第271話 閑話:とある少女たちの物語2
南通りから東通り、続いて西通りへ。
シルフィーさんは賑やかな人で会話が絶えることはなかった。
「フロルさんは屋敷のことで忙しいから、時々あたしが手伝ってたんだ」
「そうだったんですね、ありがとうございます!」
「いいのいいの!この辺は精霊も妖精も少ないから、助け合わないとね」
この地域は精霊や妖精が少ないと、どこかで聞いたことがある。
だから都市に住む精霊や妖精の全員と顔見知りなのだとシルフィーさんは言った。
もっとも、全員が全員と面識があるということではなく、単にシルフィーさんの顔が広いということらしい。
特に冒険者ギルドに住む水精霊と領主屋敷に住む火精霊は仲が悪く、仲介役として動くこともあると教えてくれた。
「やあやあ、シルフィーさんの登場だよ!」
「シルフィーさん、今日も元気だね。今日はどうする?」
「うーん、今日はねー、お魚の料理に合う果物を――――」
シルフィーさんの顔の広さは精霊や妖精相手に留まらない。
多くの店を回っていると、どの店に行っても店主や売り子と顔なじみで会話が弾み、物を買うとおまけをもらったりしている。
それを私が抱えているのだけれど、そろそろ腕が辛くなってきた。
「さて、こんなところかなー。あ、最後にあそこか」
そう言って連れて行かれたのは『妖精のお手製』だった。
私たちがお世話になっているシエルさんが経営する西通りの服飾店。
服飾店なのにお菓子も売っているという不思議なお店。
話は聞いていたけれど、実際に店を訪ねたのは初めてだ。
「すごい……」
店に入ると、綺麗なガラスのケースに入った美味しそうなお菓子たちに目が吸い寄せられる。
なんとかお菓子から視線を引きはがすと、店の奥の方には色とりどりの服が飾られていた。
お客は身なりの良い人ばかりで、お客さんの間を私と同じか私より小さな子が行ったり来たりしている。
「もしかして、店員さんは全員妖精……?」
「そうだよ、『妖精のお手製』だからね。せっかくだし、お菓子でも買っていく?」
「え、でもお使い中に……」
「平気平気!お昼まだでしょ?それに手伝ってくれたんだから、ご褒美が必要だよね!」
屋敷のお手伝いが仕事なのだから、買い物の荷物持ちくらいでご褒美をもらう理由にはならない。
けれど、お菓子の誘惑に勝つことはできなかった。
ガラスケースの前にできた人の列の最後尾につき、前に並ぶお客さんの隙間からケーキを品定めする。
両手に掛かる重さも忘れて真剣に選んでいると、列は順調に消化されていき、すぐに私たちの番になった。
「ふふ、どれにするか決まった?」
「え、えーと……」
私の様子はしっかりと観察されていたようで、シルフィーさんは楽しげに笑う。
ケーキはまだ選べていないけれど、私が迷っているとシルフィーさんにも列に並ぶお客さんにも迷惑がかかる。
私は意を決してひとつのケーキを指差した。
そのとき――――
「私は貴族だぞ!そのことを理解しているのか!?」
店内に響いた怒声に、私の肩が跳ねた。
声がした方に視線を向けると、服を売っている場所で身なりの良い男の人と妖精の店員さんが向かい合っていた。
妖精さんはどうしていいかわからずにおろおろしている。
お客さんも心配そうにしてるけれど、妖精さんを助けようとする人はいなかった。
シルフィーさんを除いては。
「はーい、そんなに大きな声を出して、どうしたの?」
「……なんだ、お前は?」
ちょっと待っててね。
そう言い残したシルフィーさんは、躊躇いもせずに貴族に話しかけた。
「風の精霊、シルフィーっていうの。よろしくね!」
「ふん……お前はこの店の者か?」
「うん?うーん……、だいだい合ってる?」
シルフィーさんがこの店の関係者というのは初耳だし、彼女にしては珍しく煮え切らない言い方だけど、相手の貴族には関係ないらしかった。
「ならば、さっさと注文を受けろ!この店の噂を聞いてわざわざ出向いたやったというのに、注文を受けないとはどういうつもりだ!」
「ああ、そういうこと。悪いけど、この店はオーダーメイドはやってないんだ。ごめんね?」
店内が静まり返った。
見知らぬ貴族に対して、八百屋の店主と話すような口調で会話するシルフィーさんに驚いているのだ。
「貴様、私は貴族だぞ!貴族に向かって、その態度はなんだ!!」
案の定、貴族は一瞬呆けた後で真っ赤になって怒り出した。
しかし、貴族から次々に浴びせられる罵声を、シルフィーさんはどこ吹く風とばかりに聞き流す。
それどころか、鬱陶しそうに眉を寄せて言い返した。
