第315話 閑話:とある財務局長の物語
竜との戦いから今日で5日。
都市中央の噴水前広場は普段の様相を取り戻したが、いまだにどこか浮ついた空気が都市内に居座っていた。
冷めやらぬ興奮を抱えた市民はそれを分かち合う相手を求めて酒場を目指し、歓楽街は連日大盛況。
激戦を戦い抜いた騎士や衛士たちの中には、特別報酬を握り締めて喧噪の一部になっている者もいる。
しかし、政庁の戦いはまだ終わっていない。
むしろ戦後処理こそが我々の戦場と言えた。
「失礼します。迎撃戦に関する支出の決裁を」
「うむ」
今もまた、官吏によって分厚い書類の束が財務局長室に運び込まれた。
書類の表紙は『殉職又は復帰不能となった騎士に対する弔慰金及び見舞金』。
好んで読みたいものではないが、それが職務とあらば選り好みはできない。
私が概要部分に目を通す速度に合わせ、官吏の説明が行われた。
「11人か……。ずいぶんとやられたが、3体の竜が都市に襲来した結果としては望外か」
「騎士たちは実に勇敢に戦いました。副団長……いえ、騎士団長閣下のご活躍も大きかったと聞いております」
説明する官吏も私も実際の戦闘は見ておらず、大筋だけを後から聞いている。
幼竜2体を相手に奮戦したのは騎士団と冒険者たち。
しかし、彼らは成竜との戦いにはついて行けず、騎士団長と冒険者ギルドの指示で外壁まで撤退した。
そこから先は成竜、精霊、妖精が入り乱れるお伽噺の戦場と成り果てたそうだが、そこにただ一人混じって激闘を繰り広げた人間がいたというから開いた口が塞がらない。
「支給額は規定どおりか?」
「はい。このような経緯ですから上乗せの議論もされましたが、まずは必須となる経費を速やかに確定させるべき、と」
「上乗せは後でもできるか……了承した。そのように進めろ」
費用対効果を無視した都市防衛により、都市の財政計画には大きな狂いが生じている。
今すぐ資金不足に陥るような事態はあり得ないが、早急に先を見通せる状態に持っていきたいと考えるのは財務局として当然のことだった。
押印した書類を差し出すと官吏は一礼して速やかに退出し、入れ替わりで別の官吏が入室する。
休憩を入れる暇もなく疲労は溜まる一方だが、至急と書かれた書類の山を前にしては休憩などと言っていられない。
しばらくの間、終わりの見えない戦いが続いた。
夕方になり、ようやく急ぎの決裁が完了した。
仕方ないとはいえ痛い出費が続き、眉間にできた皺はしばらく消えそうにない。
(特に装備関係の損耗が酷いな。そう嘆くことができるのも、幸運なのだと理解はしているが……)
騎士たちの武具も安くはないが、特に魔導砲絡みの経費は桁が違う。
当分使う機会もないはずだから後回しにしたいというのが財務局の本音だが、あのような戦いの直後であるからこそ理解は得られないだろう。
無理に抵抗すれば一致団結して私を更迭する動きになりかねない。
当面は都市防衛に関する費用が膨張することを見込み、それを踏まえて財政計画を修正する必要がある。
「失礼。少しよろしいか」
「ああ、構わない」
入室したのは都市の治安を司る衛士組織のトップ――――衛士長だった。
私の前ではあまり喜怒哀楽を見せないこの男も、流石に疲労の色が濃い。
騎士団長の働きもあって騎士たちの活躍ばかりが称賛されるが、彼らが安心して戦えるよう後方を支えた衛士たちの貢献も評価されるべきだ。
そう考えた私は二言三言の挨拶の中に労いを含ませ、室内に用意された応接スペースに誘う。
席次はこちらが上だが、衛士長は私の部下ではない。
財務局の官吏のように立たせたまま話を聞くわけにもいかなかった。
「お互い疲れているでしょうから、早速本題に入りますが――――」
衛士長の話は竜の卵などという劇物を都市に持ち込んだ大馬鹿者の尋問結果についてだった。
