第276話 フィーネとお出かけ




 昼を少し回ったあたりなら冒険者ギルドの受付窓口は比較的空いている。


 もっとも、冒険者がいないわけではない。

 領都の冒険者ギルドとして相応の広さを誇るロビーでは冒険者たちが日々情報交換に勤しんでいる――――といえば聞こえはいいが、要は依頼を受ける奴より酒とツマミを持ち寄って雑談に興じる奴が多い時間帯なのだ。


(一段落して奥に引っ込んだか?)


 そんな連中を横目に冒険者用の窓口に視線を向けてもフィーネの姿は見つからない。

 3か所ある窓口のうち2箇所は無人。

 残り1箇所では顔だけ知っている受付嬢が暇そうにしながら笑顔を振りまいていた。


 奥にいるなら呼び出しを頼むのが手っ取り早いが、フィーネの元教育係のイルメラからは他の受付嬢からの嫉妬に配慮するよう釘を刺されている。


(ああ、そういえば誘うのは非番のときにって言われてたっけ……)


 お姉様からの忠告を今になって思い出して足が止まる。

 フィーネの了承を得ているから大丈夫だと思うが、俺のせいでフィーネが過剰な嫉妬に晒されるとしたら好ましいことではない。

 

 そんなことを考えながらギルド内を見回していると、思いのほかあっさりとフィーネは見つかった。


「ああ、そっちか」


 ロビーをまっすぐ進むと左手に見える掲示板。

 依頼票を抱えた彼女は貼り換え作業をしているようだった。


 声を掛けようと足を踏み出したところで――――自然と足が止まった。


(なんだ……?)


 フィーネの様子がおかしい。

 依頼票を胸に抱えたまま左右を気にするばかりで作業がほとんど進んでいない。


 一体何を気にしているのかと思い、フィーネの視線を追う。


 そこにいたのは俺とは面識のない冒険者たちだった。

 20代前半くらいの男たちはフィーネの方を気にしない振りをしながら、注意は常にフィーネの方へ向けている。

 雰囲気的には“だるまさんがころんだ”のような感じだが、奴が触ろうとしているのはフィーネの肩や背中ではないのだろう。

 

(セクハラの現場か。しょうもない……)


 わざとらしくならない程度に足音を立て、周囲の注意を引き付けながらフィーネのところへ歩み寄った。

 フィーネがこちらに気づき、その表情に安堵の色が浮かぶ。

 それに釣られてこちらを見る冒険者たちは対照的に苦虫を嚙み潰したような顔だった。

 

「……おい、行こうぜ」

「……ああ」


 一人の声掛けで冒険者たちが去って行く。

 ただ、そのうちの一人がその場に残ってこちらを睨みつけていた。


「用があるなら聞くぞ?」

「…………」


 声を掛けると、最後の一人も舌打ちを残して歩き去った。

 そいつの姿が見えなくなるまで見送ってから、俺は振り向いて肩を竦める。


「災難だったな」

「何よその言い方、もう……」

「そろそろ昼食時の混雑が終わる時間だ。さっさと済ませて出掛けよう」


 それだけ告げて、俺も踵を返す。

 外に出て騒々しい南通りの喧騒を聞きながら、ギルドの外壁に背を預けて目を閉じた。


「…………」


 瞼に浮かぶのはフィーネの様子だ。

 目には涙で潤み、上手く笑えていなかった。


(これは念入りにオハナシする必要がありそうだな……)


 フィーネからどうやって話を聞き出すか。

 娼館の件の報告やお礼のことは忘れて、俺はそれだけを考えていた。

 





「で、そろそろ話す気になったかい、フィーネさんよう」

「その話し方、恥ずかしいから本気でやめてよね……」


 そう言ってフィーネは紅茶を口に運ぶ。

 堅いガードとつれない返事に、俺はがっくりと肩を落とした。


(うーん、仕掛け時を見誤ったか?)


 すでに食事は終了、デザートも残り半分と言ったところ。

 嫌なことを思い出させないよう話題選びに気を使いつつ向こうから相談してくれるのを待っていたが、一向にその気配はない。

 痺れを切らした俺が話を振ってみても、ただ嫌そうな顔をさせただけに終わった。

 セクハラ野郎どもに削られた精神力は、この短時間で回復してしまったらしい。


「会話力の不足が恨めしい」

「安心しなさい。十分面白いから」

「さいですか……」


 楽しんでくれたなら良かった。

 普段なら、それで終わるところなのだが。


「フィーネ……。助けが必要なときに、それを我慢するような真似は裏切りに等しいぞ?」

「アレンとパーティを組んだ記憶はないんだけど」

「固いこと言うなよ。一緒にギルドの規則破りをした仲じゃないか」

「ちょっと、こんなところで言わないでよ!」


 小声で怒鳴るという器用なことをやったフィーネは慌てて周囲を見回した。

 高級レストランの個室だから誰に聞かれるわけでもないだろうに、神経質なことだ。


「ギルドマスターと話はついてるんだ。今更蒸し返されたりはしないだろう?」

「それはそうだけど。それでも――――」

「わかったわかった。注意するよ」

「もう……」


 雑な返事に眉をひそめながらデザートの最後のひとかけらを口に入れる。

 そんなフィーネを観察しながら、俺は内心で溜息を吐いた。


 会計を済ませると、フィーネはギルドに戻ると言う。

 昼休みを利用しての外出だから仕方ないとはいえ、もう少し時間が欲しかったところだ。


 結局、他愛もない雑談でフィーネの気を紛らわせただけ。

 彼女の心配事を聞き出すという目的は失敗に終わってしまった。

 