「そんなの知らない。あなたこそ、そんな態度でいいの?」
「はあ!?貴様――――」
「人間の社会で貴族って立場があるのと同じように、精霊と妖精にも社会があって立場があるんだよ。そのことを本当に理解してる?」
「な、なに……?」
シルフィーさんの言葉で貴族がたじろいだ。
彼女は貴族に指を突きつけ、悪戯っぽく笑う。
「冒険者ギルドのラウラや領主屋敷のレーナも含めて、この都市の精霊と妖精を全部敵に回す覚悟があるのかって、そう聞いてるんだよ?人間社会であなたより偉い領主さんは、レーナの機嫌を損ねてもあなたを庇ってくれるのかな?」
思ったよりも大変な話だった。
先ほどまで真っ赤になって怒っていた貴族も、今は真っ青な顔をして口を閉じている。
「少し気分が悪い。失礼する……」
「そうなの?お大事にねー」
ポツリと呟いて逃げるように店を出て行く貴族をシルフィーさん笑顔で見送った。
「さあ、買い物の続きを楽しんでね!」
クルっと回ってウィンクを飛ばすと、店内に拍手と歓声があふれた。
周囲に笑顔で手を振りながら戻ってくるシルフィーさんを、私は興奮して迎えた。
「シルフィーさん、すごい人なんですね!」
「そんなことないよ。フロルさんの方が……おっと……」
シルフィーさんは手のひらを口に当てて、周囲を見回した。
「フロルさん?」
「なんでもないから気にしないで!さあ、ケーキは選べた?」
「え、あ……!」
そうだった。
店内は日常を取り戻しつつあり、ケーキを求めるお客の列もすぐに動き出す。
ショートケーキとチョコレートケーキの間で目移りしている私も決断を迫られた。
そんなとき、カウンターの向こう側から声を掛けられた。
「ショートケーキと、チョコレートケーキで、よろしいですか?」
「え?」
カウンターの上に乗せられたトレーには、ショートケーキとチョコレートケーキ。
私の迷いは妖精の店員さんにも見透かされていたようだ。
でも、注文していないケーキを差し出される理由がわからない。
困惑する私に店員さんは言葉を継いだ。
「お礼、です」
「え、でも私は……」
私は何もしていない。
騒動を収めたのはシルフィーさんで、私は見守ることしかできなかったのに。
「もう、遠慮しないの。あ、私はいつものでお願い」
「わかった」
店員さんは慣れた様子でさらに3つのケーキをトレーに乗せ、シルフィーさんに差し出した。
「さあ、ご褒美の時間だよ」
楽しげに笑うシルフィーさんに引きずられるようにしてテーブルに着き、ケーキを味わう。
私までお相伴になって申し訳ない気持ちはあったけれど、ケーキはとても美味しかった。
「それじゃ、またね」
「はい、ありがとうございました!」
シルフィーさんと一緒に屋敷に戻ると、彼女はお使いで購入した品々を抱えた私をフロルさんに引き渡し、屋敷に入ることなく去って行った。
せめてお茶くらいと思ったけど、ここは私の屋敷ではない。
使用人の身分でそれを勧めることはできないし、そもそもシルフィーさんはフロルさんと知り合いだ。
シルフィーさんが遠慮するとも思えないし、きっと何か用事でもあるのだろうと思って彼女を見送った。
「え、食堂ですか?」
手を洗ってエントランスホールに戻ると、フロルさんが身振りで私を食堂に呼ぶ。
そこには一人分の食事が用意されていた。
もしかしなくても、私のお昼ご飯だった。
「あ、ありがとうございます」
私が席に着くのを見届けるとフロルさんは厨房へと消えていった。
厨房は立ち入り禁止で、私は中に入ったことがない。
そこがどうなっているのか興味はあるけれど、今はご飯が先だ。
私は改めてテーブルに並んだ料理を見つめる。
「わあ……」
つい先ほどケーキを2つも食べたばかりなのに、食欲をそそるにおいは再び私の空腹感を刺激する。
アレックス兄さんの食事と比べると皿数が少なく、いわゆる賄い飯というものなのだろうけれど、それでも頬が落ちそうになるくらい美味しかった。
食事の後は休んでいいらしいので、私は2階の自室へ向かう。
「あ、そうだ」
少しローザと話をしようと思い、彼女の部屋の前で足を止めた。
私の部屋とローザの部屋と隣同士だから、広い屋敷の中でも行き来は簡単だ。
しかし、部屋のドアをノックしても部屋の主からの返事はない。
「ローザ?開けるよ?」
鍵は開いており、部屋の中は誰もいなかった。
私は首をかしげる。
ローザの性格を考えると、積極的に屋敷の家事を手伝っているということもないだろう。
ということは――――
(もしかして、まだ……?)
