第291話 必要ない
魔法使いのようなローブを羽織るハイネ。
それに従う十数名の冒険者もそれぞれが上等な装備を身に着けている。
これまで俺の前に立ち塞がってきた雑魚共から感じた木っ端感が、目の前の集団からは感じられない。
間違いなく、こいつらが『鋼の檻』の中核だ。
「待ってください!ここは冒険者ギルドですよ!」
フィーネが俺を庇おうとハイネの前に立ち塞がった。
しかし、そんな言葉で怯むような奴にB級パーティを率いることなどできやしない。
ハイネは世間話でもするかのようにフィーネに笑いかけた。
「別に狼藉を働こうというわけじゃない。そこの乱暴者と違って、私は良識ある上級冒険者だからね」
「その割には、手下共のしつけがなっていないようだが」
何の足しにもならないと理解している。
散々に予定を狂わされたのだから、せめて皮肉くらいは言っておきたかった。
ただの自己満足だ。
「数が多いからね。どんな組織だって末端には不調者がいるものさ。ただ――――」
ハイネが纏う空気の温度が下がる。
冒険者ギルドの受付嬢へ向けた愛想笑いが消え失せ、敵意だけが残った。
「末端とはいえ『鋼の檻』を名乗る構成員だ。看板に傷を付けられたとなれば、相応の対処は必要だと思ってね」
「勝手に逃げたんでしょ!」
「ああ、フェリクスのことならどうでもいいよ。あいつは期待外れだった」
この場でフェリクスが逃げたという情報を知らないのは俺だけのようだ。
フィーネの専属候補から外れたことと関係がありそうだが、今は追及できる空気ではない。
「これはウチの面子の問題なんだよ。だから、お前が名誉をかけた決闘に応じるなら、その女には手を出さないと約束しよう」
「どいつもこいつも、好き勝手言いやがる……」
何やら物わかりがいいような風を装っているが、俺が決闘を受けなければフィーネを人質に取ると宣言したに等しい。
これではフィーネを俺の専属にしても意味がない。
「わかった。決闘を受けよう」
「アレン!!あんた、また――――」
そのときだった。
ギルドの正面玄関から、ぞろぞろと大勢の人が入ってくる。
『鋼の檻』の構成員かと思い身構えたが様子がおかしい。
服装も雰囲気も非戦闘員――――もっと言えば一般市民のそれだ。
「さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!冒険者ギルド奥の闘技場で、『鋼の檻』と『黎明』の名誉をかけた決闘だ!」
大通りから大声の煽りが聞こえてきて、俺は理解する。
こいつらは観客。
そして、決闘の見届け人だ。
「準備のいいことだな」
「お褒めにあずかり光栄だよ」
辺境都市は俺の本拠地だ。
この状況で決闘から逃げたら俺の名声は地に墜ちる。
英雄を目指す俺にとって、それは到底受け入れられないことだ。
今この瞬間、退路は断たれた。
「客が席に着いたら役者の入場だ。せいぜい足掻いて楽しませておくれ」
そう言い残したハイネも護衛を伴って奥へと消える。
監視も残さないのは逃げるならご自由にとでも言うつもりか。
決闘の相手は、余程の手練れを用意したと見える。
「アレン、ダメだよ!決闘なんて言って、あいつらアレンを……」
「ああ、そうだろうな」
観客に囲まれ相手と向かい合った状態でデスマッチでも宣言すれば、それでおしまい。
奴らの目的は俺の名誉と引き換えに自分たちの名声を回復すること。
どういう条件だろうと、表面的に公平な勝負なら受けざるを得ない。
「私のことなら、もう十分だから……。これ以上……」
そう言いながらフィーネもわかっているはずだ。
俺が仮にフィーネを見捨てても、奴らはいつかジークムントがそうしたように俺が失いたくないものを探し続けるだろうということを。
どんな過程を経ようと、最終的に俺は決闘を受け入れるしかない。
ならば、まだ何も失っていない今がそのときだ。
「こんな……こんなの、ひどいよ……」
ぽたぽたと、石造りの床に涙が落ちる。
先ほど見せた安堵と歓喜は掻き消され、悲痛な嗚咽が漏れた。
手の届くところにあったはずのハッピーエンド。
それを塗り潰した理不尽への怒りが、俺の腕を掴む力となって表れていた。
「フィーネの前で戦うのも久しぶりだな」
「なんで……、今、そんなこと……」
幼き日、俺がデニスから一本も取れずに遊ばれていたときのことだ。
フィーネは時々仕事をさぼって俺の稽古を見に来ていた。
デニスに負けて悔しがる俺を冷やかしたり揶揄ったりしたその後で、イルメラに叱られるフィーネを俺が笑う。
それがお決まりの流れだった。
今ならわかる。
あれは、落ち込む俺を励まそうとしてくれていたのだと。
(もう、大丈夫だ……)
冷やかしも揶揄いも今の俺には必要ない。
もちろん、涙もだ。
「今度は、俺が勝つところを見せてやる。俺を信じて、客席で応援してくれよ」
「もう、そうやって馬鹿ばっかり……」
フィーネの涙を指先で払うと、彼女は照れたような拗ねたような表情で呟いた。
そのまま観客席に歩き出して数歩で足を止め、こちらを振り返る。
「これ……」
「うん?」
ゴソゴソと胸元から取り出したのは銀色のネックレス。
菱形を模るリングの中央には小さな緑色の宝石が浮かんでいた。
「あんたが負けたら、私は幸せになんてなれないから」
ネックレスを胸元に隠し、それだけ言い残して今度こそ歩き出したフィーネ。
その背を見送った俺も、ゆっくりと足を踏み出した。
(最初に贈ったネックレス。使ってくれてたのか……)
きっと締まらない表情をしていたと思う。
間違っても、これから決闘に挑む男の顔ではなかったと思う。
けれど――――
「最高の応援だ」
なんだか不思議と、体が軽くなったような気がした。
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