第308話 閑話:竜vs辺境都市4
side:C級冒険者パーティ『疾風』 カイ
「くそがっ!」
力の限り槍を突き出すと、竜の鱗にほんのわずかな傷ができた。
俺が付けた傷か、それとも元からついていた傷か。
少し目を離せばそれすらわからなくなるほどの小さな傷だ。
この身を襲う不条理を力に変えた全力の刺突をもってしても、その程度のささやかなダメージにしかならないという現実に苛立ちが募る。
「カイ、下がって!」
しかも、それを嘆く時間すら与えられない。
ロッテの声に従い全力で横っ飛びすると、俺が居た空間は竜の尾によって薙ぎ払われた。
領主の演説を聞いたときはなんだかんだ勝てるような気がしていたが、よく考えてみればC級とD級が束になったところで竜に勝てるわけがない。
なぜ俺は都市の存亡を懸けて竜と戦っているのか。
しかも、一度のミスで命を落とす最前線で。
「『鋼の檻』のやつら、絶対に許さねえぞ!!!」
それもこれも、全て『鋼の檻』が悪いのだ。
緊急依頼を無視して逃亡しただけならまだ良い。
いや、本当は全然良くないが、本拠地でもない場所を守るために命を懸けたくないという気持ちは理解できる。
だが、あの馬鹿共はよりによって『黎明』に喧嘩を売りやがった。
そのせいで『黎明』が急遽遠征に出発して都市を不在にしている。
それがなければ、ここにいるのは『黎明』だったはずなのだ。
同じC級冒険者、それも年下相手に悔しい話だが、奴らの戦闘力はこの都市で頭ひとつどころではなく抜きんでている。
俺たち『疾風』が命からがら逃げ出した魔人に一歩も引かなかったし、カミラが言うには制限ありの模擬戦とはいえ騎士相手に数十戦、数百戦と勝ち抜いたらしい。
竜の相手なんて、そういう奴らがするべきなのだ。
クリスなら、涼しい顔で竜の攻撃を回避してみせるだろう。
アレンなら、動きもせずに<結界魔法>で竜の巨体を受け止めるだろう。
もしかしたら、竜の鱗を斬り裂くことすらやってのけるかもしれない。
少なくとも、俺が土と草を体に貼りつけながらのたうち回る必要なんてなかったはずだ。
(いや、ティアナだけは居残りだったか……)
昇級試験という今後を左右する一大事にあって火力担当の魔法使いを留守番させるという采配に疑問は尽きないが、おかげで火力が足りないという最悪の問題は解決したらしい。
ハンスとカミラには悪いが、魔人に通用しない攻撃が竜に通用するとは思えない。
その点、魔人の防御を一撃でぶち抜いたティアナの<氷魔法>は竜にもある程度のダメージが期待できる。
というか、あれが通らないならおしまいだ。
あれ以上の火力が必要なら、それこそ上級冒険者でも連れて来るしかない。
もちろん敵前逃亡なんかしない本物のやつだ。
「ロッテ、下がれ!!」
竜の攻撃をかいくぐって後退するロッテに代わり、空いた空間を埋めた。
竜の視線が逸れていることを確認してから左右の様子を窺う。
(ほかのパーティは……まだ大丈夫か)
俺とロッテが交互に前に出て竜に当たっているように、他にもいくつかのC級パーティが前衛を務めていた。
D級以下の連中は踏み潰されたか吹っ飛ばされたか、はたまた逃げ散ったか。
何にせよすでに頭数として数えられる状況ではなくなっている。
人手不足は深刻で、後方支援専門の『陽炎』からアーベルとカルラが補充で送り込まれているほどだ。
経験豊富な彼らの安定感は抜群だが、やはり火力不足は否めない。
(いや、それはこっちも同じか……)
鱗にひっかき傷をつけたからと言って何が変わるわけでもない。
それでも竜に攻撃を繰り出すのは竜の気を引くためだ。
火力を担う後衛たちが役目を果たす瞬間、後衛に目が向かないように。
そこに加わっているカミラに間違っても危険が及ばないように。
「ほらカイ!もっと頑張って、カミラにいいとこ見せろ!」
背後から飛んで来るふざけた応援に舌打ちする。
大声で喚いたから他のパーティの奴にも聞こえたはずだ。
その証拠に、右側で竜を斬りつけていた『陽炎』のカルラが楽しそうに笑っている。
「下がって!」
俺はまた無様に草原を転がり、頬に草を貼りつける。
息を整えながら俺は考えていた。
竜との戦い方のことではない。
