第340話 一文字足りない
「何を言ってるんですか、ネルッ!」
ティアの叫びがロビーの一角に響き、周囲の視線が集まる。
懇願するような眼差しにもネルの決意は揺るがない。
その様子に焦りを覚えたティアが、ネルに翻意を促すために捲し立てた。
「気持ちはわかりますけど、冷静になってください。一人で行くなんて……。そんなことしなくても、アレンさんなら――――」
「無理よ」
「即答かよ。酷い言い草だ」
ネルがこちらを見下ろしている。
その瞳には諦観が宿っているが、冷静になれと呼びかけるティアよりもネルの方が冷静であるように見えた。
冷静に考えて、彼女なりの結論を導き出したのだろう。
「あんたが強いことは知ってる。辺境都市にあんたより強い冒険者はいないし、それこそ騎士団のジークムントにだって匹敵する強さがある。十人や百人じゃ物の数にも入らない、もしかしたら千人だって倒せるのかもしれない。それでも、今回は無理。あんたもそれが分かってるから、こうして迷ってるんでしょ?」
「…………」
俺の評価が思いのほか高いことに驚いたが、返す言葉は見つからない。
俺が迷っているからネルは決断したのだろう。
決断するしか、なかったのだ。
「あんたの役目はクリスと一緒に死ぬことじゃない。あんたは、ティアを幸せにしてあげて」
「ネルッ!!」
ティアはネルを叱責するように叫ぶが、話の内容を否定することはしなかった。
流石のティアも、俺が数万の軍勢をどうにかできると本気で思っているわけではないようだ。
まあ、それができるとしたら本当に人外の類だろう。
化け物の如き戦闘力を誇るジークムントだって、一人で軍勢の殲滅を為し得るとは思えない。
しかし、それはネルとて同じことだ。
「だったらなおさらだ。お前が行ってどうする。お前ごときに何ができる?」
「あたしには<回復魔法>がある。戦線の維持に、きっと役立つ」
「そんなの誤差にしかならない。傷ついた兵士を100人か200人癒したところで、戦力差は埋まらない」
「……そのときは、クリスと一緒に死んであげる。あいつが戦争都市に見つかったのは、きっとあたしのせいだから」
ネルは、そう言って穏やかに微笑んだ。
物語の聖女もかくやというほどに美しく、そして悲しい笑顔だ。
「…………」
俺は目を閉じる。
瞼に浮かぶのは故郷を守るために無謀な戦いに挑む貴公子と、彼に寄り添う美しき聖女。
故郷に殉じた二人の生き様は、戦争都市に新たな物語を誕生させるだろう。
だが――――
(それを、認めるわけにはいかない……)
それが俺とクリスとの約束だ。
ネルと共に死ぬか、自分からネルを遠ざけるか。
あの日、クリスは後者を選んだのだ。
クリスの願いと、ネルの願い。
どちらも痛いほど理解できる。
それでも、どちらか片方しか叶えられないならば、俺はクリスを優先する。
たとえそれが、ネルの想いを踏みにじることになるとしても。
(さて、どちらにせよ一手目は決まったな……)
俺は目を開けて立ち上がると、ゆっくりとテーブルを回り込み、ネルに歩み寄った。
何かを察したネルが、わずかにたじろぐ。
(悪いな、ネル……)
本当は一度ホテルに戻って、じっくり考えた上で動きたかった。
しかし、ここで逃げられてしまったら、俺はネルを捕まえる自信がない。
少しどころではなく痛いだろうが、いつかの石突の仕返しとでも思ってもらおう。
俺が拳を握り、ネルの腹に向けて撃ち出す――――その直前。
「参加を歓迎するぜ。聖女様よ」
「――――ッ!?」
声の出所はロビーにいた冒険者の一人だった。
ネルとティアの言い争いは、思ったより多くの冒険者たちの注意を引き付けたらしい。
いつのまにか周囲の席に座っていた者たちだけでなく、かなりの数の冒険者たちが俺たちを遠巻きにしていた。
「この前は本当に助かった。あんたがいてくれるなら心強い」
「いやあ、健気だねー。お姉さん泣きそうだよ」
近くに寄って来て、次々とネルに声を掛ける冒険者たち。
呆気にとられていると、最初に声を上げた男が俺に向けて言った。
「戦争都市を救うのは戦争都市の冒険者だ。辺境都市の冒険者が酒場で震えてたって、噂になっても馬鹿にされやしないさ」
「あ……?」
思わぬ好戦的な言葉に怒りが浮かぶのと同時、俺はその言葉に引っかかりを覚えた。
思考がフリーズする間に、続けて男は言う。
「そんな顔するなよ。足が竦むなら、ここで酒でも飲んでりゃいい。この程度の依頼、俺たちだけで十分だ。そうだろ、お前ら!」
そうだそうだと声を上げる冒険者たちに、俺は目を見開いた。
