第323話 領主屋敷と花の精霊
「すごいな」
「きれいですね」
招待状の確認を受けて城門を抜けると、そこは領主屋敷だった。
野球場を10個くらい建ててもなお余裕がありそうな広大な敷地。
それを埋め尽くさんばかりに咲き誇る花たち。
ここより少し高い位置で、それらに負けない威容を誇る領主の居城。
幼い頃から知っていたはずの知識は、やはり表面的なものに過ぎなかった。
こうして自分の目で確かめることで、ようやくそれを理解できた気がする。
「まずはあちらで式典のためのお召し替えを。時間には余裕を持たせていますので、よろしければ式が始まるまでの時間で庭園をご案内します」
案内役の文官が示す建物が更衣室兼控室のような役割を持つらしいが、それすらも俺の屋敷に近い規模がある。
しかも、それが庭園の各所に点在しているのだから、領主という存在が持つ隔絶した力を感じずにはいられない。
それがたとえ、ここを訪れた者がこういった感情を抱くよう計算されたものだとしても、この胸に生まれた驚きと畏怖が色褪せることはなかった。
「アレンさん、また後で」
「ああ、楽しみにしてる」
建物の中に入ると、俺たち4人は男女で分かれてそれぞれ更衣室に案内された。
俺も含めて全員が一応のおめかしをしてきたわけだが、式典という正式な場で領主の前に出るには一応のおめかしでは全く足りない。
主役であるティアとカイは当然として、付き添いの俺とカミラも含めてちゃんとした礼装を着用する必要があった。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
やたらと広い更衣室では壁際に並ぶ数多くの衣装と共に大勢のメイドが俺たちを待ち構えていた。
俺は奥に見える試着室――――ではなく部屋の中央付近にいくつか据え付けられた仕切りもカーテンもない台座のひとつに誘導されると、早速メイドたちに取り囲まれる。
手早く服を脱がされ、別のメイドが入れ替わりで腕や胸回り、首回りと体の各所を計測しながら読み上げていき、さらに別のメイドがそれを記録して復唱する。
それが済むと、俺を囲んでいたメイドたちは壁際の衣装の方へ散っていき、一人残ったメイドたちのリーダーらしき女性が俺を奥へと誘導した。
「お召し物を選ぶ間、湯浴みをしていただきます」
試着室だと思っていたスペースはシャワー室だったようだ。
ワンルームの居室ほどの広さがあるスペースには、濡れてもいいように防水素材と思しきエプロンや手袋を着けたメイドたちが待機しており、俺はメイドリーダーに見守られながら犬猫のように丸洗いされた。
「慣れていらっしゃいますね?」
バスローブを羽織って元の場所に戻り、用意された椅子に腰掛けて髪を拭かれていると、メイドリーダーから話しかけられた。
メイドたちの仕事を邪魔しないよう、極力頭を動かさないように気を付けながら雑談に応じる。
「いや、そうでもない。仕事の邪魔をしないようにと思っているだけだ」
この場にいるメイドたちが仕事に精通していることは、彼女たちの動きを見ていればわかる。
今も熱心に俺の髪を乾かしてくれている者。
壁際から衣装を選んで持ってくる者。
その衣装を確認して女性側と調整するため部屋を出て行く者。
限られた時間で客人の装いを整えるために各人が何をすれば良いか、全員がしっかりと把握して連携を取っている。
洗練されたプロの仕事には惚れ惚れするばかり。
俺ができることなど何もないのだから、せめて彼女たちの邪魔をしないようにと気遣うのは自然なことだ。
全員がテキパキと動き回る中、よくわかっていない俺は動くに動けないという理由も小さくないのだが――――それは言わずに心の中に仕舞い込んだ。
「やりにくいことがあれば遠慮なく言ってほしい」
