第354話 裁定
「お逃げください、陛下!」
「ならぬ」
一言で側近を黙らせ、陛下と呼ばれた男――――公国軍司令官は威厳をもって堂々と襲撃者を睨みつけた。
(ああ、そうか。逃げられないか……)
騎士や兵士が集う広場に襲撃者が一人。
ここで逃げてしまえば、この場に居る者たちを信用ならないと言うも同然。
それでは決戦を前に、威厳と求心力が失墜する。
司令官として、そしておそらくは公国の王として、絶対に許容できないことだろう。
舐められたらおしまいなのは冒険者も軍人も、そして王だって同じなのだ。
「私にお任せを」
司令官を狙って駆ける襲撃者の進路に一人の騎士が立ち塞がる。
俺は広場の中央付近まで進み、ゆっくりと足を止めた。
ただの騎士でないことは一目でわかる。
剣身に赤い紋様が浮かぶ剣。
どこか神聖な雰囲気を纏う全身鎧。
磨き上げられた円形の盾。
これまで何度も遭遇した騎士たちとは一線を画す上等な装備を身に着けた男は、その端整な顔を歪めて剣先をこちらに向けた。
そして――――
「我こそは公国騎士団長バルタザール!公国最強の――――」
『跪け』
それでも、俺がやることは変わらなかった。
周囲の騎士や兵士と何ら変わりなく膝を折った公国最強の騎士を見下ろし、その横を素通りする。
(本当に、理不尽なスキルだ……)
鍛え上げた肉体も剣術も、<フォーシング>が刺し込む恐怖を跳ね除けてはくれない。
精神に作用する以上は精神修養も無意味ではなかろうが、このスキルに耐えるために必要なのは何よりも魔力だ。
ラウラのような強力な精霊をして非常識と言わしめる俺の魔力に対抗できなければ、勝負の土俵に上がる事すら叶わない。
魔法使いならともかく、騎士には厳しすぎる条件だ。
「…………?」
公国軍兵士の悉くが硬直し、あるいは膝を折る中で。
一人だけ恐怖に耐えた者がいた。
それは俺の標的である公国軍司令官その人だ。
苦しげに胸を押さえ荒い息を吐きながら、彼は手にした杖を支えに何とか立ち続けていた。
「ぐっ……!」
司令官がよろめいた拍子に首飾りが足元に落ち、そのまま砕け散る。
おそらく精神攻撃に抵抗するための魔道具だろう。
これだけの大軍を率いる司令官なら、そういう物を持っていても不思議はない。
「これなら、どうだ……!」
司令官は震える手を懐に差し入れ、何枚かの札を取り出した。
見覚えのあるデザインだ。
忘れもしない、俺の戦闘能力のほぼ全てを封じる忌々しい『魔封じの護符』。
それらが司令官の手元で光を放ち、そして――――
「………………ッ」
何も起こらなかった。
当然だ。
俺は自身が抱える致命的な弱点を放置できるほど心臓が強くない。
<闇魔法>系統の魔法抵抗力を大幅に上昇させるネックレス。
攻撃魔法を含む魔法全般を軽減するブローチ。
身に着けるそれらは旅行直前、フィーネの助力を得ながら辺境都市の西通りを駆けずり回って手に入れたものだ。
もう1つの目的は果たせなかったが、こちらはどうやら役に立ったようだ。
「終わりか?」
「なぜ……」
歩み寄る襲撃者を睨む司令官の視線に、先ほどまでの威厳と迫力はなかった。
俺は歩みを進めながら、彼の言葉に耳を傾ける。
「なぜ、帝国に与する……!帝国が、我らにどれほどの……ッ!」
そこから先は咳き込んで言葉にならなかった。
続く言葉が何であれ、俺の答えは変わらないだろうが。
「理由はきっと、貴方と同じだと思う」
「なに……?」
「俺はただ仲間を守るため、仲間を危険に晒す貴方たちを排除するためにここにいる。立つ場所は違っても、貴方だってそうだろう?」
足を止め、右手に『スレイヤ』を召喚した。
司令官は逃げられない。
