第272話 閑話:とある精霊の物語




「誰だか知らないけど、やってくれたわね」


 都市の中央にそびえたつ、この都市で最も高い時計台。

 都市を一望することができるから時々ふらりと訪れたくなる、私が気に入っている場所のひとつだ。

 今日、契約者のオスカーが体調を崩して寝込んでしまい、騒がしくてゆっくり休めないという理由で部屋を追い出されたので、久しぶりに訪ねてみたその場所。


 そこは、何者かに

 

 大胆にも時計台の下にある政庁を含めて建物が丸ごと支配領域として組み込まれている。

 時計台は自分のものだと主張するように展開された魔術は、しかし巧妙に隠されていて道行く人々は誰もその存在に気づかない。

 

 そっと政庁の外壁に触れて探ると、魔術の感触が手のひらに伝わる。

 その感触に覚えがあった。


 私は魔術の感触を頼りに、自身の記憶を辿る。


「これは、あのときの……?」


 それはたしか2月ほど前のこと。

 突如として騎士団の建物が何者かに襲撃されたときのことだ。


 といっても、物理的な話ではない。

 魔術的な侵入で、しかも気づいて押し返したら簡単に引いて行った。

 元より私は領域を広く確保する質ではなく領域化もさほど得意ではないけれど、押し返すときの抵抗が強かったことをぼんやりと憶えている。


 あのときはラウラの配下による挑発だと思ったのだ。

 かれこれ数十年、あいつと争い続ける中で様々な駆け引きが行われてきた。

 互いの勢力圏に圧力をかける程度のことは数えきれないほどやったし、つい最近もラウラに恨みを持つ貴族をそっと後押しして、あいつの力を削ったばかりだ。

 

 けれど――――


(これは、違う……)


 魔力の質からラウラ自身によるものではないと確信する。

 そして、あいつの配下の顔ぶれなんていちいち把握してないから可能性は捨てきれないけれど、この魔術の使い手が弱体化したあいつに手懐けられるほど弱い存在とは思えなかった。


「すぐに調べないと」


 オスカーには相談できない。

 寝込んでいるときにこんな話は持ち込めないし、精霊同士の縄張り争いなら自身の手で解決しなければ私の沽券にかかわる。

 

「この私を相手に舐めた真似をしたこと、絶対に後悔させてやるんだから」


 私はそう独り言ちて、時計台を見上げた。


 しかし――――


「なんなのよ、これは……!?」


 事態は私が想定したよりもずっと深刻だった。

 警戒しながら時計台の頂上まで登り、都市中を魔術的に探査した私は絶句する。


 時計台だけではなかった。

 時計台なんてほんの一部に過ぎなくて、南も東も見渡す限りが何者かに支配されていた。

 ラウラが領域とする冒険者ギルドの周辺と、私や私に近い妖精たちが住まう北西区域だけが例外だったのだ。


「油断が過ぎた、ということかしら……」


 この都市は長らく私とラウラの戦場で、それ以外の精霊が勢力を伸ばす余地はほとんどなかった。

 火山の泉が消失したこともそれに拍車を掛けた。

 今では強力な契約者なしには力を維持することすら困難で、私も保養のために年に何度か魔力が潤沢な地域に旅行しているほど。

 そんな状況で新勢力の台頭などあるはずもない――――そんな考えの甘さが、今の状況を招いたのだ。

 2月前、オスカーと一緒の保養旅行を優先させたこともそうだ。

 あのとき叩いておけば、最低でも犯人を見つけて釘を刺しておけば、こうはならなかった。


「さてと……。誰だか知らないけれど、この都市でこれ以上の好き勝手は認められないわ」


 ラウラは消耗しきっているはずで、しばらくは動けない。

 正体不明の新勢力を叩くなら今が絶好の機会だ。


 領域化が得意なタイプは戦闘が不得意なことが多いと、私は経験から理解している。


(まあ、大人しく従うなら扱いは考えても良いかな?)


 私の配下にいないタイプだから、ラウラを抑え付けるために役に立つかもしれない。



 

 そんなことを考えていた私は、やはりまだ甘かったのだ。




 南東区域で見知らぬ妖精と対峙しながら、私は内心で舌打ちした。


「こんにちは、侵入者さん!このまま帰るのと力尽くで叩き出されるの、どっちがいい?」


 南東区域は奥に行くほど治安が悪く、場所によっては臭いも気になるから普段はあまり足を踏み入れない。

 今日ばかりは仕方がないと割り切り、記憶にあるよりも随分と綺麗になった道を進んでいると、程なくしてメイド服姿の少女――――妖精が私の前に立ちふさがった。


「この私を?力尽くで?」

「あ、無理だって思ってる顔だ。でも、勝負はやってみないとわからないよ!」


 薄緑色の髪の少女は大振りな剣を構えて楽しげに笑う。

 

