第325話 非公式昼食会
領主一族との昼食会は思った以上に和やかな雰囲気で進んだ。
会食が非公式なものだという言葉を補完するためか、最初に全ての皿が並べられる形式だったので食べるスピードの調整に神経を擦り減らす必要もなかった。
領主からティアとカイに対して改めて賞賛が贈られ、ティアとカイはそれぞれの視点から竜との戦いを語った後は、政治色のない雑談のような話題ばかり続いた。
「やはり、火山は今でも竜の巣なのだな」
「はい。目視したわけではございませんが、山頂にはそれらしき気配が集中しておりましたので。きっと、そう言って差し支えない状態だったことでしょう」
実のところ、領主への礼儀や会食マナーとは別に、この場にいる冒険者で俺だけが竜との戦いに参戦していないことが懸念材料だったのだが、幸い否定的な感情は持たれていないようだ。
おかげで俺は安心して『黎明』が赴いた火山について語ることができた。
「それで、貴方が対峙した竜というのは、どのようなものだったのですか?」
意外だったのは、領主が昼食会の場に子連れで現れたことだ。
俺より少し年上の息子が一人と俺と同じか少し年下の娘が二人。
特に娘二人は、ティアやカイが語る竜との決戦や俺の冒険話に興味津々だった。
「都市に現れた竜は見上げるほど巨大だったと聞いていますが、私たちが遭遇したのは人と同じくらいの大きさの幼竜でした」
「あれほど大きな竜も、やはり子どものときは小さいのですね」
「そのようです。しかし、小さくとも侮ることはできません。黒い鱗は優れた射手の矢を跳ね返すほど硬く、光り輝くブレスは大地と森を容易に消滅させます。私も危うく火山の土に還るところでしたよ」
「まあ!」
俺のイメージだとこの年齢の貴族はもう少し会話に慎重になる印象だったのだが、目の前にいる少女たちは純粋に会話を楽しんでいるようで、とても腹芸ができるようには見えない。
もちろんそう見えるように演技しているだけの可能性もあるので、適切な距離感を保つために常に注意を払う必要がある。
しかし、より注意が必要なのは息子の方だった。
「勇敢に竜と戦った貴方にこのようなことを言うのも失礼ですが、都市に残っていて良かったかもしれませんね。そのような危険に身を晒して、怪我でもしたら大変です」
言葉だけを切り取れば、そこまで目くじらを立てるようなものでもない。
ただ真剣さが行き過ぎていると言うべきか、視線に込められた熱がこの場にそぐわないというべきか。
そしてまずいことに、彼の視線の先にいるのは他でもないティアだった。
「これでも冒険者ですから、危険には慣れております。竜ではありませんが、人を丸呑みにするほど大きな魔獣と追いかけっこをしたこともあるのですよ?」
「なんと恐ろしいことを……」
「あれはパーティ結成直前のことでしたね。一人では討伐できず、結局アレンさんに助けられてしまいました」
自身に向けられている感情はティアも認識しているようで、機を見てこちらに話を振る。
彼女の視線を受けて、俺は自然に会話に入り込んだ。
「森の中で大蛇に追われているのを見つけたときは、心臓が止まるかと思ったよ」
「その節はありがとうございました」
「間に合ったから笑っていられるが……。ティアは後衛なんだから、後衛らしく守られていてくれ」
「ふふ、アレンさんが守ってくれるなら安心ですね」
会話が移り変わるタイミングで、嫌味や当てつけにならないように気をつけつつ密かに領主子息の様子を窺う。
しかし、彼はこちらを見ていなかった。
意識的に俺を無視しているのではなく、そもそもティア以外は眼中にない。
俺との親しさを示すために見せた柔らかな笑顔は、彼のハートを射抜いてしまったらしい。
完全に逆効果だった。
(これは参ったな……)
フィーネを巡ってフェリクスと争った時とは大きく事情が異なる。
あのときは『鋼の檻』との関係を考慮する必要がなく暴力だけで解決できる話だったが、領主とは今後も良好な関係を築いていきたいし、まさか領主子息に殴り掛かるわけにもいかない。
一方で、望まれたからと言って二つ返事で差し出すわけには――――そう考えたところで、心臓を締め付けられるような不快感が俺を襲った。
(差し出す……?ティアを……?)
