第302話 待ちに待った宴会1
「いやあ、豪勢な料理だね。どれも美味しそうだ……」
クリスの言葉は宴会の場に相応しいものであるはずだが、それは遠慮がちで尻すぼみに消える。
宴会場となった屋敷のリビング。
微妙な空気が漂っているのは、『黎明』のメンバーだけではなくローザとアン、それにフィーネも参加しているからだ。
「「「「「…………」」」」」
沈黙する女性陣は全員そろいの浴衣を着ている。
彼女たちが風呂を使う機会が増えるだろうと予想してフロルに用意させたものだが、見目麗しい少女たちの浴衣姿を目の保養と喜ぶ余裕は全くない。
彼ら彼女らの表情も様々だ。
定位置に陣取る俺の正面には、渋い顔で深く腰掛けたクリスがいる。
この方面で色々と相談していたクリスにとってこの状況は想定の範囲内であったようだが、その視線は言い訳を抜かるなと訴え続けていた。
俺から見てクリスの右隣には、この場で唯一怒りを露わにしているネルがいる。
彼女の怒りは当然だろう。
ティアとの関係のこともあるだろうが、鋭い視線は自分たちが苦労している間に女とよろしくやっていたのかと言わんばかりだ。
ネルの右隣、ソファーではなくフロルがどこからか用意した小さな椅子にそれぞれ腰掛けるのはアンとローザだ。
アンは追い出されるかもしれないという不安一色。
ローザは不自然でない程度の微笑で、何を考えているかわからない。
そして、ローザのさらに隣――――というか俺の右隣にいるのはティアだ。
仲間の帰りを待つ時間も揺るがなかった彼女の心が、大きく揺れているのが手に取るようにわかる。
俺にぴったりと体を寄せて腕を握る手に力を込めているのは、多分俺を勇気づけるためではないだろう。
(まあ、前科があるからな……)
エルザの件がティアに露見し、彼女を悲しませたのはわずか1月半前のことだ。
そのときはもう娼館に行くのはやめようなんて思っていたのに、2月も経たないうちにこのザマである。
しかし、仮にあの場所からやり直したとしても俺の行動は変わらないだろう。
行動を変えるというのは、つまりローザを、アンを、フィーネを見捨てるということだ。
その選択肢を拒否した以上、もう腹をくくるしかない。
そして俺の左隣、アンやローザと同じく小さな椅子に座るフィーネは横目でこちらを睨んでいる。
彼女には説明しておけと念を押されたばかりだ。
忠告が全く活かされておらず、呆れているのだろう。
「本当に美味しそう。できれば冷めないうちに味わいたいんだけど」
ネルは鋭い視線で俺を射る。
魔獣の目すら容易く射貫く、凄腕の射手が放つ不可視の矢。
いつぞやのフォークと違い、今回はしっかりと俺の胸に突き刺さった。
さしものフロルも、これをカットすることはできないらしい。
しかし、怯んではいられない。
この宴会を『黎明』解散パーティにしないために、上手くこの場を切り抜けるのだ。
「落ち着け。ちゃんと説明――――」
「あんたは黙ってて」
「ええ……?」
初手から躓き、俺は戸惑った。
まさか、説明も聞かずに俺を糾弾するつもりか。
そう思ったが、ネルの視線が俺からフィーネに移ったのを見て、俺はネルの制止の意味を理解した。
「本人がいるんだから、自分の口から説明してもらえばいいでしょ。あんたは言い訳を用意してるだろうし」
「いや、それは……」
痛いところを突かれ、頬が引きつる。
ネルの主張を退けて俺が説明するという方法もあるが、それで疑念が晴れるかどうか。
悩ましい選択だった。
「もう、だから説明しておいてって言ったのに」
俺が迷っているのを見て助け船を出してくれたのはフィーネだった。
彼女は椅子に腰掛けたまま居住まいを正し、周囲と視線を合わせながら話し始めた。
「説明の前に『黎明』の皆さんにお礼を言わせてください。今回は皆さんのおかげで不本意な結果にならずに済みました。本当にありがとうございました。それと――――」
フィーネは体の向きを少し変える。
彼女の視線の先には、不安に揺れるティアがいた。
「私がここに居ることで、ティアナさんを不安にさせてしまったと思います。本当にごめんなさい」
「いえ……」
フィーネの謝罪に、ティアは返事を濁した。
言葉が続かないのは少なからぬ不満があるからだろう。
説明を聞いていないから許すとも許さないとも決められない。
彼女の反応には、そんな心境が現れていた。
