第294話 種明かし
さて、ラウラはどうして俺を助けてくれたのか。
答えは俺がラウラの新たな契約者となったからではない。
歓楽街の騒動の後にラウラとの話し合いの中で聞いたことだが、そもそも精霊や妖精との契約はいくつも掛け持ちできるものではなかったのだ。
ラウラと契約するためにフロルとの契約を切るのはあり得ない。
このためラウラとの関係は契約より拘束が弱い仮契約あるいは協定とでも言うべき緩い協力関係となり、その始期はラウラが俺に借りを返した瞬間からという取り決めがなされた。
この話を聞いたときはまだ意地を張るかと呆れたものだが、実のところ精霊にとってこれは非常に重要な問題であるようだ。
なんでも借りが積み重なった状態で関係を結ぶと、絶対服従の隷属に近い状態になってしまうこともあるらしい。
まあ、それはさておき――――
「そんなわけだから、決闘さえ乗り切れば後はどうにでもできたんだ。その決闘も、半ばズルしたようなもんだけどな」
「…………」
冒険者ギルドの休憩室で、俺はフィーネに事情を説明していた。
カーテンを挟んだ向こう側で濡れた制服を着替えているはずの彼女から反応はない。
俺が殺されそうになっているところを決死の思いで飛び込んできてくれた彼女としては、やはり面白くない話だろう。
彼女の怒りが収まるまで、そっとしておいた方がよさそうだ。
(しかし、妙にさっぱりしたな……)
服を脱いで乾かし、借りた布で頭を拭きながら思う。
ここしばらくまともに風呂に入っておらず、屋敷での生活で衛生観念を取り戻した元日本人には少々辛い状態になっていたはずなのだが、頭をゴシゴシと擦っても布が全く汚れない。
それどころか風呂に入った直後のような爽快感がある。
(ラウラの仕業か?妙なところで気遣いができるというかなんというか……)
<浄化魔法>というスキルがあることは知っている。
主に病気や状態異常の治癒に役立つ魔法であり、工場排水や生活排水を川に流す前に水質を綺麗にすることにも応用されているという。
この話を聞いたときは帝国の環境意識が高いことに感心したものだが、これは排水を巡って上流と下流で幾度となく戦争を重ねた結果として発生した文化なのだと聞き、さもありなんと腑に落ちた。
なお、<浄化魔法>に垢や皮脂を除去する効果があるかなんて俺は知らないし、ラウラが調合した変な薬の効果だと言われても驚かない。
さしものラウラも、フィーネまで巻き込んで酷い悪戯はしないだろう。
布が俺の髪から大方の水気を吸い取った頃、背後からカーテンが開く音がした。
振り返る間もなく背中に温度を感じる。
「本当に心配した」
「…………」
お互い様などと言ってしまえば話が拗れることくらい俺にもわかる。
ずいぶん遠回りになったが、フィーネとの話し合いはこれからなのだ。
「本当に、心配したんだから」
「……悪かった」
「アレンは悪くないでしょ?」
「…………」
「アレンは、何も悪くない」
情緒不安定か。
そんなツッコミを飲み込んで、少しずつ体重を掛けてくるフィーネを背中で支えた。
寄り掛かるフィーネと押し返す俺。
ゆらゆらと揺れながら、しばらく無言の時間を過ごした。
「この後、少し時間とれないか?」
冷えた体がフィーネの温度で十分に温められた頃、俺は話を切り出した。
いつもの調子ならナンパだなんだと揶揄われそうなセリフだが、別にそれでも構わなかった。
しかし、フィーネの反応は背中に感じる温度とは対照的に冷たいものだった。
「時間はあるけど、今日はダメ」
「なんでだよ……」
「決まってるでしょ」
フィーネが背中から離れ、前に回り込む動きを見せる――――と思いきや、そのまま休憩室を出て行こうとしたので俺は慌ててベッドから腰を上げた。
「……ッ?」
彼女はまるで俺の動きを読んでいたかのように、腰を浮かした俺の胸を小突いた。
バランスを崩した俺は無様にベッドに尻もちをつく。
文句を言おうとする俺の鼻先には、フィーネがつき出した人差し指があった。
「今日はゆっくり休みなさい」
まるで出来の悪い弟に言い聞かせるように、有無を言わさぬ声音だ。
これは今日もダメそうだと思いながら、せめてもの抵抗を口にする。
