第353話 単鬼夜行
時刻は深夜。
宵闇に紛れ、俺は泳いで川を越えた。
公国軍が陣地の前方に置いた数千の兵を擁する迎撃部隊の位置は、部隊の入れ替えを経ても変わらないまま。
平原に点々と設置された篝火は、川辺にいる俺の姿を照らさない。
悠々と『セラスの鍵』から召喚した服を着込み、『スレイヤ』以外の装備を全て身に着け、認識阻害の外套を羽織った。
「ふう……」
川の西岸、荒れ果てた平原の東端から西を望む。
公国軍の迎撃部隊は視界を確保するために十分な灯りを用意しており、その陣容はこちらからも見て取れた。
中央、右翼、左翼と配置された部隊はそれぞれが前哨戦で対峙した部隊全体と同程度の規模を有し、戦線は一人の冒険者が担うにはあまりにも広い。
仄かな影だけを伴に、ゆっくりと平原を西へ。
風は穏やかに流れ、空を見上げれば綺麗な月が浮かぶ。
篝火が俺を照らすまで、つかの間の散歩を楽しんだ。
「さて……」
襲撃を告げる笛の音が平原を渡り、夜が動き出す。
一度目の奇襲を経てもまさかという感情は抜けきらないらしく、公国軍から困惑が伝わる。
それでも対応に抜かりはない。
速やかに戦闘態勢に移行した迎撃部隊は、襲撃者の動向に神経を尖らせた。
緊張が高まる中、俺はまだ平原を歩いていた。
篝火を倒しもせず悠々と大地を踏みしめる。
誰何の声は聞こえない。
代わりに中央の部隊から一斉に魔法が放たれた。
「開戦だ」
魔法兵部隊が放つ斉射が整然と面を形成してこちらに迫る。
魔法の制圧範囲を抜け出すため、俺は敵軍の正面へと駆け出した。
公国軍前衛との距離は目算で150メートル程度。
魔法兵を正面に出さないのは魔法銃を警戒されたからか。
魔法兵が標準的な射程を備えているなら、その位置は前衛から50メートルほど奥になる計算だ。
まずはこれを無力化するのが最優先。
背後で魔法の雨が平原を砕く轟音の中、指揮官が何事か指示を発すると、公国軍部隊が陣形を変える。
それは一個の巨大な生物のように大口を開け、襲撃者を飲み込もうと蠢いた。
(俺一人のために左右も動かすか……)
中央の部隊へ正面から突入する襲撃者に対して正面の部隊は動かずに待ち構え、両翼の部隊は翼を傾けた。
後続を警戒して前衛を東寄りに押し出しつつ、弓兵と魔法兵を含む本隊は正面の部隊と共に高密度のキルゾーンを作り出す。
本命の攻撃はおそらく彼我の距離が100メートルを切ってから。
弓の射程圏内に入ってからが本番だ。
そして――――
「放て!!」
指揮官の命令と共に、魔法と矢が一斉に放たれた。
数えるのも馬鹿らしくなるほどの密度で打ち上げられた攻撃は、数秒後に着弾地点にいる者を粉々に砕いて大地の染みに変えるだろう。
もちろん回避や<結界魔法>でどうにかなる数ではない。
だから――――
「なっ……!?」
更なる速度を求め、初めて全力で地を蹴った。
『スレイヤ』の超重量から解放された俺は地を撫でる風となり、魔法も矢も置き去りにして公国軍に襲い掛かる。
最も攻撃密度の高い空間は遥か後方。
流れ弾をいくつか回避すれば、驚愕で彩られた前衛の表情がはっきりと見える距離にある。
「構えっ!!」
二射目は間に合わないと見た指揮官は襲撃者を受け止めること前衛に命じた。
それは決して悪手ではない。
平地での戦いにおいて数の暴力で圧殺するという戦術はむしろ定石で、公国軍部隊の指揮官にとっては常識が導き出す最善手だった。
数千の兵を擁する部隊に対して突撃という暴挙に出た襲撃者はたったの一人。
中央の前衛が多少の被害を出しながら受け止め、その間に両翼が背後に回るだけで包囲は完成する。
襲撃者が、邪教徒も青ざめる凶悪な<フォーシング>使いでさえなかったら、それで十分だった。
(運が悪かった……)
少数の冒険者が先遣隊を撃破したという情報が伝わっているからこそ、明日の攻勢に配置すべき兵力を割いて夜間の迎撃体制を強化したのだ。
例え指揮にミスらしいミスがなくとも、突破を許した指揮官には重い処分が下されるはず。
これから公国軍を襲う災禍を思えば、物理的に首が飛んでも不思議はない。
許してほしいとは言わない。
名も知らぬ指揮官の立場を慮って危険を冒す余裕など、俺にはないのだ。
『跪け』
言葉に乗せられた魔力は正面の部隊へ向けて拡散し、兵士たちを恐怖で縛り付ける。
凍り付いた前衛の間をすり抜けて後方に浸透すると偶然にも正面に指揮官を発見し、逡巡の末『スレイヤ』を召喚して駆け抜けざまにその首を刎ねた。
数千の兵士を統率する騎士ならヒラではあり得まい。
どうせ処刑される運命だろうが、見逃す理由もなかった。
弓兵や魔法兵は全てを処理するには多過ぎるので目を瞑る。
『スレイヤ』を保管庫に送り返して彼らの横を駆け抜けると、すぐに部隊の後方へ抜けた。
「なんだ、みんなどうしたんだ!?」
「おかしい、一体何が――――」
動いている兵士たちを巻き込むように二度目の<フォーシング>を行使する。
沈黙する兵士を振り返りながら、俺は効果範囲の目算を修正した。
(ここまで密集してると、効きが甘くなるか……)
<フォーシング>の射程は効果範囲を絞るほど長くなる。
全方位への拡散がおよそ70メートル。
角度を前方60度くらいに絞ると100メートル強。
