第278話 誘拐




 昼下がりの冒険者ギルド。

 冒険者用の窓口は相変わらずの一方で、依頼者用の窓口の方では午後の仕事を始めた商人やその使いと思しき人々が列を作っていた。


 そんな冒険者ギルドのロビー中央で、フィーネが20歳くらいの男と向かい合っている。


 男は装いからして冒険者だろう。

 顔に見覚えがあるが、どこで会ったか思い出せなかった。


 フィーネの顔に困惑と緊張が見て取れるので、良い話をしていたわけではなさそうだ。


「すまない、どこかで会った記憶はあるんだが……」


 自分は相手のことを憶えているのに相手が自分のことを忘れている。

 人によっては苛立つ話だろう。


 目の前の男もそうだったようで、端正な顔が少しだけ歪んだ。


「ふん、物覚えが悪いようだな。仕方ないから今一度名乗ってやる」


 男は完全にこちらに向き直り、周囲の注目を集めるようにゆっくりと手を動かし、胸に添えて名乗りを上げた。


「『鋼の檻』所属、B級冒険者のフェリクスだ。今度こそ覚えておけ」

「ああ、そうだ!C級冒険者の!」


 たったこれだけのやり取りで、俺は目の前の男のことを完全に思い出した。

 遠征で西に向かったとき、最後の最後で俺の前に立ちふさがった階級詐称の冒険者。

 相対したのがわずかな時間だったから記憶に残らなかったが、たしかにこんな顔だった。


 しかし、フェリクスは俺の反応がお気に召さなかったようだ。


「B級冒険者だ!間違えるな!」

「いや、だってお前……」


 俺の言葉を制するように、フェリクスは首から下げた冒険者カードを摘まんだ。


「見ろ!B級と書いてあるだろう!」

「あれ……?」


 フェリクスの手には、たしかにB級冒険者のカードがあった。

 前回会ったときは確かにC級のカードだったはずだが――――と考え、俺はまもなく結論に至った。


「昇級したのか。良かったな、おめでとう」

「ふん……」


 俺が悔しがるとでも思ったのか。

 フェリクスはつまらなそうにそっぽを向いた。


「俺を探してたって話だが、何の用だ?」


 さりげなく周囲を確認しながらフェリクスに尋ねる。

 出会いが出会いだけに、フェリクスの用件が俺にとって良い話である可能性は限りなく低い。

 今、俺の腰には護身用の片手剣のみで防具の類は一切身に着けていない。

 セクハラ野郎共なら十分だが、『鋼の檻』と事を構えるには少々心許ない装備だった。


「ああ、用があるのはそのとおりだが、少しだけ待っていろ」

「なんだ、俺も忙しいんだが……」

「すぐ済む」


 イラッとする言い方ではあるが、こちらには名前を失念した負い目があり、あまり強く出ることは憚られる。

 腕を組んで待ちの姿勢になると、フェリクスは満足したようにフィーネに声を掛けた。


「キミ、僕のものになりなよ」

「は……?」


 ハッキリ言って、俺は間抜けだった。


 フェリクスの注意がこちらから完全に逸れたことに油断して構えを解き、予想の斜め上を行く言葉を聞いて思考が停止した。


「まさか、こんなところで見つかるとは思わなかった。こればかりは、感謝しないといけないな」


 俺が面食らっている間にフェリクスはフィーネに手を伸ばし、頬に手を添える。


 慣れているのだろう。


 その動作は滑らかで淀みがない。


 一歩踏み出してフィーネに顔を近づけ、俺が動く間もなく、声を上げることすら――――


「――――ッ!」


 フェリクスがフィーネの口唇を奪う寸前、フィーネがフェリクスの頬を張った。


 乾いた音が響き、騒がしかったロビーが静まり返る。


 フィーネは数歩下がり、自分を庇うように胸の前で両手を組んでフェリクスを睨みつける。

 フェリクスは堪えた様子もなく、楽しげに舌なめずりをした。


 その光景を目の当たりにして、俺は思った。


(ああ、これはダメだ……)


 俺はクリスのように勘が鋭いわけではない。

 それでもフェリクスが次に口を開けば、ろくでもない言葉を口にするという不思議な確信があった。


 先ほどは間に合わなかった。

 フィーネが驚異的な反射神経を発揮しなければ、彼女の口唇は奴に奪われていたことだろう。


 セクハラ野郎共の件もそうだ。

 気付く機会はあったのに、フィーネが涙を堪えられなくなるまで俺は事態を見過ごしていた。


 だから、三度目を許してはいけない。

 

