第279話 もう一歩




 まずは俺自身が落ち着こう。

 そう決めてから、俺は実際に普段のルーティンを取り戻した。

 すっかり家着として定着した浴衣に着替え、ゆっくり風呂に浸かり、フロルが作った美味しいご飯を食べてフロルにもご飯を食べさせる。

 深酔いするわけにはいかないので酒ばかりは控えめにしたが、それ以外は本当にいつもどおりだ。


 明日に向けてフロルにいくつかの指示を出し、時計の短針が天を衝くまでに十分過ぎるほどの余裕を持ってベッドに入る。

 前世では考えられないくらい健康的な生活が、すっかり体に馴染んでいることに気づいて口の端が上がった。

 



 控えめなノックの音が聞こえたのは意識がぼんやりし始めた頃だった。

 もう少しで眠りに落ちそうだが、起きられないわけでもない。


 そんな曖昧な場所から、俺はゆっくりと現実へと引き戻されていく。


「……誰、だ?」


 少しだけ開いていた扉から何者かが室内へと入ってくる。

 灯りが落とされカーテンが閉じられた寝室は完全な真っ暗闇で、入室者の顔は全く見えない。


 寝ぼけた頭が寝室に入ってきそうな人間のリストアップを開始する。

 フロルは俺が寝ているときにノックなどしないし、音もなく入ってくる。

 アンは昨夜、寝室を訪れたばかり。


 消去法で残ったのはローザだった。


「ローザか?流石に今はそんな気分になれないぞ?」

「……私よ」


 返事があって数秒で俺の頭は急速に覚醒した。

 もっとも、少しばかり遅きに失したようだが。


「…………」


 声の主――――と誤魔化しても仕方がない。

 寝室にやってきたフィーネがベッドの端に腰掛けた。


(迂闊だった……)


 俺と話したくなさそうだというローザの説明を鵜呑みにして、フィーネから話しにやってくるという可能性を失念していた。

 フィーネは俺の台詞からローザとの関係を察せないほど鈍感ではない。

 ここからの言い逃れは困難を極める。


「孤児院の仲間の面倒を見てるんだっけ?」

「いや、そのだな……」


 俺やクリスが歓楽街に出入りしていることについて冷たい視線を向けられたこともあった。

 彼女の悩みが馬鹿共の性欲によってもたらされていることを加味すれば状況はさらに悪い。


 これから話し合うべき内容を考えてもタイミングは最悪だ。


 しかし、答えに窮する俺を咎めるでもなく、フィーネは小さく笑った。


「あ、別に責めてるわけじゃないからね。夜ごと好きでもない男に抱かれる生活と比べたら……。、今の境遇に満足してるみたいだったし」


 どうやら俺の失言以前に全てバレていたらしい。

 赤裸々な話の方が距離を詰めやすいのかもしれないが、会ったその日にそこまで話してしまうとは。

 少しばかりガールズトークを甘く見ていたようだ。


 フィーネの態度を軟化させてくれたローザに感謝する一方、後で少し釘を刺しておこうと心のメモ帳に書き込んでおく。


「助けてくれてありがとう。お礼を言ってなかったと思って」

「俺は何も……。それに、礼を言うのは少し早いんじゃないか?」


 フィーネから来てくれたこと、その話題に触れたことを好機と見て俺は一歩踏み込んだ。

 嘘か本当か、暗い場所の方が本音を話しやすいなんて話も聞いたことがある。

 互いの表情を隠す暗闇は、かえって好都合かもしれない。


 果たして暗闇の効果が出たかは定かでないが――――少しの沈黙の後でフィーネは溜息まじりに会話に応じてくれた。


「はあ……。それで、どこまで聞いたの?」

「お前が受けてる嫌がらせ……というには度を超えた仕打ちのことまで聞いた。今日ギルドに居た奴らから、直接な……」

「そう……、そっかあ……」


 隣から大きな大きな溜息が聞こえた。

 フィーネ自身が問題を暗に認めたことで、ようやく話し合う下地が整った。

 

