第285話 昇級試験6




 一夜明け、昇級試験四日目。


 野営地を片付けた俺たちは竜の生息域を目指して火山の中腹を進む。

 火山というと傾斜の急な山をイメージしがちだが、この火山はなだらかな山の上にイメージどおりの火山が乗っかっているような構造になっており、俺たちの現在地はまだ比較的なだらかな部分だ。


 とはいえ、足元は平坦ではない。

 ゴツゴツした岩で形作られた地面は凹凸が目立って歩きにくく、場所によっては崩れることもある。

 転倒したり足を挫いたりしないよう、木の根が張り巡らされた森を歩くよりもさらに慎重に足を進める必要があった。

 

 このような遅々とした歩みの中で、どこにいるかわからない竜を探して回るのは心身に極めて大きな負担を強いる。

 足元だけでなく徐々に大型化する魔獣の襲撃にも注意を払う必要があるし、加えて上空への警戒も欠かせないからだ。

 もし直上から急降下する竜に気づかなければ、さながらミッドウェー海戦のような大惨事となる。

 場合によっては5分も持たずに全滅の憂き目を見るだろう。


「左、あの岩の裏」


 そんな中、俺たちがさほど消耗を感じずにいられるのは、ネルの索敵能力が非常に優れているからだ。

 今もどうやって気づいたのか、岩の裏から出現した魔獣の存在を目視する前に察知して俺とクリスに警告してみせた。

 おかげで魔獣の奇襲を受けることもなく、陣形を整えた上で対応することができるのでここまでの損害は皆無。

 <回復魔法>で治してしまうから多少の怪我なら怖れる必要もなく、これで前衛もこなせるというのだから本当にどうかしている。


「クリス、どうだ?」


 新手の魔獣を倒した後で、俺はクリスに尋ねた。

 こちらは魔獣ではなく竜の居所についてだ。


「変わらないよ。おそらくだけど、動いてないね」

 

 魔獣が跋扈する火山を無計画に歩き回ることも覚悟していたのだが、先ほどクリスの<アラート>に感があった。

 それによると、まだ遠く離れた火山の山頂付近に危険が密集している感覚がある一方で、現在地よりも高度が低い場所にある森の方にも似たような感覚があるという。

 森の方は単体かもしれないという話を聞き、俺たちは相談を経て進路を森に定めた。

 餌を探すために群れと離れて行動している個体の可能性に賭け、当てが外れたら山頂を目指す。

 帰途を考えても挽回は可能だと踏んで、まずは危険の少ない方を選んだということだ。


「ちなみにパーティを組んで以降、ここまで強い反応に遭遇するのは初めてだよ」


 そう告げるクリスの声には若干の硬さがあった。

 体長50メートル超の大蛇魔獣相手にもさしたる反応を見せないカンが、久しぶりに警告を発しているのだ。

 それが意味するのは俺たちが向かう先にそれ以上の危険があるということ。

 クリスが緊張するのも無理からぬことだ。


「山頂に飛ばれて無駄足になるのは避けたい。急ぐぞ」


 何度か発生した魔獣との遭遇戦を難なくこなしつつ、俺たちは森に足を踏み入れる。


 クリスのカンから予想される遭遇地点の手前で小休止をとり、そして――――


「見えた」


 ネルの一言で、緊張の糸がピンと張り詰めた。





 ◇ ◇ ◇





 竜の大きさはどれくらいだろうか。

 道中、雑談でそんな話をしたことを覚えている。


 竜が個体差の大きい魔獣だということは知っているが、俺が持つイメージでは成竜は二階建ての一軒家くらいの大きさ――――小さくても大型トラックほどのサイズはあると思っていた。


 ではその仮定を是とする場合、幼竜のサイズはどの程度のものか。

 