わかった。
自分が何に対して引っかかりを覚えたか、気づいてしまった。
「さあ――――」
だからこそ、次に放たれる言葉が予想できてしまう。
「「「「「臆病者は、だーれだ!!!」」」」」
こちらを指差し、各々にできる限りの煽りを込め、冒険者たちは嘲笑する。
まさか事前に練習したわけでもないだろうに。
綺麗にそろった声と仕草は仲の良さの賜物か、それとも俺への不満の表れか。
もう俺は、自身の表情を制御できなかった。
ただ、過去に覚えがないくらい、盛大に引きつっていることだけは理解できた。
だが――――
(はあ、本当にどうしようもない……)
これで物事は単純になった。
ひとつを除いて選択肢が全て排除され、迷う必要はなくなった。
だって、そうだろう。
冒険者というのは、いつだって舐められたらおしまいなのだ。
「お前ら、言ってくれるじゃねえか」
「ちょ、あんた……!こんな見え見えの挑発に!」
聖女モードを取り繕いもせず、ネルは制止を試みる。
しかし、止まらない。
この状況のトリガーとなったネルですら、もう流れを止めることはできないのだ。
なにせ、この場にいる冒険者たちは俺とクリスの約束など知りえない。
それだけでなく、彼らはネルの想いと覚悟を知ってしまった。
つまり、彼らから見た俺は、決意を胸に想い人が待つ戦場へ向かう少女を、命惜しさに邪魔している役立たずだ。
お姫様の下僕どころではない。
これが臆病者でなくて何だというのか。
このまま逃げ帰ったら、英雄を目指すなんて恥ずかしくて二度と口にできないに違いない。
「はあ……。この俺を相手にここまで吹かしたんだ、覚悟はできてんだろうな?」
2日前のように周囲を見渡しても、不安げに視線を逸らす者はいない。
この場に居る全員が一歩も引かずに俺の視線を受け止め、睨み返した。
「俺たちは戦争都市の冒険者だ」
「ケツまくって逃げるくらいなら、死んだ方がマシよ」
「世話になった奴も多い。見捨てて逃げるのは忍びない」
「命を無駄にする気はない……が、限界まで踏みとどまって見せるさ」
口々に覚悟を示す冒険者を前に、事態を制御できないネルは珍しく混乱するばかり。
一方のティアは落ち着きを取り戻し、微笑すら浮かべていた。
懸念はすでに取り除かれたとばかりに安堵して、事態を静観している。
そんな中――――
「だが……、俺たちだけじゃ力不足というのも事実だ」
突如上がった声に、周囲は静まり返る。
場を冷やすようなことを言ったのは、やはり最初に声を上げた男だ。
しかし、その男の瞳に怯えた様子は見られない。
そして――――
「だから、あんたたちの力を借りたい」
深く頭を下げた。
いけ好かない、余所者の俺に向かって。
俺を嘲弄するときはピッタリだった冒険者たちだが、この動きはそろわなかった。
冒険者たちも驚いた様子だ。
しかし、近い位置に居る者から次々と男に倣った。
ある者は「頼む!」と声を上げ、ある者はわざわざ椅子から立ち上がって、次々と頭を下げた。
そんな彼らを前に――――俺は満面の笑みを浮かべた。
「くはっ……!」
思わず変な声が漏れてしまい、口元を抑える。
ここまで場を整えられては退くに引けない。
すでに冒険者の面子だけの話ではなくなった。
俺の中の英雄見習いまでもが、久方ぶりの出番に歓喜して準備運動を始めている。
仲間の窮地を救うため、絶望的な戦場へ。
ああ、本当にどうしようもない。
こんなの、どうしようもないくらい英雄らしいじゃないか。
「いいだろう。俺も参加しよう」
「では、私もお供します」
俺とティアの参加表明を受け、周囲から歓声が上がる。
どこかに情報を伝えるのか、ギルドから外へ飛び出して行く気の早い奴もいた。
そんな中、騒ぎの張本人だけが、未だ俺たちの参加を認めていない。
「で、でも!『黎明』は参加を禁止されて……!あんた、下手したら酷いペナルティがあるかもしれないのに……!」
余程ティアを巻き込みたくないのか、ネルは自身のことを棚上げして先ほどと真逆のことを真剣に主張している。
あまりに必死な様子が何だかおかしくて、思わず頬が緩んでしまった。
「なんだ、そんなことを心配してたのか」
「そ、そんなことって……」
建前上のものであっても、ネルの懸念は的を射ている。
今回、戦争都市冒険者ギルドが『黎明』の参加を拒否しているのはあくまで依頼者側の意向に従った措置で、おそらく俺やネルが個人で参加する場合も同様の扱いとなるだろう。