 積極的に話したいことではもちろんない。

 それでも彼女が翻意する前にと思い、俺は話を続けた。


「ギルド側は、状況を知ってるのか?」

「事情を知って眉をひそめる人もいるけれど……。組織としては業務に支障がない限り、基本的に無関心よ」


 突き放すような言葉を聞きながら、俺はギルドマスターの顔を思い浮かべた。

 ギルドのためと言って冒険者を捨て駒にする男だ。

 それがギルドにとって利益になるならば、冒険者のモチベーション向上のために受付嬢を一人か二人見捨てるくらいはやりかねない。


 俺は分厚い掛布団の中から抜け出し、フィーネの横に腰を下ろした。

 核心的な話をするのに体が半分布団の中では格好がつかないし、例え暗闇の中でも姿勢を正して本気度を見せたかった。

 少しでもフィーネの近くに居て彼女を安心させたかったという理由もある。


「なんで相談してくれなかった?」

「相談したら、アレンは強引に解決しようとするでしょう?」

「当り前だ。許せるわけないだろ、こんなこと……」


 冷静に話し合うため、努めて静かな声で思いを伝える。

 それでも拳に力が入ることは避けられなかった。


 一人の少女の生活を台無しにしようと画策する彼らの悍ましい笑い声が、今も脳裏にこびり付いて離れない。


 話を聞いただけの俺ですらそうなのだ。

 歪んだ欲望を直接向けられたフィーネの心労は想像を絶する。


 しかし、俺が懸命に怒りを抑える傍らフィーネは冷静だった。

 冷静に、俺の助力を拒絶した。


「迷惑はかけられないもの」

「何言ってんだ……。迷惑なんて――――」

「アレンだけじゃないの。あいつらのことだもの、あんたの手出しを封じるために、ティアナさんに手を出すかもしれない」

「なっ……!?」


 そこまでやるか。

 そう自問して、やるだろうという結論が出るまで時間はかからなかった。

 すでに他の冒険者に対しては実力行使に出ているような会話も聞こえた。

 ティアに危害を加えることをチラつかせ、俺を脅迫するくらいのことは十分考えられた。


 ティアはか弱いだけの存在ではない。

 そうは言っても、奴らの悪意の標的にするのは躊躇われる。


「仲間をいたずらに危険に晒しちゃダメ。アレンは『黎明』のリーダーなんだから。パーティを組めなくて独りぼっちだった頃とは違うんだからね?」


 フィーネは何年も前のことを引き合いに、冗談を言うような軽さで笑った。


 俺よりもずっと追い詰められているはずのフィーネに気遣われている。

 あまりにも情けない話で、とてもではないが彼女と一緒に笑うことはできなかった。


 もっともフィーネにしても、笑える状況ではないことなど重々承知の上だ。

 笑い声が長く続くことはなく、また小さく溜息を吐いた。


 そこからはポツポツと、これまでの経緯を話してくれた。


 受付嬢同士の競争についての愚痴。

 奴らを唆した同僚たちへの恨み言。

 奴らから受けた嫌がらせの数々。


 フィーネが嫉妬される原因がやはり俺にあると聞き、思わず天を仰いだ。

 俺が稼がなければ今度は彼女の収入に問題が生じるので、事はそう単純ではないが。


「人気とか、順位とか、下らない……。どうしてそんなことのために、ここまで残酷になれるのかな?」

「さてな……。道を外れた連中の考えなんざ、知りたくもない」

「ふふ、そうね」


 問題は解決せずとも、ひとしきり愚痴を吐き出して気分が楽になったのか。

 フィーネが吐いた溜息は先ほどより幾分か軽かった。


 俺たちの間に少しだけ沈黙が流れた後、フィーネは軽い感じで尋ねた。


「ねえ、アレンはどう思う?」

「うん……?」


 何を聞かれているかわからず首をかしげていると、衣擦れの音とともにフィーネが立ち上がる気配を感じ、少しして徐に寝室のカーテンが開かれた。

 仄かな月明かりも暗闇に慣れた目には刺激が強く、思わず目を細める。


「これ、覚えてる?」


 目が慣れると、そこには月明かりに照らされたフィーネの姿が浮かび上がった。

 彼女は身に纏う服――――ではなく下着の布地を摘まみ、俺が見やすいように体を左右に揺らす。


 それはいつだったか、フィーネと服を買いに行ったときに服と一緒にプレゼントしたネグリジェだった。


「ああ、覚えてる……。よく持ってたな」


 今日の出来事はフィーネからすれば突然誘拐されたようなものだ。

 薄い下着は嵩張りこそしないだろうが、着の身着のままで屋敷に連れてこられた彼女の持ち物に含まれていたことは少し意外だった。


