第280話 昇級試験1




 昇級試験の手続を済ませた後、フィーネに見送られて屋敷に戻るとフロルが大方の準備を整えてくれていた。

 食べやすいサイズにカットされたサンドイッチを手早く胃の中に放りこみ、リボルバー式荷物袋の中身を確認する。

 遠征の準備は昨日のうちに済ませてあるから本当にただの確認だ。


 俺が準備を整える間、クリスにはフロルが用意した料理や飲み物をポーチに詰めてもらう。

 相変わらず馬鹿げた容量のポーチは、大量の料理をひとつ残さず飲み込んだ。

 これで道中の食事に困ることもない。


「さあ、出発だ」


 馬車を拾うため西門へ向かう。

 時間的に朝一の便はすでに出発済みで、次発ならギリギリ間に合うといったところだ。


 今日の宿泊予定地まで運行する足の速い魔導馬車を探していると、馬車のひとつから声が掛かった。


「こっち」


 振り返ると、馬車の後部に掛かる幌の隙間から一人の少女が手招きしてこちらを呼んでいた。


「ネル……?」

「話は聞いた」


 クリスを指してネルが言う。

 冒険者ギルドに現れてからここまでほぼずっと行動を共にしていたから、ネルに情報を伝える時間はなかったはずだ。


 つまりクリスも俺のようにこの展開を予想し、さらにネルに根回しまでしてくれたということになる。

 状況は予断を許さないが、思わず頬が緩んだ。


「昇級試験だが、半分以上は私情だぞ?」

「それも聞いたから知ってる」

「あれ、ティアは?」


 ネルがいるから当然ティアもいるものだと思ったが、幌をかき分けて馬車に乗り込んでみると中にいるのはネル一人だった。


「……今は少し調子が悪いみたい。行先がどうあれ強行軍になるって言うから、家で休ませてる」

「なに?大丈夫か?」

「まあ……何日か休めば大丈夫」


 何日も休まないと治らないなら重症ではないかとも思ったが、ネルの態度から酷い病気ではなさそうだと思いなおす。

 本当にまずい状態なら、ネルもここにはいないだろう。


 しかし――――


(まさか、ネルがなあ……)


