第295話 解雇




 この都市で活動するC級冒険者がB級に昇級するのは、およそ20年振りのことだという。

 C級に昇級したときはカードを更新しておしまいだったが、今回はギルド側からの申し出により、ギルド2階の会議室でちょっとしたセレモニーをやることになった。


 眼鏡のサブマスターを始めとするギルド職員たちが見守る中、ギルドマスターからB級の冒険者カードを交付され、拍手が贈られる。

 俺の昇級を本心から歓迎する雰囲気が伝わってきて悪い気はしなかった。

 

 正直に言えば、ギルドに対して思うところはある。

 ギルドの体面を守るための捨て石にされたことに対する怒りも、臨時パーティが全滅の危機に瀕した恐怖も忘れていない。

 しかし、今後もこの都市で活動していく以上は前向きな関係を構築することが必要で、『黎明』と辺境都市冒険者ギルドにはそれが可能だ。

 このとき、俺は本気でそう信じていた。


 雲行きが変わったのは、俺が受付嬢の専属指名を申し出たときだった。

 昨日のうちにフィーネ本人の了承は得ているが、そもそも専属指名はB級冒険者の特権であり、厳密に言えば昨日の時点で俺は指名権を有していなかった。

 だから、B級冒険者として認定された上で正式な手続として指名を行う必要があったのだ。

 

 その指名が、審査されることすらなく、その場で退けられた。


 さらに、フィーネが昨日のうちに解雇されたことが伝えられた。

 

 予想外の事態に、たっぷり十数秒は呆けていたと思う。


 混乱した頭が時間を掛けてギルドマスターの言葉を理解した結果――――俺はキレた。


「ざっけんな!!一体、どういうことだ!!」


 会議室に満ちていた和やかな空気は一瞬で霧散した。

 危うく<フォーシング>が発動するところだったのをどうにか理性で抑え込み、ギルドマスターを睨みつける。


「成果には、見合った報酬を。あんたは吐き気がするような外道だが、そういうところは守ると思ってたぜ。なあ、ギルドマスターッ!!」

「こちらとてやむを得ぬ事情があってのことだ。まずは話を聞け」


 ギルドマスターはゆっくりとした動きで上座の椅子に掛け、俺にも席を勧めた。

 俺はギルドマスターの悠長な振る舞いに苛立ちながらも、手近な椅子を引き寄せて乱暴に腰を下ろす。

 

 話を聞く姿勢は整えた。

 さあ、話せ。

 そんな思いを視線に込める。


 ギルドマスターは小さく溜息を吐き、その場にいた職員の大半を退出させた。

 この場に残ったのはサブマスターのほかに事務官が一人だけだ。


「まず、どこから話すべきか。フィーネの保有スキルについて、本人から聞いたことは?」

「ない。それがこの状況と何の関係が――――」


 言いかけて、記憶の中に小さな引っ掛かりを感じた。

 昨日行われた『鋼の檻』との決闘の折、ハイネが何か言っていなかったか。


 そのときはそれどころではなかったから完全に聞き流してしまったが、あのときハイネが口にしたスキルの名は――――


「……<アナリシス>か」


 ハイネはフィーネがフェリクスと同じく<アナリシス>の使い手だと、確かにそう言っていたと思う。

 ギルドマスターは首肯し、話を続けた。


「<アナリシス>の保有者に関する決め事については?」

「いや、聞いたことがない」

「だろうな。多くの者には関係のない話だ、無理もない」


 ギルドマスターが会議室の一角に置かれた本棚を指差すと、事務官がそこから分厚い本を一冊抜き取ってページをめくり始める。

 彼はまもなく目当てのページを見つけたようで、そのページを開いたまま本をギルドマスターに手渡した。


「<アナリシス>のスキルを保有する者は、遅滞なく政庁にその事実を報告しなければならない。この都市で効力を持つ法のひとつに、そのような定めがある」

「フィーネは、報告をしていなかったのか?」

 

 話の流れから先回りして問うと、ギルドマスターは再び頷いた。

 

「だが、それも無理からぬことだ。政庁に事実を報告した<アナリシス>保有者は多くの場合、自由を制限される。その者の立場によって待遇は様々だが、良い結果にはならない」

「それは、なぜだ?」

「<アナリシス>のスキルに習熟した者は、見られたら困るものまで見ることができてしまうからだ」


 なんだかわかるか。

 視線でそう問われたが、俺には皆目見当もつかなかった。

 <アナリシス>で何が見えるかなど、<アナリシス>を使えない俺にわかるわけがない。


 俺は首を横に振ろうとして――――その動きを止めた。

 