「水浴びのおかげで、さっぱりした気分なんだが……」
「馬鹿言わないの」
俺は大きな溜息を吐いた。
フィーネとしたい話の内容を考えれば、強行しても良い結果にはならないことは目に見えている。
(まあ、馬鹿共にも釘は刺したことだし、今日か明日かで何が変わるわけでもないか……)
俺は昇級試験を突破し、明日にも正式にB級冒険者となる。
経緯は不明だがフェリクスという対抗馬が消えたことで、フィーネへの専属指名も確実に承認される見通しだ。
名実ともにこの都市の稼ぎ頭となる『黎明』とその専属受付嬢となったフィーネに対して、ギルドから相応の配慮も期待できる。
受付嬢同士のいざこざくらい、ギルドマスターの鶴の一声でどうとでもなるだろう。
ならば今日のところは明日の約束を取り付けて大人しく引き下がる方が、スムーズに話を進められる公算が高い。
急がば回れということだ。
「わかった。明日また来る」
「うん。昇級試験の報告は、私の方でやっておくから」
俺の返答を聞き、彼女は満足げに笑った。
今度こそ休憩室を去る彼女が、間際にもう一度振り返る。
「助けてくれてありがとう、アレン」
フィーネの花が咲いたような笑顔は、俺に極上の達成感と安堵をもたらした。
少しの間、心地よい余韻を堪能してから腰を上げた。
「さてと……。フィーネが上機嫌のうちに、さっさと帰るか」
生乾きの服を着込み、最低限の身だしなみを整えてから休憩室を出る。
普段より人口密度が高いロビーを横切ると、そこには冒険者や依頼者だけでなく決闘を観戦していた人々の一部が興奮した様子でおしゃべりに興じていた。
「あ、さっきの……」
「決闘で勝った人だ!」
たまたま近くに居た少女たちが声を上げたのを皮切りに、ロビーの騒めきが増す。
好意的な視線が集中する様子は、まるで自分が英雄になったと錯覚するほどだ。
「お前は見えたか?」
「いや、全然わからなかった」
「クリスさんより強いなんてあり得ねえと思ってたが、マジだったんだな……」
どうやら俺は目にもとまらぬ神速剣で相手のB級冒険者を仕留めたことになっているらしい。
俺のバトルスタイルと対極にあるような話だが、睨まれただけで突然死したと言われるよりは現実的な話かもしれない。
(いや、死んだとは決まってないが……)
レジストに失敗してどす黒く染まった鎧と死霊にでも憑かれたのかと思うほど酷い表情――――それらは強くひとつの事実を示唆していたが、俺はそこから先を考えるのはやめた。
あいつの死因は溺死。
犯人はラウラ。
そういうことにしておいた方が、色々と丸く収まるのだ。
ギルドの中で一時の英雄気分を味わったが、南通りに出てしまえば俺に視線が集まることはない。
特に用事もなかったので、俺は屋敷へと帰投した。
「ただい――――」
最後まで言うことはできず、フロルが体にめり込むほどに押し付けるポーション瓶を両手で受け取った。
出掛けた先で大変な目に合うといつもこうなので驚きはない。
俺がどんな目に合ったか理解しているのは、手の甲に浮かんだ紋章からフロルに何かが伝わっているからだろうか。
今日は赤い薬液が入った瓶と、透明の液体が入った瓶の二本セット。
赤い方はケガに効くポーションで、透明の方は信頼と実績の状態異常回復薬だ。
フロルを安心させるため、その場で飲み干して空の瓶を返した。
「さあフロル、早速だが宴会の準備を頼む。明日か明後日か、日取りがまだ決まってないから準備だけな」
クリスとネルはまだ帰投していないが、二人のことは心配していない。
今回俺たちが処理した『鋼の檻』の構成員は100人を超え、幹部連中もハイネを残して全滅、そのハイネにしても魔道具をラウラに没収された上で衛士詰所の牢の中。
この状況でまだ『黎明』に牙を剥くような気骨があるなら、『鋼の檻』には加入しないだろう。
予想外に早く帰ってきて、宴の用意ができていないと癇癪を起されることだけが不安の種だ。
料理やお菓子はクリスとネルの好物を多めに。
俺が不在のときに訪ねてきてもリビングに通してもてなすように。
色々とフロルに指示を出していると、俺の帰宅に気づいたローザが二階から降りて来た。
「どうだった?」
