第324話 褒賞授与式




「見てください、この花。小さくて可愛いですね」

「ああ、そうだな……」


 広大な庭園は各所に工夫が散りばめられており、訪問客を決して飽きさせない。

 それはティアと散策するための下見という名目で庭園を歩いていた俺が、適当に歩くだけで十分に楽しめるという結論に至って早々に下見を放棄したほどだ。

 しかし、実際にティアと並んで庭園を歩いてみると、咲き誇る花々がやけに色褪せて見える。

 庭園に魅力がないわけでも、散策に飽きたわけでもない。

 隣を歩く少女が放つ魅力が俺の目をくらませているのだ。


「花びらの形が同じなのに、色が少しずつ変わるのは不思議です。種類が違う花なんでしょうか?」

「ああ、そうかもな……」

「……アレンさん、ちゃんと聞いてますか?」


 花弁に触れていたティアがこちらを振り向き、おざなりな返事を繰り返す俺を咎めた。

 拗ねたような表情すら美しいと思ってしまうのだから、もう重傷だった。

 

「もちろん花も綺麗なんだが、今は花を愛でるティアを眺めていたい気分なんだ」


 庭園を眺めていても、気づけば視線が吸い寄せられてしまう。

 それくらい絵になる光景だった。


「私のことは後でも見れますけど、この花たちを見れるのは今だけなんですよ?」

「うーん……」


 言われてみれば確かにそうだ。

 メイドたちの手によって普段の何割増しかで美しくなっている彼女だったが、綺麗な服やアクセサリは今しか着けられないわけではない。

 借家の申し込みすら覚束ないD級冒険者時代ならいざ知らず、B級冒険者となった今なら西通りにあるどの店も俺の来訪を歓迎してくれる。

 俺が彼女に似合うものを買い与えれば良く、それを可能とする財力と信用はすでに手中に収めている。


 なのに、ここまでティアの姿を新鮮に感じるのはどうしたことか。

 ティアが触れる花に視線を向けながらその理由を考えて、俺はすぐにそれに行き着いた。


(ああ、そうか……)


 ティアと一緒にいるとき、彼女はいつも白いローブを着ているからだ。

 そしてそれは、俺が長らく彼女をデートに誘っていないという事実を突きつけた。


 最後に私服の彼女と二人で過ごしたのはいつのことだろうか。

 記憶を辿るとデートらしいデートはネルを仲間にした頃まで遡らなければ思い出せなかった。

 新鮮さを感じるのも当然だ。

 ティアと出会って半年以上経ち、思わせぶりな態度も散々見せているのに、俺は彼女にほとんど何もしてやれていなかった。

 

 冒険者としての活動中は共に過ごす時間が長く、彼女を放置している感覚がなかったというのは理由のひとつだろう。

 最近は次々と舞い込むトラブルの対処に追われていたという事情もある。


 そんなのはただの言い訳だ。

 二人で過ごそうと思えば、時間を作ることはできたはずだった。


「顔色が良くないみたいですが、どうかしましたか?」


 後悔が表情に出てしまったのだろう。

 花たちから離れてこちらに戻って来たティアが、心配そうに俺の腕に触れた。


「いや、なんでもない」

「本当ですか?」

「ああ、大丈夫だ」


 食事から何からフロルに世話され、体は至って健康。

 これはあくまで精神的な問題であり、その解決方法はひとつしかない。


「話は変わるが、今日この後時間あるか?」

「式典の後ですか?特に予定はありませんが」

「なら、デートしよう」

「デート、ですか……?」


 ティアは不思議そうに小首をかしげた。

 式典という大きなイベントを控えた状況でその後の――――しかも当日中のデートとなれば唐突感は否めない。


「いや、最近デートらしいデートをしてなかったと思ってさ」

「……オシャレな服を着て、庭園を鑑賞するのはデートらしくないんですか?」

「それはまあ、そうなんだが。また服でも身に行かないか?」

「夏用のものは以前買っていただきましたし、秋以降の服はもう少し経たないと品ぞろえが……。それより、あちらにある花の屋根が気になりませんか?」


 積極的に押してみたのだがティアの反応は芳しくない。

 花で飾り付けられた東屋へと向かって俺の腕を引く彼女は、俺の誘いよりも庭園の花が気になっている様子。

 それどころか遠回しに断られているような雰囲気すらあった。

 二度の誘いをかわされた以上この場は引くしかないのだが、これまであまり誘いを断ることがなかったティアのつれない反応に少しだけ焦りが生まれる。

 とはいえ、ここしばらく誘いもしなかった身としては、少し予定が合わなかったくらいで文句を言ったりしつこく食い下がったりするのも筋違いな話であり、結局は何も言えずに彼女の後に続いた。