「これは……。肌触りが良いから、普段からよく着てるの」

「そうか。気に入ってくれたなら良かったよ」


 俺はフィーネから視線を逸らし、頬を掻いた。

 下着というだけでも直視しにくいのに、そのネグリジェは明らかに男を誘う用途で作られているからだ。

 透ける布地は他者の視線を遮るという役割を放棄し、今も月光に照らされたフィーネの肌を俺の視線の下に晒している。


「どう?」


 フィーネは手を腰に当てて微笑んだ。

 月明かりに照らされた立ち姿はさながらスポットライトを浴びるモデルのようで、かつて試着室で見せた恥じらいは消えている。

 彼女は興が乗ったのか、その姿を見せつけるように少しずつポーズを変えていき、最後に後ろで手を組んで少しだけ体を前に傾けた。

 ゆったりとしたネグリジェから、彼女の素肌がのぞく。


「あの男たちはどうしても私を抱きたいらしいけど……。アレンは、私を抱きたい?」

「お、お前な……」


 直接的な言葉を投げかけられ、俺はたじろいでしまった。

 同時にネグリジェをプレゼントした日、屋敷のリビングでフィーネにからかわれたことを思い出す。


 夜更けに寝室で二人きり、しかも装いは扇情的なネグリジェ。

 今はあのときよりもさらに刺激的な状況だ。


『男を誘惑する素振りを見せるなんてことはあり得ないってことだよ。例外は、本当に襲われてもいい相手のときだけだ』


 クリスの言葉が脳裏によみがえる。

 以前は判断を保留したが、この状況ではたしかにクリスの言うとおりだ。


 夜更けに男の部屋を訪ね、下着を晒し、先ほどの台詞。

 これだけ材料がそろっている状況では、その気がないと言ったところで通らない。


 フィーネの精神状態が正常だったならば、そう結論づけただろうが。


(どっちだ?俺は、どう答えるのが正解なんだ……?)


 率直な感想を言えば抱きたくない――――わけがない。

 

 これほど魅力的な少女に扇情的な装いで誘われて、我慢するだけで一苦労だ。

 それにこの状況で抱きたくないというのは相手の魅力を否定するも同然で、いっそ失礼にも思える。


 一方、フィーネの苦悩の大部分が男の欲望から来るものだという事実は無視できない。

 彼女が性欲の対象になると明かすことで、フィーネがどのような反応をするか読めないことは大きな不安材料だ。

 あるいは自身が置かれた状況に絶望し、近い将来に男たちの毒牙に掛かることを確定事項として受け入れ、その前にせめて自分が選んだ相手と――――などと考えているなら、絶対に考えを改めさせなければならない。


 俺は正解を探ろうと真剣にフィーネを見つめる。

 その間、フィーネも同様にじっとこちらを見つめていた。


「…………冗談よ」

「――――ッ!」


 時間切れ。

 俺が言葉をまとめ終わる寸前、言外にそう宣告したフィーネは衣服を羽織り、ネグリジェはその下に隠されてしまった。


「明日!時間になったら呼びに行くから……。明日は、朝食は一緒にとろう」

「ええ、そうね」


 カーテンを閉めて客室に戻ろうとするフィーネの背中に、そんな言葉をぶつけるのが精一杯だった。

 

 フィーネが退室し、寝室の扉が閉められた後。

 俺はベッドに体を投げ出した。


 このざまで頼ってほしいなど、どの口が言うのか。


 情けなくて悔しくて、唇を噛みしめた。


「フィーネ……」


 寝室が再び暗闇に包まれる間際、彼女が見せた寂しげな笑顔が瞼に焼き付いている。


 俺の心に不安が巣食い、なかなか眠りに就くことはできなかった。





 ◇ ◇ ◇





「ごふっ!?」


 翌朝、夜が明けたことを認識する間もなく、俺は衝撃で跳び起きる。


 寝起きの頭で状況を把握することは困難を極め、ベッドの上で仁王立ちのまま呆然とするしかない。

 すると、跳ね起きたときに捲れた布団の中からフロルが這い出してきた。


「おい、一体どうし――――くそっ!」


 フロルは珍しく焦った様子で寝室の扉の方を何度も何度も繰り返し指差している。

 この状況で、それが意味することはひとつだった。


「フィーネのやつ、逃げやがったのか!」


 フロルに逃がすなと命じたが、屋敷の中から外に出るのはあまりにも簡単だ。

 流石のフロルも、これは止められなかったらしい。


 寝間着のまま今すぐ飛び出したい衝動を堪え、急いで身支度を整える。

 昨夜に用意しておいた装備を素早く身に着け、俺は全力で走り出した。


(頼むから間に合え……!!)


