第331話 覚悟
戦争都市冒険者ギルドの受付嬢からおおよその状況を聞き出すと、誰が言い出すでもなく俺たちはホテルに戻った。
食事を俺の部屋に運ぶようにホテルマンに頼むと、簡易なテーブルや椅子と一緒に4人分の食事が運ばれてくる。
全員で席に着いても、1つだけ残った空席。
そこから視線を剥がし、ネルに向ける。
「話してもらうぞ」
何を、とは言わない。
それを知っているのはネルだけだ。
「……わかってる」
ネルは先日と同じように言葉を選びながら、ポツポツと話し始めた。
B級の昇級試験のために俺が竜の爪を抱えて辺境都市へ向かう裏で、2人に何が起きたのか。
そして――――
◇ ◇ ◇
ネルの説明は、大方予想どおりの内容だった。
「カールスルーエ伯爵家の三男か。大貴族じゃねえか……」
帝国の最高権力者は皇帝だが貴族も大きな権力を持っている。
たしか公爵が2家、侯爵が3家、伯爵は――――いくつだったか。
いずれにせよ、カールスルーエ伯爵家は帝国で十指に入るほどの名家で、知らない人間の方が少ないくらいに有名な貴族家だ。
クリスの大都市ランキングでは下位の方だったが、そもそも帝国屈指の大都市で領主をやる家柄が大貴族でないわけがない。
(さて、どうしたもんか……)
慰安旅行は続行不能。
スケジュールは白紙になり、ついでに俺の頭の中も真っ白だ。
しかし、このまま流れに任せるのが良いことだとは思えない。
回らない頭を何とか回して、今後の計画を立て直す必要がある。
(もう一度、状況を整理しよう……)
まずはクリスの状況だ。
辺境都市が誇るイケメン冒険者でありB級パーティ『黎明』の剣士の正体は、カールスルーエ伯爵家のお坊ちゃんだった。
年齢的にクリスの兄と思われる第一軍団司令官閣下は、偶然か必然か冒険者ギルドでクリスを発見し、クリスに前線基地攻撃隊を任せた。
クリスも内心はどうあれ、一応納得して引き受けたように見えた。
次に前線基地攻撃隊。
冒険者ギルドで収集した情報と合わせると、前線基地攻撃隊はどうやら騎士と兵士、そして冒険者が混在する即席部隊であるらしく、受付嬢がやたら騒いでいたのも俺たちに部隊への参加――カールスルーエ伯爵家からの依頼だ――を要請したかったのだという。
攻撃する前線基地というのは敵の基地ではない。
正確に言えば、昨日までは自軍が防衛していた基地で現在敵軍に占領されている基地――――つまり奪われたばかりの自軍基地だ。
しかもこの基地、戦争都市から魔導馬車で数時間の距離にあるのだという。
戦争で負けている側ではよくあることだろうが、今回も例に漏れず情報が封鎖されていたようだ。
いずれにせよ、戦争都市側にとっては到底看過できない状況だ。
現在、反攻準備を急ピッチで進めているが、今頃こちらの基地を奪った敵軍はせっせと基地の防備を整えているはずで、戦争都市としてはどうにかしてこれを邪魔する必要がある。
そこでカールスルーエ伯爵家は少数の騎士や兵士に冒険者をくっつけて敵にぶつけようと考えた。
緻密な作戦も人数も必要ない。
とにかく矢なり魔法なりを撃ち込んで敵兵が基地を強化するのを阻止することが主目的だが、最悪は敵兵の休息を妨害するだけでも良しということだ。
当然、迎撃部隊が出張ってくるはずで戦闘は熾烈なものになるだろう。
退路が用意されており死ぬまで戦わされるということでもないので、適当にハラスメント攻撃を実行して逃げるだけなら危険度はそこまで高くないような気もする。
なお、前線基地の周辺地形やらそこにいるであろう敵兵の数やらは依頼を受けないと教えてもらえない。
そこが一番重要なのだが、思うようにはいかないものだ。
(いや、言えないということは、少なくはないということか……?)
