第277話 欲望




「ああ、簡単な話だ」


「アンタにも『黎明』にも損な話じゃない」


「そうだ。俺たちはフィーネちゃんと仲良くしたいだけなんだ」


「仲良くなって、フィーネちゃんと愛し合いたいのさ」


「お互い裸で、ベッドの上でな」


「アレンさんも男ならわかるだろ?」


「ああ、もちろん衛士の世話になるような真似はしないから誤解しないでくれ」


「あくまで合法的にフィーネちゃんと仲良くなりたいんだ」


「そこでだ、アレンさんはよくフィーネちゃんと取引してるだろ?」


「でも他の受付嬢と取引しても稼ぎは減らないよな?」


「他の受付嬢を使ってほしいだけだ。それだけでいい」


「ほら、冒険者の手続を担当する受付嬢は、冒険者の稼ぎに応じて報酬があるだろ?」


「アレンさんが『黎明』の依頼をフィーネちゃんに担当させると、なかなか……な」


「知ってるか?フィーネちゃんは身寄りがなくて貧乏で、ギルドの稼ぎで生活してるんだ」


「ギルドの稼ぎがなかったら娼館に身売りするしかないだろ?」


「俺たちはフィーネちゃんに、身売りをしてほしいのさ」


「だからフィーネちゃんの稼ぎが減るように色々動いてたんだ」


「冒険者たちを説得して、他の受付嬢と取引してもらうように頼んだりして」


「つまり、娼婦になった後で、俺たちが養ってあげようってこと」


「あんた、フィーネちゃんに結構な額を貢いでるって聞いたぞ」


「もう無駄なことはしなくていいんだ」


「娼婦になった後で、好きなだけ貢げばいいじゃないか」


「毎日交代で通い詰めてさ」


「銀貨数枚で一晩中フィーネちゃんを好きにできるんだぜ」


「頼んだらギルドの制服を着たまましてくれないかな?」


「俺は生まれたままの姿で抱き合いながらしたい!」


「フィーネちゃんは声が綺麗だから、どんな声で喘いでくれるか楽しみだ!」


「お前の粗末なモノでフィーネちゃんがよがってくれるか?」


「はは、違いない!」


「うるせえ!夢見るのは自由だろ!」


「ああ、今から楽しみだ!」






「……………………」


 俺は絶句した。


 彼らにフィーネという一人の少女に対する悪意など欠片もない。

 ただ彼らは純粋に、自分たちの欲望をぶつける対象として――――モノとしてフィーネを扱っていた。


 吐き気がする。

 しかし、俺がそれに耐える間も男たちの楽しげな声が次から次へと耳に入り込んでくる。


 フィーネをどうやって犯すか。

 フィーネをどうやって身売りに追い込むか。


 そんな話を、彼らは和気藹々と語り続けた。


 これが酒場で語られる妄想話なら、あるいは酔っ払いの戯言と笑って済ませることもできたかもしれない。


 だが――――


「良い話を、聞かせてもらった。教えてくれて、感謝するよ」


 具体的な行動を伴ってフィーネの生活を破壊しようと企む男たちを、見逃すことはできない。


 無感情な言葉が彼らの注意を引き付ける。

 彼らは今になってようやく、俺の様子がおかしことに気づき始めた。

 

 ただ、感謝の気持ちは本心だ。

 この話を聞き逃していたら、俺は事態が致命的なところに行き着くまでフィーネの危機に気づかなかったかもしれないのだから。


 思えばここ最近、フィーネが他の冒険者の対応をしているところを見た記憶がない。

 フィーネが窓口で客を待っているとき、彼女の窓口はいつも空いていた。

 

 俺は裏でこのような事態が進行しているなど露ほども知らず、待たずに済んで幸運だったなどと能天気なことを考えていたのだ。


(ああ、俺は何を悠長に考えていたのか……)


 アーベルに調査を頼む。

 また今度、別に時間を作ってフィーネを誘う。


 全く、見当外れだった。


「待て!力づくでどうにかしようってのか?」

「大声を出せば人が来るぞ!」


 男たちが身構えながら声を上げた。

 しかし、それでは牽制にもならない。


「自分たちで案内しておいて忘れたのか。?」

「…………ッ!!」


 この都市のは冒険者だって知っている。

 それでも乞食やチンピラはわざわざ冒険者を標的にしないから、実際にここは悪くない場所だ。


 密談するにしても、荒事をするにしても。

 

「まあ、待ちなって。俺たちの後ろには、やばい奴がついてるんだぜ?」


 俺がにじりよると、俺をここまで案内した男が前に出た。

 および腰になっている奴らの中で、この男だけはまだ自信を捨てていない。

 交渉が決裂したときに備えて、手札を用意していたようだ。


「この前の騒ぎを知ってるだろ?歓楽街で、貴族の私兵が暴れた件だ」


 俺はその言葉に足を止めた。

 その理由を誤解した男は嫌らしく笑い、大仰に両手を広げて叫ぶ。


「貴族すら跪いて許しを請う!歓楽街の支配者、アレックス様さ!」


 俺は耐えた。

 歓楽街という言葉が出た段階で予想はできていたが、表情には出さなかった。


 もっとも、その我慢は早々に限界を迎える。

 