 早朝は人の出入りが多い時間帯だが、俺はダッシュで冒険者ギルドに駆け込んだ。

 ギルドに入ろうとしていた冒険者は顔を顰めて道を譲り、ギルドを出ようとしていた冒険者は驚いて文句を言う。

 そういった反応に構いもせず、俺はフィーネを探して冒険者たちの間を泳ぐように歩き回る。

 

 フィーネの後ろ姿は、昨日と同様にロビーの中央で見つかった。

 その向こうにはフェリクス、それだけでなくギルドマスターもいて、三人はほぼ等間隔に向かい合っている。

 普段より人の多いロビーにあって、その三人がいる空間だけがひらけていた。


「B級冒険者フェリクスは辺境都市を本拠地として登録し、フィーネ嬢を専属に指名する!」

「――――ッ!」


 その声が耳に届いた瞬間、俺が他人に頼らず自力でフィーネを助けられる可能性は消滅した。


 間に合わなかった。

 一歩遅かった。


 この展開を何としても避けたかったのに、叶わなかった。


『B級以上になると、場合によっては嫌でも断れないこともあるみたいよ』


 奥歯を噛みしめながらフィーネから聞いた話を思い出す。

 今の状況こそが、まさにそうなのだろう。


「さあ、承認を。ギルドマスター」


 フェリクスとフィーネ、そして周囲の冒険者たちの視線を一身に集め、ギルドマスターは言う。


「申請を承知した。検討し、後日結果を伝える」


 周囲の冒険者がどよめいた。

 この都市を本拠地とするB級冒険者がここしばらく存在していなかった中で、専属指名は冒険者たちの間で半ば都市伝説のように語られていた。

 そのような珍しい状況に遭遇したことを純粋に驚く言葉が、あちこちで聞かれる。


 ただ一人、フェリクスだけは不満そうに目を細めた。


「検討?どういうことだ?」

「申請を認めるか否か審査を行い、10日以内に決定する。ギルドの規則だ。従えないなら出て行け」

「不服はない。ただ、10日もかけて、一体何を審査するつもりだ?」

「お前が特権を行使するに相応しいかどうか、ということだ。だが、実態としては冒険者同士の争いを抑止することが本来の目的だな」


 そう告げるギルドマスターは、フェリクスを見ていなかった。


 その視線の先にいるのは他でもない――――この俺だ。


「つまり、指名された受付嬢を専属に指名する冒険者が他にいないか。名乗りを上げるための猶予期間ということだな?」


 フィーネが跳ねるようにこちらを振り返った。

 その表情は驚きに染まっている。


 何事か声を上げようとするフィーネに先んじて、ギルドマスターが声を上げる。


「そのとおりだ。もっとも、B


 ギルドマスターが愉快そうに笑う。

 そこに俺を嘲るような雰囲気はなく、この状況を只々面白がっている様子だ。

 なにせ辺境都市冒険者ギルドが切望するB級冒険者の獲得――――その機会が、労せず転がり込んできたのだ。

 冒険者ギルドの地位向上に腐心するこの男にとっては、笑いが止まらないことだろう。


 一方、俺も可能な限り回避したい可能性のひとつとして、この状況も想定していた。

 この状況を回避したかったのは、ギルドマスターがフェリクスと俺を天秤にかけてどちらを選ぶか確信が持てなかったからだ。 


 結果として、俺は賭けに勝った。

 いつ居なくなるかわからない他所の冒険者より俺の方が望ましい――――この状況は、そういう意思表示にほかならない。

 専属指名の決定は10日

 天秤がフェリクスに傾いているなら、今ここで承認を宣言すれば済むのだから。


 笑いたければ好きなだけ笑うといい。

 今の俺にとっては、首の皮一枚繋がったという事実だけが重要だ。


「B級への昇級条件は?」

「実績が規定の水準に到達していること、そして昇級試験を突破することが条件だ。実績の方は、すでに達成されている」


 あらかじめ俺が昇級試験に挑戦する資格があることを確認していたらしい。


 つまり、この状況を想定していたのはギルドマスターも同じ。

 フィーネの苦境を見逃していたのは、馬鹿共ではなくだったということだ。


 本当に反吐が出る。


「それで?」


 嫌悪を押し隠し、俺はギルドマスターに問う。


