第322話 北通り




 ギルドマスターを巻き込んだ三者面談が消化不良に終わった翌朝。

 カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ました俺は、毛布を巻き込みながらのそりと上半身を起こした。


「くあ……」


 大口を開けて欠伸をし、ついでに両手を組んで伸びをする。

 俺は自由気ままな冒険者。

 普段はゆっくりと朝を過ごす権利を有しているが、あいにく今日は午前中から大事な予定が入っていた。

 風呂と朝食、そして準備の時間を考えると二度寝の時間はない。


 俺は横から腕を掴む手をゆっくりと剥がし、手の主に毛布を投げつけた。

 毛布の下から呻き声が上がり、すぐに下手くそな泣き真似が始まる。


「うー、アレックスにぃ、ひどい……。しくしく……」


 寝巻を脱いで再びローザに投げつけると、最近は家着になっている浴衣に袖を通しながら溜息を吐く。


「アンはもう孤児院で働いてる時間だってのに、お前という奴は」

「だって、アレックスにぃが寝かせてくれないから……」

「ゆっくり寝たいなら自分の部屋で寝ろ。それに、条件はアンも同じだろうが」


 昨夜、このやたらと大きなベッドには俺たち二人のほかに、この屋敷で暮らすもう一人の少女がいた。


 しかし、それを思わせる痕跡はすでにない。

 アンは早朝から夕方まで孤児院で働いており、今日もすでに屋敷を出たあとだ。

 彼女はロミルダに孤児院を任せていることに負い目があるようで、せめて朝は早くと考えているため、こういうことは珍しくなかった。


 彼女の方はやや働き過ぎで、もう少しゆっくりしてもいいと思う。

 ローザと足して2で割ったような感じがベストだと思うのだが、なかなか上手くはいかないものだ。


「今日はお前も勉強を教えに行くって言ってたよな?遅刻してアンたちを困らせるなよ」

「はーい……」


 毛布の隙間から伸びた手が俺を送り出すようにひらひらと振られ、すぐに毛布の中に引っ込んだ。

 あまりのぐうたら具合に毛布を引きはがしてやろうかと思ったが、孤児院の勉強の時間は日が高くなってからで、ローザにはまだ二度寝をする余裕がある。

 無理に起こすこともないかと思い直し、俺は静かに寝室を出た。


 階段を降りて向かったのは自慢の浴室。

 普段より心持ち丹念に体を洗い、ゆっくりと湯に浸かって汗を流した。

 替えの浴衣に袖を通して食堂に顔を出すと、我が屋敷の支配人が見計らったかのようなタイミングで朝食を運んできてくれる。


「おはよう、フロル」


 席に着きながらフロルに朝の挨拶をすると、彼女も食卓の横で丁寧にお辞儀をする。

 彼女の傍らに置かれたワゴンには朝食が盛られた食器たちが整然と並んでいるが、彼女が顔を上げるとそれらはワゴンを飛び出し、俺の前に配膳された。

 スープ一滴零すことなく物音も最小限。

 もう見慣れた光景だが、家妖精としての技量の進歩は留まるところを知らない。


「いただきます」


 美味しい食事は活力を生み、人生を豊かにする。

 俺は日々の恵みに感謝の言葉を述べ、焼きたてのパンを一口大にちぎって口の中に放り込んだ。






 自分の朝食後はフロルに朝食を取らせ、着替えてから屋敷を出る。

 首から冒険者カードを下げて腰に護身用の片手剣を吊り、南通りを北に向かって歩いた。


 ここまでは普段と何ら変わらぬ行動だが、今日はこの後ひとつのイベントが予定されている。


 都市中央の噴水を囲む雑踏に加わり、周囲の人々や店の様子をぼんやりと眺めて時間を潰す。

 待ち合わせ場所として知られるこの場所にはひっきりなしに人が集まり、待ち人を迎えた者から笑顔で去っていく。

 俺の待ち人が現れたのは、周囲の顔ぶれが大方入れ替わった頃だった。


「ごめんなさい、待たせてしまいましたか?」

「いや、時間ぴったりだよ」


 ティアは穏やかな風に栗色の長い髪をなびかせ、小走りでこちらへと駆け寄って来た。

 気にするなと笑いかけながら、俺は彼女の装いをチェックする。

 今日の服装は袖にフリルをあしらった白のブラウスと淡い青色のスカート。

 見覚えがあるのは、俺が選んで彼女に贈った服だからだ。


 ティアも俺の視線の動きに気づき、腕を背中で組んで小首をかしげた。

 俺の言葉を期待する彼女に、どうにかして素敵な評価を贈りたいところ。

 しかし、こういったことが得意なクリスと違い、女性服の種類すら頭に入っていない俺では目の前の美しい少女に見合うだけの言葉は用意できない。


「……うん、似合ってる。在り来たりな言葉しか出せないのが残念なくらいに」

「ふふ、十分ですよ。気に入ってもらえたのは、しっかり伝わりましたから」


 情けないことを宣う俺に対し、彼女は不満も言わずに微笑んだ。

 そのまま隣に並び、自然に俺の腕を取って体を寄せる。

 

「付き合わせてしまってすみません。今日はよろしくお願いしますね」

「気にするな。今日の主役のエスコートを任されるなんて、光栄なことだ」


 隣の少女に集まる周囲の視線を感じながら、俺はティアを伴って歩き出した。

 

 政庁の役人のほか、噴水で待ち合わせる恋人や若者たちをターゲットにした飲食系の店が多く並ぶ都市中央部。

 冒険者ギルドがあり、冒険者向けの宿や装備、旅支度用品などを扱う店が多い南通り。

 一般向け住宅街に近く、市民が求める食料品や生活雑貨の店が数多く並ぶ東通り。

 高級住宅街に近く、高級路線の店が何でも集まる西通り。


 この辺が俺の通常の行動範囲だ。

 ただ、今日の俺たちが進むのはこの中のいずれでもない。


「思えば、北通りはあまり足を運んだことがなかったな」


 北通りはいわゆるオフィス街で、各種職業ギルドや商会の本店、そしてこれらを客とする店が多く並んでいる。

 どことなく堅苦しい雰囲気を感じるのは、きっちりとした服装の人々の割合が明らかに多いからというのもあるだろうが、最たる理由は俺たちの視線の先――――北通りの北端に位置するひと際大きな建造物にある。

 

「領主様のお屋敷に近いですから、理由もなく近寄るのは畏れ多いという気持ちはわかります」


 市民から領主屋敷と呼称されるその建物は、屋敷というよりも城に近い構造をしている。

 敷地全体の広さはドーム何個分といった風に表現すべきレベルで、当然だが俺の屋敷とは比較にならないほどに大きい。

 一般市民が堀と高い城壁に囲まれた広大な敷地の中を窺い知る術はなく、唯一許されているのは開け放たれた城門という限られた視界から庭園と城の外観を遠目に観察することだけ。


 ただ、それも俺たちにとっては今日までのこと。

 俺たちはこれから城門の中に足を踏み入れ、その中の様子をこの目で確かめることになる。


「なんだか緊張してきました……」

「屋敷の主から招待されてるんだ。堂々としていればいい」


 俺たちが北通りを歩く理由。

 それは俺が都市を不在にした期間に行われた竜との戦いにおいて多大な戦功を認められたティアが、褒賞授与のため領主屋敷に招待されているからである。

 

 しかし、今日の主役はバッグから招待状を取り出して浮かない顔だ。


「本当に私でいいんでしょうか……」

「うん……?どうしたんだ、今更」


 名誉なことだと思うがティア本人は自身の功績に納得していない様子。

 不安の表れだろうか、腕を抱く力が心なしか強くなった。


「私が戦場にいたのは短い時間で、直接竜と対峙した人たちの方が危険は大きかったはずです。そういう人たちを差し置いて、安全なところにいた私が褒美をいただくのはどうなのかなと……」

「なんだ、そんなことか」


 くつくつと笑う俺を、ティアは不満げに見上げた。

 拗ねた顔も可愛らしくいつまでも眺めていたいくらいだが、そんなことを言って本格的に機嫌を損ねても面白くないので謝りながら弁解を始める。

 

「敵を押し留めるのが前衛、敵を攻撃するのが後衛。それはただの役割分担であって、どちらが称賛されるべきなんて話にはならない。そんなことは領主側もわかってるから、選ばれたティアは堂々としていればいい」


 実際には見栄えとか新たなB級冒険者と縁を持っておくとか、表に出てこない理由もあるだろう。

 しかし、そんな裏事情は俺が把握していれば済むことで、わざわざ口に出すのは野暮というもの。


 俺はティアの頭を撫でようと手を伸ばし、せっかく整えた髪が崩れてしまっては良くないと思い直して代わりに襟元に垂れる髪に指を通す。

 彼女は不満そうな顔を維持しようと抵抗していたが、俺の指が頬や首元にまで触れ始めると間もなく表情を崩した。


「もう、アレンさんはずるいです……」

「今は触れる部分が限られるから、仕方がないんだ」

「式の後でしたら、存分にどうぞ」


 控えめに微笑む彼女を今すぐ抱きしめてしまいたい。

 そんな気持ちを抑えて式の後のことに思いを馳せていると、背後から覚えのある声が聞こえた。


「こんな人通りが多い場所で何してんだ……」


 慌ててティアに触れていた手を離し、背後を振り返る。

 多分に呆れを含んだ声の主は短い金髪の若い男――――C級冒険者パーティ『疾風』のカイだった。

 隣で軽く会釈をするパーティメンバーのカミラ共々冒険者らしからぬ装いに身を包んだ二人。

 服装に合わせたわけではなかろうが、表情は記憶にあるものより幾分か硬い。

 遭遇した場所が北通りであることまで含めて考えれば、彼らの目的に思い至るのはさほど難しいことではなかった。

 

「その様子だと、そっちもか?」

「ああ、まあな」


 カイが懐から取り出した招待状はティアに届いたものと同じ意匠のもの。

 『疾風』の方はカイがメインでカミラが付き添いのようだ。


「ったく……。こんなとこで人目構わずいちゃつきやがって、ガチガチに緊張してるこっちが馬鹿みたいじゃねえか」

「いや、そこまで言われるほどでは……」

 

 同意を得ようとティアに向けた視線は、頬を赤らめて俯き震える彼女を捉えた。

 どうやら、同意は得られないらしい。


「……そろそろ時間だ。行くぞ」


 もの言いたげなカイの視線を強引に振り切った俺は、ティアの手を引いて領主屋敷へと足を踏み出した。



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