「そろそろお時間です」


 しばらくしてメイドが散策の終わりを告げた。

 そのまま先導され、ティアとともにひと際大きな建物へと向かう。


「これだけ広いんですから仕方ありませんけど、回り切れなかったのは残念です」

「ああ、そうだな……」


 歩きながら背後を振り返って庭園を一瞥する。

 できれば心に余裕を持って散策したかったが、こればかりは自業自得だ。


 さりげなくティアの表情を窺うと、植物のアーチの下で眩いばかりに輝いていた笑顔にわずかな陰りが見えた。

 

 



 

 式典の時間が迫り、付き添いの俺とカミラは先に謁見の間へと案内された。


 暇つぶしに部屋の中を観察してみると、まず目立つのは大きくて豪華な領主の椅子と、部屋を挟んで正反対にある大きな両開きの扉だ。

 両者の間には真紅の絨毯が敷かれて道を作っており、俺を含む式典参加者はその道の左右に参列することになる。

 壁際には絵画や陶器などの美術品が適度な間隔で配置され、数は少ないが魔獣の剥製まで並ぶ。

 これらは庭園と同じく領主の威光を知らしめるための手段となっていた。


(美術品はともかく、剥製なんかは俺みたいな冒険者が見てもすごさが伝わるしな……)


 この場には騎士や文官のほかに貴族らしき人物も交ざっているが、今日の主役はあくまで冒険者。

 もしかするとその日の主賓によって置かれる物が変わるのかもしれない。


「アレンさん、落ち着いてますね……」


 いつの間にか、隣に『疾風』のカミラが居た。

 彼女は俺に苦手意識があるようなので敢えてこちらから話しかけないようにしていたのだが、偉い奴らしかいない空間で一人ぽつんと式典の開始を待つのは辛かったらしい。


「普通、こんな場所に連れてこられたら緊張しませんか?」

「俺が表彰されるわけでもないし、立ってるだけだからなあ……」

「それはそうですが……、やっぱり度胸が違いますね。カイも言ってましたよ、世話をされるのに慣れてるみたいだって」

「まあ、実際に慣れてるからな」


 素直にそれを認めるとカミラは目を丸くして驚き、頬を引きつらせる。

 何か変な誤解を招いてしまったようなので俺は慌てて言葉を補った。


「別に生まれが良いとかじゃないからな?今の住処がそれなりの屋敷で、家妖精と使用人がいるから世話される機会が多いってだけだ」

「それはそれですごいと思いますけど……。クリスさんやコーネリアさんの雰囲気が庶民らしくないので、もしやと思ってしまいました」

 

 偉い奴らに話しかけられたら困るから逃げて来たのに、逃げる場所を間違ったかと気が気ではなかったのだろう。

 カミラは胸を撫でおろして安堵の笑みを浮かべた。


 周囲に知り合いがいないことも手伝って普段の警戒感まで抜け落ちたようで、俺たちはそのまま他愛無い雑談を続けた。

 初めて俺を認識したのがジークムントとの殺し合いの最中ではそうなるのも止む無しだが、やはり必要以上に怖がられるのは気分が良くないし、同じ都市を本拠地にする冒険者同士気軽に話せる程度の関係は作っておきたい。

 カミラはカイとくっついたようなので、誤解を受けない程度のほどほどの距離感で。


「妖精、最近よく見かけるようになりましたね。西通りには店員が全員妖精の店までできたそうですし」

「『妖精のお手製』か?」

「ご存知でしたか。服や装飾の方はちょっと手が届きませんけど、お菓子は病みつきになるほど美味しいとか。もっともお菓子の方もいつも行列で、私はまだ食べたことがないので噂で聞いただけですけど……」

「へえ、それは良いことを聞いた」


 妖精が作る人気のお菓子は、我が家の家妖精の相対的な成長度合いを知る良い機会になる。

 B級冒険者になって普段の装いにも気を配る必要が出てきたので、ある程度は高価な服も用意したいし、今日の事で高級感がある服がティアによく似合うこともわかった。


(まあ、今日は断られてしまったが……)