先ほどまでは立場が邪魔をして。
今ではもう、この場から退避するための現実の力が残されていなかった。
「公国の境遇には同情はするが、ここから先の戦争に意味はない。その首、貰い受ける」
俺は剣を肩に担いだ。
柄に左手を添え、軽く振るだけで公国は終わる。
それを阻む力が、公国には残されていない。
そのはずだった。
「…………けるな」
消え入りそうな声は、背後から聞こえた。
半身で振り返ると、最も近い位置で<フォーシング>を浴びたはずの公国騎士団長が朦朧としながらも意識を保ってこちらを睨んでいる。
代わりに神聖な力を纏う鎧と磨き抜かれた盾は黒く染まって砕けていた。
司令官の首飾りと同じく<フォーシング>を受けて破壊されたそれらは、装備者を守るという役目を不完全ながら果たしたのだ。
男の目から、鼻から、口から。
真っ赤な血がこぼれ落ちる。
<フォーシング>にこのような効果はない。
おそらくは彼自身のスキルか魔道具によるものだ。
それを向けられる俺にはわかる。
これはきっと、限界の超越と引き換えに何かを犠牲にするような――――そんな力だ。
「フざ、けるナッ……!!帝国ノ、狗メ!!」
魔力感知が不得手である俺にもはっきりとわかる。
公国最強を名乗る騎士の魔力が数倍に膨れ上がった。
手にした剣に刻まれた紋様が光り輝き、ほとばしる魔力が荒れ狂う。
盾が欲しい。
一瞬、そんな場違いな考えが浮かぶくらいの暴威が、俺に向けて放たれた。
「我ラの正義、思い知レえエエああアアアアアッ!!!」
燃えるような赤い光を帯びた剣。
呪詛と共に横薙ぎに振り抜かれたそれは、俺が絶対の信頼を置く<結界魔法>すらも斬り裂いた。
そして――――
「…………ソ、ンな……」
<結界魔法>が砕ける音とともに赤い光が霧散し、力を失った剣はゆっくりと地に墜ちた。
背中を冷や汗が伝う。
公国騎士団長の捨て身の一撃は、幼竜のブレスすら耐える<結界魔法>をたしかに斬り裂いた。
今まで俺が受けた中で、間違いなく最高威力の攻撃だった。
しかし――――それでも足りない。
世界は怒りも正義も踏みにじり、極めて平等に裁定を下す。
決死の領主軍は、数万の公国軍を退けることができない。
大義を掲げる公国は、強大な帝国を打倒することができない。
目の前で起きた現実も同じだ。
公国騎士団長が命を燃やして斬り裂いた<結界魔法>は、わずかに1枚。
俺に刃を届かせたいなら、優秀な騎士の魔力を数倍した程度では話にならない。
「見事」
俺は公国最強の騎士に正対して剣を構えた。
すでに防具の効果は感じられず、彼を<フォーシング>で無力化することもできる。
しかし、目の前の男は公国騎士団長で、公国最強の騎士で、そして公国の希望なのだろう。
生かしておけば、公国軍を動かす力となる。
<強化魔法>を全力で行使すると『スレイヤ』が青い光を纏う。
気のせいだろうか。
青の光が、いつもより強い輝きを放っているように思えた。
「ばか、な……」
奇しくも赤と青の共演。
並べて語るには少々こちらの迫力が足りないが、力尽きた騎士を両断するには十分だった。
公国騎士団長を斬った後。
公国軍司令官の首を刎ね、近くで恐怖に震えていた貴族や参謀、軍高官と思しき者たちに次々と止めを刺した。
一瞬だけ誘拐の文字が頭を過ったが、俺が司令官なら自分ごと殺せと兵に命じる。
実行しても、成算はほとんどなかっただろう。
時々広場に飛び込んでくる騎士や兵士の集団を<フォーシング>で縛り、司令官の杖や騎士団長の魔法剣などの証拠品を確保すると、俺は速やかに撤退戦に移行した。
司令部を潰した以上、長居は無用。