敵兵が多くない場合、手早く冒険者を募りたいなら敵は少数で危険が少ないことを喧伝するはずだ。
それができない程度には危険であり、一方でなりふり構わず虚偽情報を発するほど追い詰められてもいない――――総合すると、やや劣勢といったところだろう。
思考の海に沈んでいると、ガタリと音がした。
「お願い、します。どうか、力を貸してください……」
弱々しい声に丁寧な言葉。
誰かと思えば、立ち上がったネルが深々と頭を下げていた。
「戦争に詳しいわけじゃないけど、クリスが無理を強いられてることはわかる……。もしかしたら、撤退も認められないかもしれない……」
「…………」
ネルの分析は、おそらく正しい。
司令官である兄との関係はお世辞にも良好には見えなかったし、前線基地が完全に掌握されたら戦争都市が最前線になるという瀬戸際の状況。
冒険者たちはともかく、クリスや騎士たちは上手くいかなかったら即撤退というわけにはいかないだろう。
「ただでさえ少ない人数なのに……、冒険者が逃げ散ったらクリスが殺されちゃう……」
それも、きっとそうなるだろう。
クリスは強い剣士だが、その強さは相手の攻撃を見切って回避し続けるスタイルが有効な状況であってこそ。
戦争を支配するのは言うまでもなく物量だ。
矢玉と魔法による面制圧に、見切りや回避で抗う余地はおそらくない。
「あんたが戦争都市のせいで辛い思いをしたことは知ってる……。戦争都市を恨んでることも知ってる…………けど!」
顔を上げたネルの目には大粒の涙。
肩を震わせ、拳を握り締め――――
「お願い……。クリスを、助けて……」
祈るように、消え入りそうな声でそれを願った。
ホテルの一室に沈黙が満ちる。
高飛車な少女の殊勝な態度に、俺の頬は緩んでいた。
もちろん、この機会に日頃の鬱憤を晴らそうなどと考えているわけではない。
(愛されてるなあ、クリス……)
最近2人の仲が近づいたことには気づいていたが、ここまでデレていたとは思わなかった。
そのことを祝福する気持ちが表情に出ただけだ。
しかし、だからこそ――――
(まったく……。なにやってんだ、あいつは……)
女なんてよりどり見取りの色男のくせに、一本の薔薇の棘を何か月もかけて丁寧に取り除き、ようやく摘めるようになった花はほったらかし。
俺の相棒は、女より戦争が好きなんていう阿呆ではなかったはずだが。
まあ、今は一旦置いておこう。
どうせネルに請われるまでもなく、クリスの救援は決定事項だ。
同じ過ちは繰り返さない。
そう主張するには、些か間違い過ぎている俺だけども。
「厳しい戦いになるぞ。覚悟はあるのか?」
「もちろん。クリスを助けるためなら、なんでもする」
「へえ、なんでも?」
「……なんでも。娼婦の真似事をしろというなら、する……」
「お前は何言ってんの!!?」
思わず声が裏返る。
ティアが横にいるのにその冗談は笑えない。
ティアも少し不安そうにするのはやめてほしい。
空気を変えるために、咳ばらいをひとつ。
でも、そうか。
何でもしてくれるのか。
「二言はないな?」
「ない」
ネルは俺を真っすぐ見つめ、即答した。
迷いがないのは大変よろしい。
「ティアはどうする?」
「アレンさんが参加するなら、お供します」
「わかった。募集の締め切りは今夜だ。仕込みのための余裕はあんまりないから、飯を食ったら急いで支度してくれ」
『セラスの鍵』から彼女たちの防具を取り出しながら、俺は組み立てを考える。
娼婦の真似事はさておき、何でもするというならネルには女としての使い道がある。
「さて、『黎明』の戦争都市初仕事だ。一発かましてやろうじゃないか」
真剣な顔つきの少女2人を率い、俺は口の端を上げた。
日没後、冒険者ギルド。
カールスルーエ伯爵が出した依頼は、すでに冒険者たちに知れ渡っていた。
募集期限まで残すところ1時間程度となり、彼らは情報収集のために自然とギルドに集まってきている。
一方、募集状況そのものは芳しくなかった。
受付嬢や騎士たち、そしてクリスが呼び掛けを続けているものの、冒険者たちの顔には不安が浮かんでいる。
きっと彼らにも故郷を守りたいという思いはある。
それでも彼らが二の足を踏んでいるのは、依頼者のカールスルーエ伯爵への疑念があるからだ。
劣勢の戦争を少しでも有利に運ぶため、自分たちを捨て駒にするのではないか。
そんな疑いが、どうしても拭えないのだ。
(これ以上は増えそうにないな。頃合いか……)
ギルドの外からしばらく様子を窺っていた俺は、ネルに目配せしてギルドのロビーに踏み入った。
昼間のやり取りを覚えている者がいたのだろう。
向けられる視線は少なくない。
「B級パーティ『黎明』だ。辺境都市所属だが、参加は可能だろうか?」
「もちろんです!歓迎します!」
冒険者たちの視線を背中に感じながら、受付嬢から差し出された名簿に署名する。
書きながら名簿をざっと読み取ると、このままでは依頼が成立するのか危ぶまれるような集まり具合だ。
「うーん……?ずいぶんと参加者が少ないなあ?」
わざとらしく声を上げて視線を集める。
こちらの様子を窺うために静まり返っていたロビーに、俺の声は良く通った。