 また今度、ティアの都合が良い日に誘ってみよう。

 戦争都市への旅行の予定があるから、その後になるかもしれないが。


「そろそろ始まりそうですね」


 文官たちが配置に着いたことで式典が始まることを察した者たちが、赤絨毯沿いに集まって口を閉ざす。

 周囲が静かになっていくにつれてそれに気づく者が増えていき、やがて謁見の間は完全な静寂に包まれた。


 儀礼用の煌びやかな服に身を包んだ文官が領主の入場を告げる。

 周囲の者たちが礼の姿勢を取ったので、俺たちもそれに倣って頭を下げた。


 俺が頭を上げたとき、豪奢な椅子に一人の男が座っていた。


(あれが……)


 辺境都市を統べるオーバーハウゼン家の当主、ミハイル・フォン・オーバーハウゼン。

 名前は知っていたが、その姿を目にしたのは今回が初めてだ。


 金色の髪をオールバックにまとめ、椅子に負けないくらいの豪奢な衣装を纏う領主は、眼鏡の奥に見える鋭い眼光で謁見の間に集う者たちを睥睨する。

 失礼過ぎて絶対に口には出せないが、彼を見て思い浮かんだ言葉はインテリヤ〇ザだ。


「表彰者、入場」

 

 文官の声に合わせて謁見の間の大扉が開き、その場にいる者たちの視線がそちらに移る。


「おお」

「ほう……」


 参列者のところどころから控えめな驚きと溜息が漏れた。

 彼らの視線を一身に受けるのはドレスで着飾った栗色の髪の少女。

 赤絨毯を歩む姿は美しく、その顔には穏やかな微笑が浮かんでいる。

 隣を歩くカイがガチガチに緊張しているので堂々とした所作が際立っており、ハラハラしながら見守っているカミラには悪いが、こちらは安心して見ていられた。


 ティアとカイは領主の近くで礼を取り、そこからは事前に聞かされた流れのとおりに進む。

 竜との決戦における二人の活躍について領主からお褒めの言葉を賜り、褒美としてティアには杖が、カイには槍が下賜された。

 しかし、二人は更なる活躍を誓い拍手に包まれながら退場――――するはずのところで、進行を担う文官を制して声を上げる者がいた。

 

「竜との戦いの話を直接聞きたい。労いを兼ねて、非公式だが食事の席を用意した」


 そう告げたのは、ほかでもない領主その人。

 進行役も少々困惑している様子を見るに、俺たちだけ知らされていなかったというわけではないらしい。

 

「もちろん、付き添いの者たちも同席してもらう」


 巻き添えを食ったカミラの肩が跳ねた。

 横目に見える彼女は視線を床に落としたまま硬直しており、混乱して頭が真っ白になっているのが手に取るようにわかる。

 謁見の間に入っただけで緊張するような人間に、領主から直接お声が掛かる状況は辛いだろう。

  

 もっとも、置かれた状況は俺も同じだ。

 領主直々の誘いを断る余地は猫の額ほども存在しないので返事はイエスかハイの二択なのだが、もとより付き添いのつもりでこの場にいる俺たちは領主に直答するときの作法などレクチャーされていない。

 そんな中、ティアは視線でこちらの判断を仰ぎ、カイは祈るような眼差しでこちらを見つめている。


「…………」


 このまま領主を待たせるのも失礼になる。

 俺は一歩赤絨毯に踏み出して体を領主に向け、胸に手を当てて軽く頭を下げた。


 直答の可否がわからない以上、仕草で承諾を示すしかないという考えだが、果たして――――


「うむ。では後ほど」


 領主は満足げに席を立った。

 周囲の反応を見ても、こちらを非難するような視線はない。

 これが正解かどうかはわからないが、少なくとも及第点ではあったようだ。


 ティアとカイが退場して式典の終了が告げられると、先ほど俺の着替えを手伝ってくれたメイドリーダーが俺とカミラの前に現れた。


「では、昼食会の会場へご案内します」

「…………」


 よくも黙っていたなと恨み言を込めた視線は、すまし顔のメイドリーダーに何の痛痒も与えることはできなかった。


 普段なら吐き出していただろう溜息を不満と一緒に飲み込んで、俺は彼女の後に続いた。






 中庭に面した昼食会の会場には、すでにティアとカイが到着していた。

 庭園と同様に目を楽しませる趣向が凝らされていて、ゆっくり見物できるなら楽しい時間になっただろうが、特にカイはそれどころではない様子だ。

 