「そうして体の力を抜いて任せていただくのが、我々としては一番助かります。慣れない方には、それが一番難しいと存じておりますが」
チラリと視線を向けると、シャワー室でカイが何事か騒いでいる声が聞こえてきた。
照れているのかくすぐったいのか、カイが抵抗するので進捗はこちらより遅れているようだ。
(まあ、気持ちはわかるけどな……)
体を洗うこと自体はアンが時々やってくれるので戸惑いはなかったが、股間を洗われるときは俺も落ち着かなかった。
性欲的な意味ではなく見知らぬ他人に無防備な急所を晒していることに緊張してしまうのだ。
メイドリーダーと雑談する間に髪は大方乾かされたようで、俺はバスローブの代わりに下着を身に着けて再び台座の上に立つ。
メイドたちは近くのテーブルに積まれた衣装を広げながらああでもないこうでもないと話し合っていたが、女性側更衣室に向かった調整役が戻って来たことで議論は決着したようだ。
メイドたちに手伝われて選ばれた礼装一式を身に纏い、目の前に置かれた鏡で自分の姿を確認する。
「脇役にしては、立派過ぎないか?」
領主屋敷で執り行う式典であるからフォーマルな装いになるのは当然としても、最終的に選ばれた黒の礼服は所々に装飾が施されており、俺が想像していた完成図よりいくらか派手に仕上がっていた。
今日の俺の立ち位置はあくまでティアの付き添いであり、主役を立てるように地味なものが選ばれると思っていたから少々意外だ。
「これくらいでないと、横に並んだ時に見栄えが悪くなるとのことですから」
「へえ、それは楽しみだ」
見劣りしないようにこの衣装を選んだというならば、ティアの衣装が地味ということはあり得ない。
主役の装いに自ずと期待が高まる。
「少々、髪の長さを整えても?」
「構わない。まとめ方も任せる」
最近髪を切っていなかったので、整えてくれるというなら願ってもない。
椅子に掛けると散髪用のケープを巻かれ、耳の横でハサミが鳴る音を聞きつつ、俺は目を閉じた。
しかし、やはり目を閉じると眠くなるのが人間というもの。
すぐに抗いがたい眠気に襲われ、気づけば整髪から化粧まで終わった状態でメイドに肩を揺すられていた。
「おお……?申し訳ない、寝てしまったようだ」
俺を起こしてくれたメイドは何も言わずに頭を下げたが、手こずっていたはずのカイの準備が終わりかけていたので、もしかしたら結構な時間眠ってしまったのかもしれない。
「お連れ様はまだ時間が掛かるので、先に庭園に出ていてほしいと伝言を預かっています」
聞いてみると、外に出るのも建物の中で待つのも自由であるとのこと。
中で待っていても良かったのだが、それだとティアに気を使わせてしまうだろうと思い、俺は外に出ることを選択した。
「カイ、またあとで」
「ああ……」
すでに疲労困憊なカイを残し、俺は建物の外に出た。
借り物の礼装はやや窮屈だが、晴れ渡る空の下、色とりどりの花たちが咲き誇る庭園はそれを忘れさせるほど見応えがある。
「少し歩いて構わないか?」
「ご自由にどうぞ」
ティアと歩くときのための下見がてら庭園を歩き回ると、連絡要員としてついてきたメイドが庭園の解説をしてくれた。
おかげで花に詳しくない俺でも十分に散策を楽しむことができ、それに関しては良かったのだが――――
「あちらの方向に見えますのが――――」
庭園の一角を指差しながら、メイドはまたこちらに肩を寄せた。
立ち位置が遠いと指す方角がわかりにくいから――――というのは建前だろう。
このメイドは先ほど俺の着替えを手伝ってくれたうちの一人であり、俺はそのときの精鋭部隊のような立ち振る舞いをこの目で見ている。
