第267話 歓楽街防衛戦―リザルト3




 全てを語り終え、無言の時間が続いた。


 ショックを受けているのはやはりロミルダだった。

 ラルフの結末を聞いて涙を流すこともなく、ただ呆然とテーブルの一点を見つめたまま動かない。

 ビアンカも悲しそうにしてはいるものの、どちらかといえばロミルダを気遣う気持ちの方が強いようだった。


「どうして、助けてくれなかったんですか……」

「…………」


 長い沈黙の後、ロミルダはようやく涙を零した。

 涙と一緒に抑えられない気持ちが口を突く。


「あなたは!強い冒険者なんですよね!?珍しい魔道具とか、貴重な薬とか!ラルフを助ける方法が――――!!」

「ロミッ!!」


 ロミルダの絶叫に歯止めをかけたのはビアンカだった。


 吐き出しきれなかった恨みはビアンカへと向かう。

 しかし、ビアンカは一歩も引かずにロミルダを見つめ返した。

 

「アレン様に失礼だよ」

「――――ッ!」


 ロミルダは席を立ち、泣きながら駆け出した。

 俺は食堂の扉が大きな音を立てて閉められた後でようやく腰を浮かしかけたが、やや迷ってこの場に留まることを選択した。


 今のロミルダにとって、俺はラルフの仇だ。

 追いかけても彼女を落ち着かせることはできないだろう。


「ごめんなさい。ロミが酷いことを言って」

「構わない。これくらいは覚悟していたさ」


 ローザに伝えたときに受けるはずだった罵倒が、少し遅れてきたようなものだ。

 誰も彼もが優しいとかえって辛くなるから、むしろ少しくらい責められた方が気持ちが楽になる。


「ロミはラルフのことが好きでしたから。私がアレン様にをしたときも、ロミは最後まで迷ってたんです。貴族が攻めてくるかもって話がなかったら、多分……」

「そうか……」


 初めてを差し出した男に想い人を殺された。

 そう考えると救いのない話だ。


「それはそうと!」


 ビアンカは努めて明るい表情を作り、胸の前で両手を合わせた。

 俺に嫌な思いをさせないようにという気遣いが伝わってくる。

 本当はロミルダのことが心配だろうに、相手をしろと指示されているから俺を放置することもできないのだろう。


「私たちを助けてくれてありがとうございます。本当は娼館で働いて借金を返さなきゃいけなかったのに……、おかげで孤児院で働くことも認められました!」

「ああ、それは良かった」


 今は『月花の籠』から孤児院への奉公という形になっているが、しばらく様子を見て問題がなければ正式に移籍となる。

 シエルの様子を見るに遠からずそうなると思われた。

 孤児院で稼いだ給金は当然二人の物になり、彼女たちは自分たちで未来を描くことができるようになる。

 二人の未来が少しでも好転したなら、汗をかいた甲斐があるというものだ。


 そう思ったのだが――――


「私たちを助けてくれてありがとうございます。さん」

「…………やっぱりバレてるのか」

「全員じゃないと思います。多分、ロミは気づいてないです」


 ビアンカに指摘され、小さく溜息を吐いた。

 先にローザの話を聞いていたから驚きは小さい。

 しかし、娼婦見習いのビアンカにまで気づかれているようでは、もう『月花の籠』には行けないかもしれない。


「そうか……。でも、その名前は禁止だ。理由はわかるな?」

「はい!では、とお呼びします」

「ああ、そうしてく…………あ?」


 聞き分けの良い返事と耳に入ってきた音に致命的な齟齬が生じていることに気づき、思考がフリーズする。


 さりげない風を装い、視線をゆっくりとビアンカに向ける。

 彼女は両手で頬杖をつき、悪戯が成功した子どものように笑っていた。


「私は最初から気づいてました。そうでなければ、わざわざなんてしません」

「…………」


 俺は今の今まで、ビアンカとロミルダが俺の正体に気づいていない前提で会話してきた。

 その内容を掘り返すことはしないでおこう。


 きっと、恥ずかしい記憶が次から次へと湧き出してくるに違いないのだから。


「えへへ」


 羞恥に震えながら頭を抱えていると、テーブルを挟んで向こう側にいたビアンカがこちらに回り込んで俺の腕を取った。

 抱き着くというよりは俺をどこかへ連れて行こうとする動きだ。


「せっかくですから、孤児院の中を見ていきませんか?私の部屋も案内します」

「部屋か……。ここに住むのか?」

「将来的には住み込みで働くことになるかもしれません」


 先ほど飛び出していった少女のことが一瞬頭をよぎるが、あちらは解決を急いでも好転はしないだろう。

 ロミルダのことは一旦忘れることにして、俺はビアンカに腕を引かれるまま孤児院の中を歩き、彼女の部屋に上がり込んだ。


「住み込むにしては殺風景だな」


 ビアンカの部屋は仮眠室や控室と聞けば納得だが、住み込むには少々物が足りないような感じだった。

 座る場所もないのでベッドに腰掛けて窓の外を眺める。

 