一人に収束するときはもっと伸びるかと思いきや、制御が難しいので30メートルがいいところ。
一度目は正面の部隊を後方まで巻き込める位置から発動したつもりだったが、対象である兵士自身が障害物となって魔力の浸透を阻害したのかもしれない。
込める魔力量に、もう少し余裕を持たせる必要がありそうだ。
「何が起きた!?」
「襲撃者、後方に抜けています!」
両翼の部隊は効果範囲外であるため、包囲されるはずの襲撃者が正面を突破して後方に出現したことに理解が及ばない。
しかも、包囲に向けて部隊を東寄りに動かしていたため中央部隊の後方はガラ空きだ。
両翼からの攻撃が届く範囲を駆け抜け、背後を振り返ることなくさらに西へ。
およそ1000メートルの距離を1分ほどで詰めて敵陣地に肉薄するが、勤勉な見張りはすでに襲撃者の姿を捉え、けたたましく鐘を鳴らしている。
「まあ、仕方ない」
俺は暗殺者ではない。
気づかれずに陣地に侵入することは最初から諦めていた。
警鐘に誘われて陣地外縁に現れた兵士を見張り諸共<フォーシング>の餌食とし、俺は陣地に飛び込んだ。
陣地と言っても侵入者を阻むための構造物は前哨戦で破壊し尽くした後。
一昼夜で用意された防御陣地の強度などたかが知れている。
元々陣地まで攻め込まれることなど想定しておらず、明日には対岸に渡るつもりでいたのだろうから造り込みも甘い。
そのツケを払うことになった公国軍陣地はハチの巣をつついたような騒ぎだ。
遠くで飛び交う罵声や怒号から陣地の混乱具合が窺い知れる。
しかし――――
『動くな』
騒動の中心にいる俺の周囲は、台風の目のように無風状態を保っていた。
数十メートル進むたび、動く兵士を見つけるたびに発動する<フォーシング>は確実に行動不能を強要し、公国軍の機能を麻痺させる。
一般兵と思しき兵士の横を素通りし、騎士や幹部と思しき者を選んで一突き。
低い柵を飛び越え、崩れた天幕を踏みつけてさらに西へ。
(魔力の消費は許容範囲、か……?)
俺が能動的に発動するスキルのうち最も消費が大きいのは当然ながら<フォーシング>だ。
一度発動すれば維持が容易な<強化魔法>や基礎消費が控えめな<結界魔法>と違い、<フォーシング>は発動のために最低限必要な魔力量が多く、しかも一度拡散させた魔力は戻ってこない。
<結界魔法>のように連発するスキルではないので普段は消費など気にならないのだが、今夜は数十回かそれ以上の発動が見込まれるため無計画に使うことはできなかった。
ここまで<フォーシング>の発動回数は5回。
そして、現在の魔力残量は体感で115~120%程度だ。
「……………………」
やる気120%とか、そういう精神論の話をしているのではない。
魔力は全回復したらそれ以上回復しないのは常識で、それは非常識な魔力量を誇る俺であっても同様だ。
余剰魔力を外付けのタンクに溜め込むような魔道具はどこかにありそうだが、あいにく俺の手持ちにそういった効果のアイテムは存在しない。
にもかかわらず俺の感覚は現在の魔力残量が普段の4倍程度であると訴えていた。
普段の魔力残量は総量の30%だ。
消費して30%を下回ると早々に30%に戻すが、寝て起きても30%を超えることはない。
つまり、普段の4倍というのはあり得ないはずなのだ。
これが意味するところは、つまり――――
(フロルぅ…………)
魔力会計の粉飾決算が判明した。
毎日膨大な黒字を垂れ流すに任せ、どんぶり勘定どころか会計簿すら存在しない粗雑な経営をしてきたが、これを機にメスを入れなければならないか。
なお、夜襲の実施に伴い本日夕方からフロルのご飯供給は一時停止されている。
決して懲罰の意図はなかったのだが、期せずしてクリティカルになったかもしれない。
それはさておき。
『止まれ』
全方位に向けて<フォーシング>を発動するたびに50メートルほど進むことを繰り返し、今の発動で多分20回目。
魔力残量は気にしなくても良さそうだが肝心の司令官が見つからない。
天幕の入り口にある旗やら飾りやらを確認し、それが豪華な天幕ほど偉い奴がいるということはすでに理解した。
しかし、軍を統率する司令官や参謀たちの飾りなど俺が知るはずもなく、聞いたところで教えてもらえるとも思えない。
(司令官が平民と同じ天幕ってこともないだろうが……)
また一人騎士を討ち取り、溜息をこぼしながらさらに――――
(おっと……)
西へ進んだ先、陣地に突入してから初めて広場のような空間を発見した。
前回発動した<フォーシング>が効いているのは広場の近いところにいた者たちだけで、多くの騎士や兵士は突然恐怖に侵された仲間の変化に戸惑っている。
開けた場所を進むのは多少の危険を伴うが、広場の奥に見えたひときわ豪華な天幕に誘われて俺は一歩を踏み出した。
「何者――――」
『跪け』
最後まで言い切ることもできず、騎士はよろけて膝をつく。
サッと走らせた視線は豪華な天幕の近くにらしい集団を捉えた。
本人の服装。
取り巻く者たちの焦燥。
それらを襲撃者から守るように前に出た騎士たち。
おそらく、アタリを引いた。
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