「ネルさんの言う通り、私から説明させていただきます。皆さんにはどこまで説明してるの?」
「さっき合流したばかりだから、全部これからだ」
「なら、最初からね」
「すまん……」
フィーネたちをこのような状況に追い込んでおきながら、言い訳もまともにできないとは。
我ながら情けなくて涙が出そうだ。
「ここでお世話になっている理由をお話する前に、私が置かれた状況を聞いてもらう必要があります。あまり楽しい話ではありませんが……」
そのような前置きで、フィーネは語った。
受付嬢の報酬体系。
『黎明』を担当するフィーネに対する同僚からの嫉妬。
たちの悪い冒険者たちの妨害と収入の減少。
<アナリシス>の件とギルドからの解雇処分。
前置きに違わぬ重い話が続き、場の雰囲気は暗く沈んだ。
「アレンのおかげで、ギルドには復帰できました。ただ、寮を退去するときに家財道具を処分してしまったので……。新居を探す間、アレンを頼った次第です」
「そ、そうだったの……」
フィーネの説明を受け、ネルの勢いはずいぶんと萎んだ。
しかし、それでもネルは諦めなかった。
「でも、こいつの家なんてむしろ危ないんじゃない?宿でも取った方がきっと安全よ。それくらいのお金はこいつが出すでしょうし」
「おい……」
「なによ」
こちらに向ける視線に先ほどまでの圧力はない。
ティアの心情を優先して追及を続けているが、フィーネの境遇にも同情しているからだろう。
「…………」
ネルの言葉にフィーネは言い淀んだ。
問いに答えることはできる。
しかし、そのためにはフィーネの説明の中で、俺との関係以外に伏せていたもうひとつの話をこの場でする必要があった。
「そこから先の話は、できれば聞かせたくないんだが……」
「それで逃げられると思ってるの?」
「まあ、そうだよな……」
俺の隣で顔を伏せるフィーネを見やる。
せっかく不安を取り除いたのだから、本当は蒸し返したくはなかった。
「話してもいいか?」
「……大丈夫」
フィーネの了承を得た俺は言葉を選びつつ、彼女が受けたセクハラについて語った。
多少言葉を濁した部分はあったが、基本的に俺が見聞きしたことは残らず説明した。
その中には当然、クズ共の所業も含まれる。
「…………」
ネルだけでなく全員が唖然としていた。
悪事を嫌うクリスにこの手の話は届かないだろうし、一時は歓楽街の住人だったローザやアンにしてもここまで悪質な話は中々聞かないだろう。
多くの人間が共謀して一人の少女を娼婦に堕とす計画など、冗談にしても度し難い。
「全員に釘は刺したが一人だけ諦めの悪い奴がいてな。そいつの対処を済ませるまで、フィーネには目の届くところに居てもらいたい。一人で旅館に泊まってるなんて知れたら、そこを狙って暴挙に出ないとも限らん」
「そいつ、もう殺した方が早いんじゃないの?」
「そうだね」
「おい……」
ネルとクリスを窘めても何が悪いという表情だ。
凄惨な殺し合いを経て、少し倫理観のタガが外れているのかもしれない。
視線を外し、ネルは溜息を吐いた。
「そこまで酷いなんて……。嫌なことを思い出させてごめんなさい」
「大丈夫です。頭を上げてください、ネルさん」
ネルは根掘り葉掘り尋ねたことをフィーネに詫びた。
こういう素直なところがあるから憎めないのだ。
「フィーネさんの話はわかりました。一応、こちらの二人の話も聞かせていただけますか……?」
ティアもフィーネのことは許してくれたようだが、それでも追及は続く。
二人とは、ローザとアンのことだ。
やはり有耶無耶にはできないらしい。
「二人は俺が暮らしてた孤児院の仲間だ。俺がこの都市を出たときの話は、前にしたよな?」
孤児院の商売に気づいた日のこと。
暗い森の中で行われた人生を懸けた戦いのこと。
孤児院に残る孤児たちを見捨てて東へ逃げたこと。
その辺りの事情はすでに説明している。
「この子たちが……」
「そうだ。最近、偶然所在を掴んでな。全員を探すのは無理だが、せめて見つけた奴くらいは面倒を見てやりたい」
ローザとアンの話によると、孤児院が崩壊した後で行動を共にしていたのは彼女たちを含め9人だった。
ほかにも多くの孤児がいたはずだが、そのグループに限っても半数以上の行方がわからなくなっている。
ローザとアン、そしてロミを見つけることができたのは、ただ運に恵まれただけの話なのだ。
「二人はここで使用人を?」
「ああ。ただ、昼間は孤児院で働いてる」