そのときのきびきびした動きと、今のうっかり距離感間違えちゃいました的な振る舞いが全く一致しないし、加えて言えばこのメイドから以前ギルドでやたら俺の手を触ってきた受付嬢と似たような雰囲気を感じるのだ。
若く、顔立ちは整っており、スタイルも悪くない。
女に飢えていたら、おそらく勘違いしてしまうとも思う。
狙いは俺の懐柔か、はたまたティアとの離間か。
このメイド個人の都合ということは流石にないだろうが。
そうしているうちに別のメイドが俺たちのところにやってきた。
俺が庭園を歩き始めてから、すでに結構な時間が経っている。
もしや、ティアの準備ができる前にタイムオーバーかと思いきや、そのメイドの口から出たのは予想外の言葉だった。
「お連れ様がお待ちですので、ご案内します」
どうやらティアも準備ができていたらしい。
この広大な庭園で俺を探して呼び戻すより、自分が足を運ぶというのは確かに合理的だ。
ボディタッチが多めのメイドと交代で付いたメイドは迷路のような庭園をするすると歩き、俺を先導する。
「どうぞ」
少しひらけた空間に出ると、メイドは俺に道を譲った。
広い庭園のところどころに配置された植物のアーチを連ねて作るトンネルの影。
揺れるドレスの裾と栗色の髪に誘われ、俺はアーチの中を歩く。
あと数歩でその影を踏む。
そんなタイミングで、彼女はアーチの裏からゆっくりと歩み出た。
「――――」
あまりの美しさに思わず息を飲んだ。
用意していた誉め言葉は頭の中で霧散し、口から漏れるのは溜息ばかり。
やっとこぼれたのは拙い、しかし、本心からの言葉だった。
「……本当に綺麗だ。花の精霊が、陽気に釣られて顔を出したのかと思った」
「ありがとうございます。精霊に間違われたのは、これで二度目ですね」
彼女は微笑み、ドレスの裾を摘まんでゆっくりと回って見せてくれた。
纏うドレスは彼女の瞳に似合う淡い薄緑色。
胸元の露出は控えめな代わりに、豊かな起伏と細い腰のラインをしっかりと強調するデザイン。
裾に向かって緩やかに広がる布地には小さな無色の宝石が天の川のように散りばめられ、日の光を反射して煌めきを放っている。
そして宝石たちに負けないくらいの輝きを放つのは普段にもまして磨き上げられた栗色の髪。
普段は腰まで真っすぐに伸ばされているそれは、一部が丁寧に編み込まれてアクセントになっている。
ネックレスやイヤリングの宝石が控えめなのは、あの精鋭メイドたちがこれ以上の装飾は蛇足だと判断したからだろう。
それくらい、ティアの美しさは完成していた。
「俺が画家なら、この光景を絵画にできたんだけどなあ……」
両手の親指と人差し指で眼前に縦長の枠を作り、その中にティアの姿を捉える。
植物のアーチ、差し込む光、緩やかな風に揺れる髪、輝きを纏う美しい少女。
タイトルは『花の精霊』だ。
しかし、当の彼女は首を横に振り、俺の言葉を否定する。
「必要ありませんよ。私は、いつだってアレンさんだけのものですから」
数歩の距離を詰め、触れそうな距離で彼女は俺を見上げる。
彼女が纏う悪戯っぽい雰囲気と、緩んだ口唇に薄く引かれた普段と異なる色の紅が、花の精霊に一滴の妖艶さを与えた。
妖花の香りに誘われるように伸ばした手を、なけなしの理性で押し留める。
ここで衝動に身を任せたら、せっかく整えたドレスが台無しだ。
「抱きしめられないのが惜しいな」
自分を落ち着かせようと大きく息を吐きながら、ティアの手を引いて植物のアーチを出る。
その途中、彼女は背伸びをして耳元で囁いた。
「式の後でしたら、存分にどうぞ」
青息吐息となった理性に追撃を加えられ、思わず頬が緩んでしまう。
必死に表情を取り繕う様子を見ていたメイドが、怪訝な顔でこちらを見つめていた。
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