第338話 交渉
暴発寸前という様相のネルを何とか宥めすかし、武装を済ませた俺たちはホテルを出る。
行先は冒険者ギルドだ。
到着した俺たちは受付には向かわず、壁際に寄ってロビーにいる冒険者たちの様子を窺いながら声を潜める。
「ネル。この中に、お前が治療した奴は?」
「何人かいる」
「なら丁度いい。嘘が下手そうな奴に声を掛けろ」
「…………」
不機嫌そうに俺を睨むのは一瞬。
微笑を顔に貼りつけた聖女様が無邪気に冒険者に歩み寄る。
日頃の言動を知らなければ、負傷の経過が心配でつい声を掛けてしまったようにしか見えない。
何事かやり取りしたネルは冒険者から離れるとこちらを向いて頷いた。
ネルと話して浮かれていた冒険者がこちらに気づき、表情が固まる。
心の中で彼に詫びつつ、俺の横で待機するフードの女に視線を送る。
彼女は頷き、一人で受付へと歩き出した。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「西の基地に関する依頼が出ていませんか?前回も参加したんですが、また発行されると聞いたのでお力になれればと……」
「はい、ありがとうございます!依頼説明の前に、カードを提示いただけますか?」
フードの女は懐からカードを取り出し、受付嬢へと差し出した。
受付嬢は笑顔でカードを受け取り――――その笑顔をぎこちない笑みに変える。
「あ、えーっと……」
「どうかしましたか?」
視線を泳がせる受付嬢が特別迂闊だったわけではない。
急ぎで人を募集するなら依頼の存在自体を秘匿することはできないのだから、受付嬢の立場ではどうしようもないはずだ。
さらに言えばバイザー付きの兜や奇抜な仮面などを装着しているせいで顔が見えない冒険者など珍しくもないし、全ての冒険者の容貌を記憶できるわけでもない。
「どうした?B級冒険者ごとき、お呼びでないか?」
望む反応はすでに引き出したので時間を掛ける必要はない。
フードを落としたティアの背後に俺の姿を確認すると、受付嬢は頬を引きつらせてバックヤードに逃げて行った。
そして、待つことしばし。
「応接室へどうぞ。サブマスターがお待ちです……」
「悪いな」
おそらく叱責されたのだろう。
肩を落とす受付嬢から飛んで来る「悪いと思うなら自重しろ!」と言わんばかりの視線に見送られ、俺たちは応接室へと移動した。
「ようこそ『黎明』の諸君、歓迎するよ」
応接室で待っていた細身で柔和な印象を受ける男と軽く挨拶を交わす。
内心は真逆だとわかっているのに、ついこちらも笑顔になりそうだ。
「さて、率直に行こう。依頼ということだったが、残念ながら『黎明』に紹介できる依頼はないんだ」
「ほう?」
俺たちと変わらない年齢の受付嬢ならともかく、おそらく20年かそれ以上はギルド職員として生きて来たこの男から、隠したい情報を読み取るのは相当に難儀するだろう。
だから――――
「戦争都市の問題は戦争都市で解決すべきだと、領主様がお怒りでね」
「その説明を俺たちにするところまでが、クリスからギルドへの依頼なんだろう?」
「…………」
相手に主導権は渡さない。
悪いが、ずっと俺のターンだ。
サブマスターは数秒の沈黙の末、変わらず人懐こい笑みを浮かべて肩を竦めた。
「理解が早いようで助かるよ。しかし、それがわかっているなら、我々が『黎明』に依頼を振ることができない事情も理解してもらえると思うのだが」
「ああ、もちろんだ。そもそも『黎明』は依頼を受ける気なんてないんだ。俺たちがしたいのは情報の裏取りだけだ」
「残念なことに、情報規制も依頼の一部なんだ。依頼者との信頼関係は大切だから、それを軽んじるわけにはいかないよ」
「そうか……。まあ、そうだろうな。これに関してはそっちが正しいし、筋が通ってる」
俺が理解を示したことで、サブマスターは纏っていた緊張を幾分か弛緩させた。
あるいは俺の油断を誘うために計算された振舞いなのかもしれないが、それを判別できるほど俺の観察眼は鋭くない。
一方、俺の右隣では聖女の仮面が剥げかけ、悪魔が顔を出しつつあった。
こちらは鋭い観察眼などなくとも察することができるので、サブマスターには申し訳ないが聖女様の化けの皮が剥がれる前に話を片付ける必要がある。
「仕方ない。教えてもらえれば話は早かったんだが、自分で見てくることにしよう」
「……知っていると思うが、戦争都市の門には検問が敷かれている。許可がなければ西門を通行することはできないし、他の門から出て西へ向かうことも禁止されている」
俺の言葉を受け、サブマスターは怪訝な表情を浮かべながら忠告した。
このまま門に向かい、門を守る衛士たちと揉めることがないように。
サブマスターはあくまで善意で忠告してくれている。
申し訳ないと思う気持ちを胸の奥に押し隠し、俺は傲岸不遜に振舞った。
「おいおい、何を寝ぼけたことを言ってるんだ。前線基地の門を破壊できる俺たちが、都市の検問ごとき破れないとでも?」
「…………それは、冗談では済まないぞ?」
震える声に応えることはせず、俺はただ笑顔を浮かべる。
サブマスターの顔にようやく焦りが見えた。
俺たちがギルドを訪れてから今日で3日目だ。
ギルド職員がまともに仕事をしているなら、サブマスターには俺たちに関する十分な情報が届いているはず。
おそらくこの数日間の戦果だけでなく、辺境都市における素行や実績まで含めて。
さて、俺の言葉をハッタリと切り捨てることが、目の前の男にできるだろうか。
「こう見えても、俺たちは辺境都市の筆頭パーティだ。辺境都市のギルドはこちらの肩を持つし、オーバーハウゼン伯爵家との関係も良好。本拠地に戻ってしまえばどうにでもなるんだ、俺たちは」
サブマスターが絶句する。
しかし、追撃の手は緩めない。
額に汗を浮かべる男を追い詰めるための言葉が、俺の口から次々と放たれる。
「この大事なときに検問を強行突破された領主様の怒りの矛先は、どこに向かうんだろうな?面子の問題もあるから、本人が逃げたから仕方ないとはならないはずだ。俺たちの代わりに処分される誰かには、申し訳ない気持ちでいっぱいだよ」
「…………」
サブマスターはこめかみに指を当てて考え込む。
戦争都市冒険者ギルドとしては難しい選択になるだろう。
それを強いている俺に心配されるのは、彼らとしても心外だろうが。
「なあ、逃げ出した戦争都市の上級冒険者の代わりにギルドの面子を守ったのは俺たちだ。あんたたちは、俺たちに借りがあるはずだ」
サブマスターはソファーに背を預け、天井を見上げた。
沈黙の末、深く溜息を吐く。
「…………わかった。少し準備があるから、ここで待っていてくれ」
「ああ、構わない。念のためだが、冒険者を無駄遣いするなよ?」
恨めしげな視線を寄越すサブマスターが、疲れた顔で退出した。
応接室には俺たち3人だけになったが、気を抜くことはできない。
部屋の外から中の様子を窺う仕組みの1つや2つ、ギルドなら用意しているだろう。
ふと、視線に気づいて右を向いた。
「なんだ?」
「いえ……。頼りになるリーダーを持って幸せだと思いまして」
依然として聖女モードを続けるネルが、微笑のままに毒を吐く。
心ない言葉に傷ついた俺は肩を竦めた。
「聖女の皮を被った悪魔に脅されたからな。俺も被害者だ」
「…………」
あんたの方が、よっぽど悪魔でしょうが。
誰のものとも知れぬささやきが、静かな応接室に溶けて消えた。
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