第343話 渡河




 自己紹介もそこそこに奇襲を宣言してから1時間足らず。

 俺はランベルトとともに、基地西側のから川と向こう岸の様子を眺めていた。


「俺が言うことじゃないが、あんな誘いでよくこれだけ集まったな……」

「へっ……お客人が斬り込むってんだ。黙って行かせちゃあ戦争都市の名が廃るぜ」


 参加希望者は基地にいる全冒険者の半数を遥かに上回り、450人を超えた。

 彼らの多くはここから少し後方で待機中。

 この場に居るのは俺たち『黎明』とランベルトが率いる『銀狼』、それに『白狼』、『黒狼』、『赤狼』のメンバーだけだ。

 

「安心しな。俺たち『』が、あんたたちをしっかり護衛してやる」


 ランベルトが拳で胸を叩く。

 『戦狼』は、『銀狼』、『白狼』、『黒狼』、『赤狼』という4つのパーティで構成されるクラン――――緩やかな同盟の名だ。

 ランベルトは冒険者パーティ『銀狼』のリーダーであると同時に、冒険者クラン『戦狼』のマスターとしても知られているから、数百人の冒険者をまとめるだけの求心力を持っていたというわけだ。


「それは心強い。で、作戦はちゃんと頭に入ってるんだろうな?」

「当然。そもそも、作戦っていうほど中身がないじゃない……」


 『銀狼』の女剣士マリーが言うとおり、俺が奇襲攻撃に関して冒険者たちに伝えたのは渡河の方法と戦闘時間の2点だけ。


 向こう岸に渡ったらパーティごとに自由行動。

 日没までに戻って来ない奴は自己責任。


 どんな馬鹿でも覚えられる簡単な内容だ。


「確認するが、両軍とも渡河の手段はないってことで間違いないんだな?」

「こちらから渡河して攻撃する想定はないし、敵さんもすぐに使える場所には何も置いてない。馴染みの騎士にも確認したから間違いないだろう」


 幅200メートル近い川を渡るなら、小船や浮橋を使うのが正攻法だという。

 それらが無いなら軽装で水泳をやることになる。

 採算度外視なら魔石動力の小型船で突撃もありだろうが、敵前でそんな動きをすれば格好の標的になるので現実的ではない。


「本来ならこんな場所で渡河なんて、自殺以外の何物でもないはずなんだけどな……」


 誰かが呟くと、全員が沈黙する。


 そいつの言うとおり、前線基地は防衛側に極めて有利な地形を擁していた。

 向こう岸からこちらを見ると目の前には川が横たわり、その先には見上げるような断崖。

 唯一、断崖の向こうに続く谷には道の代わりに基地が鎮座しており、軍勢が通行できる迂回路は近辺に存在しない。

 長射程高威力の魔導砲は攻城兵器を次々と破壊し、堅牢な防壁は渡河で消耗した軍勢を絶望に叩き落す。


 だが、全ては過去の栄光だ。


「どれほど強固な防壁も、ここまで徹底的に破壊されちゃあな……」


 堅牢な防壁のを障害物として向こう岸からの視線を遮りながら、基地の内部なのか外部なのか判然としない場所に転がる瓦礫に腰掛け、空を見上げる。

 強力な魔導砲があったはずの場所には、すでに何もない。

 防壁と一緒に崩壊して瓦礫の中に埋まっているか、その前に領主軍に回収されたのか。

 東側を振り仰ぐと、防壁に守られていた基地の外壁はすでになく、何に使われていたのかもわからない部屋の内壁が外から基地内に吹き込む風を遮っている。

 元々通路だったはずの場所は木板が張られ、内部が見えないように最低限の修繕を施されていた。


 こんな基地に防御力を期待するのは絶対に間違っている。

 それが、この場にいる全員の共通認識だろう。

 

「見ての通り、こんなとこで防衛戦なんて正気じゃない。戦争が始まれば劣勢になるのはわかり切ってる。だから、俺たちはその前に勝利を経験する必要がある」


 ランベルトが愉快そうに口笛を吹いた。

 『戦狼』の面々は不敵な笑顔を浮かべ、戦意を漲らせる。


 それを見渡した俺も、口の端を上げた。


「さあ、歓迎会だ。遠路遥々やってきた敵兵の皆さんを、しっかりおもてなししてやろう」


 参加は強制。

 会費は無料。

 油断した客には追加料金を請求する。


 ああ、お金がなくても安心してほしい。


 装備でも命でも、現物で払ってくれるなら俺たちは大歓迎だ。






 作戦開始を参加者に通達し、俺はティアを抱き上げる。

 周囲の反応が前線基地を強襲したときと違うのは、ティアの実力が周知されたからだろう。


 準備を整えたティアが頷くと、俺は『戦狼』の面々と後方の参加者たちを見渡す。


 そして――――


「作戦開始!カウント10!9、8――――」


 『戦狼』メンバーの斥候の女が、全員に聞こえるようにカウントを開始する。

 後方の参加者たちの様子は十人十色で、余裕の笑みを浮かべる者もいれば目を閉じて集中している者もいる。

 すでに興奮を抑えられず獰猛な笑みを浮かべる者もちらほら。

 一部に怯えが見える者もいるが、いざとなったら残っても罰はない。

 

