第349話 前哨戦ーリザルト2




 浴槽の横に棚を置き、最後に浴びるためのお湯もたっぷりと確保する。

 掛け湯をして手拭で雑に泥と汗を流し、俺は満を持して浴槽に身を沈めた。


「あー……、生き返る……」


 入浴時、別に死んでいたわけでもないのに生き返ると口にしてしまうのはなぜだろうか。

 元日本人が持つお風呂マインドが瀕死だったのだろうか。

 ティアとネルもお風呂が好きだから、日本は関係ないだろうか。

 それとも輪廻転生の中で日本人を経験し、お風呂マインドを身に着けたのだろうか。

 風呂に入ると、瞬間的に思考力が低下するのはなぜだろうか。


 そんな疑問が浮かんでは、お湯と一緒に流れていく。

 フロルが保管庫から扉を経由して出し入れする都合、普通よりも若干スリムな形状の浴槽を選んだので、あふれ出るお湯の量も相応だ。


 しかし、これでいい。

 浴槽からあふれるお湯は無駄ではない。

 これは風情なのだ。


「ああ、星が綺麗だな……」


 手拭を浴槽の縁に置き、その上に頭を置いて空を眺める。

 黄昏はあっという間に過ぎ去り、夜が取って代わっていた。


 星座の知識はないので空の形に違和感はない。

 いつだって星空は綺麗だ。

 

「たまには露天風呂もいいな」


 屋敷の裏庭かベランダに浴槽を置くのはアリだろうか。

 気が向いたらフロルにお願いしてみよう。


 浴槽内を泡だらけにしながら髪と体を洗う。

 これだけでも贅沢の極みと思いながら、浴槽のお湯を丸ごと入れ替えたいと思ってしまうのだから人間の欲望には際限がない。


 両腕と足先を浴槽の縁に乗せ、お湯の温かさと緩やかな風の冷たさを感じることしばし。

 基地の方から複数の足音が聞こえてきた。


「なにやってんだ、あんたは……」


 首だけ傾けると、ランベルトを先頭に『銀狼』のメンバーが並んでいる。

 入浴中の俺に気を遣ってか、少し離れたところで立ち止まっていた。


「知らないのか?戦争都市にも風呂文化はあるだろう?」

「戦場に、しかも野営に持ち込む奴を見るのは初めてだ」

「戦場だからこそ、衛生面に気を配ることも必要だと思うがなあ……」


 ランベルトは渋い表情だ。

 俺が風呂に入っているというだけでこの表情にはならないだろうから、何か相談があるのかもしれない。


「で、どうした?」

「……謝罪に来た」

「謝罪?」

 

 何か詫びられるようなことをされただろうか。

 そう思いながらランベルトが連れて来た面子の顔を見ていると、ミラベルの口元に赤い汚れがあることに気が付いた。


 ランベルトとマリーの表情もあわせて、俺は用件を察する。


「別に謝られるようなことじゃあないと思うが」

「そういうわけにもいかねえ」

「戦争都市の冒険者として?」


 ランベルトは沈黙した。

 そんな変なことを言ったつもりはないのだが。


「本当に、申し訳ありません。罰は、何なりと」

「いや、罰て」


 土下座したミラベルに軽く噴き出してしまったが、笑ったのは俺だけだった。

 ほかの全員が至って真剣な顔をしているので、気まずくなった俺は時間稼ぎを兼ねて手拭を絞り、ゆっくりと顔を拭う。


(さて、どうしたものか……)


 被害者(?)であり、この戦場において唯一のB級パーティを率いる俺は、これでも彼らにとっては上位者である。

 言葉を慎重に選ばないと何かとんでもない罰が執行されそうな気がするので、俺は普段以上に丁寧に話を運んだ。


「まず先に、マリーには感謝してる」

「感謝なんて、あたしは何も……」

「そんなことない。マリーが冷静でいてくれたから、俺も落ち着いて動けた」


 これは本当のことだ。

 『魔力増殖炉』を取り巻く状況が明らかにやばい方向に変化していく中で、落ち着いた声と冷静な行動が俺に幾ばくかの安心を与えたのは間違いない。

 それがなければ焦りから魔力が多く残っているうちに行動をと考えて大爆発を引き起こしたかもしれず、その爆発で俺がくたばるかどうかはさておき『魔力増殖炉』は確実に全損となっただろう。


