第四章閑話

第268話 閑話:とある騎士の物語2




「お疲れ様でした。乾杯!」

「「「乾杯!!」」」


 歓楽街にある落ち着いた酒場の個室を貸し切り、目元だけを隠す仮面を着けた同僚たちとともに乾杯を唱和する。

 ひんやりとしたグラスを口元でゆっくり傾けると、普段より若干上等な酒が乾いた喉に染み込んだ。


「ふむ、これは良い酒ですね」

「副官殿は普段もっと良いものをお飲みでは?」

「今の私はコーヒースキーですよ、タルトスキーさん」

「おっと、これは失礼」


 酒の席ではあるが、右隣に座るデザートに目がない同僚に一言だけ小言を述べる。

 ここは防諜が徹底された拠点ではない。

 気休め程度の配慮でも、無いよりはよほど良い。


「まあ、お酒にはあまりこだわりがないもので。その分、コーヒーにはこだわりますが」

「コーヒースキーにコーヒーを語る隙を見せるとは、タルトスキー愚かなり」


 コーヒーについて語ろうとした私を左隣から掣肘した男は、並々と注いだエールをロクに味わいもせず腹の中に流し込んだ。


「ブグスキーさん、それはどういう意味で?」

「話が長くなるからに決まっているだろう。まさかわからんとは言わせんぞ」


 ブグスキーの指摘には無言を貫き、小さく溜息を吐く。

 酒や紅茶を好む人間が多い騎士団で少しでもコーヒーを浸透させようと、私は日々努力していた。

 残念ながら結果は芳しくない。


「まあまあ、コーヒーの話はまた今度で。今は優先度が高い話題がありますから」


 正面でミートパイを頬張るキャンディスキーに促され、気を取り直す。

 飴玉よりもパイの方が好物である彼だが、とある誤解を招きかねないという理由でパイスキーという偽名は見送ったらしい。


 それはさておき、彼が言っているのは当然今日の騒動のことだ。


「全く、一体どうなっているんだ。これだけの騒動が起きているというのに、衛士が一人も駆け付けないとは……」


 タルトスキーが呆れるのも無理はない。

 今日の騒動で戦闘行為を行った者は二百人を超える。

 死者が出たという報告がないことが不思議なほどの規模だ。

 

