第314話 閑話:A_fairytale_14




 人間たちの様子がどこかおかしい。

 その話が妖精ネットワーク経由で直接私の耳に届けられたのは、マスターが火山に向かってから数日後の夕方のことだった。


『なんだか慌てている人が多い……かもしれません』

『どうして慌てているのかはよくわからない』

『衛士の人がいっぱい走ってる』

『屋敷の東の方も大騒ぎ』


 そんな拙い報告の数々に、私は大いに満足した。


 この際、報告の精度はどうでもいい。

 みんながという概念を理解してくれたことが喜ばしいのだ。

 これでマスターが吐血して死にかけているなどという理解しがたい報告を突然聞かされることは、もうなくなった。

 これを喜ばずして何を喜ぶというのか。


 それはさておき――――


(報告内容は、やっぱりよくわからない……)


 私はシエルの指揮の下で情報収集を継続するよう指示を出し、一旦その話を頭から追い出した。

 特に気にするようなことでもなければ、あとで何かのついでにシエルから報告があるはず。


 そう思っていたのだけれど――――


『臨時会議を提案します』


 その日の夜、シエルが情報共有のために一度集まりたいと言い出したので私たちは地下に集まることになった。

 ネットワークで済ませないのは、あれが家妖精の固有技能だから。

 風精霊のシルフィーを筆頭とする家妖精ではない配下に情報を伝えるなら、実際に会うのが確実で早い。


 屋敷の地下にある会議室に集合したのは私とシエル、ココル、メリル。

 各班をまとめる最古参の家妖精7人と、風精霊のシルフィー、火妖精に土妖精。

 この顔ぶれは初回から変わらない。


「では、都市で起きている異変について、現時点でわかっていることを共有します」


 会議はシエルの報告から始まった。


「まず、都市の治安部隊が慌ただしかった理由ですが、どうやら竜がこの都市に向かっているようです」

「竜って、お話に出てくるあの竜?」

「はい、あの竜です」


 ココルの問いにシエルが答えると妖精たちは感嘆を漏らした。


 竜とは物語の中の存在であり、実際に遭遇するものでは全くない。

 基本的に人間の集落で暮らす家妖精ならばなおさらだ。


 だから竜に会えると聞いて期待するのも無理はないのかもしれない。


 ただ――――


「マスターは、竜を探しに出かけたのに……」


 向こうからやってくるならマスターは遠出せずに済んだ。

 あと数日早ければよかったのに、本当に気が利かないことだ。


(たしか、爪を拾ってくるって……)


 フィーネ様を助けるために必要だとマスターは言っていた。


 私がフィーネ様を止められなかったせいで、元々面倒だった話が余計に複雑になってしまったらしく責任を感じていたところ。

 マスターが爪を見つけられなかったときのために、こちらでひとつ確保しておけば失敗を挽回できるかもしれない。


「続きを説明しても?」

「お願い」


 まずは全部を聞いてからだ。

 そう思い、私はシエルの説明に耳を傾けた。






「――――と、現状ではこんなところです」

「ありがとう」

 

 追加の仕事を夜までかかって処理してくれたシエルにお礼を言い、手元のメモを見ながら説明の要点を振り返る。


 政庁や詰所の人間たちは明日の朝以降に竜が来ると考えている。

 詰所の人間たちはほかの人間たちに竜が来ることを教えず、家の中にいるように叫びながら南東区域以外を歩き回っている。

 『妖精のお手製』にも人間が来て、明日は営業しないように言われた。

 近くのお店もみんな同じことを言われていた。

 人間たちは都市の南側で竜と戦う計画で、なるべく農地に被害を出したくないと思っている。


「うん、大体わかった」


 簡潔にまとめられた報告はいつもわかりやすい。

 おかげで何をすればいいか考えるのがとても楽だ。


「壁の強化の進み具合は?」

「全ての部分が完了するのは当分先の予定です。ただ、南側と東側を優先して進めていましたので、その部分に限っては十分な強度を確保しています」


 私が言う壁とは屋敷の外壁のことではない。

 屋敷の強化は私自身の手で一番初めに済ませているし、今でも時間を見つけて強化を続けている。


 なので、私が聞いたのは都市外壁のことだ。

 領域を広げた結果、私の領域は都市の外壁に隣接してしまった。

 元々相応の強度があるみたいだし、わざわざ外壁を壊して侵入する人もいないと思うけれど、何もしないのはなんとなく具合が悪いから余裕があるときに少しずつ強化していたのだ。