あり得ない。
俺は一体何を考えていたのか。
自身の思考に愕然としながら、努めて表情に出さないように気をつけつつティアの様子を窺う。
話題が変わっても領主子息が積極的にティアに話しかける状況は変わらず、彼女は和やかに会話に応じている。
内心はどうあれ、ネルの家で他人の顔色を窺いながら育ってきた彼女にとって場の雰囲気を壊さないように会話を繋ぐことは難しくない。
この場において、ティアはそのように振舞うしかないのだ。
俺が態度を明確にしないから。
「初対面の女性の方とここまでお話が弾むなんて、お兄様にしては珍しいですわ」
「ええ、そうですね。いつもはあまり興味がなさそうですのに」
妹二人が領主子息とティアのやり取りに触れた。
何かを意図したものなのか否かは関係ない。
ティアに熱視線を注ぐ領主子息にとって、それは絶好の援護に聞こえたことだろう。
「ええ、ティアナさんとは話していて苦になりません。どうでしょう?よろしければこの後、庭園を案内させていただけませんか?」
隣に座るティアから緊張が伝わる。
それがどこまでを望んだ言葉なのかは領主子息本人にしかわからない。
しかし、それは間違いなくティアへの好意から出た言葉だった。
領主が主催する非公式昼食会。
領主子息が誘う私的な場。
似ているようで明らかに次元が異なるものだ。
話すだけだからといってティアを送り出せば、あれよあれよという間に外堀を埋められてしまうだろう。
自分でも気づかぬうちに、領主との会談というイベントに飲まれていたのかもしれない。
「申し訳ありませんが、この後は予定がありますので」
明確な拒絶は、俺自身の言葉ではっきりと紡いだ。
穏やかな会話は断ち切られ、領主子息の視線がこちらに向けられる。
敵対的な想いは読み取れず、そこにはただ純粋な驚きがあった。
「エミール、お前もそのような時間はなかろう。この後、私の執務室に来なさい。話がある」
俺の発言は礼を欠くと言われかねない危険なものだったが、幸い最上位者である領主がそれを咎める様子はない。
その後、妹二人によって無事に会話は持ち直し、和やかな雰囲気の中で昼食会を終えることができた。
「お疲れ様でした。本日着用されている礼装は差し上げますので、どうぞそのままお帰りください。お召し物と褒賞の品は、こちらにまとめております」
帰り際、控室ならぬ控え館に寄ると、メイドリーダーが大きな紙袋を差し出した。
俺たちが着て来た私服を畳んで詰めてくれたようで、この手の礼服を一着も持っていない身としてはありがたい申し出だった。
「世話になった」
「どうぞ、またお越しください」
「そうは言うが、簡単には来れないだろう?」
「招待されるに相応しい功績を期待しております」
口の減らないメイドリーダーに見送られ、俺たちは領主屋敷をあとにした。
カイとカミラともすぐに別れ、俺とティアは北通りを南に歩く。
服と杖が入った袋を俺に預け、空いた両手を俺の腕に絡めるティアは終始ご機嫌だった。
「その様子だと、今日は楽しめたみたいだな?」
「そうでもありませんよ。ドレスは素敵ですし庭園も見ごたえがありましたけど、緊張する場面は多かったですし……。できれば、これっきりにしてほしいですね」
予想外に辛辣なコメントに、俺は目を丸くしてティアを見下ろした。
一方のティアはこちらの反応を予想していたようで、悪戯な微笑と楽しげな視線が俺を待ち受けていた。
「私の機嫌が良い理由は、わかりますよね?」
ティアの笑顔が放つ不思議な圧力に押され、俺は視線を逸らした。
彼女が望む答えを探し当てることは決して難しくない。
領主屋敷はこりごりだと口にした以上、その要因が領主屋敷にないことは明らかである。
そうなると彼女の機嫌に大きく影響する要素を、俺はひとつしか知らなかった。
「こっちです」
俺が答えにたどり着いていることを察したティアは、上機嫌のまま俺の腕を引く。
ティアとネルの家は北東区域にあり、北通りからは都市中央の噴水を経由せずにそのまま左に折れた方が早い。
歩いたことのない通りだったが、住宅街として整備されている北東区域は南東区域のように荒れているということもなく、俺たちはすんなりと彼女たちの家に到着した。
「さあ、どうぞ上がってください。」
「うん?今日は上がって良いのか?」
この家は彼女だけのものではない。
あらかじめ伝えておいた場合ならいざ知らず、急に上がり込んだらネルの機嫌が悪化するのではないかという懸念があった。
そのことはティアもわかっているはずだが、彼女は誘いを撤回することなく頷いた。
「ネルは出掛けてます。しばらく戻らないと思いますよ」
「そうなのか。それは意外だな」
「私とネルは一緒に出掛けることも多いですけど、いつも一緒というわけじゃありません。お互い一人になりたいときはありますから」
そういうことであれば、遠慮は無用だ。
俺は玄関で靴を脱いでティアたちの部屋にお邪魔した。
しかし――――
「おっと……」
俺が着ているのはモーニングコートを思わせる礼服。
そしてティア宅のリビングはクッションを床に敷いてそのまま座る様式。
寛ぐには些か窮屈な状況だった。
「着替えますか?」
「そうだな……」
自分の服を持って自室に引っ込むティアを確認し、俺は手早く着替えを済ませた。
男の着替えに時間などかからず、せいぜい礼服を畳むときに少し手間取ったくらいのもの。
脱いだ服を袋に詰め直してクッションの上に胡坐をかき、ティアの着替えをゆっくりと待っているつもりだったのだが、ティアは思いのほか早くリビングに戻って来た。
「着替えは済みましたか?」
「ああ、こっちは済んだ。そっちは――――」
もう少し時間が掛かると思っていた、という言葉を俺は飲み込んだ。
彼女はドレス姿のまま、着替えてなどいなかったからだ。
彼女は微笑を浮かべたままゆっくりとした足取りでこちらに歩み寄る。
「式典は終わりましたので――――」
その言葉が終わるのも待たず、俺は立ち上がって彼女を抱きしめた。
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