第352話 望む
「覚えてるか?俺たちが初めて組んだときのこと」
「もちろん。火山で盗賊と妖魔を退治したね」
「依頼のメインは調査だったけどな」
「そうだったかな?あれからまだ半年なのに、もうずっと昔のことみたいだよ」
「黒鬼に遭遇したとき、お前は<アラート>のことを俺に話しただろう?」
「ああ、そうだね。それがどうかしたかい?」
「どうしたもこうしたもない。あれで俺が、どれだけ救われたか……」
「…………」
「<結界魔法>のこと……。誰かに話したのは、あれが初めてだったんだ」
「へえ……、それは光栄だね」
「知られると対処されると思った。だから言えなかった。でも言わなければ、俺は<強化魔法>しか使えない雑魚だ」
「そんなこと、ないと思うけど……」
「何度も裏切られて、人を信じられなくなって、パーティを組もうとしても上手くいかない。今だって、人を信じられないのは治ってない」
「疑り深いよね、アレンは」
「ああ、そうだ。そんな俺でも、こうしてパーティを組んで面白おかしく暮らせるようになった。お前のおかげだよ、クリス」
それはきっと、多くの人に助けられた結果だ。
その中には、確実にクリスも含まれているのだ。
「お前は人を不幸にするばかりじゃない。俺はお前に救われた。お前のおかげで、俺は理想に近づいた。今もまあ、そこそこ幸せだ」
「…………ははっ、そこそこって、なにさ」
「そりゃそうだろ……。戦意もないのに最前線で踏ん張ってる誰かさんのせいで、せっかくの幸せが今にも逃げて行きそうだ」
「…………ごめん」
「謝るな。俺が言いたいのは、お前は死ぬ必要なんてないんだってことだ」
「ごめ…………ッ」
「ったく……。ついでだから、酒の肴のほかに、もう1つ約束しろ」
「約束が、多いね。まあ、構わないけど……」
「目の前の軍勢、あれを退けることができたら……、そのときは自分を許してやれ」
「…………」
「あれがここを素通りしたら、敵も味方もどれだけ死ぬと思ってる。それを救うんだから、罪滅ぼしには十分だろ」
「……そうなっても、全てが僕の手柄じゃないと思うよ」
「軍の成果は司令官の成果だ。知らなかったのか?」
「強引だね、アレンは……」
「……わかったよ、約束しよう」
「ご歓談中、失礼します」
クリスから望む言葉を引き出し、ゆっくりと安堵の溜息を吐き出したとき。
会話が途切れるのを見計らっていたか、ライアンの声が耳に届いた。
「……ああ、すまない。話は済んだ」
手早くティーセットを片付け、保管庫に収納する。
緊張で強張っていた両脚を手で揉みながら立ち上がり、大きく空に向かって伸びをした。
「アレン、何をするつもりだい?約束を押し付けるばかりで自分は守らないなんて、そんなのは許さないよ?」
クリスは立ち上がり、服の皺を整えながらも眉をひそめた。
絶対に虚偽は許さないという真剣な想いが、言葉以上に視線から伝わる。
「ネルの身の安全は保障する。いざとなったら箱に詰めて辺境都市に送り付けてやるさ」
「それのどこが安全なのさ……」
けらけらと笑う俺に、クリスは呆れて溜息を吐いた。
最近クリスも溜息が増えた気がする。
俺の癖が移ったのだろうか。
「何なら簀巻きにしてお前の部屋に放り込むか?どうせ戦争は明日からだ。今夜くらいは楽しんだっていいだろ?」
「……魅力的な提案だけどやめておくよ。放り込まれたら本当に手を出してしまいそうだ。それはネルちゃんに悪いし、失礼だ」
そうだろうか。
出会った当初ならともかく、今なら大人しく簀巻きにされるような気もするが。
「アレン様、申し訳ありませんが」
ライアンは先ほどより少し強い口調で俺を咎めた。
どうやらクリスを連れて司令室から出て行きたいらしい。
部外者である俺がここに残っていると困るようだ。
しかし、部屋の主である司令官閣下は、寛容にも部下の言葉を撤回した。
「構わない。ここが一番良く見えるから、好きなだけいると良いよ」
「しかし……」
「何を心配しているんだい?価値のある物なんて、もう何もないだろうに」
クリスは司令室の中に視線を向けた。
じっくり調べたわけではないが、たしかに司令室の役割を果たしているとは思えない部屋だった。
盗む価値がある物は、公国軍が残さず持ち去ったのだろう。
「はっ!失礼しました!」
「悪いな。長居はしないようにするから」
ライアンを伴って立ち去るクリスの背を見送ると、俺はゆっくりとバルコニーの柵へと近づいた。
◇ ◇ ◇
