第265話 歓楽街防衛戦―リザルト1




 ラウラとの話し合いも満足できる結果に落ち着き、リリスのもてなしも十分に堪能した。

 お祭り状態となった歓楽街の喧噪は遠く、落ち着いた空気が漂うVIPルームに残るのは俺と少女の二人だけになった。


「バルバラさんも、早く言ってくれたら良かった。そうしたら、怖い思いをしないで済んだのに」

 

 金髪を揺らし緑色の瞳を伏せて不満げに呟く少女は、隣に腰掛け寄りかかるようにして腕に抱きついている。


「恨まれてでも、ここを守るためにそういう立ち回りが必要だったんだろう。結果的にはこうして再会できたんだ。そんな顔するなよ、ローザ」

「うん……。アレックスにぃと会えて、本当に良かった」


 今回の報酬であるローザの身柄はラウラとの話し合いの後、速やかに引き渡された。

 感動の再会の後、腕に抱きついたまま離れようとしないのはやはり色々と心細かったからだろう。

 からかいながら頬と突くと、ローザは頭を腕にすり付けながらくすぐったそうに笑った。


「…………」


 ローザは俺との再会を心から喜んでくれている。

 その笑顔を曇らせることになるだろう。


 それでも、俺にはローザに伝えなければならないことがあった。


「どうしたの?アレックスにぃ」


 内心が表情に出てしまったか。

 俺が浮かない顔をしていることに気づいたローザが、それを尋ねた。


「ローザに、大事な話がある」

「うん」


 一度大きく息を吸って、それを吐き出した。


「ラルフは死んだ。俺が……俺が率いるパーティが、討伐した」

「…………」

 

 ローザは何も言わなかった。

 彼女は騎士団に保護されるまで魔人となったラルフと一緒に居たから、ラルフの結末を察していたかもしれない。

 それでも、俺が殺したことは知らなかったはずだ。


 義理の兄のような存在が実の兄を殺していた。

 その事実を聞かされた彼女は一体何を想っただろうか。


 言葉はまとまらない。

 それでも決意が鈍る前にと思い、俺は懸命に言葉を紡いだ。

 主観は排除して、極力脚色しない事実を伝えた。


 言い訳や弁明は決して口にしなかった。

 恰好をつけるつもりはない。

 只々、これ以上の無様を晒すことだけはしたくないという一心だった。


「…………ありがとう」


 俺が全てを語り終えた後。

 少しばかりの沈黙の末、ローザは確かにそう言った。

 

 それは恨み言でも罵倒でもない、感謝の言葉だった。


「なんでだよ……。俺は……」


 最後までは言葉にならなかった。

 しかし、その意味を汲み取ったローザはゆっくりと首を横に振る。


「ラルフが、だんだんラルフじゃない別の何かになったのはわかってた。だから、きっとラルフは救われたと思うよ」

「俺は……!あれがラルフだなんて、気づきもしなかった……!」

「それでもだよ」


 ローザはずっと抱きしめていた腕を離し、正面から俺を抱きしめた。

 その頬に一筋の涙が伝うのを見た。


「ラルフはお礼を言えないから、私が代わりに」

「――――ッ!」


 俺はローザの背中を優しく抱きしめた。


 気付けば俺も泣いていたと思う。

 

 悲しみを埋めるため、俺たちはただ互いを抱きしめ続けた。

 





 どれくらいの時間が経ったか。

 互いの心音と呼吸を感じていると、心は徐々に落ち着きを取り戻していった。

 ポツリぽつりと互いのことを話し始めると、笑い声が上がることもあった。


 離れていた期間は4年半。

 積もり積もった話が尽きることはない。


 それをいくらか崩した頃合いで、ローザは徐に立ち上がった。


 どうしたのかと思って見ていると、ローザはドレスの裾を摘まんでゆっくりと回る。


「どう?」

「いや、どうってお前……」

「気合いを入れておめかししたのに、評価はそれだけなの?」

「もちろん、似合ってるが……」


 この場合、似合っているからこそ問題なのだ。

 ローザの装いは完全に娼婦のそれで、頼りない肩紐に吊られた黒のワンピースは胸元を隠そうともせず、成長途上の少女の柔らかい肢体を扇情的に彩っている。

 これが指名した娼婦なら「今日も似合ってる。」なんて言いながら抱き寄せるのだろうが、妹のような存在を相手にそんなことを――――と言い切れないことも問題を複雑にしていた。

 ラルフのことを話さなければという思いが先に来ていたのでそれどころではなかったが、正直に言ってローザとの距離感を掴みかねているのだ。


 ローザは間違いなく俺にとって妹のような存在だ。

 しかし、記憶の中にある彼女は当然11歳の姿をしており、その頃は胸なんてあるかないかわからないような有様だった。

 それが突如として扇情的な娼婦に化けて目の前に現れたのだから、妹に向ける感情と娼婦に向ける感情が混線してしまい、上手く出力できないのも仕方のないことだ。


 言葉を濁し、誤魔化すために酒に手を伸ばす。

 しかし、ローザは俺の態度に大層不満そうだ。


「……アンとロミは抱いたのに」

「ごふっ!?」

「もう、アレックスにぃ、大丈夫?」


 酒をむせて、背中を摩られた。

 水を貰って喉を潤す。


「悪い。けど、お前なんでそれを――――」

「知ってるよ。アンとロミには、もう会ったもん」

「あー、それもそうか……」


 ビアンカとロミルダも『月花の籠』の見習い娼婦として、ここで生活している。

 3人は孤児院がなくなった後も一緒に行動していたという話だから、話す機会もあっただろう。


「名前を聞くまで気づかなかったんだ。向こうも、俺に気づいてなかったし」

「そうなの……?お互い成長したってことなのかな」

「お前もな。あの頃と比べるとずいぶん……」


 その先の言葉は口に出さず、何とか踏みとどまる。

 ただ、そこまで言えば最後まで言ったも同然だ。

 ローザはベッドの上でしなをつくり、得意気な笑みを浮かべた。


「召し上がれ」

「妹を食べちゃう兄って、鬼畜じゃないか?」

「もう食べたでしょう?」

「…………」

 