「少なからぬ通報があっただろうに、南西区域の衛士は全員で昼寝でもしていたか?」

「話を聞いた時は悪質な冗談と思って眉をひそめたものですが。いやはや、わからないものです」


 一人の冒険者から驚くべき情報がもたらされたのは、わずか3日前のこと。

 普段なら一笑に付すような話であったが、証言がやたら具体的であったことや証言をもたらした人物が人物だったこともあり、半信半疑ながらも簡単な調査を行うこととなった。

 数人の騎士を動員して南西区域を中心に市民からの聴取を進め、我々は早々に調査を打ち切った。

 詳細を調べるまでもなく、十分な裏付けが取れたからだ。


「南西区域の衛士詰所が情報を握りつぶしていたのでしょう。他の詰所まで報告に行った市民もいたようですが、管轄が違うと相手にされなかったようです」

「市民からの通報に対応しなかったとなれば問題だ。都市の治安が良くないと噂になれば、領主様に恥をかかせることになる」

「まあ、南西以外の詰所に関して言えば、まさかこんな状況になっているとは思わないでしょうから。南西詰所は擁護のしようもありませんが」


 衛士に通報しても治安が改善しないことで、治安維持機構そのものに疑念を持つ市民もいたというから問題は深刻だ。


「隊長クラスの判断ではおそらく難しい。独断でここまではできないだろう」

「アバカロフ家からの圧力だけなら、政庁に報告すれば済む話ですからね。それができなかった理由があると考えるべきです」


 タルトスキーとキャンディスキーの分析は核心に触れていない。

 慎重に言葉を選ぶ二人をブグスキーは鼻で笑った。


「理由などわかりきっている。どうぜ、あの馬鹿が関わっているのだろう」

「上司に馬鹿はよくないですよ」

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い」


 ブグスキーの言葉に反論する者がいないという事実が、我々の認識を雄弁に語る。

 馬鹿という直截的な表現だけでなく、関わっているという部分についてもそうだ。


「本当に、団長閣下には困ったものです」


 私たちが騎士団長の関与を疑うのは、もちろん理由がある。

 普段は計画的に行われる領内巡回が、2日前に急に持ち上がったからだ。

 それも休養中の者を除いた大半の騎士を動員する大規模なもので、事情を知らぬ者たちは皆、大層驚いていた。

 その時点で南西区域の状況を把握できており、この時期に都市外に騎士を出すべきではないと陰に陽に抵抗したが、結局は動ける騎士の半数程度を持っていかれた。

 おそらくアバカロフ家との間で何らかの取引があり、都市の戦力を都市外に誘導したかったのだろう。


「本当に何を考えているやら。自分が守る都市の安全より他所の貴族のわがままを優先するとは」

「貴族の行動原理など、理解できるものではない」

「浮浪者共と私兵で100人を超える規模だ。場合によっては市民に大きな被害が出るところだったのだぞ?」

「それに相手方の所属が明らかですから、一歩間違えば非常に面倒なことになったでしょう。そう考えると大きな借りを作ってしまいました」


 私の言葉に3人は沈黙する。

 突然の沈黙による不自然さを隠すようにそれぞれが酒や料理に手を伸ばしたが、やがて耐えきれなくなったタルトスキーが呟くようにこぼした。


「あれは、なんだ……?」

「あれとは?」

「わかるだろう!」


 とぼけた相槌に、酒が入った同僚の語気が荒くなる。

 正義感が強いタルトスキーだが、短気は注意すべき欠点だ。

 煽るように肩を竦めたキャンディスキー共々制止し、話を元に戻す。


「強力な<威圧>だと思っていましたが、どうやら違うようですね」

「全く同じものかはわかりませんが、魔王信奉者も同系統と思しきスキルを使用しました。自身のスキルに相当な自信があるようでしたが……殿のそれは、桁が違います」

「副団長殿との戦いの中で放たれたときも、心臓が凍てつくような思いだったが……。あれすら本気ではなかったというわけだ」


 キャンディスキーは敢えて偽名を口にしたが、その正体は知れている。

 スキルの効果を身をもって経験していたということもあるが、我々を引き込んだ本人が騒動の場に現れないのだから、それ以外は考えられなかった。


「私たちがこの身に受けたのはどちらも余波のようなもの。直接スキルの対象になったわけではないというのにこの有様です」


 それを考えればアバカロフ家の私兵たちは気の毒だった。


 強すぎる<威圧>は心を蝕む。

 おそらく例のスキルも同様だ。

 今日のことで心が深く傷つき、武器を握れなくなる者もいるだろう。

 それどころかふとした拍子に恐怖がよみがえり、長年にわたって精神を蝕まれる者もいるかもしれない。


 鍛錬を重ねた我々でさえ、平常心を取り戻すのに相当な時間と精神力を必要としたのだから。


「副団長殿が訓練などと言い出したとき、正直肝が冷えましたよ」

「<結界魔法>の対処などと言っていたが本質は違うだろう。我々の怯えはお見通しだったということだ」


 実際に、彼の前に立って足が竦む者もいた。

 がむしゃらな突撃で無様に転ぶ者もいた。