ローザの部屋のドアを閉めると、視線を廊下の奥に向ける。
彼女の部屋、私の部屋、今は使われていないいくつかの部屋――――その先にある突き当たりを左に折れると、そこにあるのは屋敷の主であるアレックス兄さんの部屋だ。
私やローザの部屋の何倍も広い、屋敷の主に相応しい豪華な部屋。
高い天井とシャンデリア。
大きなガラスが何枚も使われた窓と綺麗なベランダ。
大きな鏡付きの化粧台。
そして、何人も並んで寝られるくらい大きくて柔らかいベッド。
「むう……」
孤児院に居た頃から、このひとつ年上の少女は世渡り上手というか狡いところがあった。
今も屋敷に住んでいる期間は数日しか変わらないのに、もうアレックス兄さんの懐に入り込んでいる。
話を聞けばアレックス兄さんと再会したのは私の方が早かったというから、嫉妬を抑えるのに少しだけ苦労した。
ローザが上手いのは距離感だけの話ではない。
昨夜、いけないと思ったけれど誘惑に勝てずに奥の部屋を覗き、私はそこで見てしまった。
獣のようになったアレックス兄さんと、ベッドには組み伏せられて嬌声をあげるローザを。
娼館では見慣れた光景だけれど、私たちを妹のように扱うアレックス兄さんをどうやって本気にさせたのだろうか。
(私が精一杯誘惑しても、気遣いが抜けきらないのに……)
昨夜のローザは苦しそうな声を上げながらも、どこか幸せそうだった。
本当に羨ましい。
私だって――――
「アン?」
「……ローザ、今起きたの?」
声を掛けられて我に返ると、廊下の向こうから寝ぼけた様子のローザが歩いてきた。
メイド服の着方はグチャグチャでボタンもずれている。
「すぐお風呂に行くからいいの」
「もう……」
私が向ける視線を感じ取り、それが言葉になる前から言い訳を並べる少女に閉口する。
ローザを責める気持ちに嫉妬心が絡んでいることは理解している。
でも、我慢だ。
だって――――
「アン、わかってるよね?」
自室に戻ろうとドアノブに手を掛けたとき。
階段を下りていくローザから不意に声を掛けられ、肩が跳ねた。
寝ぼけた様子もないはっきりした声音と真剣な表情は、これが彼女にとって――――私たちにとって重要な話だということを示している。
「残された時間は長くないよ。それまでに、ね?」
「うん……。わかってる」
私の返事に満足して頷くと、ローザはお風呂へと向かった。
一方、それを見送る私は自室に入ることもできず廊下で立ち尽くす。
「…………」
ローザの話はリリー姉さんのことを言っている。
私たちはアレックス兄さんと昔話をしていて、アレックス兄さんがひとつ誤解していることに気づいていた。
アレックス兄さんは、リリー姉さんが死んでしまったと思っている。
私は迷った末に、その事実を告げずに胸の中にしまいこんだ。
後からローザに聞いたら、彼女は迷いもしなかったという。
ローザならばいい。
ローザは私がアレックス兄さんの近くにいても気にしない。
でも、リリー姉さんは違う。
リリー姉さんは、アレックス兄さんの近くに私たちがいることを、きっと許さない。
だから私たちはリリー姉さんがアレックス兄さんを見つける前に頑張らないといけない。
いざというとき、アレックス兄さんが私たちを見捨てないように、アレックス兄さんの心を掴んでおかないといけない。
私はいつのまにか、ふらふらとアレックス兄さんの部屋に入り込んでいた。
昨夜使われていたはずのベッドはすでに整えられ、娼館で嗅ぎ慣れた臭いもしない。
アレックス兄さんはお出かけ、ローザは風呂。
この部屋に来る人は誰もいない。
私はこっそりベッドにもぐりこんで、枕を抱き締めた。
(自分の幸せのために、真実を隠す私を許してください……。そして――――)
悪いメイドに、お仕置きをしてください。
今夜は、私の番だ。
年齢のわりに体が育っている方だと思うけれど、『月花の籠』の娼婦たちのように豊満な体でアレックス兄さんを楽しませることは、まだできない。
でも、育ちきっていない体だからこそできる誘い方があることも、私は知っている。
(できることは全部試して、アレックス兄さんを虜にしないと……)
初めての夜、そして先日の孤児院でのことを思い出す。
今夜また、あの大きな力強い体に抱きしめてもらえる。
自然と体は熱を帯び、息が荒くなる。
静まり返った部屋で毛布を被った私を見咎める人はいなかった。
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