 食事したことを忘れるボケ老人を諭すように、こてんと首をかしげてローザは言う。

 何を言ってもそこに行き着くようだ。

 しかも言い逃れようもないから質が悪い。


「妹って言っても、血は繋がってないのに」


 ローザはごろんとベッドに転がって足をパタパタと動かした。

 ワンピースの裾が捲れて下着が露わになり、慌てて目を逸らす。


 このままでは押し切られそうだと考えた俺は、少し強引に話題を変えた。


「それはそうと、バルバラとは話がついてる。ここで娼婦をやる必要はないから、とりあえず俺のところに来い」

「その話は聞いたけど、条件があるよ」

「おい……」

 

 バルバラからローザの意思確認は済んでいると聞いていたので、この段階で拒否されるとは思っていなかった。

 ラウラの件でも似たような流れでこじれたのは記憶に新しく、思わず低い声が出てしまい慌てて自分の口を塞ぐ。

 

「アレックスにぃ、こわい」

「悪かった。それで、条件ってのは?」


 こわいと言いながら、ローザの顔には満面の笑みが浮かぶ。

 条件の内容は、もう予想がついていた。


「私を抱いてくれたら」

「やっぱりそれか。お前もただ保護されるくらいなら娼館で稼いだ方がマシだって考えか?」

「うん……?ただアレックスにぃに抱いてほしいからだよ?好きでもない男の人に抱かれるなんて絶対に嫌。ここもそのうち逃げるつもりだったし」

「だったら……」


 そんな条件を付ける理由がわからない。

 そう身振りで示す俺に近寄り、ローザは耳元でささやいた。


「アレックスにぃが優しいって、私は知ってるもん。私が泣きながら他の男に抱かれるなんて、アレックスにぃは耐えられないよね?」

「おまっ……!?」

「それとも――――」


 えげつない脅し文句に絶句する俺を置いて、ローザはワンピースを脱ぎ捨てる。

 そしてハート形のクッションで胸と口元を隠しながら、ベッドの端にペタリと座り込んだ。


「アレックスにぃのことが大好きな私を、他の男に差し出すの?」


 見知らぬ男が部屋に入って来てローザからクッションを取り上げ、嫌がる彼女を強引に組み伏せる。

 ローザがあまりに悲しげな視線で見つめるので、そんな情景を幻視してしまった。

 今はまだ妄想に過ぎないが、ローザを俺のものにしなければ遠くない未来に現実となる光景だ。


「…………」


 義務感、罪悪感、背徳感、庇護欲、独占欲。


 様々な思いが混ざり合ってできた感情が胸の内で渦を巻く。


 それに名前を付けることもできないまま、彼女の視線に吸い寄せられるように、気づけばローザに手を伸ばしていた。





 ◇ ◇ ◇





 交代でシャワーを浴び、整えたベッドで横になる。

 腕枕を要求するローザ左腕を差し出すと、ご満悦の表情だ。


「アレックスにぃ、大好き」

「こういう脅しは今回限りだぞ……」

「うん。もう私はアレックスにぃのだから、心配しないで大丈夫だよ」


 そう言って、肩に頬をこすり付けるローザは少し眠そうだった。

 身体もそうだが、精神的にも疲労が溜まっていただろう。


「これから、お妾さんとして頑張るから」

「ほどほどにな」

「ほどほどじゃダメだよ。これから歓楽街には通いづらくなるだろうし」

「うん?どういうことだ?」


 眠たげな声で割と聞き捨てならないことを言った気がする。

 そのまま寝てしまいそうなローザの頬を突いて話の続きを促すと、若干不機嫌になりながら意味するところを教えてくれた。


「私は昨日のうちにアレックスにぃだって聞いてたから、そんなにだったけど。みんなすごく怖がってたよ」

「今日のことか?でも、あれは俺だとは……」

「確証はなくても察してるよ。鈍い女は生きていけないんだよ?」

「……………………冗談だよな?」


 ローザの話が本当なら、俺は一体何のためにアレックスを演じたのか。

 大仰なセリフや身振りで歓楽街の支配者を自称する冒険者などただの道化であるし、なにより俺自身や『黎明』の評判に致命的な影響が出るかもしれない。

 それに、指名した女が陰で「歓楽街の支配者様(笑)が来たよ。」なんて噂してるかもしれないと思うと――――ストレスで吐きそう。

 

「大丈夫……。私が頑張って満足させるから……」


 そんなことを呟いて目を閉じたローザは、そのまま寝息を立て始めた。

 彼女の話は俺の心に小さくない影を落としたが、この幸せそうな寝顔を守るために必要だったと思えば後悔もできない。


 大きな溜息をひとつ。

 不安を忘れるために酒をボトルから直飲みし、部屋の灯りを落として毛布を被った。



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