「5!」


 ティアに視線を送ると、彼女はいつもどおりの穏やかな微笑を浮かべていた。

 渡河の方法は完全に彼女に依存しているので彼女がしくじると『黎明』と『戦狼』は川に沈み、俺は冒険者たちの笑いものになる。

 しかし、重圧を感じている様子はない。

 

(いつまでも守られるばかりじゃない、か……)


 ティアの火力は俺を遥かに凌駕している。

 辺境都市最強の名は、この少女にこそ相応しいのかもしれない。


「1!――――作戦開始!」


 『黎明』と『戦狼』は瓦礫から身を躍らせ、荒れた河原を駆ける。


 川に差し掛かる直前――――ティアが杖を振った。


「お願い!」


 ティアに追随するサッカーボールほどの粉雪のひとつが、河原に落ちる。

 氷の華は形成されず、氷は周囲に広がって河原と大河の一部を凍結させた。

 

「立ち止まるな!足が凍るぞ!」

「おうっ!」

 

 俺自身が先頭に立ち、氷を踏む。

 足元にあるのはティアが<氷魔法>で生み出した氷の浮橋。

 一歩ごとにパキッと音が鳴るものの、踏んだくらいで壊れることもない。

 表面はややでこぼこしているが、氷は溶けることなくため、表面が滑ることもなかった。


 この作戦を思いついたのは荷馬車で移動中、小休止のタイミングで近くに流れる小川を見たときだった。

 南の森への遠征時、<氷魔法>で小川を越えたことを思い出した俺はティアに提案して何度か実験を行い、渡河作戦を実行できると判断した。

 練習時は何度か滑って転びそうになったのだが、足元のそれは今のところ即席の浮橋として十分に機能している。


 第一段階は成功だ。


「お願い!」

 

 俺が前進する速度に合わせ、ティアは次々と粉雪を投射する。

 ティアが生成した氷の浮橋は串団子のような形状で連なり、わずか数十秒で両岸を結んだ。

 『黎明』と『戦狼』も、数秒遅れて向こう岸に到達する。


「敵さん動いたぞ!」

「早いな。日向ぼっこを続けてくれても良かったんだが」


 最も川に近い敵部隊は500人規模。

 川から数百メートルの距離で待機していたが、こちらから攻撃があるなどとは露ほども思っておらず、どうせ攻めて来ないだろうという舐め切った態度が双眼鏡越しに伝わってくるような状態だった。


 てっきり慌てふためいて統制を乱すかと思いきや、意外に練度が高い。


 そう思ったのだが、どうやら早とちりだったようだ。


「いや違う!足並みがそろってない!」

「動いたのは半分!残りは遅れてる!」


 『戦狼』のメンバーの報告によれば、敵迎撃部隊の指揮官は部隊をまとめることを放棄したらしい。

 指揮官に追随して迎撃に動いたのは部隊の半数程度で、残りはその場に置き去りだ。


「アレンさん、行けます!」

「よし!」


 『黎明』と『戦狼』が氷の浮橋を越えて対岸に展開する間も、ティアは氷の浮橋を補強していた。

 串団子状の浮橋は横幅15メートルほどの長方形に形を変える。

 これで第二段階もクリアだ。

 