何と言えばロッテを適度に煽ることができるかということだ。
あまり怒らせて手元が狂ってもまずいので、まずは軽く。
「ほら、てめえはハンスにいいとこ見せなくていいのか?」
「ハンスは私のいいところ、ちゃんとわかってるから大丈夫!」
竜と戦いながら返事をする余裕があるのは良いことだ。
俺は馬鹿らしくなって口を閉じる。
そのとき――――
「おい、下がれ!!」
竜がこれまでにない動きを見せ、戦線が乱れた。
『疾風』と『陽炎』が下がり、他のパーティも歩調を合わせる。
「飛ばれたか」
「竜だもん、そりゃ飛ぶよねえ……」
剣も槍も届かない高さで滞空する竜を、俺たちはただ見上げるしかない。
「いけるか?」
「命中させることは難しくない、が……」
『陽炎』のアーベルに声を掛けるが反応は芳しくない。
たしかに投げナイフで竜をどうにかしろというのは、流石に無茶振りが過ぎた。
「火炎、来るよ!!」
胸を逸らして息を吸い込む竜を見上げ、『陽炎』のカルラが声を張った。
火炎かブレスか――――俺には区別がつかないが、それでも火炎が来る想定で身構える。
『陽炎』の信頼は厚く、他の連中もそれにならった。
「的を絞らせるな!」
「走れ、走れ!!」
「時々前も見ろ、ぶつかるなよ!!」
他の奴とぶつからないように声を掛けながら二人組で走り回った。
ブレスなら察知した瞬間に一か八かで跳ばなければ避けられない。
しかし、火炎は拡散する代わりに着弾が遅いから身体能力に優れた前衛が全力で駆け回れば十分に避けられる。
事前に伝えられた情報に従い、俺たちは落ち着いて回避行動を取った。
(竜の情報なんて、よく知ってるもんだ……)
水精霊のラウラが当然のように語る知識には、いつも驚かされる。
その正確さには舌を巻くしかないが、対価が高額であるため常用することは難しい。
今回はどこからか対価が支払われたようで、惜しみなく貴重な情報を教えてくれた。
いつもこうだと、大変ありがたいのだが。
「カイ、上っ!!」
「――――ッ!?」
決して油断していたわけではない。
火炎を吐き終えた竜が急降下する速度が、先ほどのそれよりもずっと速かったのだ。
(嵌められた……!!)
竜は知恵のまわる魔獣だ。
敢えて単調な攻撃で人間を騙し、獲物を狩る一瞬だけ動きを変える。
そういう情報はあったのに、俺はそれを活かすことができなかった。
竜の動きは先ほどまでと違い、俺だけを狙ったもの。
全力で走っても跳んでも、もう回避は叶わない。
ならば、いっそ――――
「……ッ!」
地面を踏みしめ、歯を食いしばる。
いつか来るかもしれない終わりについて、考えたことは何度もあった。
後悔はいくつもある。
だが、泣いても笑ってもこれが俺の最期なのだ。
『ほらカイ!もっと頑張って、カミラにいいとこ見せろ!』
ロッテの言葉が脳裏を掠める。
これが、カミラに見せる最期の姿になるならば――――
(死ぬ前に、せめて一矢報いてやる!!!)
何も為せずに死ぬのは嫌だ。
ただ無様に踏みつぶされるのは嫌だ。
カイという男の死を無駄にしないために。
勇敢な姿を目に焼き付けてもらうために。
今、この瞬間に全力を尽くす。
たとえ、その先が存在しなくても。
「おおおおおっ!!!」
牙を剥きだしにして俺に迫る竜に向け、咆哮する。
景色は色を失い、世界が遅い。
俺自身の動きも嫌になるくらいにゆっくりだ。
狙いは、大きく開いた竜の口。
鱗に通らない槍も、口の中ならば刺さるだろう。
引き付けて、引き付けて、限界まで引き付けて。
最期の一瞬、渾身の力で竜の口内に投げ込むのだ。
体は弓のようにしなり、全身の力が槍に伝わる。
回避不可能な間合いに踏み込んだ確信を得て、俺は槍を撃ち出した。
「カイ!!!」
感覚が研ぎ澄まされているからか。
遠く離れたところにいるカミラの声が聞こえた気がした。
直後――――横から衝撃。
「――――ッ!!?」
ロッテだった。
投擲後の不安定な体勢に突き飛ばすような体当たりを受け、俺の体は草原に投げ出される。
しかし――――
(やめろ……)
ロッテは、いまだ竜の牙が届く場所にいる。
このままでは半身を食い千切られてしまう。
俺の代わりに、ロッテが助からない。
(やめろ……!!)