 不調の親友を置き去りにしてまで俺に協力してくれるとは。

 一体どういう心境の変化だろうか。


「なによ?」

「いや……」


 言葉を続けようとしたが、ネルの機嫌を損ねない表現が咄嗟に出てこなかった。

 クリスと二人で行くつもりだったとはいえ、ネルは遠距離に対応できる貴重な戦力だ。

 ここでやっぱり帰ると言い出されるのは避けたい。


 何も言えずにいると、ネルが小声で呟くように言った。


「……あのときは、ありがと」

「うん……?」


 周囲の雑音に紛れるような小声だったが、確かに聞こえた。

 礼を言わないといけないのは俺の方だろうに――――そう思って首をかしげると、ネルは早口でまくし立てた。


「あたしが帝都行きの飛空船に乗せられそうになったとき、助けてくれたでしょう。今思えば、ちゃんとお礼も言ってなかったから。今回は、あのときの借りを返すだけ」


 これ以上の説明はしないと言わんばかりに口をへの字にするネルだが、会ったばかりの頃ならこのようなことは決して言わなかっただろう。

 つんとした態度や刺々しい言葉に反して、彼女の内心は変わりつつあるのかもしれない。


「そうか。ありがとう、ネル」


 俺が頭を下げると、ネルは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。






 運良く貸切状態になった魔導馬車の座席は、長椅子が向かい合うよくある構造をしている。

 小型でも10人乗りの馬車を3人で使えばスペースは十分過ぎるほど。

 俺が奥に座り、俺の正面にネルが座ると、最後になったクリスはネルの横を選んだ。

 二人の間に荷物があるとはいえネルが吠えなかった――――もといクリスを嫌がったり追い払ったりしなかったのは少し意外だった。


 前途多難に思えたクリスの恋路も、光が見えてきたのかもしれない。


「さて、今日は移動日だから戦闘の予定はない。今のうちに行程を確認しておこう」


 コカトリス、サイクロプス、そして竜。

 いずれも生息域に行くには辺境都市から西へ向かうことになるが、実のところ竜の生息域は南の火山である。

 南の火山に行くなら普段は都市の南門から南下するルートが最短だが、竜の生息域は火山の西側。

 火山の北東側から西側へ向かって強い魔獣に襲われながら険しい道中を進むより、素直に西側から回り込んだ方が結果的に時間を短縮できるというわけだ。


 つまり、俺たちは都市から街道を西へ進み、ある地点から南へ向かうことになる。

 その地点とは辺境都市から数えて3つ目の街――――俺たちが初めての遠征で散々な目にあった因縁の場所だ。

 打ち上げ以外に楽しかった記憶はなく、その打ち上げすら俺たちを無力化するための策略だったことを思えば良い思い出と美化するのは難しい。


 クリスとネルにとっても嫌な場所だろう。

 俺の話を聞いている二人の表情が硬くなる。


「そうだ、忘れないうちに……」


 あの時の反省からフロル製ポーションを仲間全員で持ち合おうと考えていた。

 良い機会だと思い、俺は即効性の状態異常回復薬と外傷用のポーションを荷物袋から取り出し、クリスとネルに3本ずつ手渡した。

 状態異常回復薬の性能は言わずもがな、外傷用の方も市販のものよりずっと高性能だ。


「どうした?」

「……なんでもない」


 ポーション瓶を見つめるネルの視線から、なにやら複雑な感情を感じた。

 ポーションがあるからといってネルの<回復魔法>の価値が損なわれるわけではないのだが。

 あるいは以前フロルから脅かされたことを思い出したのだろうか。


「相変わらずすごいね、フロルちゃんは」

「そうだな。言い触らすなよ?」

「わかってるさ」


 二人ともポーションをポーチに格納する。

 クリスもネルも荷物袋を用意しているが、それはただのダミーだ。

 ポーチの性能が露見すると面倒だからという理由で、二人を説得して持たせている。


(俺も探すかなあ……)


 リボルバー式荷物袋は優秀だが、重量を軽減してくれないので携帯性に難がある。

 いざというとき手元に荷物袋がない状況などいくらでも考えられるし、何より戦闘中に使えないのが痛い。


 不思議な袋、どこかに落ちてないだろうか。


「おっと……、話を戻すぞ」


 無い物ねだりはやめて本題に戻ろう。


 今日は件の街で一泊し、翌朝に街から火山に近い村までは馬車を使う。

 利用者が少ないため一日数便しかなく、日によっては一便もないこともあるらしいが、フィーネ曰く明日なら大丈夫であるらしい。


 その村から見て火山は南東方向。

 そこから先は自分の足だけを頼りに進むことになる。


「街で1泊、村で1泊、翌日早朝から火山に入って2~3泊、戻りも村と街で1泊ずつ。期限は10日間だから多少の想定外があっても…………クリス、なんだ?」


 日程には余裕があるということを説明している途中。

 クリスが少しばかり情けない顔をしたことに気づき、理由を問うた。


「いや……。それは言葉にしない方がいいかもしれない、なんて思って……」

「ん……そうか?」


 いわゆるフラグというやつだろうか。

 俺自身は当然その存在というか考え方を承知しているが、今生ではあまり聞いた記憶がなかった。

 やはりフラグの概念自体は存在するようだ。


「そんなのただの迷信で……しょ……」


 一方のネルは、クリスの言葉を否定する。

 フラグの存在を信じていないのかと思いきや、バッサリと切り捨てるような語調が途中から急速に力を失い、最後はもにょもにょと言い淀んだ末に口ごもった。

 バツが悪そうに視線を逸らす彼女の様子は、言葉と内心の不一致を察するに余りある。


 失言を悔いる気持ちはわかる。

 見通しが曖昧な状況で根拠なく悪い予想を否定するのは、状況が悪い方に転がるフラグの成立要件だ。


 馬車の中に何とも言えない微妙な沈黙が満ちる。

 垂れこめる不可視の暗雲――ちなみに空は快晴だ――を払うため、俺は口の端を上げて大げさに膝を打った。


「まあ、元々トラブルなしで順調にいくとも思ってなかったしな。ある意味で予定通りだ、問題ない」

「それは問題ないと言えるのかな……?」

「何事も気の持ちようだろ?」

 

 カラカラと笑う俺を胡乱げに見つめ、ネルは小さな溜息をこぼすのだった。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る