 俺が剣を掲げると、それを合図にして冒険者の集団が押し寄せた。


「圧巻だな。大魔法じゃないか」

「何もないところから氷を生み出すより、川を凍らせる方が簡単ですよ。それに、強度に不安がないわけじゃありません」


 浮橋の入り口では一人のベテラン冒険者が交通整理を務めており、パーティごとに一定の間隔を取らせている。

 幻想的な氷の浮橋だが、数百人が一度に通行するには流石に強度が足りていない。

 ティア曰く精神の消耗を度外視すればやれるとのことだが、それをやると帰りが水泳大会になってしまうので却下した。


「敵弓兵の射程までカウント40!」


 冒険者たちの渡河を眺めていると、『戦狼』に所属する指揮担当の女冒険者の声が聞こえた。

 浮橋の補強を続けるティアを背に、俺は河原を数歩進む。

 事前の偵察によると、弓兵の数はそれほど多くないという。

 それに、こちらが敵弓兵の射程に入るより、相手がこちらの魔法の射程に入るほうが早い。

 到着した冒険者の中で攻撃魔法を使える者は、続々と『戦狼』の陣形に加わって杖を構えた。


「魔法攻撃!カウント5!4、3、2、1、てーっ!」


 冒険者たちから魔法が放たれ、敵部隊に降り注ぐ。

 迎撃がないところを見るに魔法兵はおそらく不在。

 軍において貴重な魔法兵は集団で運用するのが定石だそうで、こんな日向ぼっこ部隊に置いておく余裕はない。

 おそらくという但し書きが付くのは――――


「魔法!!」

「任せて!」


 魔法兵ではなく使が混じっているかどうかは、双眼鏡で見たところで判別できないからだ。

 もっとも、そういった兵の多くは魔法兵ほど破壊力のある魔法を使うことができず、射程も魔法兵に及ばない。

 魔法兵未満だから、こんなところに混じっているのだ。

 今しがた飛んできた魔法も浮橋を破壊しようとしたものだろうが、『戦狼』の魔法使いたちが余裕をもって迎撃している。


「魔法攻撃!カウント5!4、3、2、1、てーっ!」


 敵の弓兵の射程に入る前に再度の魔法攻撃。

 浮橋を渡り切った冒険者は増え続けており、魔法攻撃の層は先ほどよりもかなり厚い。

 

 1回目の斉射と合わせて、敵部隊を大きく削っている。


「被害は大きいが、退かないのか。さては、指揮官は阿呆だな?」

「自由戦闘開始!」


 指揮担当の宣言を受け、冒険者たちが咆哮と共に平原を駆け出した。

 一方、誰よりも早く渡河を済ませた『黎明』と『戦狼』は、予定通り彼らの背を見送る。

 冒険者たちの渡河が完了していない今、ティアの護衛が何よりも優先されるからだ。


「しかし、ここでバラけるのか。手慣れていて見事な指揮だと思うが」

「相手の射程に入る以上、こちらにも被害が出る。『戦狼』が責任を負うことはできない」

「なるほど」


 『戦狼』に冒険者たちへの命令権はない。

 冒険者たちが『戦狼』の指揮に従ったのはそれが敵の数を減らすために有効だと理解しているからだが、指揮によって自分のパーティに被害が出るなら話は別だ。

 無理やり従えたところで、軋轢も生じるだろう。


「……護衛はそろそろ大丈夫だ。『戦狼』も始めていいぞ」

「そうか?」

「ああ」


 俺は数歩下がってティアを背後に庇い、彼女を狙った一本の矢をガントレットで弾いた。


「この程度なら俺だけで処理できる」

「わかった。んじゃ、お言葉に甘えるぜ」

「ああ、張り切って暴れてくれ」

 

 ランベルトは笑いながら『戦狼』所属の各パーティリーダーにいくつか声を掛けると、パーティごとに別方向に駆けて行った。

 クランでまとまって動くのかと思ったら違うようだ。

 冒険者たちへの指揮を打ち切ったと同じで、各パーティの意思を尊重するということなのかもしれない。


 そのまま仁王立ちすることしばし。

 それから先は矢の一本もなく、渡河する予定の冒険者は全員が氷の浮橋を渡り切った。


 これで渡河作戦は完了だ。


「それじゃ、俺も行く」

「お気をつけて」

「…………」

 

 ティアに魔力を供給する間、不満げに沈黙するのはティアの護衛兼負傷した冒険者たちの回復役としてここに残るネルだ。

 浮橋を一度潰すか維持するかは正直なところ迷ったのだが、ティアに聞けばどちらも負担は大差ないというし、ランベルトは退路と<回復魔法>使いの有無は士気に大きく影響すると主張するので、それらを考慮した結果がこの配置だ。


 浮橋の維持には少しずつ魔力を消耗するからティアにとっては持久戦になる。

 だからティア自身の魔力と魔力回復薬で浮橋を維持できる日没までが、冒険者たちに許された活動時間だ。

 一応、近接戦闘が苦手な魔法使いを基地側に数人残し、いざというときの撤退支援を頼んでいるものの、実際にそういう展開になれば間違いなく結構な数の犠牲が出る。


 ネル自身、前衛として稼ぐ戦果より後方で<回復魔法>をメインに動いた方が戦いに貢献できると理解しているから抵抗はしない。

 抵抗はしないが、歯がゆい気持ちが顔に表れるのは止められない。


「そんな顔するな。お前の分もしっかり暴れてくる」

「…………お願い」

「おう」


 不器用なお願いを背中に受け、俺は戦場に足を踏み出した。


 さあ、前哨戦だ。


 今のうちに、削れるだけ削ってやろう。 



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