第339話 戦況



 応接室で待たされた時間は短くない。

 ただ、俺たちの要求は戦争都市と冒険者ギルドの関係を悪化させかねないので、先方にも検討する時間が必要なことは理解できる。

 少し待たされたくらいで文句を言うつもりはなかった。


 しかし――――


「失礼します」


 ギルドマスターと協議を済ませたサブマスターか、あるいはギルドマスター本人がくるのだと思っていたが、応接室にやってきたのは受付嬢だった。


「お邪魔します。お待たせする間、少し雑談でもと思いまして」

「なんだ、まさか体で機嫌を取ってこいとでも言われたか?」

「それで満足してお帰りいただけるなら、一晩好きにしてもらって構いませんよ?」


 軽口を叩いた結果、思わぬ返事に面食らった。

 両サイドから浴びせられる視線の温度が急降下――片方は物理含む――するのを感じ、慌てて否定する。


「いや、冗談だ……」

「そうですか。残念です」


 皮肉でも何でもなく、本当に残念そうにする受付嬢を凝視する。

 まさかこの数日間で体を許せるほど惚れられたというわけではあるまい。

 俺のせいで一晩の我慢の方がマシと考えるような状況に置かれているなら、流石に申し訳ないと思う。


 それでも、止めてやることはできないが。


「まあ、なんだ……。可能な限り、配慮はする」

「本当にお願いしますよ……。先に伝えておきますが、持ち帰りは絶対にやめてくださいね」


 彼女がポケットから取り出したのは折りたたまれた依頼票だ。

 意図を問うように受付嬢と視線を合わせると、彼女はわざとらしくコホンと咳払いをした。


「私は『黎明』の皆さんに依頼内容の説明はしていません。私は勤務時間外に依頼票を見ながら独り言を呟いているだけです。受付嬢の私には上級冒険者が応接室に見破ることはできません。その声を聞きとることもできませんし、私が何を言ってもそれは独り言に過ぎません」


 それはあらかじめ誰かが準備した文章をそのまま朗読したような言葉だった。


 正直に言えばギルドが提示する回答の候補として考えてはいた。

 しかし、それを受付嬢にさせるのは中々えぐい。

 なにせ、これをやる人間が責任の大半を被ることになるし、領主家に睨まれる恐れもある。


 なるほど、たしかに一晩の我慢の方がマシかもしれない。

 それをさせた俺が文句を言うのは流石に筋違いだろうが。


「…………」


 念のため、会話は最小限の方がいいだろう。

 軽く手を上げて意図を汲んだことを伝え、俺たちは無言のまま依頼票に目を通した。

 

 依頼のタイトルは前線基地の防衛依頼。

 騎士や兵士とともに前線基地で敵方と戦うという内容は予想通り。

 

 受託制限はなくなっている。

 これはまあいいだろう。


 期限は無期限で、撤退自由かつ再加入自由。

 防衛戦の続く限り参加でき、一日単位でなら途中抜けも認められる。


 報酬は一日当たり総額で金貨300枚。

 ランクが違えば均等ではないだろうが、一日につき金貨300枚を全員で山分けということだ。

 冒険者が少なくなるほど危険度が増す代わりに報酬は増加する。

 あまり見ないやり方だが狙いは理解できる。

 

 問題は、報酬がことだ。


(あり得ない。いくら何でも、これはない……)


 戦争都市を治めるカールスルーエ伯爵家が大貴族であることを考えれば、金貨の300枚くらい払えないとは思わない。

 、何も不思議なことはないのだ。

 しかし、ただでさえ各方面に膨大な支払いがあるはずの戦争都市が、金貨300枚に手数料を乗せて冒険者ギルドに払い続ける――――そんなことが果たして可能だろうか。

 

 一方、最初から払う気がないとも思えない。

 それでは戦争都市が戦争に勝っても、領主家の名声が地に墜ちる。


 つまり、この依頼は無期限と言いながらもを想定しているということだ。


 短期間だけでいいから、大枚はたいてでも時間を稼ぎたい。

 この依頼票からは、そんな思惑がありありと感じられる。


 それが意味するのは――――

 