「どうした。顔が真っ青だぞ?」

「…………」


 こちらを振り向いたカイは真顔で頬がヒクヒクと引きつっていた。

 揶揄いに反論するどころか、嫌な顔を見せる余裕もないらしい。

 知った顔が増えたことに対する安堵すらないのだから重症だ。


「こんな場所で食事会なんて初めてだ……。俺は、どうすればいい……?」

「俺も初めてなんだから知るわけないだろう」

「はあ!?……ッ、あ…………」


 素っ頓狂な声を上げたカイは室内からの注目を一身に浴びることとなった。

 しばらくはその身を小さくして視線に耐えていたカイだったが、俺やカミラからの呆れの視線に気づくと遅まきながら言い訳を始める。


「なんで初めてなのにそんなに落ち着いてるんだ……!これから領主と同じテーブルで飯食うんだぞ……!」


 小声で身振りも控えめなのに、彼が感じている理不尽がしっかりと伝わってくるのはその必死の形相ゆえか。


 人は自分より慌てている誰かを見ると落ち着くもの。

 だからカイの表情が必死になるほど俺たちは落ち着きを取り戻すのだが、一方の本人は落ち着いている俺たちを見てさらに焦燥を色濃くするという負のスパイラルに陥っている。

 このまま放っておくのも忍びないので、俺たちが慌てる必要がない理由を彼に説明することにした。


「落ち着け。俺たちは昼食会のマナーなんて期待されてない」

「はあ……?」


 カイは片眉を上げて疑念を呈したが、落ち着いて考えてみれば容易にわかることだ。

 そもそも冒険者という存在に対して世間が持つイメージは野蛮の一言に尽きる。

 南東区域に蔓延るチンピラと同列視されることもあるくらいで、そんな連中がお行儀よく振舞うことなんて誰も期待していない。


 そして、だからこそ昼食会の誘いは直前だったのだ。

 仮に昼食会の案内が事前にされていたら、俺たちは領主という大貴族の前で相応の振舞いをする義務が生じるが、この昼食会は直前に通知されたため俺たちは何の準備もしていない。

 野蛮な冒険者が準備もなしに昼食会に臨んで適切に振る舞えるはずもないので、多少のマナー違反は仕方がない――――そういう状況を、わざわざ領主側が用意してくれたのだ。

 それが意味するところを、俺たちは好意的に捉えるべきだろう。

 

「つまり、この昼食会の場に必要なのは、労いの場を設けてくれたことに対する感謝と敬意だ。マナーはある程度お目こぼししてもらえるから、口の中に食い物が入ってるときに話すのだけは気をつけろ。どうしても不安なら俺の真似でもしとけ」

「わ、わかった……」


 落ち着きを取り戻しつつあるカイを眺めているとき、ふと前世の昔話を思い出した。

 食事会に呼ばれた坊さんが食事中に芋を取り落としてしまい、その場にいる村人がそれをマナーと勘違いして畳の上が芋だらけになるという話だ。

 あそこまで行くとマナー以前の問題なので、そうならないように注意しなければならない。

 マナーに寛容な領主だって、自分が主催する食事会で平民が食べ物で遊び始めたら流石にキレるだろう。

 

 俺たちの会話が一段落したところを見計らい、こちらに寄って来た使用人が声を掛けた。


「そろそろ領主様がお見えになります」

「わかった。どちらで待てば?」


 直球で尋ねると、使用人は嫌な顔ひとつせず席順や着席までの動きについて説明してくれた。

 カイにはああ言ったが、そもそもマナーなんて時代と地域によって千差万別なのだから、俺が知っているマナーとこの場に必要なマナーが同じものである可能性は高くない。

 だから先ほどの説明は、カイではなくこの場に居る使用人に向けたものだ。

 こちらがマナーを理解していないこと、そして教えてもらえば素直に従うことをそれとなく伝えることで、使用人もこちらの面子を気にせず動けるようになる。

 

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。

 知らないことは知ってる奴に教えてもらえばいいのだ。

 

 そして、セッティングされた席から少しだけ離れて待つことしばし。


「待たせたな。公式な場ではないから、あまり肩肘張らず楽にしてくれ」


 昼食会の場に、領主が現れた。

 


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