第286話 昇級試験7
竜が空を飛ぶことはもちろん知っていた。
羽が生えているのだから不思議でも何でもないし、実物でもお伽噺でも飛ばない竜の方が珍しい。
しかし、俺はどこかで思い込んでいた。
いわゆる西洋竜は人間と遭遇した程度で飛んだりしない。
どっしりと構えて、炎やらブレスやらを吐いて攻撃するものなのだと。
「くっ……!?」
何度目かの突撃を回避し、土の上に転がった。
高速で俺の上を通過したそれは再び上空で旋回を始め、こちらを翻弄しながら狙いを定めている。
視線を切ったら死ぬ。
防具に付いた土を払う時間すら命取りだ。
「これ……ッ」
言っても仕方がない。
それくらいわかっている。
それでも衝動を抑えきれず、立ち上がりざま俺は吠えた。
「これ竜じゃなくて鳥とか虫とかそっち系の戦い方だろ!!ふざけんな!!」
「こんなときに何言ってるのさ!?」
だってそうだろう。
戦闘機だって怪鳥だって空を飛ぶなら予備動作が必要だ。
それがこいつときたら、トカゲのくせにバッタのように跳ねたと思ったら地面に落ちてこないでそのまま飛んでいくなんて、いくらなんでも卑怯すぎる。
しかも――――
「うおっ!?」
急降下突撃をギリギリ回避。
狙いを外した幼竜はそのまま俺の背後にあった木に衝突し――――それを割り箸か何かのようにへし折って上空へ帰還した。
(一撃が重い……!)
南の森と違って貧相な木々だということを差し引いても、正面衝突してほとんど減速しないのは不味い。
直撃を喰らったら、まず命はないだろう。
「これ、普通に成竜と戦った方がマシだったんじゃないか!?」
「今更だよ、アレン!」
クリスの言うとおり本当に今更だが、俺が考えていた戦術は地面に足をつけている成竜を想定したものだった。
隠れながら休んでいる成竜に近づき、クリスだけが姿を現して陽動する。
身の丈数メートルの成竜が小さな人間が目の前に現れたくらいでわざわざ魔力を消費して空を飛んだりしないはず。
クリスが炎やらなにやら回避している間に俺が別方向から接近して爪を切る。
別に指の根本からバッサリやる必要はない。
神経がない先端部分なら多分斬られたことにも気づかないだろう。
あとは、一目散に逃げるだけ――――のはずだった。
それが、どうしてこうなった。
「これじゃ埒が明かない!俺が囮をやるから一旦下がれ!」
「わかった!気を付けて!」
この状況なら上空への攻撃手段がない俺がヘイトを取るのが最善だ。
大声を上げ、剣をちらつかせて幼竜の注意を引く。
幸いと言っていいものか微妙だが、幼竜から強い敵意は感じない。
昼寝を邪魔されて不機嫌ではあるものの、どちらかと言えば見慣れない生き物に興味津々と言った様子。
つまりは、遊んでいるのだ。
(来る……!)
旋回していた幼竜は両翼を伏せ、こちらへ急降下する体勢。
俺はこれまで回避一辺倒だった。
たった一回、このときのために。
「…………ッ」
『スレイヤ』を握る手に力を込める。
幼竜が本気で暴れ出す前にケリをつける方法――――最善手は、やはり<結界魔法>だ。
ギリギリまで引き付けて<結界魔法>に突撃させ、動きが止まったところを返り討ちにする。
『スレイヤ』なら一刀両断も不可能ではない。
そう信じた。
しかし――――
「んなっ!?」
俺を襲撃する軌道で急降下した幼竜が10メートルほど手前からさらに急加速した。
反射的に<結界魔法>は展開したものの、タイミングをずらされた俺は隙を晒した幼竜に向かって剣を振ることもできず、地面に墜落してバッタのように跳ねた幼竜にまんまと逃げられてしまう。
(くっ……!)
一回で決めたかった。
焦りを顔に出さぬよう内心歯がみする。
竜は知能が高い。
幼竜が<結界魔法>の存在を知らずとも、いずれこれがどのような現象であるか学習するだろう。
その結果、空を飛んだまま炎やブレスで戦うようになったらおしまいだ。
残された機会は多くない。
「来い!!」
面白がるような鳴き声を上げ、幼竜が再び滑空する。
今度は加速も織り込み済み。
腰だめに剣を構えて、幼竜を迎え討つ。
幼竜は先ほどと同様、十数メートル手前から俺に向かって急加速――――せずに急減速。
(は……?)
