第270話 閑話:とある少女たちの物語1




「行ってきます!」


 屋敷の玄関から屋敷の中に向かって大きな声で挨拶し、玄関の扉を閉めた。

 直後、扉に鍵が掛かる金属質な音が聞こえる。


(これ、本当にどうなってるんだろう?)


 私が大声を出したとき、エントランスホールには誰もいなかった。

 フロルさんが玄関で見送りをするのはアレックス兄さんが外出するときだけなので、今も屋敷のどこかで家事をしているはずだ。


 しかし、誰もいないエントランスホールに向かって声を上げ、玄関を閉めると鍵が掛かる。

 屋敷に住み始めて数日で、そういうものだと理解したことのひとつだ。


 ちなみに私は屋敷の鍵を持っていない。

 玄関でチャイムを鳴らそうとすると手がチャイムに触れる前に鍵が開く音が聞こえてくるから、鍵は必要なかった。


(家妖精ってすごいんだなあ……)


 シエルさんに初めて会ったときも驚かされたけれど、フロルさんも負けていない。

 こんなに大きな屋敷の掃除を埃ひとつ残さず完璧にこなすし、フロルさんのお料理は頬が落ちるほど美味しい。

 孤児院で暮らしていた頃、寝ている間に何でも仕事をやってくれる小人さんの御伽噺を聞いたことがあったけれど、あれは家妖精のことだったのだと今更ながら納得した。


「あ、急がないと!」


 私は門扉を丁寧に閉めてから、小走りで南通りへと抜ける。

 南通りを南に歩き、見慣れた路地から再び南東区域の方へと足を進めた。


 屋敷から孤児院へは、屋敷からそのまま路地を南下する方が早い。

 アレックス兄さんが南東区域を移動する時間はなるべく短くするようにと言うので、仕方なく遠回りをしているのだ。


(もう、アレックス兄さんも心配性なんだから……)


 そう思いながら、自然と頬が緩む。

 アレックス兄さんが私を心配するのは、私を大事にしてくれている証拠。

 それがわかるから、私は今日もこれからも遠回りで孤児院に通うだろう。


 しかし――――


「あっ!?」


 突然、路地から飛び出してくる人影が見えた。

 アレックス兄さんのことを考えていたら反応が遅れてしまい、私は突き飛ばされてしまう。

 

(早く起きないと……!)


 もたもたしていたら南東区域では生き残れない。

 素早く起き上がって相手を探すと、汚れた服を着た男が衝突で取り落としたカバンを拾うところだった。


 こちらを睨みつけると、男はカバンを大事そうに抱えて走り去った。

 男が消えた路地を覗き込んで男が戻ってこないことを確かめてから、ケガをしていないか体を確認する。

 この辺りは石畳があったりなかったりするけれど、幸か不幸か私が突き飛ばされたのは土の部分だった。

 南東区域では石畳が壊れても修理されないから、だんだん土の部分が増えていくらしい。


「あー、危なかった」


 あの男が人攫いか、わざとぶつかってお金を巻き上げるような人だったら、きっと大変なことになった。

 せっかく自由の身になったのだから気を引き締めないといけない。

 少し浮かれ過ぎていた。


 私はメイド服に付いた土を払うと、緊張感を持って孤児院への道を駆け出した。


「ロミ!遅れてごめーん!」


 庭先で、すでに仕事を始めていたロミを見つけて声を掛ける。

 ロミは私に気づいて立ち上がると、呆れた顔で腰に手を当てた。


「おはよう。どうしたの、その服?」

「聞いてよ、酷いんだよ!すぐそこで路地から出てきた人に突き飛ばされちゃってさ」

「人攫い?」

「わかんない。カバンを抱えて逃げてたみたいだから、物取りかも」


 ロミも注意してね、と伝えるとおざなりな返事があった。

 警戒心が薄いということではない。

 南東区域で生きていくなら、そういったトラブルを警戒するのは当然のことなのだ。


 それよりも、と話題を変えたロミは笑顔で話を続ける。


「明日から3人来るって。3歳とか4歳くらいみたい」

「へえ、やっとかー。どんな子かな?楽しみだね!」


 これでようやく孤児院が再建されることになる。

 思えばシエルさんに雇われてからここまで、私たちは孤児院で簡単なお手入れしかしていなかった。

 お給金はちゃんと出るけれど、これでいいのかと不安になることもあったから嬉しいニュースだ。

 

「ちゃんと面倒見てあげないとね。信頼されるまでが大変だろうけど、地道に頑張ろう」

「うん!一緒に頑張ろうね!」


 ロミとハイタッチを交わして、私は仕事に取り掛かった。

 



 私たちの仕事は、簡単に言うと孤児たちのお世話だ。

 しかし、言うのは簡単でも孤児のお世話というのは本当に色々なことが必要になると、孤児院で育てられた私は良く知っている。

 孤児たちを起こし、朝食を作り、食べさせ、食器を片付け、勉強を教え、掃除をさせ、昼食を作り、食べさせ、食器を片付け、時々仕事をさせ、遊ばせ、買い物に行き、時々お風呂に入れ、夕食を作り、食べさせ、食器を片付け、寝かしつける。

 幼い子なら食べ方を教えたりオシメを変えたりもする。

 子どもたちが遊んでいる間も目は離せないし、暇を見つけて買い物もしなきゃいけないし、何より孤児院を運営するためには色々な人と交渉もしなければならない。

 休憩時間はあんまりない、本当に大変な仕事だ。

 

