第320話 閑話:とある元商家令嬢の物語2




 ここから遥か西にある帝国南部の物流の要となる街と、ここから遥か東の辺境都市。

 両者のちょうど中間地点に位置するこの街は、比較的大きな宿場町として栄えている。


 話し合い――というほどの話し合いもしなかったけれど――の末、あたしたちは街に寄ることにした。

 戦闘が避けられないなら、余力があるうちの方がいいと思ってのことだ。


 馬車は使えないかもしれない。

 宿に泊まれないかもしれない。


 それくらいのことは想定していたけれど、実際の状況はもっと悪かった。


「こんにちは。またお会いしましたね」


 目抜き通りを街の中心部まで進んだとき、エクトル・リヴァロルと名乗った商人が衛士を伴って再びあたしたちの前に現れた。


「よく僕たちの前に出てこれたね」

「その節はお世話になりましたが、今回は別件です。実は『黎明』の皆さんに犯罪の嫌疑がかかっておりましてね。多少ながら、あなた方を知る者として衛士の方々に協力していたところなんですよ」

「冒険者パーティ『黎明』のアレンには、『鋼の檻』のメンバー48人を殺害した疑いが懸かっている」


 あいつは、ずいぶんと派手に暴れたようだ。

 たとえ末端の構成員だとしても流石に無視できない被害になり、慌てて衛士に協力を求めたというところだろう。

 数字に対する驚きはなかったようで、クリスは平然と会話と続けた。


「へえ、それはすごいね。本人は?」

「辺境都市へ向かって逃走中だ。すでに追手をやっている」

「あなた方には、犯人が捕まるまで大人しくしていただきましょう」

 

 周囲には野次馬が続々と集まっている。

 エクトルは動かない。

 野次馬の中に『鋼の檻』の構成員らしき姿も見えなかった。


 『鋼の檻』相手ならば、まだよかった。

 冒険者同士の争いであれば衛士も積極的に関わってこないし、知らぬ存ぜぬで通す手もある。

 

 しかし、衛士を相手に無茶をすれば話は別だ。

 たとえエクトルと裏で繋がっているとしても関係ない。

 こんな大勢の人々の前で衛士とやりあえば、その事実があたしたちに不利に働く。

 かといって、大人しく捕まればそれで済むとも思えない。


(野次馬を上手く盾に使えば、街から出るのは難しくないけど……)


 果たして、その後が続くだろうか。

 この街の近くに森があるけれど、あたしたちに地の利はない。

 逃げ込んだ森の中に『鋼の檻』が待ち構えていれば、それこそ絶体絶命の危機だ。


「抵抗するな。痛い目に合いたくなければな」


 衛士の一人が近づいてあたしに手を伸ばす。


 ふと、私の視界に刃が映った。

 いつのまにかクリスが剣を抜き放ち、衛士に突きつけている。


「き、貴様!」


 まさか本当に抵抗するとは思っていなかったのだろう。

 あたしに近寄った衛士は無様に後ずさり、顔を真っ赤にして剣を抜いた。


 包囲に加わっている衛士たちも同様だ。

 治安を乱す冒険者を鎮圧するため各々が武器を取り、増援を呼ぶ声も上がる


 騒々しさを増す街中で、その声は凛と響いた。


「触れるな、

「――――ッ!?」


 衛士に向けて放たれる平民という言葉。

 口にする者の身分を強く示唆する表現だ。


 お湯やらお菓子やら、あたしが欲しがるものばかりが収納されているポーチから銀の紋章を取り出したクリスは、ほんのわずかな時間だけそれを見つめる。

 そのわずかな時間で彼が纏う雰囲気が変わったことに気づいたのは、きっとあたしだけだ。


 それを掲げた男は、まるで舞台に上がった役者のように高らかに自らの名を告げた。


「僕の名は、クリストファー。クリストファー・だ」


 騒めきは留まるところを知らない。

 帝国でも指折りの大貴族の名は、領地から遠く離れたこの街でも良く知られているようだ。


 野次馬たちは、まるで演劇を見守る観客のように事の成り行きを見つめている。

 衛士と揉めている美男子は名だたる大貴族に連なる人間だった。

 彼らは一体どうなるのか。

 きっと、変わり映えしない日々を面白くする絶好のスパイスとでも思ったのだろう。


 彼らはすぐに、そんな勘違いの代償を支払うことになる。


「今、この場にいる全員が、僕が貴族であることを知ったものとみなす。これで、この場にいる全員が、


 群衆から悲鳴があがる。


 不敬罪は平民が最も恐れる罪のひとつだ。

 悪用しようと思えば際限がなく、その場で刑が執行されるため抗弁も不可能。

 使いこなすには相応の権力が必要であり、名ばかりの貴族相手ならば過度に恐れる必要はないのだけれど。


 さて、この男の家名は何だったか。


「不敬があれば首を刎ねる。言動には、細心の注意を払うように」


 騒然とした町の広場から音が消えた。

 何が不敬となるかは貴族次第。

 野次馬たちは、もはやこの場を離れることすら命懸けだ。


 そんな人々の中で、今このとき動かなければならない男がいた。


「き、貴様!カールスルーエ伯爵家の名を騙るか!」


 エクトルだ。

 貴族に不敬を働いた者がどうなるか。

 成功した商人ならば、それを知らないはずがない。


 彼が生き残る道は、ただひとつ。

 この場には貴族などいなかった――――そういうことにするしかない。


 しかし、そんな考えを見透かしてクリストファーは笑う。


「おや、三兄弟の中で最も父に似ているのは僕だとよく言われるのだけれど。父の顔を知る貴方なら、わかるのではないかな?」

「なにをっ!?」

「あれはたしか、5年前の次兄の誕生祝いだったかな。取引に参入したいと言って、ずいぶんと奮発していたから記憶に残っているよ。見たところ成果はあったようだから、贈り物の山が無駄にならなかったようで幸いだ」

「…………ッ」


 エクトルは今度こそ青ざめた。

 伯爵家で行われるパーティでの振る舞いなど、部外者は知り得ない。

 まるで見てきたような語り口に、この場に居る誰もがクリストファーが貴族であると信じた。


 エクトルのほかにもう一人、首が飛び掛かっている男以外は。


「捕えろ!!偽物だ!偽物に決まっている!!」


 この場の衛士を指揮する衛士たちの隊長。

 商人に賄賂を掴まされて貴族に不敬を働いた愚か者。

 ずいぶんエクトルとの繋がりが深い様子で、彼が失脚すると不都合があるようだ。


 一方、衛士たちの反応は鈍い。

 衛士たちには、まだ穏便にこの場を乗り切ることができる可能性が残っているからだ。

 この場で動きを間違えれば自分の首が飛ぶ。

 それをよく理解している衛士たちは態度を決めかねていた。


 そんな隊長に追い打ちをかけるように、クリストファーは告げる。


「ああ、僕がもしかしたら偽物かもしれないとか、そんなことは関係ないんだ」

「なにっ!?」


 自分の正統性に自ら疑問符をつけるような言葉。

 衛士の隊長の顔に、驚きとともに歓喜が広がる。

 

 しかし、現実は残酷だった。


「カールスルーエにとっては、血族が殺されたなんて噂が立つだけで顔に泥を塗られるようなもの。話が嘘だろうと、ここが他領だろうと、そんなことは関係ない。関わった全ての人間は、まとめて消えてもらうしかないんだよ」


 その言葉が終わるや否や、一閃。

 衛士の隊長の首が、ごろりと石畳に転がった。


 街の人々が必死に悲鳴を飲み込んでいる。


 夢なら醒めてほしい。

 自分は関係ない。

 死にたくない。


 心の叫びが聞こえるようだった。


 そんな人々に構わず、クリストファーは不思議そうに尋ねる。


「ところで、衛士には街の治安を守るという役割があるはずだけれど。衛士組織に賄賂を握らせて治安を乱した男が、貴方たちには見えないのかな?」

「――――ッ!!とらえぉ!!!」


 裏返った声は必死そのもので、誰が叫んだのかもわからない。

 ただ、その場にいた衛士たち全員が一斉にエクトルへと飛び掛かった。


「明日の昼まで待つ。不敬を贖うに足るがあれば、キミたちの怠慢に目を瞑ると約束しよう」

「はっ!!か、必ずや!!」

「ま、待て!私は――――」


 弁解の声は衛士の怒声にかき消された。

 衛士は敬礼を残し、足早に去って行く。


 エクトルはこれから地獄を見ることになるだろう。


 衛士だけの問題ではない。

 誇張でなく、彼らのにこの街の存亡が懸かっている。


「や、宿に部屋をご用意させていただきました!」

「ありがとう」


 クリストファーは流れるようにあたしに手を差し伸べた。

 彼にエスコートされて入った宿はこの街で最も高級な旅館、通された部屋は当然のように最も高級な部屋。

 部屋の広さや調度品の数々を見るに、普通に泊まれば一泊で金貨を取られそうだ。


「ふう……、貴族をするのも疲れるね」


 荷物を下ろし、ソファーのひとつに腰掛けた彼が気だるげに笑う。

 私は空いているソファーに腰を下ろすことはせず、姿勢を正したまま受け答えた。


「冗談がお上手ですこと。洗練された振る舞い、危機に瀕してなお堂々としたお姿。カールスルーエ伯爵家がその長い歴史の中で培ってきた高い格式が、クリストファー様から確かに感じられましたわ」

「……………………」

「……冗談よ」


 捨てられた小動物のような眼差しから目を逸らし、あたしもソファーに腰を下ろす。

 クリスを信じていないわけではない。

 ただ、商家令嬢として生きてきた私が、クリストファーに刺激されて少しだけ顔を出した。

 それだけのことだ。


「長旅で疲れが溜まっているだろう?先に入浴で疲れを癒してきたらどうかな?」

「……そうね。それじゃ、先にいただくわ」


 言外に時間が欲しいと告げたクリスの望みに従って、あたしはお風呂へと向かう。

 タオルや着替えは全て用意されていてシャンプーの種類も充実していた。

 少なくとも、この状況と気分的な問題のせいで楽しめなかったことを残念に思うくらいには。


 長湯することもなく浴室から出ると、クリスも入れ替わりで浴室に入っていった。

 普段はさして時間を掛けないのに、今日はやけに長く感じる。


 しかし、入浴で稼げる時間などたかが知れている。

 あたしが部屋に置かれた調度品の鑑賞に飽き始めた頃、クリスはこちらへ戻って来た。

 

「おかえり。飲むでしょう?」

「……ああ、いただくよ」


 あたしは良く冷えた飲み物を用意してクリスを出迎え、グラスのひとつを押し付けた。

 

 話し合いの場は整っている。

 これ以上、待たされるつもりはない。


「それで?」

「……さっき、広場で語ったとおりだよ。素性不明の剣士の正体は、貴族の三男坊ってわけさ」

「まあ、素性に関してはそんなとこだろうと思ってたけど」


 クリスが貴族だった。

 予想外でも何でもないのだ。

 優美な所作、高い教養、武具の品質、腰に着けたポーチの性能。

 どれをとっても、極めて裕福な家の出身であることは明らかだった。

 それで隠しているつもりなのかと、あえて道化を演じているのかと滑稽に思ったほどだ。

 

 しかし、クリスが本当に隠したかったのはそこではなかったのだ。

 今日、あたしはそのことを知ってしまった。


「どうしても、家に居続けることに耐えられなかったんだ……」


 クリスは少しずつ、絞り出すように彼の想いを語った。

 時々言葉に詰まり、苦しそうに胸を抑えることもあったけれど、あたしはただ黙って彼の言葉を聞いた。


 彼が胸中を吐き出し終えた頃には、窓から差し込む光が橙色に染まっていた。


 テーブルにはほとんど口を付けられずにぬるくなったグラスがふたつ。

 グラスから流れ落ちてテーブルを濡らした水滴も、大方が渇いていた。


「家を飛び出したからって、責任や罪が消えてなくなるわけじゃない。それくらい、僕もわかってる。それでも、家と関係ないところで試してみたかったんだ。僕はただのクリスとして、何ができるのか。僕は自分の信念を、貫くことができるのか……」


 自分の話はこれで全てだ。

 そう示すように、クリスはグラスの中身を一気に乾した。


 中身がなくなったグラスが立てる乾いた音が、部屋に溶ける。


「ひとつだけ、聞いてもいい?」

「いいよ。もうネルちゃんに隠すことなんて、何も残ってないからね」


 この質問をするには幾ばくかの勇気が必要だった。

 あたしとクリスの境遇には、1つの共通点があるからだ。


「……望んだものは、得られた?」


 商家と貴族家。

 成り行きと自分の意思。

 違いはあれど、あたしたちは家を離れて自分の道を歩いている。


 だから、自信が欲しかったのかもしれない。


「ああ、得られたよ」


 そう言って笑ったクリスは、その端正な顔をくしゃりと歪めた。

 渇いたはずの涙が、再び頬を伝う。


「……ごめんなさい」


 あたしは彼の涙が映らないように目を伏せた。

 クリスの心境を思えば、あまりに無神経な問いだった。


 気配りはできるつもりだったけれど、あたしも動揺しているのだろうか。


「どうか謝らないで、いつもみたいに笑ってほしい。全ては僕が決めたことだ。僕の意思で、選んだことだから」


 少し休むと言い残し、クリスは寝室に消えた。


 あたしはぬるくなった飲み物で喉を潤し、再び浴室に向かう。

 籠に脱ぎ捨てた浴衣と下着は、じんわりと汗で湿っていた。


「カールスルーエ……」


 冷たいシャワーに打たれながらクリスの話を反芻する。


 ティアはクリスが貴族だからといって気にはしないだろう。

 あたしの親友は言葉遣いが丁寧である反面、実のところは明確に線を引いて他人を寄せ付けない。

 パーティメンバーとして親しくはあるものの、異性であるクリスとの距離感は互いに気を使っているようで、その態度に大きな変化は現れないに違いない。


 だから、問題はあいつの反応だ。


 クリスが貴族だと知って、今更あいつの態度が変わるとは思わない。

 せいぜい、あたしがしたように面白おかしく敬語を使ってクリスを揶揄う程度だろう。


 クリスが名乗った家名が、カールスルーエでさえなかったら。


「…………」


 カールスルーエは古くから続く伯爵家で、貴族の中の貴族だ。

 帝国内の序列では辺境都市を治めるオーバーハウゼン伯爵家にすら勝る。

 そして大貴族の例に漏れず、カールスルーエ伯爵家もひとつの都市を中心とする領地を治めている。


 その都市の通称は、


 あいつを奴隷として孤児院から連れ去り、あいつの未来を踏みにじった都市の名だ。


「どうして……」


 クリスにこのような理不尽な運命を強いるのか。

 誰に向けた問いなのかもわからないまま、あたしは呟いた。


 あいつとクリスは本物の信頼関係で結ばれている。

 その絆の強さは傍から見ているあたしにもよくわかる。


 けれど、それは心の奥底で渦巻く恨みを吞み下せるほどのものなのか。


 そう尋ねられたら――――その答えは、あたしにはわからなかった。


「どうして……!」


 そんな危険を冒してまで、この街に立ち寄ったのか。


 問うまでもない。

 決まりきっている。


 あたしを危険から守るためだ。


 途中で斃れるかもしれない。

 敵に囚われて、弄ばれるかもしれない。


 それらの危険と自分の大切なものを天秤にかけて、クリスはその天秤をこちらへ傾けた。

 その決断が『黎明』を終わらせる可能性を理解した上で、彼は切り札を切ったのだ。


(情けない……)


 自分のせいにするな、などと口走った自分の口唇を噛みしめる。


 結局、あたしはお荷物だった。

 あたしの弱さがクリスに理不尽な選択を強いた。

 その事実を受け止めなければならない。


 浴室を出て、新しい着替えを身に纏って寝室へ。

 大きなベッドがふたつ並び、そのうちひとつには先客がいたけれど寝息は聞こえてこなかった。


 あたしは空いた方のベッドの上に体を滑らせ、毛布を深く頭に被る。


 きっと、猶予はさほど残されていない。


 それまでに、あたしは答えを見つけられるだろうか。





 ◇ ◇ ◇





 翌日の昼前。

 衛士隊の者たちは約束通りクリスを訪ね、今回の顛末を報告した。


 そしてほぼ同時刻。

 衛士隊はエクトルが犯した罪状の数々とともに、彼が自身の罪を悔いて自害したことを大々的に公表した。


 一方、先日街道上で発見された数十人分の死体は行方がわからなくなり、調査は唐突に打ち切られた。


 その理由を、衛士隊は公表していない。



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