第296話 わかっている




 普段より大人びて見えるのは化粧のせいか、それとも彼女が纏う陰りのせいか。

 花が咲くような笑顔を見たのはつい昨日のことだというのに、その名残はもうどこにも見つからなかった。


「こんな時間から娼館なんて、すいぶん気が早いのね」

「ギルドで耳を疑うような話を聞かされたからな……」


 顔を合わせたときに交わすお決まりの軽口も、そこから先は続かなかった。

 言いたいことも聞きたいことも色々あるのに、重苦しい雰囲気が口を重くする。


 バルバラに突然の訪問を詫びたり飲み物に口を付けたりして機を窺っていたが、先に口を開いたのはフィーネだった。


「迷惑かけて、ごめんなさい。それと、黙っていたことも……」

「迷惑なんて思ってない……。わざわざ言いふらす必要もないだろ、自分のスキルなんて」


 そういう問題ではないということは理解している。

 それでも、俺はフィーネの味方だと伝えたかった。


 こんな言葉ではフィーネを笑顔にすることはできない。

 俺は突破口を求めて必死に思考を続けた。


「娼婦として、生きることにしたわ」


 そんな抵抗を切り捨てるように、フィーネは震える声で告げた。


 ギルドのロビーならかき消されそうな小さな声。

 しかし、そこには彼女の決意が込められていた。


「できるわけないだろ。冒険者の悪戯にも耐えられないくせに……」


 とにかく彼女を翻意させたくて、焦りから心ない言葉を吐いた。

 フィーネを傷つけたいわけではないが、言葉を選ぶ余裕がなかったのだ。


「もう、私はここでしか生きていけないの……。やるしかないんだから、やるわよ……」

 

 俯いて絞り出すように反論するフィーネ。

 その苦しそうな様を見せられて、俺の我慢は限界だった。


「意地なんか張ってんじゃねえ!!」


 応接室に怒声が響く。

 俺は立ち上がり、フィーネを見下ろしていた。


 フィーネを庇えば領主に目を付けられるかもしれない。

 セクハラ野郎や『鋼の檻』のときとは、わけが違う。


 そんなことは理解している。


 だが――――


「俺が、どうにかしてやる!!」


 交渉の余地は確実に存在する。

 俺はもうギルドに使い捨てられる無力な下級冒険者ではない。

 自分の名前と資金をチップにして、個人的な貸しを使って、足りなければ借りを作ってでも解決の糸口を探す覚悟がある。


 その土台となる立場も金も力も、全てフィーネの優しさの上に成り立っているものだ。

 

 だから――――


「俺を頼れ、フィーネ!!」


 今度は俺が、お前を助ける番だ。


 一人で抱えなくていい。

 この手を掴め。

 俺に任せろ。

 

 そんな想いを込めて、俺はフィーネに手を伸ばした。


 その手は――――ほかならぬフィーネによって振り払われた。


「あんたを頼るなんて、できるわけないでしょう」


 俺は絶句した。

 数秒遅れて、頭に血が上る。


 ついに罵声が口から飛び出しそうになったとき、フィーネが何事か呟いた。


「――――ない」

「あ……?」


 静まり返った室内にあってなお小さすぎる声は、俺の耳に届かなかった。

 フィーネはゆらりと立ち上がり、俺を睨む。


 その瞳には、涙が浮かんでいた。


「あんたは、私を抱いてくれなかったじゃない!!」

「なっ……!?」


 彼女から放たれた言葉が、俺の思考を停止させた。


 フィーネは何を言っている。

 理解が追い付かず困惑する俺に向け、彼女は堰を切ったように吐き出した。


「私があんたを頼ったら、あんたがどれだけの対価を払うことになるか、わからないとでも思ってるの!?それをわかった上で頼れって!?あんたが手に入れた幸せを犠牲に私を助けてくれって!?そんなの、死んでも嫌よ!!私はあんたに、女として求められてもいないのに!!!」