 俺は腹を抱えて噴き出した。


「ブハッ、クク、アッハハハハ!!」


 自分以外に敵しかいない状況で腹を抱えて笑うなど愚の骨頂。

 そんなことは理解している。

 

 しかし、無理だった。

 男の自信満々の表情と、その口から飛び出したしょうもないブラフ。

 こんな茶番を見せられて、どうして笑わずにいられようか。


 呆然とする男たちの前でひとしきり笑い、最後に大きく深呼吸して姿勢を正した。


「はあ、笑った笑った……。お前、漫才師の才能あるよ」

「何がおかしい!」

「何ってお前、これが笑わずにいられるかよ。歓楽街の支配者様がお前らみたいな木っ端の後ろ盾とか、冗談にしても出来が悪い」

「てめえ、調子に乗ってると――――」


 その言葉を言い切る暇も与えず、男に殴り掛かった。

 男はまともに喰らって廃墟に転がり埃を立てる。


「調子に乗ってると、なんだって?」

「て、てめえ……!」


 殴られた腹を抑えて苦しげな声を漏らす男を、俺は容赦なく蹴りつけた。

 この程度ではフィーネの苦しみには到底及ばないだろうが、少しは発散しておかないと怒りでどうにかなってしまいそうだ。


「どうした、アレックス様はどこに隠れていらっしゃるんだ?それとも一人か二人、殺さないと出てきてはくれないか?」


 その場にいる男たちを見回すと全員がたじろいだ。

 どうやら腕に自信がある奴はいないらしい。

 こんなどうしようもないことを企てるのだから、間違いなく全員が底辺冒険者だろう。

 

 だが、底辺だからといって見逃すつもりはなかった。

 馬鹿共が集まっている今このときが、この件を片付ける絶好の機会なのだ。


「安心しろ、剣は抜かないでやる。刃物なんか抜かなくたって、死にたくなるくらい痛めつける方法は、いくらでもあるんだ。で、次は誰だ?」


 俺は男たちの様子を観察しながら獰猛に笑う。


 見たところ臆病者ばかりの集団で機転が利く奴もいない。

 きつく脅しておけば、もう馬鹿な真似はしないだろう。


「ふざけるな……。諦めねえ、俺は絶対に諦めねえぞ!」


 そんな計算は、俺の視界の外にいた男の行動によって早々に狂うことになった。


 どこにそんな力が残っていたのか。

 散々に蹴りつけて転がしておいた男が気勢を上げ――――そしてそのまま逃げ出した。


「…………」


 本気で走ればすぐに追いつく。

 しかし、俺が男を追えば、この場にいる奴らも方々に逃げ散るだろう。

 だから俺は敢えて追わずに逃げ行く男の背を睨みつけた。


(覚醒前の主人公みたいな台詞を吐きやがって。やることはクズのくせに……)


 きっと自分が正しいと信じているのだろう。

 人の思考は環境と経験で作られるというが、どういう人生を歩めばあんな腐り切った思考回路が出来上がるのか。


 疑問には思うが、理解したいとは思わなかった。


「お前らの顔を覚えた。警告はしたぞ?」


 もう一度、その場にいる男たち一人ひとりを念入りに睨みつけてから廃墟をあとにする。


 向かう先は冒険者ギルドだ。

 俺の歩みは早歩きになり、小走りになり、気づかぬうちに駆け出していた。


「…………ッ!」


 フィーネの心情を思い、ギリリと歯を食いしばる。

 自分のことを娼婦に落とそうと画策する奴らに付きまとわれてどれほど怖かったか、どれだけ辛い思いをしたか。

 腸が煮えくり返るとは、まさにこのことだ。


 しかし、俺の怒りの全てが奴らに向かっているわけではなかった。


 怒りの一部は不甲斐ない自分自身に。


 そして残りは――――

 

(なぜ、頼ってくれなかった……!)


 俺と『黎明』のことを俺たち以外で一番深く理解しているのは、ほかでもないフィーネ自身だ。

 俺が、『黎明』が、抑止力として機能することくらいわかっていたはずだ。


(そんなに頼りないか……!恩を返す機会すら与えないつもりか!!)


 万が一、俺が知らぬ間に事態が取り返しのつかないところまで進行していたら。

 俺が何を思うかもわからないのか。


 首謀者と思しき男を痛めつけ、残りの奴らも脅しつけた後だからか。

 ほとんどが男たちへ向けられていた怒りも、フィーネに向かうものが段々と大きくなっていった。


(ダメだ。落ち着かないと……)


 冒険者ギルドを目前にして、俺は一度足を止めた。


 フィーネに怒鳴り散らしても意味がない。

 無駄に諦めの悪い男への対処はまだ思い浮かばないが、まずはフィーネを金銭的に支援するのが先だ。


 ギルドで稼げないから娼館に身売りする。

 そんな馬鹿なことになる前に、フィーネと話を付ける必要があった。


 呼吸を整え、フィーネへの怒りを棚上げし、冒険者ギルドの扉を押し開く。

 ゆっくりと歩きながらせわしなく視線を動かしてフィーネを探すと、彼女はすぐに見つかった。


 ただし、そこに居たのはフィーネだけではなく――――


「C級冒険者のアレン。探したよ」

 

 新たな問題が、俺を待ち受けていた。



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