 しかし、それも模擬戦を繰り返すうちに大方は恐怖を払拭できた。

 荒療治が功を奏した形だ。


「まあ、お題目の<結界魔法>も大概だったがな」

「私は<結界魔法>使いと戦ったことがあります。副団長殿が言うとおり完全に別物ですよ、あれは」


 キャンディスキーの言うとおり、<結界魔法>は瞬間的に発動できるスキルではない。

 空間が光りを放ち、結界が形を成すまでわずかながら猶予があるのだ。

 その間に飛び道具を差し込めば<結界魔法>は完成せず、当然攻撃は貫通する。


 相手が<結界魔法>使いだと知っていれば、本来は砂など使うまでもない。


「手が読まれていたわけではありません。攻撃を見てからでも余裕を持って発動しているように見えました」

「あれはどうにもなるまい。近接戦闘はほぼ無敵なのではないか?」

「目で追えないほどの速度か手数が必要になりますね」

「実際に攻略するなら魔法や弓矢、投槍による中距離・遠距離からの攻撃が現実的だ」

「動きが鈍いならそれもわかりますが、機動力も侮れませんよ。抜かれないように綿密な陣形を組んだ上で包囲撃滅を試みることになるでしょう」

「そうやって囲んだところで、の餌食になるわけだが……」


 ブグスキーの指摘に、キャンディスキーとタルトスキーが沈黙する。


「同系統のスキルに習熟しているはずの魔王信奉者ですら、身動きが取れなくなるほどの恐怖だ。誇り高き騎士として、醜態を晒すなど考えたくもないが……」

「仮に意識を保ったとしても、矢は明後日の方向に飛ぶでしょうし、攻撃魔法などまともに発動できませんよ」

「射程外から魔法で無力化できないか?」


 この中で最も魔法に精通しているのはキャンディスキーだ。

 彼は少しだけ目を閉じて黙考した後、ゆっくりと首を横に振る。


「奇襲前提ならともかく、距離を取ったらこちらの魔法も簡単には当たりません。手練れを並べて速度と手数重視で面制圧を試みても、実際に命中するのは精々3~4発。その程度なら<結界魔法>で十分に防御可能でしょう」

「では妨害ならどうだ?例えば足元を泥沼にして動きを封じれば、集中砲火で<結界魔法>の防御が間に合わない手数を出せるのでは?」

「それは無理です。手元で発動した魔法を投射するならともかく、遠く離れた場所に魔法を発現させるなんて現実的ではありません。それこそ例のスキルのように、特殊効果を持つレアスキルやユニークスキルが必要になるでしょうね」


 騎士団が誇る精鋭の正騎士が知恵を出し合い、攻略談義の末にようやく捻りだしたのは溜息だ。

 実際には魔道具の力を借りることで突破口を作ることは可能だろうが、それはあまりに情けないので誰も口にしなかった。


「副団長殿はアレと素手で戦ったというのか。呆れたものだ……」

「単純にお強いというのもそうだが、スキルの恩恵もあるだろう。副団長殿はユニークスキルのおかげで状態異常が効きにくいからな。デメリットも小さくないが……」

「それもそうか。いずれにせよ、剣の性能頼みではなかったということだな」

「うむ、あれは本当に素晴らしいものだ」


 ブグスキーがなぜか嬉しそうに何度も頷いている。

 先ほどの意趣返しをする好機と見て、私はちょっとした意地悪を口にした。


「ブグスキーさんに武具を語らせるとは――――」

「そう言うな。語らせろ」


 私の軽口に強引に割り込むと、ブグスキーはテーブルに肘をついて身を乗り出した。


「例の剣、借りて振ってみたのだ」

「ほう?」


 武闘派のタルトスキーがこれに食いつく。

 武器防具への関心は高くないキャンディスキーも魔法剣となると話が変わるらしく、話に意識を集中しているのがわかる。

 悔しいことに、私も興味を惹かれる話だった。


「つい数日前の話だが――――」


 ブグスキーは西通りの店での出来事について簡潔に語った。

 随分と面白い話に巻き込まれていたようだが、<結界魔法>すら斬り裂くというのは驚きだ。

 もちろん同種の魔法でも術者によって結果は異なるので単に新商品とやらが耐久不足である可能性も否定できないが、キャンディスキーも話を聞いて考え込んでいる。


「それで、結果は?」

「剣を落とさなかったことが唯一の成果だ。あっはっはっ!」


 カラカラと楽しげに笑うブグスキーには呆れるしかない。

 ひとしきり笑った後、彼は話を戻した。


「素晴らしい剣なのは確かだが、いくらなんでも重すぎる。実戦であの剣を使うくらいなら、素手の方がマシだ」

「はあ……。まるで御伽噺に登場する伝説の剣ですね。選ばれた者しか使えないという」


 キャンディスキーが期待した種類の話ではなかったようで、その軽口もどこか投槍だ。

 しかし、ブグスキーは笑顔を引っ込めて大真面目に頷いた。


「あながち笑い話でもないかもしれん」

「というと?」

「まともに振れぬ剣を評価するのは恥となるゆえ、この場限りの話にしてほしいが……。実際に振ってみて、剣自体の切れ味が飛び抜けて良いとは思えなかったのだ。<身体強化>込みで腕力が足りなかったことを差し引いても、堅い盾を布切れのように裂くとは到底思えん。使用者を魔力か何かで識別する特別な魔法がかけられているやも……とな」