 ネルは都市中央の噴水くらいと答えた。

 クリスは都市の冒険者ギルドに隣接する酒場にすっぽり収まるくらいと答えた。

 俺は軽自動車――――と言っても通じないので荷馬車くらいだろうと答えた。


 俺の答えに関してネルは一種の冗談だと思ったようだし、クリスは竜を甘く見るなとやんわり苦言を呈していたのだが――――


「小さくない?」

「そうだな……」


 噴火による火砕流で押し流された森が再生し、少しずつその在り様を取り戻す過程にあるのか。

 周囲よりも樹高が低い木が間隔をあけて並ぶ痩せた森の片隅で、体高数十センチ、体長おそらく百数十センチ程度の魔獣が丸まっていた。


 見えている部分だけで形容するなら、コウモリっぽい羽が生えたオオトカゲ。

 羽がなかったら絶対に蜥蜴の魔獣だと誤解して、無警戒に斬りかかっていた自信がある。


「本当に、あれで合ってるんだよな……?」

「間違いないから警戒を解かないでくれ」


 目視した情報より自身のスキルを信じているクリスだけは警戒を緩める様子がない。

 ただ、そんなクリスでさえ<アラート>が発する警報と目の前の光景のギャップに戸惑っているようではあった。


「あれが幼竜なら是非もない。始めるぞ」


 散開し、それぞれ戦闘態勢を整える。

 俺は幼竜に最も近い木の幹に背を預けると、『黎明』が誇る射手に視線を送った。


「…………」


 先制を担うのはネルだ。

 背負った矢籠から一本の矢を取り出し、俺とクリスに動きを見せつけるようにゆっくりと弓につがえる。

 矢羽の色が他のものと異なるそれは、威力に優れた高品質のとっておき。


「――――」


 引き絞られた弦が奏でる小さな音色。

 それを合図としてネル渾身の一撃が放たれた。


 うたた寝する幼竜に向けて一直線に飛翔する矢は、鋭利な鏃をもってその目蓋を穿つ――――


「うそっ!?」


 

 硬質な音を立てて弾かれた矢に、ネルが動揺して声を上げる。


 声こそ出なかったが驚いたのは俺も同じだ。

 最も防御力が低いであろう目蓋が最も攻撃力の高い特別製の矢を弾くとなれば、矢で有効打を与えるのは非常に厳しくなる。

 ネルの弓は俺たちにとって唯一のまともな遠距離攻撃。

 それが通じないのは正直なところかなり痛い。


 矢が弾かれた直後、俺は木陰から飛び出して幼竜へと疾走した。

 全くの偶然だろうが、ネルが上げた声に釣られた幼竜はこちらを見ていない。


 幼竜まで数歩。


 あと一歩。


 踏み込んで、剣を振り下ろす。


「――――ッ!」


 その瞬間、幼竜が軽快に跳ねた。


 足音で気づかれたか。

 背中の羽をパタつかせながら少し離れたところに着地してこちらを見ている。


 奇襲は失敗だ。


「くっ……!」


 ネルの攻撃は無効化され、俺の剣は当たらなかった。

 しかし、結果以上に惜しい流れだったのだ。


 竜が強力無比とはいえ、実体のある魔獣であることは紛れもない事実。

 強力な精霊や妖魔と違って物理法則を無視するにも限度があるはずで、あるいはもう少し大きく重量のある竜だったら『スレイヤ』の刃から逃れられなかったかもしれない。


 先ほどは幼竜で良かったと思ったものだが、その小さく軽い体躯が仇になった形だ。


「キュルルルルル……」


 幼竜から聞こえるのは警戒音だろうか。

 流石に昼寝を続ける気はないようで、両翼を広げて威嚇している。


「クリス」

「わかってる」


 ネルの方は見ないし声もかけない。

 完全に意識から外し、いないものとして扱う。


 前衛二人で挟み込むように位置取ると、幼竜はこちらを見た。

 羽を広げてもこちらが怯まないことを理解すると、再び跳んで距離を取る。


 そして、


 空飛ぶ幼竜が、俺たちの頭上を旋回しながらこちらを見下ろしていた。



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