「……敵方の兵力は?」


 ボソッと呟いた言葉は静かな応接室にいる全員に伝わったはずだ。


 受付嬢は視線を合わせない。

 しかし、小声で決定的な情報を口にした。


「こちらが掴んでいる情報では、。しかも公王の親征。前線基地への到達は早ければ2日後です」

「…………うそ」


 呆然とするネルが思わず零した願いは、無情にも否定された。


「戦力の再編は間に合いません。カールスルーエ伯爵は前線基地を放棄して、戦争都市で防衛戦を遂行する方針を固めました。ただ……戦争都市の外郭は極めて強固ですが、想定以上の兵力を受け止めるためには相応の準備が必要で、そのための時間を誰かが稼がなければなりません。たとえ、


 では、前線基地を守る領主軍は。


 そして、司令官であるクリスは。


「前線基地に展開する領主軍の任務は、戦争都市に敵が到達するのを遅らせること。撤退は、最初から考慮されていません。つまり――――」


 死守命令です。


 小さいはずの受付嬢の言葉と時計の針の音が、やたらと大きく聞こえた。





 ◇ ◇ ◇





 冒険者ギルド、喧噪に包まれたロビーの一角。

 冒険者たちが屯する空間で隅の方にある丸テーブルを占領した俺たちは、酒を飲むでも話し合うでもなく、ただただ黙り込んでいた。


 ネルは思い詰めた様子でテーブルの一点を見つめている。

 ティアはそんなネルを気遣い、しかしどうしたら良いかわからない様子。


 俺は俺で、いくつかの選択肢の中からどれを選ぶべきか悩んでいた。


(ここが正念場だ。しっかり考えろ……)


 最も望ましいのは、戦争都市領主であるカールスルーエ伯爵に死守命令を撤回させること。

 領主軍が戦争都市に帰還すればクリスの安全は当面確保されるし、ある程度の犠牲を出しつつも帝都から正規軍がやってくるまで耐えることは可能だろう。

 受付嬢は時間が必要というが、仮に敵軍が速やかに進軍したとて堅牢な防備を誇る戦争都市が早々に陥落するとも思えない。

 問題は戦争都市領主であるクリスの父と面会する手段がないということだ。

 一般家庭と違い、城の前で「クリス君の友達です!」と叫んだところでお父さんに会うことはできない。

 衛士や騎士に追い返されるか、牢に放り込まれるのが関の山だ。

 

 次点は、前線基地でクリスを説得又は拉致して戦争都市からトンズラすること。

 説得の可否はさておき、ネルが自分の身体を餌にして薬でも盛ればクリスの無力化は簡単だろう。

 後先考えず実行するだけなら、さほど難易度は高くない。

 もっとも、それを実行した後にどうなるかは未知数だ。

 わかるのは激怒したクリス父が、何らかの報復を行うだろうということだけ。

 先ほどサブマスターとの交渉で検問の突破などと嘯いたが、それとこれとではレベルが違う。

 流石に辺境都市のオーバーハウゼン伯爵も庇ってはくれないだろう。


 もちろん、前線基地でクリスが率いる領主軍や冒険者と共に戦い、敵軍を撃退することができるならこれが最善だ。

 ただし、敵軍は最低三万という馬鹿げた数で、この選択には相応の危険と犠牲が伴う。

 勝利が約束されていないどころか、全滅か壊走が濃厚という点も忘れてはいけない。


 本当に、ろくな選択肢がない。


 そろそろ二人の意見も聞いてみようと思い視線を上げたとき、話を切り出したのはネルだった。


「ティア、今までありがとう。本当に楽しかった」

「え……?」


 困惑するティアをよそに、立ち上がったネルは言った。


「あたしはここで、『黎明』を抜ける」



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