(いや、待て……)


 何かが引っ掛かった。

 俺は以前どこかで、似たようなことを考えた記憶がある。


 記憶の切れ端を手放さないよう慎重に辿っていくと、俺はその思考となる契機となる出来事を思い出した。


(そうだ、あれはラウラと話したとき……)


 ラウラは<アナリシス>によって、何を読み取ることができるのか。

 そんなことを考えて、結局俺は結論を出すことを放棄した。

 

 しかし、そのとき俺の頭に浮かんだのは――――


「まさか、心を……?」

「そのまさかだ。<アナリシス>保有者は、習熟が極まると相手の感情や思考すら暴くと言われている」


 思わず口を突いて出た言葉を、ギルドマスターは肯定した。

 突拍子もない話だが、冗談を言っている様子はない。

 サブマスターと事務官に動揺が見られないことからも、少なくともギルド上層部ではその認識が共有されていることがわかった。


「もっとも、実際にそこまでの習熟を確認できた者は過去にほんの数例だ。習熟は困難で、そこに至っても申告しない者の方がおそらく多い。何より、そうなる前に権力者の

「…………」


 誰だって心の内を暴かれたくはない。

 排除できるなら排除してしまいたいと思う気持ちは理解できる。


 権力を持つ者ほど、その傾向は顕著だろう。

 それを実行できる力があるなら、なおさらだ。


『そうなることもあるけれど、半分以上は殺されてしまうわ』


 幼いフィーネの言葉が脳裏によみがえる。

 あのときは俺を脅かすための冗談だと思っていたそれは、彼女自身の絶望の発露だったのだ。

 

 好きで覚えたわけでもないスキルのために命が狙われる。

 孤児院で育ったがために戦争奴隷として売られかけた俺だからこそ、その理不尽に対する怒りも諦めも理解できた。


「ギルドの規則に基づき、法に背いたものは解雇される。本来なら身柄を確保して政庁に通報しなければならないところだ。それをしなかったのが、こちらにできる最大限の配慮だ」

「…………」


 冒険者ギルドは無法者の組織ではない。

 権力から距離を置き領主貴族を牽制することと、いたずらに法を破ることは全く話が異なる。

 たとえそれが悪法であろうとも法治とはそういうものだ。

 だから、冒険者ギルドは規則に従いフィーネを解雇した。


 理屈は理解できる。

 しかし、はいそうですかと引き下がれるほど俺は人間が出来ていない。


「冒険者ギルドの立場は理解した。後はこちらで話を付けるから、フィーネの居場所を教えてくれ。情報を提供してもらえれば、ギルドに迷惑はかけない」


 冒険者ギルドとしてはB級冒険者となったばかりの俺が立場を悪くすることを快くは思わないだろう。

 だが、俺としても譲れないラインがある。

 ギルドが黙秘するなら乱暴な手段に訴えることを仄めかし、渋るギルドマスターから情報を引き出すことに成功した。


「フィーネはギルドの職員寮に住んでいた。昨夜のうちに退去したと報告を受けている」

「行先は?」

「聞いていない。だが、心当たりはある」


 ギルドマスターが語った心当たりは、俺が良く知る場所だった。






 『月花の籠』――――言わずと知れた、俺とクリス行きつけの高級娼館だ。

 そこはフィーネの母親が生前働いていた店であり、フィーネが幼少の数年間を過ごした場所でもあるという。

 無法者が逃げ込む場所と言えば南東区域だが、歓楽街に限っては様々な事情が噛み合って衛士の手が伸びにくい。

 若い女が身ひとつで飛び込むなら、命の危険がない分だけ歓楽街の方が幾分マシだろう。


 時刻は昼前。

 俺は開店まではまだまだ時間があることを承知で裏口に回り、バルバラへの面会を申し込んだ。

 対応した従業員は俺の顔を覚えており、少し待たされた後で店の中へと招かれた。

 

 ローザのときと似たような流れであるが、あのときとは状況が大きく異なる。

 歓楽街の騒動の件ではバルバラに貸しがあるし、それを棚上げしてもラウラとの関係を通じて多少の影響力を有している。

 だから今回はローザの身柄について交渉したときのようにバルバラと問答を繰り広げる必要はなく、いざとなれば強権を振りかざしてフィーネを呼びつけることも不可能ではない。


 しかし、幸いにもバルバラにそういった無理を強いる必要はなかった。


「フィーネ……」


 応接室にはバルバラだけでなく、冒険者ギルドの制服から扇情的なドレスに着替えたフィーネ本人が待ち構えていた。



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