 これだけ多くの仕事を私とロミだけで回せるか不安に思っていたけれど、どうやら私とロミでそれら全てをこなすわけではないらしかった。

 食事は家妖精が用意してくれるし片付けもやってくれる。

 掃除も買い物も同様だ。

 だから私たちがやることは直接孤児と接する仕事だけということになる。

 もちろんそれだって簡単なことではないけれど、子どもたちに集中できるだけでずいぶん楽になると思う。

 勉強の時間はローザがやってくれるという話もあるので、その時間に休憩をとることもできるはずだ。

 子どもの人数は少しずつ増やしていくということだし、増え過ぎたら世話する側の人数を増やすことも考えると言ってくれたので、安心して仕事に専念することができる。


「あ、ベッドが増えてる」


 最初は幼い子を連れて来るということなので、夜は大部屋で全員一緒に寝かせることにした。

 男の子と女の子で分けるのは孤児院に慣れてからで十分だ。

 最初はとにかく寂しくないようにしてあげたい。

 きっと新しい場所は、みんな不安に思うはずだから。


 寝室の換気を済ませ、ベッドを整えると台所へ。

 台所では食器の数や非常食というものを確認した。

 もし家妖精が食事を用意できないことがあったら、日持ちする野菜や穀物を使って私たちが料理をすることになっている。

 私はあまり料理が得意ではないので、そんな日が来ないことを祈るしかない。


「こんなところかな?」

 

 子どもたちが来る前日と言っても、やることは多くない。

 お昼までまだ時間があるのに、今日の仕事が終わってしまった。


 食堂でロミと話しながら待っていると、表からベルの音が聞こえた。


「シエルさんだ!」


 手早く服を整え、ロミとお互いにチェックしてから玄関を開ける。

 外に出ると、姿勢を正したシエルさんが待ち構えていた。


「お二人ともこんにちは。準備は進んでいますか?」

「はい、大丈夫です!」

「今のところ問題ないと思います」

「そうですか。それは何よりです」


 シエルさんは事務的で、あまり笑わない人だ。

 だからこの前アレックス兄さんが訪ねてきたとき、シエルさんが微笑んでいるのを見て驚いた。


 まさか、シエルさんもアレックス兄さんのことを――――


「どうかしましたか?」

「ッ!?何でもないです!」


 心を読まれたのかと思ってびっくりした。

 心臓がまだバクバクと大きな音を立てているけれど、シエルさんは構わずに連絡を続けた。

 

「では、明日はお昼過ぎに。大変でしょうけれど、よろしくお願いします」

「「はい!」」


 シエルさんの業務連絡が済み、食堂で自分たちが使っていたコップを片付けると、これで私の仕事もおしまいだ。


「ロミ、私は屋敷に帰るけど……」

「うん、お疲れさま」

「……やっぱり、難しい?」

「うん。ごめんね」

「そっか……。わかった、また明日!」

 

 ほんの少しだけ寂しそうに笑うロミを残して、私は孤児院をあとにした。

 

 アレックス兄さんが孤児院を訪ねた日。

 それは、ロミがラルフの死を知った日でもあった。


 あのときは気持ちが昂るままにアレックス兄さんを責めたロミも、冷静になれば責任が誰にもないことを理解してくれた。

 けれど、それでも割り切れないこともある。

 どこかで生きていると信じていた想い人が殺されてしまったのだから、仕方のないことなのかもしれない。

 いつか自分を迎えに来てくれる――――そんな儚い夢を見ることすらできなくなってしまったのだから。


(ラルフはローザのことが一番大切。そんなこと、ロミもわかってるはずなのに……)

 

 ラルフがローザよりもロミを優先することはあり得ない。

 それでも孤児院が崩壊したとき、そして南東区域を放浪していたとき、ラルフは孤児をまとめようと精一杯頑張っていた。

 そんな頼りがいのある姿が、きっとロミには眩しく映ったのだろう。


(私の目には、ずいぶん無理をしているように見えたけど……)


 ラルフは昔からアレックス兄さんを尊敬していた。

 アレックス兄さんならどうするか。

 迷ったときや何か重要な決断をするとき、ラルフがそんなことを呟くのを聞いたことがある。


 しかし現実は非情だ。

 困難は次から次へと私たちに、そしてそれを率いるラルフに襲い掛かり、みんなの運命を滅茶苦茶にした。

 

 アレックス兄さんなら、きっとうまくやる。

 そう思っていても口に出す人はいなかった。

 そんなことは誰に言われるまでもなく、ラルフが一番わかっていたはずだから。


 ラルフは間違いなく私たちの中で一番優秀だった。

 ただ、孤児の中で最も優れているという程度では、非情な現実に打ち勝つことはできなかったのだ。


(あれ、お客さん……?)


 路地から飛び出す人影に気を付けながら遠回りして屋敷に帰ると、玄関先でフロルさんと知らない女の人が向かい合っていた。


 私の足音に気づいたのだろう。

 私が近づくと、その人は緑の髪を風になびかせてこちらを振り向いた。


「やあ、キミがビアンカちゃん?あたしは風の精霊、シルフィーって言うんだ。よろしくね!」


 陽気に笑って私の手を取ったシルフィーさんは、そのまま玄関ではなく門扉の方へと歩き出す。


 私の手を握ったままで。


「あ、あの……!?」

「ちょっとお買い物に行ってきてほしいってさ。私も付き合うから、ね?」


 シルフィーさんの視線を追った先でフロルさんが小さく頷いた。

 今までフロルさんが言葉を話すところを見たことはないけれど、シルフィーさん――――というか妖精や精霊との間では会話が成立しているらしい。


「さあ、しゅっぱーつ!」

「あ、はい……よろしくお願いします!」


 フロルさんの指示なら従うほかない。

 気持ちを切り替えた私は、酒場の踊り子が身に纏うような露出が多い服を着こなしたシルフィーさんに連れられ、再び出掛けることになった。



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