俺の正面10メートルくらいのところで停止、滞空した幼竜。
こちらに腹を見せ、息を吸い込むような動作。
これは――――
「アレン!!」
竜の攻撃の代表格、ブレス。
知っている。
警戒もしていた。
ブレスには溜めが必要だ。
それが頭に入っていたから、急降下体勢になった時点で警戒を解いてしまった。
罠を張ったのは俺だけではなかった。
俺は、幼竜に嵌められたのだ。
「――――ッ!」
すでに迎撃動作に入っていた俺は『スレイヤ』を振るために足を踏ん張っている。
クリスの警告を受けても回避行動をとることはできない。
剣を振り抜いても幼竜には届かない。
これは、詰ん――――
(いや、まだっ……!!)
<結界魔法>。
最大面積、最大枚数、全力展開。
威力を軽減し、破滅の瞬間を先送り。
破砕の瞬間に再展開を繰り返せ。
二人が仕掛けるための時間を稼げ。
フロル製のポーションと、ネルの<回復魔法>もある。
上手くいけば命は助かるかもしれない。
全てがスローモーションの世界で、幼竜の口の中に光が生まれる。
眩い閃光が、最期まで活路を求めて見開いた目に焼き付いた。
「――――――――ッ!」
光の奔流に飲み込まれ、この身を焼き尽くされる。
あるいは痛みなど感じる暇もなく、俺という存在が世界から消えてしまうかもしれない。
それすらも覚悟したが――――激痛はいつまで経っても消えてくれない。
それは無限の責め苦のようで、しかし俺が世界に存在し続けている証明だった。
「ぐ……ぁ……ッ!?」
状況がわからず、目を開けようとしたのが悪かった。
想像を絶する激痛に襲われ、とても目を開けていられない。
(前が、見えない……ッ!)
気づけば地面に膝をついていた。
網膜を焼き尽くすような激痛が俺を苛み続けているが体の感覚はある。
右手には『スレイヤ』の柄、左手は地面に触れて土を握っている。
(そうだ、<結界魔法>を……!)
幼竜がまだ俺を攻撃しているなら、<結界魔法>を追加すればさらに時間を稼ぐことができる。
しかし――――
「なん……?」
発動失敗。
だが、この感覚には覚えがある。
これは<結界魔法>を限界まで発動しているとき、魔法がファンブルする感覚だ。
「…………」
空いている左手を差し出し、それに触れた。
何千回、何万回と聞いた破砕音が耳に届く。
この音を間違えるはずがない。
たった今、<結界魔法>が1枚砕けた。
つまり、この瞬間まで全ての<結界魔法>が砕けずに俺の正面に存在していたということだ。
「キュウ!?」
「うおおおおあああっ!!!」
そのとき幼竜が小さく悲鳴を上げ、刹那の後、クリスの咆哮と剣撃音が続いた。
硬質な音が何度も何度も執拗に幼竜を叩き、ひときわ大きな音と共に幼竜の気配が離れていく。
さらに少し間をおいて、ドォン、ドォンと空気が震える音が数回繰り返された。
これはクリスの魔法剣だろうか。
それっきり、音が止む。
クリスは何とか幼竜を追い払うことに成功したようだ。
「くそっ、しくじった……」
何もできなかった俺は力なく地面を殴りつけた。
敗因は竜の知能が俺の想定よりずっと高かったこと。
たった一回見せただけの<結界魔法>に対応して別の攻撃手段を用いるだけでなく、フェイントまで行使したのだ。
次に遭遇したときは警戒されているはずで、あるいは俺たちの前に姿を見せないかもしれない。
群れから離れた幼竜1体。
先ほどは成竜の方がなどと考えてしまったが、今より都合の良い状況はそう何度もないだろう。
何としても、ここで決めたかった。
痛すぎる失敗だ。
「いや、そうでもないよ」
クリスが上機嫌に俺の肩を叩く。
袖で涙を拭うと、もうひとつの足音がこちらへ近づいてきた。
「ほら、あんたが持ってなさい」
ネルは俺の左手を取り、親指サイズの何かを握らせた。
「これを持って帰れば、僕たちもB級冒険者だね」
「…………?」
何がなんだかわからない。
痛む両目から、またひとつポロリと涙が流れた。
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