「アレンさんが暮らしていた孤児院ですか?たしか、もうなくなったと聞いたと思いましたが……」
「それが最近、ある人が慈善事業で復活させてな。『妖精のお手製』という店の経営者なんだが、知らないか?」
「名前は聞いたことがあります。たしか西通りのお店ですね」
相槌を打ちながら、ローザとアンを見つめるティアは思案顔だ。
二人がここで暮らすことを許せるかどうか。
ティアの中で判断が揺れているようだった。
そのとき、ゆっくりとローザが立ち上がった。
「私からもお礼を言わせてください」
「お礼、ですか……?」
「私の兄を救ってくれたと、アレックスにぃから聞きました。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げるローザを見ながら、俺は焦った。
その話は俺の判断で『黎明』のメンバーには伏せている。
もう少し時間が経ってから、場合によってはこのまま伏せたままでもと思っていた。
「ローザ、その話は――――」
「黙りなさい。お礼って、どういうこと?」
俺にとって都合の悪い話が始めると思ったのだろう。
こちらを牽制するため、ネルが食い気味に言葉を重ねた。
ローザはきょとんとしてネルを見た。
クリス、ティアの顔を順にみて、ネルへと視線を戻す。
そして困惑しながら、その事実を告げた。
「魔人となった兄を討伐してくれたと、そう聞いていたんですけど……」
「え…………?」
ネルが言葉を失う。
しばらくして、勢いよくこちらを振り向いた。
「聞いてないよ。どういうことかな?」
傍観に徹していたクリスの視線も鋭い。
もう伏せたままにするのは困難だった。
「俺たちが南の森で討伐した魔人の名はラルフ・リッケルト。ローザの双子の兄だ」
「「――――ッ!」」
魔人という倒すべき存在に明確な人格と背景が与えられ、クリスたちは息を飲んだ。
ラルフを知る俺ほどでなくとも混乱はあるだろう。
そして――――
(ティア……)
彼女はこちらを振り向くこともなく硬直していた。
魔人討滅戦を指揮したのは俺で、その責任は全て俺にある。
しかし、実際に魔人にとどめを刺したのはティアだった。
例えラルフを救う手段がなかったとしても、ローザにとってティアは自分の兄を殺した仇だと言えなくもない。
ティアが受けるショックは小さくはないだろう。
「アレン、まさかとは思うけど……」
「誤解するな。俺が知ったのも全部終わった後、騎士団詰所で報酬の受領手続をしたときのことだ。ローザの所在を知ったのも、そのときだ」
「冒険者ギルドとしても、魔人の素性は開示していません。どうしても諦めきれない家族や知人が暴走して、被害が拡大した例もありますから」
「それなら…………。いや、すまない」
フィーネのフォローもあってクリスは矛を収めたが、その先を口に出すことはなかった。
知ったのがどのタイミングであろうと魔人は討伐しなければならない。
俺たちが目を瞑っても、別の冒険者が討伐するだけだ。
「みなさんが救ってくれなければ、兄はもっと多くの人を傷つけたと思います。私もアレックスにぃに会えず、一人で泣いていたかもしれません。だから、どうかそんな顔はしないでください」
「……はい、ありがとうございます」
沈痛な表情のティアをローザが気遣ったが、ティアのショックが薄れた様子はない。
宴会は、残念会を通り越してすでにお通夜状態だ。
実際に兄を亡くしたローザがいるのだから冗談にもならない。
さらに残念なことに、話はまだ終わっていないのだ。
もうこれ以上沈みようがないほどテンションが落ちている状況だが、まだアンの話が残っている。
アンについてはフィーネやローザのような衝撃のエピソードはなく、背景を語るに娼館の話を伏せてはおけないので、正直なところ最も説明しにくいのだが――――
「も、もういいんじゃないかな……?」
「ええ、料理が冷めちゃいますよね……」
「そ、そうね!せっかく用意してもらったんだから、早く食べないと、うん……」
流石のネルも罪悪感に耐えて事情聴取を続けることはできなかったらしい。
ようやく、待ちに待った宴会が始まる。
(ええい、もうヤケクソだ……!)
全員、しこたま飲ませて酔い潰してやる。
そう決意して、俺は乾杯の音頭を取った。
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