「フィーネ!さっき言ったこと、忘れるなよ!」


 これでは足りないとわかっていながらも仕事に戻るフィーネを引き留めることはできなかった。

 去り行くフィーネの背中に向かって念を押し、あてもなく西通りを歩く。

 

(はあ、どうしたもんかな……)


 これまでの付き合いからフィーネが強情なタイプだということは理解している。

 だからこそ本当の限界ギリギリまで弱音を吐かず、俺が少し長めの遠征から帰ったらフィーネが病んでいた――――そんな未来がありそうで恐ろしいのだ。

 

 なんとかしたいが、どうすればいいか皆目見当もつかない。


(そもそも、原因はなんだ……?)


 冒険者たちの“お遊び”を肯定するつもりはさらさらないが、あれが原因だとは思えない。

 受付嬢をやっていれば冒険者から卑猥な言葉を掛けられることなど日常茶飯事のはずで、セクハラも今に始まったことではないだろう。

 ここ1月程度でフィーネの状態をあそこまで悪化させる理由にはなり得ないはずだ。


(それとも、セクハラ自体が悪質化した……?)


 胸を触られそうになったという愚痴は以前にも聞いた記憶がある。


 空振りになるかもしれないが他に思い当たることもない。

 少し調べてもらえないか、『陽炎』のアーベルに頼んでみよう。

 

 そんなことを考えていたとき、背後から声を掛けられた。

 

「なあ、ちょっといいか?」

「うん?あ、お前は……」


 反射的に振り返り、顔を顰めた。

 そこに居たのが先ほど見たばかりの顔だったからだ。


「そう怖い顔するなよ。少し話したいことがあるだけさ」


 そんなことを宣うのはギルドでフィーネにセクハラを試みていた冒険者だった。


 ほかの冒険者たちはバツが悪そうに退散する中、俺にひと睨みくれたこの男。 

 このタイミングで声を掛けてきたのだから、話題はフィーネの件以外にあるまい。


 積極的に話したい相手ではないが、今は少しでも情報が欲しかった。


「ついて来てくれ」


 俺の態度から応じる気があると察した男は、そのまま背を向けて歩き出す。


 西通りから南通りへ、南通りから南東区域の路地へ。

 さらにしばらく歩かされ、南東区域の中央よりやや東寄りという位置にある廃墟のひとつに入ると、男はようやく足を止めた。


「……仲間を集めてどうにかしようってか?」


 そこではセクハラ野郎たちが待ち構えていた。

 ギルドにいた奴らだけでなく2人か3人知らない顔が増えている。

 武器を携帯している者もいるが、臨戦態勢の者はいなかった。


「まさか。俺たちじゃあんたには勝てない。それくらいの分別はついてるさ」


 余裕の表情で肩を竦める男に、思わず苦笑が漏れる。

 年下の少女を相手にガチめのセクハラかますような奴の口から“分別”などという言葉が出てこようとは。


 一体、何の冗談か。

 喉まで出掛かった言葉は、相手を怒らせて話が聞けなくなっても困るので飲み込んだ。


「で、話ってのは?顔ぶれを見れば、なんとなく察しはつくが」

「ご想像のとおり、フィーネちゃんのことだ」


 この男の口からフィーネの名が出ると、少しだけ胸の中に黒いモノが溜まる。

 そんな内心を悟られぬよう、俺は努めて無表情を保った。


 俺の葛藤をよそに、セクハラ集団の中から別の男が歩み出た。


「い、一応、先に確認しておきたい。あんたは『黎明』の魔法使い……ティアナさんが本命ってことでいいんだよな?」

「はあ……?」


 少々気の抜けた声が出た。

 しかし、それも仕方のないことだろう。


 フィーネの話と聞いて身構えているところにティアが出てきて、さらには本命ときた。

 南東区域の奥まで呼び出しておいて、まさか恋バナでも始めようというのか。


「ほ、本命ってのは、恋人にしたいって意味だぞ?」

「いや、それは伝わってるが」

「そ、そうか。なら、答えてくれ。大事なことなんだ」

「まあ、そのとおりだが……。お前らに何の関係がある?」


 話が進まなそうなので憮然としながらも男の問いに答えた。

 俺とティアの関係は別に秘密でも何でもなく、冒険者の事情に詳しい者なら誰でも知っているような話だ。

 ティアの態度を見れば明らかであるし、現に以前は盛んに行われていたティアへの勧誘はある時期を境にパタリと止んでいる。


 パーティメンバーの引き抜きなら“マナーが悪い”と批判されるだけで済むが、色恋が絡むと行きつくとこまで行ってしまう恐れがある。

 そういう判断が影響したのだろうと、いつか酒の席でクリスが言っていた。


「そうか、それは良かった」


 男たちは心底安堵した様子だ。

 俺がフィーネに本気になったら、フィーネに纏わりつく男たちは排除されるとでも思ったのだろうか。

 実際のところ、俺とフィーネの関係にかかわらずセクハラ野郎は排除したいのだが。


 腕を組み無言で話の続きを待っていると、男は誤魔化すように咳払いする。


「では、本題に入りたい」


 適当な相槌で男を促すと、男は笑顔でひとつの要求を告げた。


「フィーネちゃんとの取引を、やめてもらいたいんだ」



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