埋まらない限り、この戦争を止めることは不可能なのですよ」

「それでも、アレンのおかげで希望は見えた」


 俺を励ますライアンの言葉を引き取って、クリスが言う。


「小人が巨人と戦えば小人に勝ち目はない。しかし、相手が頭のない巨人で、こちらが勇敢な小人なら、自ずと勝利に手が届く」


 クリスの声は穏やかで、しかし小さくない威厳を含んでいた。

 視線を集め、士気を高め、司令官は号令を下す。


「ここは戦争都市領だ。公国軍に勝手はさせない。僕らの力、彼らに思い知らせてやろう」


 咆哮が作戦室を揺さぶる。

 騎士たちは剣を掲げ、冒険者代表としてこの場に居る『戦狼』の面々すらも熱に浮かされて兵士とともに拳を天に突き上げた。


 ほんのわずかな言葉で士気を向上せしめたクリスをポカンと見つめていると、視線がぶつかった。

 

 僕だって助けられるばかりじゃない。

 クリスの目が、その決意を何よりも物語っていた。


(まったく、大したものだよ……)


 いつぞやの歓楽街でも、クリスは不思議なほどの統率力を発揮したのだった。

 どこから集めたとも知れぬ大勢を掛け声ひとつでまとめられるクリスなら、戦争のために集まった者たちに戦争をさせることくらい容易いに違いない。


 公国軍が上手いこと部隊をまとめて基地に攻め寄せても、この様子なら早々に壊走することはないだろう。

 俺は安堵して背もたれに寄り掛かった。


 声が聞こえたのは、そのときだった。


「それなら小人さんが戦いやすいように、私も少しだけ手伝ってあげるねー」


 その声は威勢のいい言葉が溢れていた作戦室にあっても良く通り、この場にいる者たちの視線を集めた。


 彼らの視線の先、ここまで沈黙を保っていたラウラがいた。

 宙を泳ぐ姿は只人には見えず、しかし俺の関係者であること以外にほとんど情報がない。


 そんなラウラに向けられる感情には、困惑とともに若干の恐れが見えた。


「どうする気だ?」

「アレンちゃんはどうしてほしいー?」

「お前な……」

 

 いつもの問答をここでやるな。

 そういう視線を込めて睨むと、ラウラは楽しそうに笑う。

 

「私はあくまでお手伝いだから、出過ぎた真似はしないよー。うーん、例えばそう――――」


 思案するように指を頬に当て、すぐにその顔をほころばせる。

 だが、その笑顔と口から放たれる言葉から受ける印象が一致するとは限らない。


「頭がない巨人の足を切り落して、体を大地に縫い付けてあげる。そうすれば、小人の剣も巨人に届くでしょう?」

 

 極めて物騒な言葉を何でもないことのように告げて、ラウラはいつもの笑みを浮かべる。


 困惑が広がる作戦室に、俺の溜息が落ちた。



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