 フィーネの悲痛な叫びは俺の胸を深く貫いた。

 その衝撃とともに、あの日の夜の記憶が思い出される。


『ねえ、アレンはどう思う?』


『アレンは、私を抱きたい?』


 ようやく俺は、フィーネのの真意を知った。

 俺を頼ることで俺に掛かる負担の大きさを理解していた彼女は、望みを懸けて一度だけその手を伸ばしていたのだ。


 もし俺が彼女に女であることを求めたら、そのときは――――


「…………ッ」


 彼女の言葉に向き合っていなかったのは俺だった。

 心を擦り減らした彼女が伸ばした手を、振り払ったのは俺の方だった。


 俺が鈍かったのか彼女の言葉が足りなかったのか、あるいはどちらもか。

 俺にはわからなかった。

 わかるのは、俺が選択を間違えたせいで彼女を追い詰めたということだけだ。


 俯いた彼女は、一転して落ち着いた声で想いを告げた。


「私、アレンのことが好きよ」

「……ッ!フィーネ、俺は――――」

「勘違いしないで。私を選んでほしいってことじゃないの。ティアナさんからアレンを奪って、アレンのパーティを崩壊させるなんて絶対に嫌だから。だけど……」


 言葉を切って、フィーネは涙を拭った。


「叶うなら、初めてはアレンがいいな」


 立ち上がったフィーネがこちらに押し付けたそれを反射的に受け取った。


 店のロゴと彼女の名、そして今日の日付が書かれた紙片。

 それは『月花の籠』の娼婦が客に送るメッセージカードだった。


「覚悟が鈍らないように、今夜から店に出るつもり。お金は取らないから、恩を返したいと言うなら一晩だけ付き合ってちょうだい。私は……それで十分よ」


 それだけを告げて、フィーネは部屋を出て行った。




「………………」


 彼女がいなくなった応接室。


 俺は呆然として、ソファーに身体を預けていた。

 その放心具合は、いつのまにか隣に座っていたラウラに気づかなかったほどだ。


「アレンちゃん、見事にフラれちゃったねー。それとも逆で、アレンちゃんがフッたのかな?」

「…………」

「無視なんてひどーい」


 隣で煽り続けるラウラに構わず、俺はフィーネの言葉を思い返していた。


 対価、犠牲。

 彼女を救おうとしたとき、それらが必要になるのは間違いない。


 ならば何がどれだけ必要になるのか考えてみる必要があるだろう。

 本気で助けたいなら、正しい現状分析は必要不可欠だ。


(クリアすべき課題は、大きく分けて3種類か……)


 まず1つ目は金の問題だ。

 フィーネは食い扶持を稼ぐために冒険者ギルドで受付嬢をやっていた。

 そしてギルドをクビになったから『月花の籠』で娼婦をやろうとしている。

 だから彼女を止めるためには、彼女が生活できるだけの金が必要だ。


(まあ、これはどうにでもなるか……)


 俺が冒険者ギルドに預けている金だけでも金貨で20枚以上あるし、この金はこれからも増え続ける。

 何なら屋敷に住まわせれば、ほとんど金は掛からない。

 万が一、金が足りなくなったとしても、B級冒険者は上級冒険者と言われるだけあって社会的信用も相応だ。

 下級冒険者なら相手にされないだろうが、いざとなれば屋敷にある調度品やら本やらを金に換えることだってできる。

 ただ、金の問題はフィーネ自身の意地の問題と密接に関係している。

 いつぞや彼女が言っていた、養われることが許される基準。

 これに彼女自身が該当するとは思えない。

 金を工面することより、工面した金を彼女に受け取らせることこそが難題となるだろう。


 2つ目は安全の問題。

 フィーネはセクハラ冒険者たちから被害を受けていた。

 そして彼女が冒険者ギルドに所属している事実は、最後の一線を越えようとする奴らにとって心理的な障害になっていたはずだ。

 冒険者ギルドをクビになったことで組織の庇護を受けられなくなり、彼女はセクハラ野郎共の暴挙から身を守る術を失った。

 彼女が『月花の籠』に身を寄せた理由は安全の確保が叶うからという理由もあるはずで、彼女を止めるためには、何か別の方法で彼女の安全を確保しなければならない。


(これは、1つ目ほど簡単じゃあないな……)


 冒険者ギルドをクビになった彼女が都市の治安維持組織にとってどういう扱いになるのか定かでないが、冒険者と彼女が揉めたときに冒険者ギルド内の問題と判断される可能性はゼロではない。

 フィーネが衛士に守られているから大丈夫と安心できる状況には程遠い。

 そうなると、やはり頼れるのは俺自身の力だ。

 セクハラ野郎共に暴力をちらつかせ、フィーネに手を出したら命はないと思わせる。

 実際すでに似たようなことはやっているし、効果は覿面だった。

 一人だけ妙なのがいたが、脅しが効かないならがある。

 阿呆一人の命のためにフィーネを危険に晒すのは、天秤が釣り合わない。

 

 最後の3つ目は、法の問題。

 フィーネは<アナリシス>を習得している。

 辺境都市の法では<アナリシス>保有者は政庁にそれを申告しなければならず、申告したところで処刑される場合もあるという。

 彼女の生い立ちを考えるとそもそも法を知らなかった可能性も高いのだが、仮に知っていたとしても報告すれば良かったと一概に言えないのが難しい。


(わけがわからん……。いくらなんでも理不尽が過ぎる……)