バルコニーの柵に寄りかかり、しばらく西方を望む。
状況はネルと一緒に偵察したときから全く変わらない。
何度確認しても、平原を埋める大軍はそこにあった。
「ふう……」
空を見上げた。
天気は快晴、風は穏やか。
これ以上ないくらい絶好の狩り日和だが――――仲間と狩りに行きたいなら、目の前の大軍をどうにかしなければならない。
「さてと……」
右手を見やる。
手の甲にはフロルが刻んだ深い青色の紋章。
手首には4色の宝石が埋め込まれた『セラスの鍵』。
そして『セラスの鍵』の少し手前、鎖のような水色の紋様が俺の右腕を縛っている。
ラウラが施した、<フォーシング>を封印するための術式だ。
「…………」
<フォーシング>。
これほど英雄に相応しくないスキルはほかにない。
だから俺は、このスキルの使用に関して2つのルールを自身に課した。
1つ目は、<フォーシング>の使用を知られないこと。
俺は冒険者アレンが英雄に相応しくないスキルを保有していると知る人間が残る状況では、極力スキルを使わないようにしてきた。
知った人間の口を封じられる状況でのみ、行使してきたと言い換えてもいい。
邪教徒の技術を盗み、訓練によってスキルを自分のものとし、周囲を巻き込まずに発動できるようになってからは、半ば死文化したルールだ。
そして2つ目は、自身の価値観に照らして悪と判断できる相手にしか使用しないこと。
それは英雄を目指すなら、絶対に踏み外してはならないルールだった。
宿場町の宿屋。
夜の大街道。
ギルド裏の訓練場。
このルールを破ったことは一度もない。
だが、俺がこのルールに縛られている限り、現状を打開することはできない。
ネルの言う通り、剣士としての俺に数万の軍勢をどうにかする力など、ありはしないのだから。
(ここまで、か……)
大規模に<フォーシング>を行使すれば、領主軍と冒険者たちは間違いなくスキルの性質に気づく。
それが<フォーシング>だと知らなくても、俺が凶悪な精神攻撃を使うことは知られてしまう。
有名人のスキャンダルのように際限なく拡散する情報は、英雄への階段を這い上がろうと藻掻く俺の足を掴み、奈落へと引き擦り込むだろう。
危険人物の烙印を押され、今後の冒険者活動に支障を来す可能性だって低くない。
そして何より、敵軍というレッテルを貼って誤魔化してきたが、公国軍の兵士たちは悪ではない。
俺は自らに課したルールを、自らの意思で破ることになる。
それでも――――
「俺の負けだ、ラウラ」
俺は、このスキルに感謝した。
ああ、そうだ。
ラウラの言う通り、また俺はこれに頼ろうとしている。
自分で決めたことすら守れない情けない俺を、あいつは喜々として嘲笑するだろう。
目を閉じれば、その様子がはっきりと目蓋に浮かぶ。
しかし、不思議と気分は晴れやかだった。
「……………………」
英雄。
二度目の人生、俺は幼少からそれを目指して生きてきた。
その結果は、お世辞にも順調とはいえない無残なもの。
立ち止まり、迷い、理想から遠すぎる自分に気づいた。
呆然とし、焦りを覚え、ただひたすらに英雄らしくあることを望んだ。
放浪の果てに辺境都市に帰還した後も、根幹は変わらない。
英雄らしく、もっと英雄らしく。
そうやって必死に藻掻くうちに――――いつしか、決意だけが先に進んでいた。
(死なせるのが嫌だから別れるなんて、バカを言ったこともあったっけ……)
今はもう、目を逸らしても意味がない。
欺瞞で自分を騙せる段階は、とうに過ぎた。
ここで道を分かてば、クリスは死ぬ。
それは避けようもない現実だ。
だが、認めるわけにはいかない。
クリスは、俺を疑念の連鎖から解放してくれた大切な仲間だ。
こんなところで失うなんて、絶対に認められない。
「………………」
英雄。
それは、憧憬と無念が生んだ願望だ。
現実に否定され、手放した理想。
現実を否定するため、手を伸ばした理想。
幼き日、ぼやけた2つの理想に英雄譚の主人公を重ね、強く焦がれた。
余裕のない日々を過ごすうちに、そんなことすら忘れてしまっていた。
英雄らしくあることを捨てるか。
仲間を見捨てるか。
迷う必要もない二択に、だから惑わされてしまう。
「…………笑わせる。仲間すら守れないで、何が英雄か」
右手を強く握り締める。
冒険者として積み上げた過去。
その先にあるはずの輝かしい未来。
俺が望んだのは、そんなものじゃなかった。
ただ、守りたかった。
目の前で砕かれる現実を、守るための力が欲しかった。
そのために、俺は――――