騎士や兵士だけでなく部隊長級も相手にせず東を目指し、行きと同じくらい<フォーシング>を発動して陣地の端にたどり着く。
しかし――――それが、長い戦いの始まりだった。
往路で放置した迎撃部隊の両翼に食いつかれ、苦心して無力化する間に陣地から続々と援軍が押し寄せる。
軍ならばまとまって攻めて来ればいいものを、指揮をする者がいないのかバラバラのタイミングで襲われたために一度の<フォーシング>で巻き込める数が少なく、費用対効果は極めて劣悪。
かと思えばどこに隠れていたのか、まとまった数の魔法兵から十字砲火を浴び、<結界魔法>どころかガントレットとグリーブまで防御に使わされる始末。
点々と置かれた篝火を蹴り倒して宵闇に紛れようとしても、馬鹿みたいな数の魔導砲から放たれる照明弾が月夜を昼間に塗り替え、平原は魔導砲と魔法使いが炎と暴風を撒き散らす地獄と化した。
たまらず西へ戻って魔導砲兵を狩り始めれば、それを狙いすましたかのように矢が雨あられと降り注いだ。
無限に湧いてくる公国兵に焦燥が募る。
しかし、帰路を考えると纏わりつかれたまま東へ向かうことはできなかった。
そんな時間がどれほど続いたか。
いつしかスキルの維持と発動以外に集中力を振り向ける余裕がなくなり、場当たり的な対応しかできなくなっていた。
<強化魔法>は節約を考えず常時全力で行使し、動いている敵兵が視界に映ればその瞬間に全方位に<フォーシング>を発動し、飛来する矢が見えれば<結界魔法>を全力で展開した。
魔力の消費は加速度的に増加し、膨大だったはずの魔力残量は普段の水準を割り込んだ。
そこまでやっても防御しきれず、何度か魔法の直撃をもらう場面もあった。
それでも戦い続けることができたのは、きっと辺境都市の騎士たちとの訓練があったからだ。
何時間も絶え間なく続く戦いの厳しさと、それを戦い抜いた経験がなければ、どこかで集中を切らして不覚をとったに違いない。
魔導砲兵を殲滅し、魔法兵と弓兵の部隊を壊滅に追い込むと、回避のために機動力を確保する必要がなくなった俺はひたすらに『スレイヤ』を振るった。
兵士も騎士も、向かってくる者は全て斬り捨てた。
無我夢中で戦い続けた。
平原に静寂が戻ったとき、東の空は白み始めていた。
◇ ◇ ◇
ボロボロの防具と服を保管庫に送り、下着姿で川に飛び込んだ。
たった200メートルかそこらを泳いで渡るために、予想以上に体力を奪われた。
疲れ切った体を叱咤し、なんとか対岸まで泳ぎ切る。
もう一度服を着るのも面倒になり、一晩でボロ切れ同然になった認識阻害の外套だけを羽織った。
基地内を通り抜ける最中、下着に外套という変態のような恰好を目にした者たちが何か言った気がするが、それに応える余力はなかった。
「あんた、その怪我!?」
「悪い……、あとでな……」
夜番をしていたネルが血相を変えて何かを叫んでいるが、ゆっくり会話できる状態ではなかった。
風呂に入りたい欲求と今すぐ眠りたい欲求が脳内で激烈なバトルを繰り広げ、僅差で勝ったのは睡眠欲。
濡れ鼠のままテントに入り込み、外套を脱ぎ捨てて空いている方のベッドに倒れ込んだ。
「…………?」
いつもと違う匂いがした。
もしかしたらネルのベッドかもしれない。
けれど、ベッドを呼び出す時間も惜しかった。
文句を言われても身体が沈むように重く、もう目蓋を開けていられない。
後で謝るから勘弁してほしい。
「おつかれさまでした、アレンさん」
心地良い声が聞こえ、頬に柔らかい何かが触れた。
意識は闇に吸い込まれるように落ちていった。
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