竜の牙が、ゆっくりとロッテに迫る。
だというのに、槍を手放し体勢を崩した俺にはもうできることがなかった。
(やめろおおおおおっ!!!)
俺は声にならない絶叫を上げた。
そのとき――――
「――――」
俺の視界に竜ではない巨大な質量が映り込み、世界が加速する。
俺とロッテの体は草原に投げ出され、竜は地を這う俺たちを掠めて草原に墜落した。
ロッテは間一髪で竜の牙から逃れ、光り輝く欠片が俺たちに降り注ぐ。
「立てるか!?」
「ああ……」
「なら彼女を担いで撤退を!このままでは巻き込まれる!」
アーベルに従ってロッテを担ぎ、無我夢中で草原を駆け抜けた。
頭上には攻撃魔法、巨大な矢、謎の物体。
とにかくたくさんの攻撃が雨あられと竜を目掛けて放たれている。
その中に、またひとつ巨大な質量が見えた。
(あれは、『黎明』のティアナ……!)
破城槌もかくやという巨大な氷柱が唸りを上げ、地に墜ちて藻掻き苦しむ竜の巨躯へと突き刺さる。
いや、正確には氷の方が砕けている。
それでも、あの衝撃が竜に与えるダメージは計り知れない。
「ロッテ!カイ!二人とも無事か!?」
「ああ、なんとか……」
外壁近くにたどり着くと、ハンスが駆け寄ってきたのでロッテを任せる。
「無茶しやがって、もう少しで死んでたぞ!」
「だって……、カイが死んだらカミラが悲しむでしょ」
「お前が死んだら俺が悲しむだろう。後でお仕置きだ」
「えー、ひどーい!」
悲鳴を上げるロッテに悲壮感はない。
感謝が薄れ、勝手にやってろと思いながら二人の邪魔をしないようその場を離れる。
俺は武器を失い、ロッテは負傷した。
流石に再出撃はないだろう。
「あ……」
後衛が集まっている方へ歩いていくと、南門の方に向かう『黎明』のティアナと遭遇した。
いずれ礼を言うつもりだったから探す手間が省けた。
「また助けられたな。感謝する」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
「……何で礼を?」
俺はさておき、ティアナから礼を言われる理由が思い浮かばない。
つい口を突いた言葉だったが、ティアナは柔らかい笑みを浮かべながら理由を教えてくれた。
「カイさんが竜を引き付けてくれたおかげで、確実な機会を得ることができましたから」
「ああ……」
要は良い囮になったということか。
それが前衛の役割とはいえ、面と向かって言われると少しだけもやもやする。
八つ当たりだということはわかっている。
死ぬような思いをしたのだから多少は許されるだろうと考え、俺はちょっとした皮肉を言った。
「アレンが前衛でも、同じようにしたか?」
「まさか」
迷うそぶりもない即答だった。
どうでもいい奴が前衛だったから、喰われる寸前に狙いを定めたということか。
すました顔で、なかなか酷いことを言う。
流石に文句の一つも言ってやろうと口を開くが、それより先にティアナが言葉を継いだ。
「私が撃つ前に、竜の首を刎ねてしまうでしょうから。アレンさんが前衛なら、私の出る幕なんかありません」
「…………」
皮肉の効いた返答に、俺は閉口するしかなかった。
「では、少し疲れてしまったので失礼しますね」
「あ、ああ……」
南の森で話したときは、こんな感じではなかったと思ったのだが。
今回留守を任されていることといい、『黎明』で何かあったのだろうか。
(いや、よそのパーティの事情はどうでもいいか……)
俺は元々目指していた方へと再び歩き出す。
なぜ俺はこちらへ向かっているのか。
最初は自分でもわからなかったが、自問自答しているうちに腑に落ちた。
多くの人が慌ただしく動き回っているが、彼女はすぐに見つかった。
「カイ!!」
駆け寄ってきた彼女は大粒の涙を浮かべ、俺の胸を叩く。
「馬鹿!!何やってるのよ!死ぬとこだったじゃない!」
心配かけてすまない。
生きてるんだから問題ないだろ。
言うべきことは、ほかにあったかもしれない。
けれど、俺の口から出たのは違う言葉だった。
「カミラ、好きだ」
カミラは目を丸くした。
自分でも驚いたが、撤回しようとは思わなかった。
経緯はどうあれ、せっかく命を拾ったのだから。
あのとき感じた後悔を清算する機会を得たのだから。
その機会を無駄にしたら、過去の自分に笑われてしまうだろう。
再びカミラは大粒の涙を流した。
俺が打ち明けた想いに対する、彼女の返事は聞けなかった。
ただカミラは顔を寄せ、俺の唇を塞いだ。
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