英雄に、なりたかったんだ。
「――――ッ!!」
右腕の鎖を左手で握り締め、紋様に膨大な魔力を流し込む。
微かな抵抗の末、封印は力を失い、不可逆的に崩壊を始めた。
鎖が砕ける感覚に従い、魔力を込め続ける。
封印が完全に破壊される間際――――水色の鎖は強い光を放ち、俺は眩しさに耐えきれず目を閉じた。
「…………ッ」
目蓋を通して伝わる光は徐々に収まり、俺はゆっくりと目を開ける。
右腕に水色の鎖はない。
その代わり、鎖があった場所に、何者かの影が差した。
「ふーん……?」
そこにいたのは、封印の主。
藍色の長い髪を揺らし、宙に浮かぶ精霊。
ボロボロの基地を。
地を埋め尽くす公国の軍勢を。
そして封印を解いた俺を。
見透かすように眺めたラウラは、心底つまらなそうに呟いた。
「英雄は、もういいんだ?」
人を馬鹿にするような間延びした口調も、煽るような笑顔もない。
ラウラは察したのだ。
俺が公国軍を排除するために<フォーシング>の使用を決めたことを。
それは俺が目指していた英雄と、決して両立しないことを。
彼女の視線が求めるまま、俺は答えを口にする。
「……ああ、そうだ」
「………………」
ラウラは何も言わなかった。
ふらりと力なくバルコニーの柵に腰掛け、こちらを見つめる彼女の瞳。
そこに浮かぶのは、純粋な失望だ。
育てていた花が枯れてしまったときのように。
線香花火が終わってしまったときのように。
落胆を隠そうともせず、ただそこにある燃え滓を眺めるラウラを見つめ返し、俺は口を開いた。
「――――なんて、言うとでも思ったか」
「え……?」
予想外の言葉に目を丸くするラウラ。
その瞳に映る、英雄見習いの少年が笑う。
たしかにそうだ。
これから俺が手を染めるのは、人々が思い描く英雄から程遠い行為。
きっと誰もが、俺を英雄と認めない。
しかし、そうだとしても俺の答えは変わらない。
「他人が思い描く英雄なんて知ったことか。英雄譚の主人公なんてクソ喰らえだ」
理解が追い付かず、呆然とするラウラ。
それはそうだろう。
俺がこれまで目指していた英雄は、たった今否定したばかりの、人々が漠然と思い描く英雄譚の主人公そのものだった。
目標が遠すぎて、到達点を想像することができなかったから。
取り柄もない、その日の宿代にすら事欠く底辺冒険者に、具体的な英雄像を思い描くことなど不可能だったから。
だから、俺がなりたかった英雄は霧のようにあやふやで、具体性を欠いていたのだ。
だが、それも過去のこと。
この半年間で、俺を取り巻く環境は劇的に変わった。
希望に触れた。
信頼できる仲間に出会った。
命を預けられる強力な武器を手に入れ、現実を否定するための力を身につけた。
それらを束ねて上級冒険者となった俺は、ようやく自身がなりたい英雄を描ける場所に立った。
ならば、今がそのときだ。
「今ここで、幻想の英雄に形を与える。俺がなりたい英雄を、俺自身が定義する」
ここは現実だ。
綺麗ごとを並べて取りこぼし、悲嘆に暮れるような間抜けはお呼びでない。
厳しい現実に立ち向かう英雄に必要なのは、抗うための力。
血に塗れても恐怖されても、望みを貫く強い意志。
だから――――
「守りたいモノ全てを守り抜く者。それだけが、俺が望む英雄の定義だ」
散々に迷走し、のたうち回った末の原点回帰。
遠回りで無様で、なんと俺らしいことか。
だが、たとえ手遅れ寸前であろうと、覚悟は決まった。
ここから先、俺が英雄になるために必要なら、いくらでも手を汚してみせよう。
恐怖されてもいい。
罵倒されてもいい。
俺が英雄に至る道のりに、煌びやかなカーペットは必要ない。
返り血を浴び、屍を踏み越え、茨に覆われた道を歩んだ先で。
いつか、その場所に辿り着いてみせる。
今、このとき、この場所で。
俺の中の英雄が、産声を上げた。
「……………………」
俺とラウラの間に、沈黙が落ちる。
彼女は目を閉じて、ゆっくりと俺の言葉を飲み込んでいた。
そして――――
「くふ……」
ラウラは笑った。
ただただ本心から、楽しそうに笑った。
「うふふ、ふふ、はは、あははははっ!」
狂ったように笑い続けるラウラ。
彼女が笑い疲れるまで、俺は黙ってそれを見守った。
心ゆくまで笑い続けた彼女は、やがて大きく息を吐いた。
「はー……。ほんっとに最高だよ、アレンちゃんは。そんな身勝手で独善的で傲慢な英雄、きっとどこにもいないよ」
「だろうな」
「それでも――――」
英雄に、なるんでしょう?