「ふむ、魔力で……」


 ポツリと呟くと、キャンディスキーは黙考を始めた。

 こうなったらしばらくは戻ってこない。


 タルトスキーも同様の考えなのか、そういえばと前置きして話を切り替えた。


「魔力と言えば、知ってるか?この前ウチの文官がやらかしたそうだ」


 ブグスキーと顔を見合わせるも、ピンとくる事件は思い浮かばない。

 視線で続きを催促すると、タルトスキーは勿体ぶりもせず話を続けた。


「先日、が指名依頼の報酬を取りに来ただろう。そのときに手続といって騙して魔力を計測したらしい」

「おい、それは……」


 下級冒険者は力を誇示したがり、上級冒険者は力を隠したがるという。

 弱く見られるのも実力の底を知られるのも、身の危険を招くからだそうだ。

 生死に直結する話なので妥協はなく、無理に暴こうとすれば彼らは容赦なく牙を剥く。


 一般に上級冒険者と言われるのはB級からだが、彼の振る舞いはすでに上級冒険者のそれだ。

 実際に魔術師を含めた数十人を無力化できるのだから戦力はすでにB級に匹敵するだろう。

 つまり状況は非常によろしくない。


「笑い事ではないぞ。早急に対処すべきだ」

「それで、その結果は?」


 眉を顰める私とブグスキーを気にも留めず、続きを促したのはキャンディスキーだった。

 当分思索から帰って来ないと思ったが、話題が話題だけに気になるらしい。


「……計測不能だそうだ」


 私とブグスキーは溜息を吐いた。


 結果に驚いたのではない。

 文官の浅はかさに安堵したのだ。


「それは不幸中の幸いだな。確かに、誰でも持ち出せる場所にあるのは性能がそこまで良くなかっただろう」


 安物を使ったために計測限界を超えた。

 彼の底を暴くことはできなかったということだ。


 これで話が終わりなら首の皮一枚繋がったというところだが、タルトスキーは口の端を上げたままだ。

 嫌な予感が頭をよぎり、それはまもなく現実となった。


「それが、わざわざ担当官が鍵を管理する備品倉庫から持ち出したと聞く」

「……興味本位で、そこまでやりますか?」

「我々の無様が文官の一部で噂になったようだ。備品倉庫の管理者まで協力しているのだからどうしようもない」


 タルトスキーは肩を竦め、私は頭を抱える。

 備品倉庫の管理は物を盗まないように小心者に任せていたはずだが、今回はそれが仇になってしまった。


「それで、計測不能というのはどうなのだ?」

「うちで一番の魔力持ちでも計測不能には届きません。それ以上ということしかわかりませんね」

「この前は<結界魔法>も連発していたな。1戦につき1回としても200回は下らないだろう」

「宮廷魔術師級ではないか?いや、たしか回復が速いと言っていたか……?」

「おそらく<リジェネレーション>でしょう。レアスキルと言うわりには、さして珍しくもないスキルですが、測定器で計測不能なら上限も相当なものでしょう」


 ブグスキーとタルトスキーは溜息を漏らした。

 感心したというよりは呆れに近いものだったが。


「しかし、<強化魔法>に<結界魔法>、<リジェネレーション>に例の特殊スキルか。これで武術でも魔法でも何かひとつ主力スキルがあったなら、副団長殿でも手に負えなかったかもしれんな」

「現状でも十分過ぎるほどだ。流石に贅沢だろう」


 同僚たちが笑う横で、私は考える。

 

(果たして、本当にそうでしょうか……)

 

 魔力を多く保有する者は、多くの場合それに見合った魔法を習得する。


 宮廷魔術師級の魔力を持つ剣士。

 そんなことが、あり得るのだろうか。


 例のスキルは魔力系統だろう。

 非常に強力なスキルであることは間違いなく、あれがそうだと言えなくはない。


 しかし、どうしてか不安が拭えない。


(少し、疲れているのかもしれません……)


 騎士団長の横暴に、今日の騒動。

 身体的にも精神的にも疲労は蓄積している。


(今日は、詰所に戻らずゆっくり休むことにしましょうか)


 頑張るために適切な休息をとるのも、騎士として必要なことだ。


 最優先で片付けるべき仕事が馬鹿の処分だという事実は一旦忘れることにして、私はグラスへと手を伸ばした。



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