 重要なのは昇級試験の内容だ。

 俺は肝心の情報を得るため、ギルドマスターに話の続きを促した。


「コカトリスの尾羽、サイクロプスの角、竜の爪。この中のいずれかを入手せよ。方法は問わない」


 ギルドマスターが昇級試験の内容を説明した直後、ロビーの一角から笑い声が上がった。

 注目を集めたのは、この場の主役であったはずのフェリクスだった。


「ギルドマスターも人が悪いな」

「なに……?」

「コカトリスは迷宮都市の下層にしか出現しない魔獣だ。サイクロプスの生息域も帝国の西に広がる大樹海の中。どちらも10日では往復することすらままならないし、お前のような底辺冒険者が入手できるような値段じゃない。なんだ、結局は無理じゃないか!」


 俺を嘲るような語り口は不愉快だ。

 しかし、俺と敵対するフェリクスの言葉だからこそ、その中に真実を得ることができる。


「その口ぶりだと、最後のひとつなら間に合うんだな」


 フェリクスの哄笑が止む。

 疑念に溢れた眼差しでこちらを探り、ただ一言、こちらの正気を問うた。


「竜だぞ?」

「それが?」


 迷いのない答えに一瞬だけたじろぎ、それを恥じたフェリクスの視線が厳しくなる。

 吐き出そうとしたのは俺へ向けた罵倒か嘲笑か。


 フェリクスが何事かを口にしようとしたそのとき――――


「やあ、そろそろ出番かと思ったんだけど。話し合いはまだ続きそうかい?」


 聞き慣れた声とともに、銀髪の剣士がこの場に現れた。

 最高のタイミングで登場する相棒に、思わず笑みが深まる。


 クリスの参戦も一応の不確定要素ではあったのだ。

 B級冒険者の昇級試験なら、その難易度も相当なものであるはず。

 短期間でクリアするならクリスの助力は必要不可欠だ。


 しかし、正直なところ俺はこの点について心配はしていなかった。


 事前にクリスに話を付けていたわけではない。

 俺のピンチを幾度も救ってきた相棒の嗅覚をもってすれば、この場に駆け付けることくらいは容易い。


 俺は本気で、そう信じていたのだ。


「なに、ちょっと竜にお願いして爪を貰ってくるだけの簡単な仕事だ。自由参加にしようと思うが、お前はどうする?」

「愚問だね。そんな面白い話を独り占めなんて、許されないよ」


 頼れる相棒は腰に佩いた剣の柄を指で叩き、やる気を示す。

 装備も整っており、準備は万端の様子だ。


「10日だったか。期間内に、前倒しでが完了する可能性は?」

「ない。審査期間、フィーネの身柄はギルドが責任を持つ」

「結構」


 それだけ聞ければ満足だ。

 最善ではないが、状況は十分に整えられた。


「『黎明』所属アレン以下4名、B級への昇級試験を申し込む!」


 再びロビーに集まる冒険者たちがどよめいた。

 俺たちの様子を見守る野次馬の数は少しずつ増えており、その声は先ほどよりも明らかに大きくなっている。


「そういうわけだから、手続きを頼む」


 野次馬の囃し立てる声が止まぬ中、蚊帳の外に置かれていたフィーネに声をかける。

 彼女は制服のスカートを両手で握り締め、今にも泣きそうだった。


「やめてよ……。竜なんて、危ないよ……」

「何言ってんだ、俺たちは冒険者だぞ?危険なんて、いつものことだろう」


 フィーネを救い彼女に恩を返すことが第一であるが、危険に飛び込む理由はそれだけではない。

 つい半年前までは仲間を得られずD級で燻っていた俺が、上級冒険者への挑戦権を得るところまでたどり着いたのだ。

 これがどうして奮い立たたずにいられようか。


 俺の中で暇を持て余していた英雄見習いも、久方ぶりの見せ場に気炎を上げている。


(少女を救うために竜に挑む……。最高に、英雄らしいじゃないか!)


 ほんの2月半ほど前、俺は頼もしい仲間を手に入れて英雄への一歩を踏み出した。


 そして今――――俺は強敵に挑む理由をも


(さあ、は整った……!)


 今こそ、英雄に至る道へ。


 もう一歩、足を踏み出そう。



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