本当に楽しそうな笑顔で、ラウラはいつかの問いを重ねた。
俺の答えは、もちろんあのときと同じ。
「ああ、そうだ」
今度は照れたりなんかしない。
しっかり考えて、導いた答えだ。
「はあぁ…………」
ラウラは恍惚とした表情で頬を染め、満足げに溜息を吐いた。
相も変わらず俺を娯楽扱いする鬼畜精霊を憮然として睨むと、彼女は柔らかい微笑を浮かべる。
「ごめんごめん、そんな顔をしないでー」
ともすれば俺から魔力を吸収するときよりもずっと上機嫌なラウラは、宙を泳いで俺に纏わりついた。
「楽しませてくれたご褒美に、お姉さんがひと肌脱いであげちゃうよー」
「……何をするつもりだ?」
自信ありげなラウラを胡乱げに見やる。
『鋼の檻』を魔法ひとつで殲滅してのけたラウラとて、数万の軍勢は荷が勝つと思うが。
「まあ、普通ならちょっと厳しい数だけど。この状況ならやってやれないことはないよー」
「そうか。なら、用意だけ頼む」
「用意だけって、どうするつもりー?」
バルコニーから基地内へ戻る俺に、宙を泳ぐラウラが追随する。
すれ違う騎士や兵士たちは驚いたり二度見したりと忙しいが、気に留めず歩き続けた。
「俺は、俺が英雄になるために必要なことをやる。お前はあくまで手伝い。上手くいかなかったときの予備ってことだ」
「くふふ、それでこそアレンちゃんだよねー。それで、どうするの?正面から行っちゃうのー?」
「行くわけないだろ、アホか……」
「えー、アレンちゃんひどーい」
俺には正面切って数万の軍勢を滅ぼすような力はない。
しかし、そんな俺にだって、できることはある。
それは――――
「夜襲だ。数万の軍勢も、動かせる人間がいなければ動かない。司令官と参謀連中、夜明け前に全員始末してやる」
「わー、流石はアレンちゃ……ん?」
棒読みのよいしょの後で、ラウラは疑問符を浮かべる。
「夜だって警戒はあるし、見晴らしのいい平原でこっそり陣地に侵入する技術なんてないでしょう?それは正面から行くのと何が違うのー?」
「…………」
俺は口をへの字に結んで歩き続ける。
ラウラがこぼした素朴な疑問は、誰にも拾われず基地の通路に霧散した。
◇ ◇ ◇
ラウラは準備があるとか言い残してどこかへ消えたので、俺は一人で野営地に戻る。
ティアとネルは焚火を挟み、無言で対峙していた。
ネルは思い通りにならない現実に歯がみし、ティアは普段通りの微笑を浮かべている。
結果を聞かずとも、二人の様子から話し合いが平行線で終わったことは察せられた。
「戻った」
「おかえりなさい、アレンさん」
「…………」
ティアの横に腰を下ろすと、彼女は焚火にかけていた金属容器の中身をコップに注いでくれた。
昨夜、夜番の暇を紛らわすために作ったスープの残りだ。
ティアもネルも無言のまま。
基地の外で野営をしていたE級冒険者の数は当初の半分以下にまで減っており、話し声もない。
俺がスープで一息つく間、焚火の音だけが聞こえていた。
「今夜、少しやることがあるから俺は外す。夜番は二人に任せる」
前置きもなしに本題を告げた俺に、二人から視線が向けられる。
その表情はやはり対照的だった。
ネルは目を見開き、何か言いかけては口を閉じることを繰り返す。
ティアは微笑を浮かべたまま、しかしその瞳はどことなく寂しげだ。
「私たちに、できることはありませんか?」
「今夜のところは大丈夫だ。ただ、夜が明けたら野営地を片付けておいてくれ。明日はどう転んでもここで寝ることにはならないだろうから。ああ、もちろん戦闘準備も忘れずにな」
「……わかりました」
「頼む。俺は夜まで寝る」
俺は空になったコップをティアに預け、テントに引っ込んだ。
背中に感じる視線には、気づかない振りをした。
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