「ああ、何とかなった」
「そう。良かった」
あっさりとしているローザだが、彼女の協力があったからこそ円滑に遠征準備ができたのだ。
最速で動いたからこそ、この程度の妨害で済んだ。
もし準備のために初日を使っていたらと思うと、ぞっとしない。
「本当に助かったよ。ありがとな、ローザ」
この場にいないアンにも後で礼を言わないといけない。
二階や食堂に人の気配はないので、この時間だとまだ孤児院だろうか。
そんなことを考えていると、ローザが横から抱きついてきた。
「お礼ならベッドの上でしてほしいなー…………あれ?」
珍しく困惑した様子のローザを抱きかかえ、装備や荷物をフロルに任せて風呂場へと向かう。
9日間もお預けを喰らっていた湯船は本心から楽しみだが、俺がお預けを喰らっていたのは風呂だけではない。
これまで遠征から帰投した日の夜はクリスと一緒に歓楽街に出掛けるのが恒例になっていたが、騒動の件からまだ日が浅いので『月花の籠』にも行きづらい。
つまるところ、飛んで火にいる――――というやつだ。
俺は風呂場でお湯を汚した後、少し疲れた様子のローザをタオルで簀巻きにして寝室に連れ込み、彼女の望み通りベッドの上でもお礼に勤しんだ。
「うー、もう動けない……」
時間を忘れて楽しんだので、最初は乗り気だったローザも流石にぐったりしている。
起き上がるのも億劫そうなローザを支えて水を飲ませ、俺も水差しに残った水を直接飲み干すと、ローザにはそのままベッドで休むよう言い残し、空になった水差しを持って階下へと向かう。
すると、階段のところでアンとばったり出くわした。
「ご主人様!戻ってたんですね、お帰りなさい!」
「ああ、ただいま。アンは孤児院からの戻りか?」
「はい!ご主人様も、あ……」
アンの子犬のようにじゃれつこうとする動きが止まり、視線が泳いだ。
俺は浴衣の前を雑に留めただけのだらしない姿だが、風呂上がりにこの姿で屋敷内をうろつくことは少なくないしアンも見慣れている。
おそらく俺に近づいたことで臭いに気づき、色々と察してしまったのだろう。
自身と同じく愛妾という立場にあるローザに対して、アンは友情と共に競争心も抱いている。
またローザに先を越されてしまったことで複雑な想いがあるのかもしれない。
溜まった欲望を発散しきれていない俺にとっては、実に好都合だ。
「アン、この後時間あるか?」
「……ッ、はい!すぐに汗を流してきますね!」
嬉しそうに自室に引っ込んだアンを、部屋の前から動かずに待ち受ける。
ほどなくして着替えを抱えて出てきた彼女を、俺は有無を言わさず抱きかかえた。
「あの、ご主人様…………あう」
抱きかかえられて階段を下りる段階で、アンは俺が何をするつもりなのかを察していた。
抵抗もせず頬を染める様子に、俺の中の欲望がますます膨れ上がる。
着替えをまじまじと見られるのは恥ずかしいだろうと思い、アンを脱衣所に残して先に風呂場に入る。
先ほど汚したはずの風呂場はすでに綺麗に掃除され、お湯が張りなおされていた。
(仕事が早いな、流石だ……)
さしものフロルも、寝室に引っ込んだはずの主人がもう一度風呂場に戻ってきて盛り始めるとは思わなかったのだろう。
綺麗になった風呂場を再び汚すのは忍びないが、俺の心は欲望を発散させる方に傾いている。
俺は心の中でフロルに詫び、タオルで体を隠しながら近寄るアンを優しく抱き寄せた。
その日の夜。
少し遅めの夕食をとっていたとき、給仕をするフロルの視線にどこか呆れの色が見えたのは気のせいだと思うことにした。
◇ ◇ ◇
一夜明け、翌日。
俺は正式にB級冒険者に昇級した。
昇級対象は試験に同行していないティアを含めた『黎明』全員。
本人がギルドで手続を踏めば即座にB級冒険者として認定されるという。
しかし――――
「ざっけんな!!一体、どういうことだ!!」
昇級試験を受けたそもそもの目的であるフィーネへの専属指名は棄却。
その決定とともに、彼女が昨日のうちに冒険者ギルドを解雇されていたことが、ギルドマスターの口から伝えられた。
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