「南東区域から仲介者を通して引き渡された男が吐いた内容は、先日の妖精が話した内容と概ね一致しました。現在は牢に捕えていますが、看守が変な気を起こさないうちに法務に引き渡す予定です。もっとも、すでにあちらでも処刑執行の命令書を用意して移送を待ち構えていると聞きますから、男にとってはどちらでも大差ないでしょうがね」
南東区域内での立場などという下らないもののためにこれだけの被害を出したのだ。
辺境都市では厭われるが、地域によっては一族まとめて公開処刑されてもおかしくない。
まあ、それはいい。
私が聞きたいのはそんなことではない。
「それで、例の妖精について何か情報が?」
私が欲しいのはシエルと名乗った妖精の情報だ。
成竜を打倒し得るほどの大魔術を行使した何者かの側近と目される妖精は、すでに『妖精のお手製』なる服飾店の経営者として、一部では存在を知られている。
近年は少なくなったが、かつては妖精や精霊が市井に溶け込んで暮らしていたこともあって、すでに西通りの新顔として立場を固めていた。
何を企んでいるのかと私服の役人や騎士を派遣しても店内に不審点は見つからない。
むしろ販売されている品――特に菓子類――が高品質であったため、派遣した者たちの中から新たな愛好者が出る有様だ。
従業員が全て妖精という点が気になると言えば気になる。
しかし、営業税も適切に納められているというから正規の方法でどうにかすることは難しい。
もっとも、仮に何か材料があったとして現状では動きようもないのだが。
「本人について、大した情報は得られませんでした。ただ、配下と思しき家妖精の情報はそれなりに集まっています」
市中を調査するまでもなく、都市を巡回する衛士たちからの聴取で十分な情報が得られたという。
曰く、今年に入ってから家妖精を目撃することが増えた。
曰く、家妖精は総じて少女の姿をしており、メイド服に身を包み、箒やハタキなどの掃除用具を所持している。
曰く、都市内の美化に積極的に貢献している。
曰く、冒険者の襲撃を退けるだけの自衛能力を有している。
衛士長の情報を一通り耳に入れ、しかし、私は情報と実感の差に眉をひそめる。
「違和感があるな。私自身、都市内で妖精を見かけたことがほとんどないのだが」
「北西区域の目撃情報は他区域より控えめです。おそらく妖精や精霊同士の縄張りの関係でしょう。南西区域では詰所を掃除されることもあるそうで、詰所の門を素通りできる程度に当たり前の存在になっています」
「馬鹿な。いや、そうか……」
本来、家妖精というのはそういうものだ。
自身が居着く家から出ることが稀と言えばそのとおりだが、家妖精が掃除をするのは役人が書類仕事をするのと同じくらい自然なこと。
気にすべきことなど何もない。
何か良くない目的で妖精を使役するなら、それに適した妖精はほかにいくらでもいる。
家妖精の動向を警戒しなければならない現状こそが異常なのだ。
「しかも、ここ数日は検問にまで協力しているという報告も」
「検問だと?そのような話は聞いていないぞ」
辺境都市の政策は、辺境という地域性ゆえ経済の活性化や流通の円滑化が最も優先される。
検問の実施はたしかに衛士の領分であるが、流通に多大な影響を及ぼすからして財務を含む各所への協議なしには実施できないはずだった。
思わぬ報告に眉をひそめていると、衛士長は小さく笑って首を横に振る。
「言葉の綾です。家妖精が西門を警備している衛士の横に立ち、時折門を通行する馬車に駆け寄って積み荷を箒やハタキで叩くそうで。衛士が不審に思って荷を検めてみれば、禁制の魔導書やら魔道具やら……」
「疑うつもりはないが、理解し難い話だ」
「同感ですが、事実です。現場では、すでにそういうものと理解され始めています」
都市内に持ち込まれる禁制品が減少するのは願ってもないことだ。
しかし、喜んで済む話でもない。
妖精の協力を前提とした仕組みが一度出来てしまうと、それが妖精にとって新たな交渉材料になり得てしまう。
