第318話 閑話:Girl's_talk2
「さあ、グラスは持った?それじゃ改めて、3号さんの加入を記念して……かんぱーい!」
「かんぱいっ!」
「乾杯」
私の新居にグラスの音が響く。
乾杯の音頭を取った1号さんことローザは血のように赤いワイン。
両手でグラスを持ちグラスを舐めるように少しずつ酒を含む2号さんことアンは琥珀色の果実酒。
そして3号さんとなった私はほどよい苦みのあるエール。
女だけで引越し祝いを開くと伝えると、アレンは私がいつも飲んでいるものよりずっと高価なお酒を差し入れてくれた。
お酒の味に敏感ではない私でも、なんだかいつものより美味しいと感じてしまう。
「うん、美味しい。アレックスにぃはあんまりワイン飲まないんだよね、もったいない」
「アレンが飲まないワインをどこから持ってきたの?」
「これはこの前クリスさんが持ってきたやつ。ほら、あの人お酒弱くて一本飲み切る前に潰れちゃうこともあるから」
「ああ、そういうこと……」
ローザの話振りからして許可はもらっていないようだけれど、クリスさんなら残りを頂戴しても怒ったりはしないだろう。
飲み切っていないワインの存在自体を忘れていそうだ。
慣れた手つきでグラスを口に運ぶローザから視線を反対側へ動かす。
アンはまだ、先ほどと変わらぬ姿勢で酒を舐め続けていた。
「うう、のどがカッてなる……」
「一応、お酒じゃないのもあるからね」
「アンは子供舌だから、無理しちゃだめだよ?」
ローザの揶揄いに、アンは眉根を寄せて抗議する。
「ローザは私とひとつしか違わないでしょ。私だってもうすぐ大人なんだから、お酒くらい飲めるもん。そうでないと、ご主人様にいつまでも子ども扱いされちゃうし……」
「アレックスにぃは、そんなの気にしないと思うけどね。なにしろ、アンを大人の女にしたのはアレックスにぃなわけだし」
「それでもだよ」
二人の会話は、見た目が子どもと大差ない少女のものと思えないほど生々しい。
しかし、そんな会話が今日の集まりの主題でもあった。
私の引越し祝いはあくまでもついでのこと。
同じ立場の者同士、改めて仲を深めようというのが一番の目的だ。
「フィーネ、屋敷に住めばよかったのに」
「それはティアナさんが気にするだろうから、ちょっとね」
「そっか、残念」
ローザの言葉に他意はなく、本当に残念そうにしている。
そんな彼女に聞かなければいけないことがあった。
素面では聞きにくく、お酒の力を借りている今だから聞けることだ。
「ローザとアンは嫌じゃないの?その、私が増えたことで……」
ローザとアンは、きょとんとして顔を見合わせた。
「別に?」
「特には……」
「そ、そう……」
淡白な返事に少し気まずくなってエールを口に運んだ。
そんな私を見て、ローザは私の質問の意味に気づいたようだ。
「ああ、女が増えるとお呼ばれが減るかもしれないってこと?それなら多分心配ないよ」
「どういうこと?」
二人が三人になれば、どうしたって寝室に呼ばれる頻度は減る。
実際、『月花の籠』の一室で初めてをアレンに捧げてからわずか数日で、私は何度もアレンを誘惑していた。
それは二人の夜の予定に少なからぬ影響を与えたはずなのだけれど。
「ご主人様も、遠慮がなくなってきましたので。一人じゃ持たないんですよ」
「…………。えっと……?」
アンがはにかみながら理由を告げた。
予想外の話で、とっさに言葉が出てこない。
「昇級試験から戻った日はすごかったよ。戻ってくるなりお風呂場に連れて行かれて、その後寝室でも。まあ、私から誘ったようなところはあるけど」
「その後で私も、お風呂とお部屋で」
「……呆れた。ギルドに帰ってきたときは今にも倒れそうだったのに。ああ、でもそう言われると……」
アレンの回復力に関しては思い当たることがあった。
彼の保有スキルである<リジェネレーション>、そして<家妖精の祝福>のことだ。
通常、ギフトの効果はそれを与えた妖精が強大であるほど強力になる。
強大な家妖精というのが稀有な存在であり、自宅にいるときだけ効果を発揮するという性質から軽視されがちな<家妖精の祝福>というギフト。
実際のところ<身体強化>、<精神集中>、<リジェネレーション>などの常時発動型スキルの詰め合わせに保有スキルの強化まで付いた非常に強力なものだ。
あのフロルさんが与えた<家妖精の祝福>なら、アレンが屋敷の中にいる限り疲労なんてどうにでもなるだろう。
「そんなのズルじゃない?」
「おかげでお呼ばれが増えるなら、フロルさんに感謝しないと」
「感謝されても困ると思うけどね」
それが夜の生活にまで効果を及ぼそうとは、祝福を与えた彼女も想像しなかったに違いない。
(フロルさん、見ない間にまた強くなってたし……)
竜に降り注いだ大魔法の正体を正確につかんでいるのは、妖精たち以外では私とラウラさんだけだ。
しかし、私はそのことを誰にも言っていない。
理由はただひとつ。
初対面のとき、本当に何となく使用した<アナリシス>で彼女の様子が一変したことにある。
私がスキルを使用したことに完全に気づいていたし、スキルがなくても容易に察せられるほどの混乱、焦燥、そして恐怖の感情が見えた。
アレンの仲裁で事なきを得て以降は良好な関係になったと思うけれど、妖精や精霊の行動原理はよくわからないところがある。
あの感情が何に起因するものかわからない以上、下手に動くことはできなかった。
女三人の宴会は、その後も赤裸々な会話が続く。
互いにアレンとの関係を把握している以上、秘密にしておく意味もない。
会話は大胆になり、どこで抱かれたとかどんなふうに抱かれたとか、そんな話が次々と語られた。
おかげでアレンに異常な趣味はなさそうだとわかったので、少しだけ安心。
もちろん本気で心配してはいなかったけれど。
「今後のために、役割分担を決めた方がいいかも」
「役割?」
「ほら、飽きられないように」
ローザの性格によるものか、それとも孤児院育ちであるからか。
年齢相応に色恋に浮かれた様子の中にも冷静な打算が見え隠れしている。
「生意気な妹にお仕置き、従順な妹からのご奉仕……」
ローザは自分を指差し、続いてその指をアンに向けた。
そして――――
「意地っ張りな幼馴染に…………どうするかは自分で考えてね」
「…………」
すごい。
なんというか、すごい。
「フィーネは受付嬢だから制服を着てギルドでとか。刺激的じゃない?」
「流石にそれは……」
そう口にしながら、私はローザから視線を逸らした。
実際にやろうとすれば難しくはない。
適当な部屋の鍵を借りて中から鍵を掛け、カーテンを引けばそれで準備は完了だ。
ベッドがなくてもアレンの体力なら問題ないだろうし、うちのギルドマスターなら理由を言わずとも好きな部屋を使わせてくれるだろう。
強いて問題を挙げるとすれば、体力を消耗した後で掃除をしなければいけないのが少し辛いというくらいだ。
そこまで考えて想像を打ち消すように頭を振る。
「……というか、その並びなら私は姉じゃないの?」
にやにやと笑うローザに何か言い返したくて、どうでもいいところに茶々を入れた。
しかし、ローザは逡巡もせず否定する。
「ああ、姉は他にいるからやめた方がいいよ」
「そう?」
ローザだけでなくアンも頷いた。
二人の間では共通認識らしい。
(私たち3人だけじゃないってこと……?)
ティアナさんは私のひとつ下で、アレンと同い年のはずだ。
包容力はあると思うけど姉という感じではない。
ただ、ほかに心当たりはなかった。
「ところでお仕置きって……」
「うん、私が調子に乗ってお仕置きされるところまで計算済み。アレックスにぃには内緒だよ」
「私も、ご奉仕は少し下手な感じで焦らした方が、その後が燃え上がるってローザが……」
「なんというか、本当にしたたかね……」
これくらいでないと、孤児が生き残ることなんてできないか。
私の正直な感想にローザが照れもせずに頷いた。
「大事なことだから。いつかそのときが来てもアレックスにぃが連れて行かれないように、心を掴んでおかないと」
「連れて行く?ティアナさんもこの都市出身だって聞いたけど」
「あの人じゃないよ」
やはりティアナさん以外にも女がいるらしい。
そして、ここまでの流れからすると――――
「その人がお姉さん?」
「正解。でも――――」
ローザの顔から、笑みが消えた。
「フィーネは、まだダメかな」
「…………」
どうやら私は教えてもらえないらしい。
仲を深めるための宴会なのに私だけ仲間外れだ。
「フィーネを爪弾きにするつもりはないんだけど、ちょっとまだ不安があるんだよね」
「どういうこと?」
「うーん……。例えばの話なんだけど、フィーネがある秘密を知って、それをアレックスにぃは知らないとするでしょ?それをアレックスにぃが知ったら、フィーネは捨てられちゃうかもしれない。でも、アレックスにぃはその秘密を知らないことで悲しむかもしれないし、教えてあげれば喜ぶかもしれない。そういう状況で、フィーネは自分のためにその秘密を黙っていられる?」
「…………」
悲しんでいるアレンを想像すると胸が痛む。
けれど、自分を犠牲にしてアレンの幸せを願う言葉が口から出てこなかった。
そのことに、私は少なからぬ衝撃を受けた。
「私とアンは、言わないよ。アレックスにぃには幸せになってほしいけど、それでも捨てられるのは絶対に嫌」
声は小さく、けれどはっきりと聞こえた。
アンは言葉こそないものの、視線と態度が彼女も同意見であると語っている。
寂しげに揺れる二対の瞳は迷うことができる私を羨んでいるようにも見えた。
「あるところに娘がいました。娘は親に捨てられて孤児院暮らしになって、数年後にはその孤児院すら追われました。仲間が盗んできた食べ物で生きのび、騎士団に捕まって、兄を失って……。娼婦になるか死ぬか選ぶしかなかった娘の人生は、その先どうなると思う?」
「それは……」
ローザの言う娘が彼女自身のことだというのは聞くまでもない。
さらに言えば魔人となった兄を討ったのがアレンたちであることも知っている。
彼女を直視できずに視線をテーブルに落とすと、彼女は何でもないように続けた。
「私ね、今でも時々考えるの。もしかしたら、これは夢なんじゃないかって……。現実の私はどこかで慰み者になって心が壊れてるのかもしれない。好きでもない男の上で、心を殺して腰を振っているのかもしれない。だって、私の人生はそうなる可能性の方がずっと高いはずだもん……」
ローザはお菓子の中から最も見た目が綺麗なものを摘まみ、目線の高さに掲げる。
彼女の指の間で、透き通る青色の飴玉が灯りを反射して光沢を放った。
「娘が娼館で客を取らされようとしたとき、数年前に生き別れた想い人が駆け付けて娘をそこから連れ出してくれました。娘は広い屋敷に自分の部屋をもらって、美味しいご飯を食べて、綺麗な服で着飾って、想い人と結ばれました。めでたし、めでたし」
物語を結んだローザは、摘まんだお菓子を口にせず菓子箱の中にそっと戻した。
微笑で飾られた頬を光の粒が伝い落ちる。
「こんなお伽噺みたいな幸せに手が届くまで、どれだけの奇跡が必要だと思う?私自身が信じられないんだよ。何度人生を繰り返したって、こんな現実には二度と巡り合えない」
「…………」
私はローザという少女を誤解していたようだ。
目の前の美しい少女は容姿と縁を利用してアレンの庇護を受け、自由気ままに暮らしているのだと思っていた。
(違ったんだ……)
ローザの心は、現実的な幻想と幻想的な現実の温度差で脆くひび割れている。
あるいはアレンに救われる前の私よりも酷いかもしれない。
ローザは袖で乱暴に涙を拭い、両手で頬を張った。
それだけで彼女の表情から弱気が消え去る。
たとえそれが表面上のことだとしても。
「ふう……。だから、アレックスにぃに捨てられそうになったら、私はみっともなく足にしがみついて、捨てないでって泣きわめいて、アレックスにぃを困らせると思う。でも、フィーネは今までありがとうなんて言って、あっさり受け入れそう。それで、見えないところでこっそり泣くんだよね」
「ちょっと……、そんな嫌なことを想像させないでくれる?」
肯定はしない。
けれど、否定もできなかった。
「フィーネがアレックスにぃに溺れて、アレックスにぃ無しでは生きていけなくなったら。そのときは、お姉さんのことを教えてあげる」
生々しい話はそれでおしまい。
話題は他愛もない話へと移っていき、二人は空が暗くなる前にアレンの屋敷へと帰っていった。
「もう、好き放題言ってくれちゃって……」
独り言は玄関の扉を叩き、部屋の中に跳ね返る。
私はテーブルの片付けもせず、服を脱ぎ散らかしてベッドに身を投げ出した。
大きく深呼吸すると、ほのかな花の香りで心が落ち着く。
つい2日前、このベッドにアレンを誘い込んだばかりなのに行為の残り香はどこにもない。
心の安定と引き換えに体力を限界まで消耗して早速家妖精のお世話になってしまったけれど、彼女たちの実力を垣間見た気分だ。
(でも、ローザの気持ちもわかる……)
ローザほどに追い詰められてはいなかったけれど、アレンに救われた直後は私も理由のない不安に襲われた。
凄惨な過去と幸せな現実が一本の線で繋がらず、どこかで夢の中に迷い込んだような錯覚に陥ってしまうのだ。
そんなとき、私は決まってアレンを求める。
アレンを感じている時間だけは心から不安が消え去るから。
それを何度か繰り返し、少しずつ不安を薄めていく。
ティアナさんからアレンを奪うことはできないと思い悩む余裕なんて、どこにもない。
「アレンなしでは、か……」
私の中でアレンの存在が日に日に大きくなり、その色に染められているのが自分でもわかる。
それを嬉しく思う自分にも気づいている。
私がお姉さんの正体を知る日は、もしかしたら遠くないのかもしれなかった。
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