 そんなことになったら、俺は自分を許せない。


「アレン……?」


 フィーネとフェリクスを差し置いて、ギルドに居る人々の注目を集めた。


 わざと大きな足音を立てて、一歩一歩、二人の方に足を踏み出す。


 最初はゆっくりと。

 

 すぐに早足で。


 そして全力で。


「うん?おい、ここはギルドの中だぞ!わかってんゴホッ!!?」


 いつぞやと同じように、俺はフェリクスの腹に拳を繰り出した。

 フィーネが小さく悲鳴を上げるのも構わず、蹲るB級冒険者の頭を全力で蹴り飛ばして昏倒させる。

 昇級したからといって戦力が劇的に上昇するはずもない。

 だから、この結果は必然だった。


 ただ、これだけでは意味がない。

 遠からずフェリクスは意識を取り戻し、先ほどの状況に巻き戻る。

 怒った奴の注意はこちらに向くだろうが、それでは時間稼ぎにしかならない。


 俺は素早く周囲を見回した。


 フェリクスの取り巻きと思しき二人の冒険者。

 ロビーでくだをまく無関係の冒険者たち。

 突然の暴力沙汰に驚く受付嬢と依頼人たち。


 、誰もこの状況について行けていない。

 

 だが、これでいい。

 状況について行けないときこそ、自分が状況を動かすのだ。


 たとえ俺自身が混乱していても、俺以外の奴らがもっと混乱していれば主導権は俺のもの。

 乱暴な理屈だが、今はとにかく行動するときだ。


 よって、次に俺がすべきことは――――


「きゃ、ちょっと、アレン、なにを……?」

「しばらく借りるぞ」


 フィーネを肩に担ぐと誰に宛てるでもなく宣言し、俺はギルドから走り去った。


 つまるところ、俺はフィーネを誘拐したのだった。






「いつまで担いでいる気?」

「お家に帰るまで」

「私の家はこっちじゃないんだけど」

「知ってる」

「馬鹿なの?」

「お互い様だろ」


 そんな会話をする間に、俺は屋敷に帰り着いた。

 エントランスホールには、フロルとローザ、アンまでそろっていた。

 フロルはいつものお出迎えとして、ローザとアンはちょうど帰ってきたところか。


 慌ただしく駆けこんできた俺に、ローザが首をかしげる。


「誰?」

「フィーネだ。昔、話したことなかったか?」

「ああ、ギルドの……?」


 直接の面識はなくてもギルドでのことを孤児院で話題にしたことは何度もあった。

 俺と違って記憶力の良いローザは、名前を聞いただけでそれを思い出したらしい。


「この子たちが孤児院の?」

「ああ、そうだ、ローザとビアンカ、よろしくな」

「よろしくって、あんた……」


 フィーネの文句を制し、俺は強引に告げる。


「まず風呂だ。風呂入ってこい」

「もう、いい加減にしなさいよ!一体どう――――」

「クソ野郎共から、全部聞いた」


 その一言だけで十分だった。

 フィーネは全てを察して、寂しげに笑う。


「そっか……」


 そっか、じゃねえよぶっ飛ばすぞ――――と言いたいところをグッと堪える。


「フロル、アン!こいつを風呂に叩きこめ!屋敷から逃げようとしたら乱暴にしてもいい!絶対に逃がすなよ!!」

「はい!……はい!?」


 元気の良い返事の後、フィーネを見ながら素っ頓狂な声を上げるアン。

 首を傾げ、困ったようにフィーネを見上げるフロル。


 二人に見つめられ、フィーネは小さく溜息を吐いた。


「逃げないわよ、全くもう……」


 投げやりに呟き、どこか頼りない足取りで風呂場に連行されるフィーネを見送った。

 やることが山積みな状況で、フィーネに抵抗されずに済んだことにとりあえずは安堵する。


「さてと……」


 俺がフィーネに風呂を勧めたのは理由があってのことだ。


 風呂でスッキリして少し前向きになってほしいというのがひとつ。

 そしてもうひとつは、単純に時間を稼ぎたかったからだ。


「ローザ、仕事だ」

「はーい」


 建前上は使用人として屋敷に置いているローザだが、家事に関して彼女がほとんど戦力外であることは誰に聞かずとも察している。

 しかし、ラルフに似て聡明でありフィーネと歳の近い同性でもあるローザは、今の状況では非常に頼りになる。


 俺はフィーネが置かれた状況を手早くローザに説明した。

 ローザは時折何事か考えるように視線を彷徨わせながら黙って俺の話に耳を傾ける。


「それで、アレックスにぃはどうしたいの?」

「B級を含めて男どもをどうにかする手段はこっちで考える。ローザに頼みたいのはフィーネのケアだ。あいつが置かれた状況を考えれば、女のお前の方が適任のはずだ」