ただ、明らかに治安の向上に貢献している妖精たちを排除すれば現場の反発が予想されるだろうから、衛士組織の長としては痛し痒しだろう。
「今日のところはこれくらいで。また何かあれば」
「ああ、よろしく頼む」
雑談に興じる暇もなく、衛士長は退室した。
局長室付きの官吏に確認すると今日の予定は完了したというので、私は紅茶を所望した。
急ぎの書類はすでに片付いているが、急ぎでない書類は全く片付いていない。
紅茶を伴に、少しずつでも処理する必要があった。
しかし――――
「B級冒険者のアレン様が、その、『貸しを返してもらいに来た』と……」
紅茶を用意するために退室したはずの官吏が、手ぶらで戻ってきて告げたのは予定にない来客。
部下に当たるのはお門違いと理解していても、ちょっとした楽しみすら邪魔されたのでは不機嫌さを誤魔化すことは難しい。
しかし、相手が相手だ。
「…………通せ。紅茶は二人分だ」
胃痛の原因と共に紅茶を楽しむ趣味は持ち合わせていない。
それでも、会わないという選択肢は存在しなかった。
◇ ◇ ◇
「ふう……」
急な来客は、非常に難しい問題を置いて帰っていった。
客を送り出した官吏が戻ったので冷めた紅茶を淹れなおすよう頼み、私は窓を開けて都市を眺める。
(政庁の役人、それも財務局長であるこの私を相手に文書偽造の依頼とは……。一体何を考えているのか……)
背後を振り返り、執務机の上に置いた日付だけが記入されていない1枚の文書を睨みつけた。
当然だが、この手の文書の偽造は法に触れる。
文書の種類によっては未遂でも牢屋暮らしとなる重罪だ。
今が平時で相手が何の影響力も持たない平民なら、この場に衛士を呼んでそのまま牢に放り込んだだろう。
しかし、そうはいかない事情がある。
(妖精たちとの関係がどうなるにせよ、いざというときに備えた戦力の確保は必須。そしてそのために、冒険者ギルドとの関係を良好に保つことは必要不可欠……)
お伽噺の戦場に踏み留まる人外と互角に戦うなら、そいつもやはり人外の類だろう。
人外の如き強さを持つ剣士が二人並べば、竜を討つほどの大魔術師とて脅威を感じるに違いない。
間違っても騎士団長と上級冒険者が睨み合う構図にしてはならない。
我々にとって、それは紛れもなく悪夢である。
幸いにも後付けの理屈を考えることは難しくない。
10年前に届けられた文書が財務局内のどこかから発見されたことにして、財務局長名の命令書を発行するだけだ。
前提として必要となる文書は机上にあり、私が10年前の日付を書き込むだけでそれが事実になる。
私を嫌う者たちに攻撃材料を献上することになるが、この程度のことなら致命傷にはなり得ない。
無論、鑑定にかければ簡単に露見する稚拙な工作だ。
しかし、財務局長である私を罷免できるのは領主閣下だけであるから、本件について領主閣下に説明して了承を得るだけで事は足りる。
関係各所への根回しは後日でも問題ない。
(問題は、この取引に応じること自体がこちらの弱みになるということか……)
彼の目的を考えれば可能性は低いが、B級冒険者アレンが我々との取引について吹聴して回った場合、こちらの立場は少々まずいことになる。
あるいはそのことを新たな取引材料とすることもできるだろう。
飲み込めないほど大きな問題ではない。
しかし、無視できるほど小さな問題でもない。
「失礼します」
悩んでいると、室内に女の声が響いた。
初めは紅茶のお代わりが来たのだと考え思索を続けたが、その声が正面の扉ではなく横から聞こえたことに気づいて顔を上げ――――そして絶句した。
メイド服を身に纏った少女。
桃色の髪が緩やかな風になびく。
私はポカンと開けたままの口を動かし、何とか言葉を紡いだ。
「一体、どこから……」
「ここは我らの領域ですので。フィーネ・ハーニッシュという女性にまつわる話を偶然耳にしまして、ひとつお願いに参りました」