出禁状態の冒険者が依頼に参加する方法は存在せず、それを無視して強引に参加すれば厳しいペナルティは避けられない。
依頼主が領主家であればこそ、降級だってあり得る。
たじろぐネルを横目に、周囲を見渡す。
ペナルティの話が出たことで、俺たちが参加を取りやめるのではという不安や疑念が渦巻く一方、一部の気づいている奴らは申し訳なさそうな顔でこちらを見ていた。
「お前ら、せっかくだから少し手伝え」
不安を打ち消すように。
謝罪など不要と口にする代わりに。
俺はただ、不敵に笑った。
冒険者ギルドの職員は、冒険者たちがロビーで騒いだところで基本的に関知しない。
とはいえ、数十人もの冒険者がぞろぞろと受付に向かってくれば、気づかない振りも難しい。
このタイミングで受付に立っていた不運な受付嬢たちが身構えるのも、仕方のないことだろう。
「『黎明』の参加はお断りします」
そして、そんな状況にもかかわらず機先を制したのは、半ば俺たちの担当になっている受付嬢だった。
先ほどまでの哀れっぽい様子は同情を誘うための演技だったのか、これだけの数を前にして物怖じした様子もない。
しかし、受付嬢に相対した俺は、剥き出しの警戒心を意に介すこともせず、柔らかく微笑んだ。
それは例えるなら、初対面同士で挨拶を交わすときに浮かべるような笑顔だ。
「初めまして、俺はアランだ」
「…………は?」
眉をひそめ、馬鹿を見る目をする受付嬢。
そんな彼女に、俺の背後から容赦ない追撃が飛ぶ。
「じゃあ、私はリアナです」
「あ、わ、ろ、ローネリア……です……」
受付嬢は唖然とし、やがて俺たちの狙いに気づいて目を見開いた。
「俺たちは新人冒険者だ。登録を頼む」
受付台に並べたのは銀貨3枚。
冒険者ギルドの登録料3人分だ。
「……本気ですか?」
「もちろん」
身分証機能やスキル証明がない最も簡易なカードなら、その場で即時に発行できる。
審査も資格も必要ない。
偽名の登録も認められ、多重登録を禁止する規則すら存在しない。
この場にいる多くの者が知っている、冒険者の常識だ。
背後に数十人というベテラン冒険者が睨みを利かせる中、まさか拒否することはできまい。
「つまり、『黎明』のメンバーとは別人だから参加資格がある……貴方たちは、そう言いたいのですね?」
「そうだ」
「……『黎明』ではない貴方たちがどれだけ貢献しようと、それが『黎明』の実績として考慮されることはありません。それでも、あくまで新人冒険者を名乗るのですか?」
「そうだ。これなら問題はないだろう?」
「…………」
受付嬢はしばらく沈黙した後で、渋々ながら手続きを始めた。
頭の中で算盤を弾き、ここで妥協するのがベターと判断してくれたのだろう。
ハリボテとはいえ、俺の主張はギルド側にも一応の逃げ道を用意している。
これを突っぱねて検問を強行突破される可能性が頭を過れば、罵声も苦言も飲み込むしかない。
(まあ、カードを検知する魔道具くらいはありそうなもんだけどな……)
検問で使われている魔道具は、カードの発行元である冒険者ギルドにも当然存在するだろう。
魔道具とカードがあり本人がいるならば、本人確認はおそらく成立する。
だが、金属探知機のようにカードを検知する手段があったとして、俺たちが自分のカードを所持していなければどうしようもない。
三人分まとめて辺境都市の屋敷に保管してあるそれらが検知される可能性は皆無、やるだけ無駄なことだ。
そんなことを考えながら受付嬢の手元を見ていたとき、俺の頭の中にちょっとした思いつきが浮かんだ。
「ああ、それともう1つ」
「まだ何か……?」
この手続きも、所詮は検問を通過するための方便に過ぎない。
基地に乗り込んだ後、新人冒険者として振舞うつもりは毛頭ない。
だから、これは単なる自己満足、あるいは所信表明のようなものだ。
「パーティ名の登録を。パーティ名は、『リナリア』で頼む」
それはネルが帝都へ出荷されるのを阻止した日の夜、パーティ名の候補を募ったときにクリスが挙げた、こっぱずかしい花言葉を持つ花の名前。
ローネリア、リアナ、アラン。
メンバーの名前から一字ずつ取ったそうだが、なぜか一文字足りてない。
(まったく、本当に世話の焼ける……)
だが、世話の焼けるメンバーの世話を焼くのもリーダーの仕事なのだろう。
想いを押し殺して戦場に立つ少年のために。
秘めた想いを素直に伝えられない少女のために。
恋を叫ぶ花の名を、俺が完成させてやろうじゃないか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます