第337話 仮定
二日前の夕方にクリスが連れて行かれたときと同様、想定外の展開に見舞われた俺たちはホテルにとんぼ返りした。
「ネルは、部屋で休みたいと」
「そうか……」
せめてホテル1階の喫茶店で美味いケーキでも。
そう思ったのだが、やはりクリスの離脱が堪えたようだ。
前回と違い、今回は短期ではない。
ネルとしては色々と思うところもあるだろう。
「はあぁ……」
思わず特大のため息が漏れる。
この都市に来てからすでに3日。
計画通りに予定を消化できた試しがない。
すでに旅程も折り返しだというのに、一体どうしたものだろうか。
「せっかくここまで来たんです。根を詰め過ぎても良くありませんから、気分転換に観光でもいかがですか?」
「ああ、そうだな……」
ティアの言う通り、部屋でうじうじと悩んでいるよりは外に出た方がいいはずだ。
それはわかっていても――――足が思うように動かない。
(ティアとの約束もあるのに、参ったな……)
ティアだって待ちくたびれているだろう。
向けられる深い好意に明確な言葉を返さないまま時間を過ごし、ようやく聞いてほしい言葉があると伝えてから、さらに2か月も待たせた。
そして、いざ戦争都市に来たと思えばこのざまだ。
しかし、待たせたからこそ中途半端にはしたくない。
下がり切ったテンションでは、観光しても楽しい思い出にはならないとわかりきっている。
「悪い……。やっぱり一旦仕切り直そう」
「え……?」
「考え事は今日のうちに済ませておくから、明日は朝から二人で出掛けないか?ネルには悪いが、あのときの約束を果たしたい」
「あ……はい!ネルには私から伝えておきますから!」
ティアは陰のない笑顔で応えてくれた。
パーティメンバーが長期離脱するというのに、もう切り替えたのだろうか。
感心する反面、少しだけ冷たいと感じてしまう。
(いや、そういえば敢えて距離を取ってたんだったか……)
俺たちが臨時パーティだった頃の会話を思い出す。
クリスはネルが好きだから自分に惚れるなと釘を刺し、ティアは態度と行動でクリスとの距離感を明確に示していた。
二人はそれぞれ想う相手がいるからと、互いに線を引いていた。
クリスはネルに、ティアは俺に。
向ける想いが強いからこそ互いを遠ざけたのだ。
それを薄情だと言うのは傲慢だろう。
「二人だけど、せっかくだから喫茶店で少し話そうか」
「はい、ぜひ!」
俺たちは客室から1階の喫茶店に移動し、それぞれ飲み物とケーキを注文した。
会話が少なめだったのは最初だけ。
お茶とケーキがテーブルに届く頃には、普段通りの雑談になっていたように思う。
話題はどうしても、戦争に寄りがちだったが。
「クリスさん、このまま領主になるんでしょうか……?」
「うん?」
前線基地強襲戦の感想が一段落すると、ティアが少し不安げにこぼした。
「第一軍団司令官って、クリスさんのお兄さんの役職でしたよね?それをクリスさんにということは、クリスさんの評価がお兄さんよりも高くなったのかなと……」
「いや、それは心配しなくていいはずだ」
「そうなんですか?」
「多分な。そもそも戦争都市は――――」
俺は自身の考えと読み違いについて、そう考えた根拠も含めて丁寧に説明した。
口に出すことで改めて整理したかったというのが理由のひとつ。
もうひとつは、ティアが何か新しい切り口を見つけてくれればという期待があった。
ティアは話を聞くのが上手なので、俺は不正解だと確定している予想を訳知り顔で開陳する羽目になり、全て説明し終わってから少しだけ恥ずかしい思いをした。
「すごいですね。そこまで考えて……」
「いや、こうなっている以上はどこか……あるいは全部が的外れだったってことだ」
「難しいですね。私には間違っているとは……」
どこかで読みを間違えた。
皮肉なことに、それだけは確実な情報だ。
しかし、ティアも呟いたとおり、手元にある情報だけを検討材料にするなら強ち間違っているとも思えない。
つまり、正しく事態を把握するために必要な情報を取りこぼしているということだ。
「でも…………」
「え?」
「ああ、いえ……。大した話ではないんです」
「そんなの聞いてみないとわからない。正直、手詰まりなんだ。何だって参考にしたい」
俺が長々と語ったことでティアを委縮させてしまったらしい。
恥ずかしいから、どうせ的外れだからと渋るティアを拝むように説得することしばし。
俺は彼女からなんとか話を引き出した。
「なぜ、クリスさんが第一軍団司令官なんでしょうか?」
「ふむ……?」
ティアは俺の反応を窺うように言葉を切った。
しかし、これだけでは反応しにくい。
続きはないのかと思って彼女の言葉を待つ姿勢を続けると、彼女は言葉を選びながらゆっくりと疑問を吐き出した。
「どういう状況なら、領主様はお兄さんを解任して、クリスさんを第一軍団司令官にするのかな、と……。そう思っただけなんです……」
ティアが言う。
彼女の言葉は抵抗なく、するりと頭の中に入って来た。
その問いに対する回答も、すぐに思い浮かぶ。
「うーん……。どういう状況だって――――」
クリスを長兄の上に据えるメリットが、デメリットに勝ることはないはずだ。
そう言いかけて――――俺は気づいてしまった。
「アレンさん?」
「悪い、少し待ってくれ……」
既知の情報から正しい結果にたどり着かないなら、既知の結果から正しい情報を推定する。
そういうアプローチは、思考方法として確かに有効だ。
素直に感謝の気持ちを言葉にできないのは、その思考によって導かれた仮定が俺たちにとって酷く都合の悪いものだったからだ。
(ああ、本当にくそったれだ……)
どうしてわからなかったのか。
そう思うのは正解を知っている者の特権だ。
本当に仮定をひとつ追加するだけで、この状況に整合が取れてしまった。
そうあって欲しくない仮定なのに、手持ちの情報から反証がひとつも出てこない。
状況を悪化させる嫌過ぎる仮定だが、嫌な予感ほど良く当たるもの。
確認しなければ明日の観光どころか、おちおちホテルで不貞寝することもできない。
幸いというべきか、確認の方法には心当たりがあった。
もし、この仮定が事実だったそのときは――――
(約束を、果たさないといけないかもしれないな……)
ティアとの約束ではない。
できれば永遠に果たしたくなかった方の約束の話だ。
いずれにせよ、こうしてはいられない。
「あ……」
「突然黙って悪かった。ついでというわけじゃないが、ティアに頼みがある」
「え……?」
「ティアのおかげでひとつ思い当たることがあった。至急確認したいから一旦出てくるが、俺が出ている間、ネルが動かないように見張ってほしい。昼までは戻ると思う」
「えっ!?」
「悪いが人が多い場所では詳しく言えない類の話だ。ネルにも……場合によっては恨まれるかもしれないが――――」
「ふーん?」
「……………………」
椅子から立ち上がろうと腰を浮かしていた俺の肩に、誰かの手が置かれた。
気づいてみれば、ティアの視線も俺ではなく背後にいる誰かに向けられている。
「あたしもティアのおかげで面白い話が聞けた。本当に、外に出て良かった」
ティアを介して誘ったのは俺なので、文句は言えないのだが。
よりによって、このタイミングで来てしまうのか。
肩に指が食い込むのを感じながら、ゆっくりと背後を振り返る。
「あんたも、そう思うでしょ?」
麗しき聖女はどこにもいない。
そこに居たのは、獰猛な笑みを浮かべた悪魔だった。
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