 正体がバレているなら取り繕う意味もない。

 そんなヤケクソな内心から出た、浅はかな行動だった。


「家具とかは、ある程度買ってもらえる予定です。それに今は、ベッドがあれば十分です」


 錠が落ちる音が聞こえて振り返ると、ビアンカが部屋のドアを背に微笑んでいた。

 もちろん鍵が壊れたわけでもないので、ちょっとした操作で開錠はできる。

 どちらかといえば、ビアンカの行動が持つ意味の方が重要だった。


「ビアンカ?」

「アン、と呼んでほしいです……」


 そう言いながらビアンカがゆっくりと歩み寄る。

 俺が彼女をアンと呼んだのは孤児院に居た頃の話。

 それを除けば初めての夜だけだ。


「借金の件は俺が好きでやったことだ。お前たちが気にすることは何もないんだぞ?」

「はい……」

「娼婦見習いからメイド見習いに転職したんじゃなかったのか?」

「はい……」


 返事と行動が一致しないまま、ビアンカは俺の下にたどり着く。

 ベッドに掛けた俺の目線と、目の前に立ったビアンカの目線の高さはほぼ同じ。

 彼女は俺の手を取ると、両手で挟むように握りしめた。


「ダメ、ですか……?」

「いや…………」

 

 反射的に口から出た言葉はどちらとも取れるような曖昧なもので、何か加えなければ容認も拒絶も伝わらない。

 拒絶すべきだとわかっているのに、「もう食べたでしょう?」というローザの言葉が後ろ髪を引く。


 自分を大事にしろなどと、どの口が言うのか。

 言葉が軽すぎて風で飛びそうだ。


「…………」


 俺の中に生じた迷いは目の前にいるビアンカにも伝わってしまう。

 ギリギリで踏みとどまる俺を背後から突き飛ばすように、彼女はスカートの中に俺の手を誘い込んだ。


 滑らかな布ごしに、彼女の熱が伝わる。


「アンは、ご主人様にお仕置きされたいです……」

「…………ッ」

 

 耳元で囁かれた誘惑が脳を侵食する。


 説得の言葉は、生唾とともにごくりと飲み込まれた。

 




 ◇ ◇ ◇





「あ、ローザ!」

「アン、どうしたの?」


 その日の夕方。

 結局、俺はアンを屋敷に連れて帰った。


 慈善事業だからいつまで雇ってもらえるかわからない。

 今のうちにお金を稼がないといけない。

 でも、私にできることなんて体を売ることだけ。


 散々情を交わした後、腕の中で泣かれては見捨てることなどできなかった。

 決して色香に惑っただけの話ではない――――そう思いたい。


「孤児院の仕事はちゃんとするんだぞ。住み込みの件も、どうするかシエルさんと相談しろ。アンを見込んで拾ってくれたんだから、不義理は絶対に働くなよ」

「はい、ご主人様!」


 ローザとともに屋敷の中に入っていくアンを見送り、孤児院の方角を振り返る。


(ロミルダは、仕方ないか……)


 あの後、ロミルダは孤児院に戻ってこなかった。

 探した方がいいのではと思ったが、アン曰くずっと南東区域で生きてきたしそのうち戻ってくるだろうとのこと。

 彼女との和解には、もうしばらく時間が必要だった。


「お妾さん2号?」


 エプロンドレスに身を包んだローザが、わざわざ屋敷の前に戻ってきてからかいまじりに尋ねる。

 腕を背後で組んで下から見上げるような仕草も込みで、いかにも小悪魔的だった。


「……否定しないが、外聞が悪いから屋敷の外で言うなよ?」

「はーい」


 ローザにはとりあえずフロルの手伝いをお願いした。

 シエルと話がつけばアンの詫びも兼ねて通いで孤児院の手伝いに派遣してもいいかもしれない。

 ラルフほどではないがローザも頭が回るし勉強も得意だった。

 近年体調を崩しがちだったというのが気に掛かったが、フロルが処方するポーションを何本か飲むと大方は回復したという。

 体力的に問題ないならアンたちよりも教師役に向いていることだろう。


「ほら、さっさと入れ」


 ローザの背中を押しながら俺も玄関をくぐる。


 住人が増えても屋敷の支配人は変わらない。

 フロルは定位置から動かず、俺の帰りを待っていた。


「ただいま、フロル」


 いつものようにサラサラの金髪を撫でながら、シエルとの会話を思い出した。


『愛情を向けて育てれば、会話に限らず様々な能力を獲得します』


 愛情は足りているはず。

 魔力も相当な量を食べさせている。

 必要なお金も広範な裁量も与えている。


 妖精の生育環境としては悪くないはずだ。


 ならば――――


(いや、それは違うか……)


 フロルを育て始めてからまだ半年だ。

 外見年齢が15歳程度のシエルに対して、フロルはどう見ても10歳がいいところ。


 ラウラも妖精の成長には長い年月が必要だと言っていたし、そもそも他所の家妖精と比べること自体が良くない。

 今でも十分よくやってくれているのだ。

 愛情をもって話しかけることを続けていれば、いつか自然と話せるようになるだろう。


「……いつもありがとうな」


 あれこれ悩んだ末――――俺はいつも通りの言葉でフロルを労って風呂へと向かった。




 直後、背後で何かずっこけるような気配を感じたが、きっと気のせいだろう。



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