 『魔力増殖炉』の確保に関して、マリーの貢献は決して小さくないのだ。


「出会って数日の相手にここまでできるのは本当に感心する。こんな格好で悪いが、改めて礼を言わせてほしい。そして、ミラベルだが……」

「……ッ」


 ミラベルが息を飲んだ。

 周囲に緊張が満ちるのを感じ、俺は雰囲気を和らげようと努めて笑顔で続きを語った。


「本当に、思うところは何もないんだ。捜索中にやばそうなのを見つけた結果、俺の不注意で処理し損ねた……かもしれない状況に陥っただけだ」


 そもそも『魔力増殖炉』をどうするか、十分に相談してもいなかったのだ。

 俺が剣を刺したせいで――未だに納得はいかないが――『魔力増殖炉』が起動し、あれよあれよという間にあの状況になってしまった。

 それなのに、わずか数日間の付き合いという相手のために命を捨てる覚悟で踏みとどまれなんて、どうして言えるだろうか。


 そんな思いを丁寧に説明したのだが――――


「だからこそだ」


 残念ながら、ランベルトたちの考えは違うらしい。


「元々『黎明』は俺たちが巻き込んだ。そっちの事情に付け込んで、故郷を守るために引き擦り込んだんだ。そのあんたが、都市を守るために古代魔道具の破壊なんて危険を冒したってのに、それを見捨てて逃亡なんて……許されることじゃねえ」

「それは……」


 数日前に俺がやったことをやり返しただけじゃないか、と言いかけて口を噤んだ。

 話振りからすると、『戦狼』は俺が煽らなくても参戦するつもりだったのだろう。

 少なくとも彼らにとって、この件はでは済まないのだ。


「うーん、しかしなあ……。このやり取りもお約束になりつつあるが、戦争都市の流儀なんて俺にはわからない。いきなり罰をなんて言われても困るぞ」

「戦争都市のB級なら敵前逃亡は死、良くて奴隷扱いだな」

「軍隊かよ……。そもそも奴隷の所持は違法だろうが」

「戦争都市で今更何を言ってやがる。まあ、たしかにここ数年でかなり減ったな。そのせいで、ここまで戦線を押し込まれたなんて話もあるが……」


 軽く溜息を吐き、未だに膝をついて頭を下げたままのミラベルを見やる。


(死刑は論外だし、奴隷ったってなあ……)


 若い女の奴隷なら用途は言うまでもないだろう。

 ミラベルはお調子者な印象が先行するものの、容姿は可愛い系で男に好かれそうな外見をしている。

 一晩お好きにどうぞとベッドにお供えされれば手を出さない男は少ないだろうが、そもそも彼女の置かれた状況はもらい事故のようなものだ。

 その原因の大半を占める俺としては流石に良心が痛むし、何よりは胃が持たない。


「女には困ってない。それに、指揮を取れる人間を無意味に殺すほどの余裕もない。どうしても罰が必要と言うなら一旦保留にしておくから、今後の貢献で罪を贖ってくれ」

「……ありがとうございます」


 ミラベルは深く深く息を吐いた。

 俺が何を言うか、気が気ではなかったのだろう。

 

 ランベルトやマリーを含めた『銀狼』のメンバーも同様に安堵が見られた。

 ミラベルを罰するよう進言した彼らとて、彼女を死なせたいわけではあるまい。

 戦争都市の名のある冒険者パーティとして、守るべき立場があったからこその謝罪だった。


「感謝する。だが、甘いぜ」

「甘い?俺が?」

「ほかに誰がいる」


 今度こそ噴き出して笑った。

 思えばやり過ぎを咎められることはあっても、甘いと言われたことはなかった。

 もちろん、俺の素行を知らないからこその評価だとわかってはいるのだが。


 くつくつと笑う俺をランベルトが怪訝な顔で見つめていたが、ひとつ咳ばらいして切り替えた。


「『銀狼』はもちろん、『戦狼』一同更なる貢献を約束する。引き続きよろしく頼む」


 もう一度頭を下げてから、彼らは基地へと去って行った。


 彼らとの話し合いの間、ずっと風呂に浸かっていた俺もいい加減ふやけてしまいそうなので、簀の子を置いて浴槽から出る。


「ぷはー……」


 綺麗なお湯を頭から被る。

 手拭いで雑に水滴を払い下着を身に着けると、ふと視線を感じた。

 

「うん……?」


 比較的近いところにある野営地を見ても、こちらを見ている者はいない。

 見られたところで、別に気にすることもないのだが。


「そんなとこで何やってんの、あんたは……」

「アレンさん……」


 訂正。


 俺たちのテントの影から少しだけ顔を赤くした少女が二人、こちらを見つめていた。





 ◇ ◇ ◇





 その後、俺たちはフロルに注文した料理で野営中とは思えないほど豪勢な夕食を済ませ、交代で休息をとった。

 



 状況が動いたのは翌日の昼頃。


 前線基地西側の平原に、敵の大軍が姿を現した。



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