「話し相手でも何でもして、フィーネさんが落ち着いて過ごせるようにすればいいってことだよね?」

「飲み込みが早くて助かる」

「わかった。ところで――――」


 珍しく真剣な表情を保っていたローザが、にやりと笑う。

 何かろくでもないことを言いそうな確信が再び俺の中に舞い降りたが、フェリクスのように黙らせるわけにもいかず、果たして俺の予想どおりの結果になった。


「お妾さん3号?」

「ちげえよ!!」


 俺が怒鳴ると、ローザは大げさに耳を塞いで嬉しそうに悲鳴を上げた。

 これ以上の否定はローザを喜ばせるだけだと思い、俺は言葉を飲み込んで溜息を吐く。


「いいか、フィーネは俺の恩人だ。俺がこの屋敷を所有していられるのもフィーネのおかげで、間接的にお前らの恩人でもあるんだ。わかったらキリキリ働け!」

「はーい」


 上機嫌で階段を駆け上がるローザの背を見つめ、アンとローザの役割を逆にすべきだったかと不安になる一方、今のフィーネの話し相手ならあれくらいの方がいいのかもしれないと自分を納得させる。


 どの道、俺は俺でやらなければならないことがあるのだ。


 ローザを信じて任せると決めると、俺は認識阻害のローブを纏って再び大通りへと駆け出した。

 




 ◇ ◇ ◇





 用事を済ませて屋敷に戻ったとき、日は暮れかけていた。

 認識阻害のローブが<アナリシス>を使うフェリクスに通用するかわからず、慎重にならざるを得なかったというのが理由だ。

 ただ、時間を掛けただけあって目的は無事に果たすことができた。


(この準備が無駄になれば、それに越したことはないんだが……)


 嫌な予感ばかりよく当たるという話がある。

 迷信と斬って捨てたいところだが、俺は半ばどころか9割くらいは諦めていた。

 

「戻った。フィーネは?」

「夕食は部屋で食べたいって言うから、さっき届けたところ。今はアレックスにぃと話したくないみたい」


 ローザからフィーネの様子を聞きながら、2階に並ぶ扉のひとつに視線を向ける。


 玄関から見て右手。

 左手にあるローザやアンの部屋から吹き抜けのエントランスホールを挟んで向かいにある2階客室のひとつが、フィーネが滞在する客室だ。


「状態はあまり良くないよ。表面上は取り繕ってるけど、心はボロボロじゃないかな」

「…………」

「なるべく頑張るけど、結局は応急手当みたいなものだから。どうにかしたいなら、早いうちに原因を取り除いた方がいいと思うよ」

「……わかった。よろしく頼む」


 この件について時間稼ぎ以上の成果をあげるためには、最低でも数日の時間が必要だと見込んでいる。

 それまで、何とかしてフィーネをここに留めておきたい。

 フィーネの性格を考えると絶望的な見通しだが、彼女の行動次第では俺が手出しできない状況で取り返しのつかない方向に進むこともあり得るのだ。


 ローザには何としても――――


「アレックスにぃ」


 古い名を呼ばれ、思考に沈んでいた俺の意識は屋敷のエントランスホールへと帰還した。

 俺の腕に触れローザは、まるで俺がフィーネに向けるような視線をこちらに向けている。


「アレックスにぃは落ち着かなきゃ。そんなんじゃ、しくじるよ?」

「――――ッ!」


 静かな声が、胸に突き刺さる。

 反射的に何か言い返そうと口を開きかけ、何も返す言葉がないことに気がついた。


(そうだな。フィーネを落ち着かせたいなら、まずは俺が落ち着かないと……)


 フィーネが置かれた深刻な状況が次々と明らかになり、居ても立っても居られなかった。

 しかし、今日できることは全て片付けてしまった今、俺が緊張を維持することに意味はない。


 俺なりに最善を尽くしているつもりだったが、やはり浮足立っていたようだ。


「ローザの言うとおりだ。忠告ありがとな」


 綺麗な金色の髪を撫でてやると、ローザは目を細めて満足げに笑った。


「気にしないで。昂ったアレックスにぃを鎮めるのが、私の役目だから」


 しなをつくるローザの額を軽く小突いて2階への階段を昇る。


 2階の廊下の最奥。

 誰の目もない自室の前で、ふと自分の顔に触れた。


「まったく、ローザのやつ……」

 

 独り言ちて、寝室の扉を押し開く。

 緊張で強張っていた頬は、少しだけ緩んでいた。



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