 しかし、法を変えようと動くのは無謀。

 それは領主の特権であり、そこに口を出せば処刑台一直線だ。

 現状の枠組みを変えず交渉によって特別扱いを引き出すのが現実的だが、それにしたって相当に厳しい交渉になる。

 幸い政庁のユンカース、騎士団のアルノルトやジークムントと面識があるから、交渉の席に着いてもらうこと自体はできるだろう。

 ただ、<アナリシス>保有者をどうにかしたいという領主側の考えは、現在の実害ではなく未来への不安によるものだ。

 実際にフィーネが領主や貴族たちの思考を読める可能性は低いと互いに理解しているのに、その不安を潰しておかない理由が向こうにはない。

 交渉を成立させるためには思考を読まれるかもしれないという不安に釣り合うだけの利益を提示する必要があるが、そんなものをどうやって用意すればいいのか。

 少なくとも“貸しひとつ”程度で釣り合わないことだけは明らかだ。

 辺境都市の安全を揺るがす脅威でもあれば、それをどうにかすることと引き換えに多少の不安を飲ませることができるかもしれないが。

 そんなものが都合よく転がっているはずもない。


「……………………ッ」


 わかっている。

 これがどうにもならない類の話だということくらい、わかっているのだ。


 殴って終わり、斬って終わりではない。

 必要なのは暴力でも財力でもなく権力。

 それは冒険者の分を越えた力で、孤児出身の俺には絶対に手に入らない力だ。


 あるいは突き抜けた暴力や財力があれば権力を超越できるかもしれないが、俺が持つ力なんてたかが知れている。

 魔道具ひとつで無力化される、冒険者の集団ひとつ退けるにもラウラの力を借りなければならない俺が、暴力で領主と争うことなどできようはずもない。


 だから、俺にとっての最善は彼女の言うとおり、フィーネをみすてることだ。


 もはや、ておくれなのだ。


 こうなっては、もう、あきらめるしかない


 




(――――わ、け、が、ないッ!!!)






 一度、大きく深呼吸。

 立ち上がり、応接室の片隅に置かれたの前に立つ。


 そこにあるのは一枚の鏡だ。


「…………」


 鏡に映る自分の姿をじっと眺める。


 フロルのおかげで手入れが行き届いたキズひとつない装備は、一端の冒険者として恥じるところは全くない。


 衣服も上等で清潔、今の俺の姿を見て顔をしかめる奴はほとんどいないだろう。

 

 黒髪も鬱陶しくない程度の長さで切ってあるし、目つきは――――これはどうしようもないか。


(まあ、よりはずっとマシな顔だな……。お前も、そう思うだろ?)


 一瞬だけ鏡に映った底辺冒険者の幻影が、満足げに口の端を上げた。


 


 


 フィーネはまだ、そこにいる。


(さて、やってやろうじゃないか……!)


 暴力、財力、交渉、脅迫。

 使えるカードはすべて使って。

 足りないものは未来の自分からでも奪って。

 

 今度こそ、すっからかんになるまで全力で足掻いてみせる。

 

 フィーネに乗って泣きながら腰を振るのは、万策尽きた後で十分だ。


「ねー、急にどうしたの、アレンちゃん?反応してくれないと、お姉さんつまらないん――――」


 耳元で騒ぐ鬼畜精霊の腕を掴む。

 優しく、しかし絶対に逃がさないという意志を込めて、俺は笑った。


「ラウラァ……。いぃところに来てくれた……」

「あ、アレンちゃん?ちょっと、目が怖いんだけどー……?」

「目つきが悪いのはいつものことだろ?バルバラ、あんたもだ」

「は、はい……」


 少々強引に、ラウラとバルバラの協力を取り付ける。


 二人を巻き込んで何をするかと言えばほかでもない。

 まずはフィーネを心変わりさせるのだ。


「ええ?アレンちゃん、諦めてなかったの?」

「当然だ。俺がフィーネを精神的に追い込んでしまったことは認める。だが、それとこれとは話が別だ」


 目標はフィーネが元通りに暮らせる環境を取り戻すこと。


 目下、最大の難関は領主サイドとの交渉だが、彼らを交渉の席に着かせることと交渉中の執行猶予を求めることは難しくない。

 なにせ騎士団の事務方がやらかした後、ユンカースとアルノルトが詫びに来るまで10日ほどの期間があったのだ。

 最悪でも同等、上手くやればもう少し食い下がれる。


 ゆえに、現状ネックになっているのはフィーネの意地にほかならない。

 

 強情なフィーネのこと、俺が約束をすっぽかしたところでそのまま店に出てほかの客を取るだろう。

 領主サイドに処刑されるのは論外だが、娼婦として客を取る状況も俺にとっては敗北に等しい。


 だから最初のタイムリミットは、フィーネが店に出るまでの数時間。

 この数時間を使って彼女に娼婦をやめさせる。

 その上で、腰を据えて領主サイドとの交渉に入る。

 

 これが、当座の行動方針だ。


「でも、どうやってやめさせるのー?フィーネちゃん、決意は固いと思うよ」

「何を言ってるんだ?そのためのラウラじゃないか」


 ニッコリと微笑むと、失礼なことにラウラは頬を引きつらせた。


「……ねー、お姉さん思うんだけど。一回立ち止まってさ、少し冷静になった方がいいんじゃない?」

「大丈夫、俺は冷静だ」

「いやでもね、ちょっと性急すぎるかなって……」

「大丈夫だ、問題ない」

「…………」


 さりげなく後ずさるラウラを腕力で引き寄せる。

 もちろん、視線はバルバラをロックオンしたままだ。


 逃げたら許さない。

 俺の視線が全力で主張する。


「ほら、ここは高級娼館だろ?用意できるものは全部出せ」


 小道具、魔道具、怪しいクスリ。

 使えるモノは全部使って。

 足りないモノはラウラとバルバラから奪って。


 娼婦なんて無理だって、フィーネに言わせてやろうじゃないか。



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