俺はロビーに屯する不安げな顔を見回し、そして鼻で笑った。
「そんな顔するなよ。足が竦むなら、ここで酒でも飲んでりゃいい。嫌がらせくらい、俺たちだけで十分だ」
冒険者たちが殺気立つ。
B級パーティとはいえ名も知らぬ外様、しかも多くの冒険者から見て年下の俺にコケにされれば当然だろう。
期待通りの反応だ。
「もちろん、ビビってない奴の参加は歓迎だ。ああ、俺がこうして声をかけてるのは、お前らのためなんだぞ?」
いけしゃあしゃあと、俺は演説を続ける。
「大都市に敵軍が迫るなんて大事だ。結果はどうあれ、今夜の顛末は各地の冒険者ギルドで語り草になる。そのときになって、戦争都市を救ったのは辺境都市の上級冒険者で、戦争都市の冒険者はギルドの酒場で震えてたなんて、そんな噂になるんじゃ肩身が狭いだろう?お前ら、馬鹿にされる覚悟はできてるか?」
何人かが立ち上がり、こちらに詰め寄る動きを見せた。
煽られたから参加しよう、なんて顔ではない。
武器に手をかけた奴すらいる。
しかし、血気盛んな冒険者たちの機先を制し、声を上げる者がいた。
「その人は貴族の仲間です!みんな、騙されないでください!」
フードで顔を隠した女が俺を指差して叫んだ。
女と俺の間を多くの視線が行き来し、徐々に視線に込められた疑念が強くなる。
俺は否定せず、肩を竦めた。
「よくご存じで」
「てめえ……!」
「まあ、信じられないという気持ちはわかる。だから、少し面白いものを見せてやろう」
怒声を上げた冒険者に背を向け、俺はクリスの前に立った。
「よう、さっきぶり。気分はどうだ?」
「…………。キミには……この都市を守る、義理なんてないはずだ……」
沈黙の末、無表情で絞り出したのはそれだけだった。
立場上、帰れとは決して言えないクリスだが、それを望んでいるのは誰の目にも明らかだ。
「そうだな。でも、こいつがどうしてもお前を助けてほしいんだと」
ここまで無言で事態を見守っていたネルが隣に並ぶと、クリスの表情が歪んだ。
それは嬉しそうにも見えたし、泣きそうにも見えた。
しかし、俺は感動の再会を演出するつもりはさらさらない。
ネルがクリスの視線を惹き付けた。
それを確認した俺は、ネルの腰を大胆に抱き寄せる。
「健気だよなあ……。お前を助けるためなら何でもしてくれるって。たとえそれが、娼婦の真似事でも」
「え…………?」
絶句するクリスの前で、俺はゆっくりとネルの頬に手を添え、上を向かせた。
ネルはクリスを横目で見た後、目を閉じる。
その頬を、一筋の涙が伝った。
俺はゆっくりとネルに顔を近づけ、彼女の唇を――――
「良い表情だ」
奪う寸前で動きを止めた。
俺が言ったのは、ネルのキス待ち顔のことではない。
視線で俺を射殺さんばかりに睨みつけるクリスのことだ。
そんな顔をするくらいなら、傍に置いておけばいいものを――――そんな言葉に代えて、口の端を上げる。
クリスの反応に満足した俺はネルを解放し、再び冒険者たちに向かって声を張り上げた。
「さて、ご覧のとおり。ここにいる『黎明』のコーネリア・クライネルトは、この貴族様の恋人だ。そして貴族様は、大切な大切な自分の女に他の男が触れるなんて、絶対に許せない」
クリスの殺気は本物だった。
誰もがクリスとネルの関係を信じただろう。
だから俺は、ネルの背中を軽く叩いて冒険者たちに向けて押し出す。
それはまるで生贄でも差し出すかのように。
「だから、貴族様には自分の女をチップにしてもらう。コーネリア・クライネルトは、絶対に戦線から撤退させない。どれだけ劣勢であっても、夜が明けるまで部隊の中で踏みとどまると約束する!俺たち『黎明』全員のスキルカードに誓おう!」
「アレン、何を!!!」
ロビーがざわついた。
所詮は何の効力もない口約束に過ぎない。
しかし、これだけの人間の前で掲げた誓約を守らなければ俺たちは笑い者になるだろう。
ここがアウェーだなんて関係ない。
噂は辺境都市まで届き、俺たちの名声は確実に失墜する。
冒険者というのは、舐められたらおしまいなのだ。
だから――――
「他の男にキスされそうになっただけでこの怒りようだ。自分の指揮で、こいつを犠牲にするなんてできると思うか?こいつが敵兵の慰み者になったら、この貴族様は自分を許せると思うか?いいや、自分で自分の首を刎ねるに違いないね」
俺は首を掻き切るような仕草とともに冒険者たちを睥睨し、嘲笑する。
「部隊ごと捨て駒にされるかもしれない……なんて言い訳は、もう使わせない」
美しい少女は、その身をチップとして差し出した。
指揮官の貴族は、自分の恋人をチップとして戦場に置いた。
いずれも俺がさせたことだが、そうなった事実は変えられない。
「さあ――――」
それでも足は動かないか。
そのザマで、冒険者として恥ずかしくないのか。
「臆病者は、だーれだ?」
どこかの鬼畜精霊を思わせる煽りと、見る者の神経を逆なでする憎たらしい笑顔を向けて。
俺はこの場にいる全ての冒険者に、覚悟を問うた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます