第319話 閑話:とある元商家令嬢の物語1
「お待たせ」
村の近くを流れる川で水浴びを終え、濡れた髪を拭きながら仲間の待つ場所へ戻る。
現在同行する唯一のパーティメンバーである銀髪の優男は、剣の汚れを落としているところだった。
「おかえり。もっとゆっくり浴びてきても良かったのに」
「できるわけないでしょ、こんなとこで」
少し歩けば屍山血河と言っても大げさではないほどの死体の山。
こんなところでゆっくり水浴びするような趣味は持ち合わせていない。
たとえ、その惨状を創り出したのが自分たちだとしても。
「あの人たちの装備や持ち物の処分は村の人に任せようと思うんだけど、どうかな?」
「いいんじゃない?」
後片付けをお願いするのだからお駄賃は必要だと思う。
奴らの所持金や装備の価値などたかが知れているけれど、あるのとないのでは大違いだ。
「なら、伝えてくるね。ネルちゃんは出発の準備をしておいて」
そう言って村に歩いて行く背を見送る。
姿が見えなくなった後、周囲を見回して独り言ちた。
「準備って何よ……」
元々大した荷物もないけれど、私物を片付ければそれでおしまい。
必要なことはあたしの水浴びの間に全部済ませてあった。
(本当に、調子が狂う……)
つい最近まで、あたしは裕福な商家の娘として生きてきた。
父に連れられてパーティに参加する機会も多く、そういった場所で男にちやほやされたり言い寄られたりしたことなど数えきれないほどある。
最初は付き合って愛想笑いをしていたけれどすぐに面倒になり、父たちがいない場では辛辣な態度を取るようになるまで時間は掛からなかった。
相手の男だって脈がない女と会話する時間は無駄であり、会話を早く終わらせたいこちらと利害は一致するはずだ。
時々恨みがましい視線を向けられることもあったけれど、それを気にするほど繊細な性格でもない。
評判と引き換えに、自由に振舞えるのなら安い物だった。
「おまたせ。行こうか」
しかし、その経験がこの男には通用しない。
いくら罵声を浴びせても堪えた様子がないのは、一体どういうわけなのか。
もしやそういう趣味なのでは。
そう思って一度優しくしてみたら、喜ばせるだけの結果になって途方に暮れた。
「あれ、髪は乾かさなくていいのかい?」
湿ったまま後ろで雑にまとめた髪に気づかれた。
本当に目ざとい。
「もう暖かい季節だし、そのうち乾くでしょ」
「ええ……。時間が必要なら待つよ?」
「余計なお世話よ」
長い髪の手入れは面倒だから嫌い。
それでも髪を伸ばしていたのは父の意向だった。
商家令嬢だった頃、贅沢な生活をしていた一方で自由にならないことも多かった。
特に、髪の長さや上品な所作は、年頃の娘は美しく着飾るのが仕事だと考える父にとって決して譲れないものであり、あたしはそれに従うしかなかった。
だから口うるさい父がいなくなった以上、髪を伸ばし続ける必要はない。
ティアが切るのはもったいないと言うから仕方なく伸ばしているだけだ。
手入れもほとんどティアがやってくれている。
自分の髪の手入れもあるのに、あたしの髪の手入れも手を抜かない。
よくないことだとは思うけど、実際ティアの方が上手いから、面倒なのも相まって甘えてしまっている。
「せっかく綺麗な髪なんだから、大事にしてほしいな」
「…………」
自分の髪をどうしようが、あたしの自由だ。
そう思いながら、湿った髪を手櫛で梳いた。
何もない平原を歩き続ける。
それを退屈だと感じないのは、隣を歩く男の会話の引き出しが多いからだろう。
花を見つけただけで、名前、特徴、花言葉だけでなく、それにまつわる色々な話が次から次へと語られる。
相応に教養を叩き込まれた身だからこそ、そう在るためにどれほどの苦労があったか、想像できてしまう。
それほどの教養が必要となる背景についても、同様に。
「僕の顔に何かついてるかい?」
「目がふたつ。鼻と口もついてる」
「それは良かった。取れちゃってたら、どうしようかと思ったよ」
つまらない冗談にも本当に楽しそうに笑う。
あたしは無表情を装いながら胸の痛みに耐えた。
傍若無人な振る舞いをしている自覚はあるけれど、好意を向けられた相手を袖にし続けることに何も感じないわけではない。
相手が悪い人間でないなら、なおさらだ。
(どうして、こいつにしちゃったんだろ……)
発端は半年前、数合わせの前衛を探していたときのこと。
無事に成人を迎えて1年、そろそろどこかの商家に嫁がされそうな気配を感じ取ったあたしは、自力で生活の糧を得るため、ティアを巻き込んで本格的に冒険者として活動を始めた。
それまでは近場で狩りをしたり都市内で<回復魔法>使いとして依頼を受けたりするくらいだったから、ティアと二人でも何も問題はなかったけれど、活動の幅を広げるなら二人だけでは危険が大きい。
森の奥でも安全に活動したいならせめてもう一人。
そう助言を受けて前衛を募集したところ、これが想定外に難航した。
あたしとティア、若い女二人のパーティに加わろうと、下心しかないような男共が大量に押し寄せたのだ。
あたしは困り果てた。
雑魚を一人加えても意味がないし、かといって知らない男を二人も引き入れたら別の危険が生じる。
パーティに加入してくれる女性冒険者のあてなどなく、諦めてティアと二人で行こうかと思い始めた。
こいつが現れたのは、そんなときだった。
(あのときは、こいつしかいないって思ったのよ……)
弱そうで不潔で下品な冒険者に言い寄られてうんざりしていたところで、ふと目に入った銀髪の美男子。
一人で居て、腕は立ちそうで、清潔感は合格。
こちらに向ける視線にも下卑たものを感じなかった。
だから、思わず声を掛けてしまった。
「すれ違うよ。一応、気を付けて」
石畳などない、油断すれば草原に埋もれてしまうような道でも通行者は存在する。
遠目に見えていたそれが近づき、もう少しですれ違うという段になって、こいつはあたしの方へ体を寄せた。
あたしのすぐ斜め前を歩いて相手側からの視線を遮り、腰に着けた剣が相手の目に入るようにしてさりげなく牽制する。
そうしながら表情には笑みを浮かべ、すれ違いざまに軽い挨拶を交わす。
それら全てが、あたしを見た通行者が万が一にも変な気を起こさないようにという気遣いだ。
「襲ってきたら返り討ちにすればいいじゃない」
「何もないなら、それに越したことはないさ」
そのためなら、これくらいは何でもないことだと言って笑う。
同じことができる冒険者が辺境都市に何人いるだろうか。
しかし、だからこそ悩ましいという思いもある。
モテる男を恋人にすると後が辛い。
父の目を誤魔化すために渋々続けていた下級貴族や商家のお嬢様との付き合いの中で学んだ最大の教訓だ。
(まあ、当然か……)
いい女に男が群がるように、モテる男には女が次から次に寄ってくる。
モテる男はそれを理解しているから、捕まえた女の扱いが悪い。
無理をして高めに手を出した結果、大きな代償を支払うことになったという話は飽きるくらいに聞いた。
「…………」
目の端で隣を歩く男を見る。
背丈と体格は平の凡。
繊細な印象があり、冒険者たちの中に混じれば目立たないけれど決して細くはない。
男らしいゴツゴツした体の方が良いという人もいるから、この辺りは好みかもしれない。
服装の趣味はケチの付けようがない。
西通りで見かけるときもこうして遠出をするときも、手を抜いているところは見たことがない。
何を着ても似合うと言ってしまえば、それまでのことだけれど。
剣の腕は、あたしが知る中では最上の部類。
あたしもそれなり以上に腕に覚えがあるけれど、本気で戦っても勝ち目がないことくらいはわかる。
こいつに勝てると言い切れるのは騎士団の偉そうな筋肉くらいのものだろう。
剣の腕に限らなければもう一人勝てそうなのがいるけれど、あいつは反則だから数に含めていない。
何を食べて育てば、竜のブレスを受けて目が痛いで済む人間が出来上がるのか。
そして容姿は――――今更語ることもない。
歩けば視線を吸い寄せ、笑みを向ければ黄色い声が上がり、剣を振れば恍惚とした溜息が漏れる。
冒険者の男共も悔しがるくらいすればいいのに、「クリスさんなら仕方ない。」などと寝言をいう。
ときには女と一緒に歓声を上げる馬鹿までいる。
しかし、完全無欠かと言えばそうではない。
特に出身地や背景を言いたがらないのは結構な不安要素だし、一番付き合いが長いあいつにすら明かしていないというから筋金入りだ。
あいつは出奔した良家のお坊ちゃんくらいにしか思っていないし、それでいいと思っている節がある。
実際、当たらずとも遠からずといったところだろう。
家の種類によっては、面倒事が増えるかもしれないけれど。
「どうしたんだい?そんな難しそうな顔して」
「…………何でもない」
正面を向く。
なんであたしは、こんなことを考えているのか。
あたしは、一体誰に言い訳しているのか。
◇ ◇ ◇
道を逸れて夜を明かし、夜明けとともにさらに北上して日が高くなった頃。
「街に寄ろう」
大街道に近づき、そろそろ向かう方向を決めなければならないという頃合いで、こいつは言った。
「理由は?」
「僕らはアレンほど体力がないからね。流石にこのまま都市まで歩き続けるわけにはいかないよ」
そういう自分はさして辛くもなさそうで、あたしを気遣っているのが丸わかりだ。
(でも、悔しいことにこいつの言うとおり……)
街道を逸れて野宿しながらひたすら歩いて都市を目指すというのは、あたしには辛い。
清潔感がどうこう以前に、体力がもたないだろう。
女を言い訳にしたくはないけれど、意地を張っても仕方がなかった。
しかし、懸念もある。
「絶対、ろくでもないことになると思うけど?」
そもそも街に寄らないという選択肢を視野に入れている理由。
『鋼の檻』が手ぐすね引いて待ち構えている可能性が高いからだ。
先行したあいつが粗方片付けているだろうけれど、全く生き残りがいないとは思えない。
そいつらが10人でも襲ってくれば状況によっては窮地に陥る。
あのときもそうだったし、それはこいつも覚えているはずだ。
しかし、こいつは普段と変わらぬ笑顔で胸を叩いた。
「そこは大丈夫だから、僕に任せて」
「何か考えがあるの?」
「うん。とっておきの切り札がね」
「ふーん……」
その切り札が何なのかと尋ねても、きっと答えはしないのだろう。
いつのまにかあたしとクリスは、そういうことがわかる程度の関係になっていた。
「ところでひとつお願いがあるんだけど」
「聞くだけ聞いてあげる」
クリスは立ち止まる。
あたしは付き合って足を止め、背後を振り返った。
「僕と、結婚を前提に付き合ってほしい」
至って真剣な表情で、クリスはその手を差し出した。
この言葉を喉から手が出るほど望んでいる女が、一体どれだけいると思っているのか。
けれど――――
「お断りよ」
あたしの返事はいつも通り。
クリスの告白を切り捨てて歩き出すと、背後から溜息が漏れ、あたしを追う足音が隣に並んだ。
「本気なんだけどなあ……」
「歩き疲れてクタクタ、汗まみれ、泥まみれ。そんな状態で求婚されて、喜ぶ女がどこにいるの?せめて花束くらい用意しなさいよ」
「厳しいなあ。そんなネルちゃんも素敵だけどね」
クリスは残念そうに、少し悲しげに微笑んだ。
その様子に、また少し胸が苦しくなる。
クリスが告白して、あたしが断る。
何度目かもわからないくらいに繰り返されたやりとりだ。
結婚と口にしたのは初めてだったけれど、それを横に置けばいつものこと。
なのに、どこか調子が狂う。
なんだろうか、この違和感は。
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