到底看過できないことを当然のように宣う少女は、私の混乱に構うことなく用件を告げた。
「我らはフィーネ・ハーニッシュに恩があります。ですので、彼女が不幸にならないよう配慮をお願いしたいのです」
混乱を押し込め、その言葉を噛み砕く。
意味するところを理解して――――湧き上がったのは憤怒だった。
「妖精が、都市の政治に口を挟むつもりか……!」
私は騎士団長のような偉丈夫ではない。
それでも財務局長にまで登り詰めた私には、ときに官吏を震え上がらせるほどの迫力が備わっている。
しかし、家妖精シエルの表情は動かなかった。
窓から吹き込む柔らかな風が髪をなびかせるが如く、さらりと受け流した妖精は更に言葉を重ねる。
「単なる取引とお考えください。対価として、あなた方が回収した竜の素材を差し上げましょう」
「竜の素材、だと?」
「はい。経緯を考えれば我らが入手すべきものですが、我らは竜の素材をそこまで必要としていません。一方、あなた方は素材を必要としているはずです。違いますか?」
思わぬ指摘に歯噛みする。
たしかに現場で回収した素材――特に成竜のもの――のほとんどは妖精の攻撃や最後の大魔術によって生じたものだと分析されている。
妖精たちを他勢力と見なすのであれば、報酬の分配はこの少女の言い分が通る可能性が高い。
あれほど強大な竜の素材は非常に貴重で価値も計り知れない。
仮に売却したらどれだけの値が付くか。
あるいは迎撃戦に要した戦費の何割かを賄うことすら可能かもしれない。
だが、問題はそこではない。
(やられた……!)
竜の素材は素性不明の妖精たちが興味を示さなかったため騎士団が回収し、竜を撃退した証明として市民の観覧に供した。
竜の襲来で不安を抱えた市民を安堵させるため、それは必要な措置だった。
しかし、ならば当然の帰結として竜を撃退したオーバーハウゼン伯爵家が竜の素材を所有していなければならない。
そうでなければ竜を撃退した戦力が領主家に帰属していないという事実が、帝国貴族や市民に露見してしまう。
そうなった場合、都市の混乱や貴族諸家の横槍がどうなるか。
考えるのも億劫だ。
無論、力づくで竜の素材の所有権を争うという選択肢は考慮に値しない。
「なぜ、この女にこだわる。その恩とやら、竜の素材に匹敵するとでも?」
「恩には礼を、仇には報いを。家妖精とはそういうものです」
せめて少しでも情報を。
そう思って食い下がってみても、得られたのは何の意味もない表面上の言葉のみ。
「……即答はできかねる」
「良い返事を期待しています」
食い下がりもせず、妖精は一礼して退出した。
先ほどと違って堂々と扉から出て行くのは皮肉のつもりだろうか。
やがて扉を睨みつけることに疲れた私は、崩れるように椅子に腰を下ろした。
「はあ……」
天井を見上げる。
重責を担ってきた代々の財務局長も、時折こうして局長室の天井を見上げて溜息を吐いたのだろう。
しかし、就任からわずか10日余りで斯様な無理難題に直面した財務局長は、果たして何人いただろうか。
(なぜ……。私ばかり、どうして……)
妖精の言葉を真に受けるなら、愚痴を声に出すことすら許されない。
しばし呆けた後、ゆっくりと体を起こした。
(事は急を要する。速やかに閣下に伺いを立てねば……)
すでに私が判断できる範疇を超えた。
迷う必要がないのは、ある意味楽なことではある。
「失礼します」
視線を上げると、今度こそ紅茶のお代わりが届けられたところだった。
どうにもタイミングが悪く、ゆっくり味わうことができないのは残念だが。
「済まないが、これから閣下を訪ねたい。急ぎの用だ」
官吏は心得たもので、紅茶を注ぐと速やかに退出した。
彼が先触れを送って場を整える時間を使い、私は服装と髪を整える。
紅茶を飲んで一息つき、私も足早に執務室を後にした。
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