「南側の南東区域に隣接する部分だけでいいから、竜が来るまでに確認してほしい」

「うっす。ほかに指示がなければ早速始めるっす」

「お願い」


 土妖精は頷きつつ、小走りで退室した。

 外壁本体はともかく魔法の点検は土妖精以外でもいいから、あとで誰かを応援に送ろう。


「次、時計台に置いたの書き換えは?」

「まだ、終わってません……。この前、精霊が来て、中断したままです」

「そうだった」


 領主屋敷の火精霊。

 私たちが時計台に仕込んだ魔法に気づいて、こちらの領域に侵入してきたのは何日前だったか。

 ココルとシルフィーから撃退の報告は聞いたはずだけど、それ以降仕掛けてきたという話は聞いていなかったはず。


「フロル様、竜と直接戦うのですか?」

「人間たちに任せるつもり。でも、都市内を荒らすようなら放置はできない」


 屋敷を荒らされないのは大前提。

 しかし、屋敷が無事なら柵の外側がどうなってもいいかというと、そんなことはない。

 私が守るべきはマスターの平穏だ。

 焼け野原になった都市に屋敷だけがぽつんと残っていても、十分な仕事をしたと胸を張ることはできない。


 だから、いざというときは私も戦う。

 時計台の仕掛けは私が戦っても目立たないようにするためのもので、つまりは魔法の出所を探られないための中継点だ。

 

 元々急ぐ話ではなかったけれど、竜が来るなら備えはしておきたい。


「間に合う?」

「頑張ります。いってきます」


 家妖精の一人が退室した。

 時計塔の方はこれで良し。

 

「メリル、いざとなったらは任せる」

「フロル様の魔法で、竜を狙う……ですよね?」

「そう」


 私が介入するとき戦場ははずだから、普通に魔法を撃つだけなら外すことはない。

 けれど、慣れない中継を挟むならメリルに任せた方がいい。

 彼女は遠くを狙うのが得意だし、私も攻撃魔法に集中できる。

 

 屋敷の中から出なくて済むとわかって安堵するメリルを横目に、メモを見ながら見落としがないか考える。


(こんなところ、かな……?)


 南東区域の悪い人間たちが騒いでいるのは、ただの喧嘩だった。

 報告によると、今日は何か高価なモノを取り合っていたらしい。

 いつものことなので特に介入の必要はないと聞いている。


「あとは、何かある?」

「当面はこれで十分かと。一応、明朝から警戒態勢を敷くよう全員に伝達しておきます」

「お願い」


 臨時会議はこれで終了

 その場でおしゃべりを始めたり、どこかへ駆けていったり、どこからか取り出した小瓶を眺めたり。

 好きなように動く妖精たちの中で、ふとココルが呟いた。


「竜は、何しに来るんだろう?」


 竜の心境などわかるはずもなく、多くの妖精が首をひねる。

 シエルも答えは持ち合わせていないようだった。


 ココルはみんなを見回し、最後にシルフィーに視線を向ける。

 意見を求められたと思ったのだろう。

 彼女は自身の考えを披露してくれた。


「うーん、なんとなく……かなあ?」

「ええ、そうなの?」

「ココルだって、なんとなく都市を散歩したりするでしょう。それと同じだよ」

「なるほど!」


 ココルは満足げに頷いたが、多くの妖精は首を傾げていた。

 シルフィーも今の説明は苦しいと思ったようで、少しだけ視線を彷徨わせた後で思い出したように手を打った。


「あ、そうそう!散歩以外でも、子どもが攫われたりするとどこまでも追いかけてくるかな」

「ええ、竜の子どもを捕まえる人がいるの?」

「子どもっていうか、タマゴ?」

「たまごかー。大きいのかな?」

「どうかなー?私も現物を見たことはないからわかんないなー」


 呑気な会話が繰り広げられる地下の会議室。

 たまたま会話が途切れた瞬間、その声はやたらと響いた。


「大きいたまご、見ました」


 声を上げたのは最古参の家妖精。

 南東区域を担当する班長だった。


「大きなたまご。今日、悪い人たちが奪い合ってました」

「…………」


 全員の視線が自然とシルフィーに集まる。


 シルフィーは口を大きく開け、唖然としていた。





 ◇ ◇ ◇





 翌朝、いつもと同じ時間に起床した私はマスターの寝室に足を運ぶ。

 

 一日の始まりはマスターの寝室の換気から。

 窓を開ける前に、カーテンの隙間から今日の天気を確認する。


(そういえば、竜が来るんだった……)


 妖精たちの動きはシエルを通して昨日のうちに指示してある。

 もう少ししたら、皆も動き出すだろう。


 やることは色々ある。


 昨日に続き、都市外壁の強化と時計台の改修。

 そして、卵の捜索と回収。


(竜の卵……どんな味なんだろう?)


 卵料理はマスターの好物のひとつだ。

 オムレツやスープはもちろん、卵を使った焼き菓子も嫌いじゃない。


 今回は無理でも、機会があったら食べさせてあげたい。


 そんなことを考えながら、私はゆっくりと窓を開けた。



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