 一方、私は苛立ちを募らせるばかりだ。

 それはもう、周囲の家屋ごと焼き尽くしたくなるほどに。

 

(まだダメだ。こいつは違う……)


 ここまでの探索で、隠れるのが上手いことはよくわかった。

 南東区域をしらみつぶしに探すのは骨が折れるから、こいつを締め上げてボスの居場所を吐かせたい。

 面倒だけど殺さない程度に痛めつける必要がある。


 緊張が高まり、今にも戦端が開かれようとしたそのとき――――


「はい、そこまで!」


 手を打ち合わせる大きな音と共に、一陣の風が頬を撫でる。

 突風の中から現れたのは露出過多な服――というよりもはや下着に近い――を纏った顔なじみの精霊だった。


「相変わらず、あなたの服の趣味は理解できないわ」

「肌で風を感じるのは気持ちいいのに、もったいない」


 シルフィーは心底理解できないといった表情でこちらを見つめる。

 まあ、今は服の趣味の件は置いておこう。

 

「で、どういうつもり?」

「お互いのために、ここは引いた方がいいんじゃないかなって思ってさ」

「お互いのため?面白いことを言うのね?」


 まるで私を心配するような物言いに眉を顰める。

 しかし、彼女の態度は変わらなかった。


「うーん、でもさ――――」


 困ったような顔でシルフィーが言う。


「気づいてる?ココルは囮だよ?」

「――――ッ!?」


 飛び退った直後、足元が爆ぜた。

 

 間一髪で回避したけれど、直撃なら私でも無視できないダメージを負っただろう。

 驚くべきは、これほどの魔術を撃たれたにもかかわらず術者の位置がわからなかったことだ。


「ああ!?シルフィーが言わなければ今ので倒せたのに!!」

「レーナはあれくらいじゃ倒せないし、倒しちゃダメなんだってば。レーナを倒したら大騒動だよ。ココル、すごく怒られるよ?」

「ええ……。でも、侵入者を倒すのが仕事なのに」

「まあまあ、ここは一旦帰って相談した方がいいよ」

「ココルの出番が……。でも、シルフィーがそういうなら……。みんな、引き上げるよ!」


 ココルと呼ばれた妖精が声を上げると、両手の指で足りないほどの妖精たちが周囲から湧いて出た。

 

(一体、どこから……)


 愕然として妖精の集団を見送る。

 間もなく、その場に残ったのは私とシルフィーだけになった。


「危なかったね、レーナ」

「あの程度でやられはしないわ」

「甘く見ない方がいいよ?ココルの班を撃退したって、が来るだけだし」

「ずいぶんと詳しいのね?」

「あたしは顔が広いからね」


 そう言って、シルフィーは肩を竦めた。

 風のように飄々として中立を保つのは、いつだって変わらない。

 ラウラとの争いでもそうだったから、いつしか自分に付けと誘うのはやめてしまった。


「それとひとつ忠告を」

「なによ?今、忙しいんだけど」

「ココルたちを追わない方がいいよ」

「…………」


 こちらの思惑は筒抜けだったようだ。


「本当に、レーナのために言ってるんだけど」

「さっきから、まるで私が負けるみたいな言い方ね?」

「うん、レーナは勝てないよ」


 一瞬、何の冗談かと思った。

 冗談ではないらしいとわかって露骨に不機嫌さを示しても、彼女の様子は変わらない。


「レーナじゃ勝てないよ。ラウラだって、勝てないよ」

「はあ!?何を言って――――」

「この都市の主導権は、もうどちらのものでもないんだよ。あたしはただ、顔なじみがせめて滅びないようにって、そう思っただけなんだ」


 シルフィーは困った子を宥めるような声音で言うと、風に舞って去って行った。


「ふう……」


 心に積もる苛立ちを抑え込み、息に乗せて吐き出した。


 一息で解決できる問題ではなかった。

 それは認めよう。


 たしかに先ほどの妖精以上に強力なのが出てくるなら、ケガでは済まないかもしれない。

 下手すればラウラよりも弱体化する可能性すらある。


 弱体化して力を回復させる見通しが立たないあいつにとって、それは千載一遇の好機となるだろう。

 見逃すことは絶対にない。


「ああ、もう!めんどくさい!」


 悔しいけれどオスカーに相談した方がよさそうだ。

 外見のせいか、最近やけに私を子ども扱いする愛しい契約者に思いを馳せる。


(帰りになにか、滋養に良いものを買っていこう!)


 オスカーのことを考えているうちに、私はこの問題を忘れてしまった。




 私がこのことを思い出すのは数日後。


 それは思いもよらぬ形で、絶大な衝撃を伴って、私に現実を突きつけることになる。



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